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Ⅲ.ミア「私はどうして……」

 その日の謁見の間にて。


「魔王様、それではどちらか一人をお選びください」


 ミアが涼やかな声で言う。


「え、えっと」


 王座に立つ少年の目の前には二人のメイドが。

 一人は、両手を頭のうしろで組みつつ口笛を吹いていて。もう一人は、どういう訳か一度も彼と目を合わせようとしない。


「あの……」


 突然の状況に困惑して、彼は助けを求めるようにミアを見る。

 すると、彼女は落ち着いた口調で。


「ご安心ください。どちらのメイドも強い魔力を持ち、また、戦闘にも長けています。必ずや、魔王様のお役に立つことでしょう」

「いや、えっと……」

「移動に関しては、問題ありません。ここからでは多少距離がありますが、バフォメットに乗って行けば半日ほどで到着するはずです」

「え、バフォメットってそんなこともできるんだ?」

「はい。その分、お屋敷の守護は手薄になりますが」

「あ、そうだよね」

「ですが、ご心配には及びません。魔王様がお留守の間、こちらに残った者達でお屋敷を守ります」

「そ、そっか」


 少年は改めて前に立つ彼女らを見る。

 次いで、頭の中でこの状況に至った経緯を巡らせて。


「……」


 彼は夕食を食べ終わったのち、謁見の間に来るように言われてここに足を運んだ。

 そのとき既に、王座の前に控えていたのがこの二人。キントとドゥリーベス。

 これから何が行われるのだろうと疑問を持ちつつ所定の位置についた彼に、ミアが告げた言葉は「魔王様が向かわれるという旨の書簡を、アスモデウスに送り届けておきました」だった。

 それを受けて少年は「あ、アスモデウスって、もしかして七大悪魔かな……?」と質問し、ミアは端的に「はい」と答える。

 そこから先はマモンの際に彼らが交わした会話とほとんど同じのもので。彼が「だから何で、そんな余計なことするのおおお!?」と抗議すると、ミアが「相手に全力を出させておいて、それを一方的に蹂躙する。それ故に魔王様は――」と理由を述べた。

 また、「ち、ちなみにいつ行くの?」と彼が訊くと、ミアは「出発は明朝になります」と言い。「きゅ、急過ぎるよ! だって僕、やっとさっき火の玉が出せるようになったんだよ!?」という不満の声には、「ご安心ください。それは魔王様の魔力が十分に蓄積されたという証です。以前と同様に、これからは炎弾を魔王様のご意志で自由に撃ち出すことができるでしょう」と答えた。

 それから、彼とミアとの間でいくつかの悶着が展開されたあと。最後に「魔王様の護衛役にメイドを一人お選びください」とミアが口にして今に及ぶ。


「……」


 その間、諸々合わせて実に十五分ほど。

 当然、そんな短時間で心の整理などできるはずもなく。


「……い、いや、そういうことじゃなくてね」

「道案内でしたらメイドが地理を把握しています」

「……あの」

「魔王様のお食事はメイドに携帯させます」

「……えっと」

「もし万が一のことが起こった場合、メイドが身を挺して魔王様をお守り致します」

「……う、うん」


 そして、少年は弱々しく漏らした。


「……少し、考えさせてください」


 すると、ミアは僅かに首を傾げてから。


「魔王様のお望みのままに」


 そう品よく頭を下げる。次いで、キントとドゥリーベスに。


「二人とも下がっていいです。ですが、どちらも準備を怠らず、魔王様のご決断をお待ちすること」


 すると、彼女らは何も言わずに扉から出ていって。

 ドゥリーベスはどこか上の空のような。キントとは結局、最後まで目が合わなかったが。

 それを確認してから彼は。


「……あのさ、ミア」

「はい」

「今度から、事前に相談とか入れてもらえると助かるんだけど……七大悪魔関係のこととか」

「……?」


 少年の言葉に、再度ミアは首を傾げ。


「かしこまりました」


 変わらず、美しく頭を下げる。


「……はぁ」


 深い溜息。

 ここ数日とは打って変わって、それは目まぐるしく。あの出会いから、ミアには振り回されてばかりのような気がして。


「……」


 だが、彼は少しだけ安心する。胸の内で渦巻いていた不安が和らぐ。

 何故なら。


「……頑張らなきゃなぁ」


 止まってしまったかに見えた歯車が再び回り始めたから。淀みかけた目的が、再燃したから。

 そして。


「僕……魔王様だもんね」


 ある意味で、ここが自分の居場所だと感じられたから。

 少年は深く目を瞑り、大きく深呼吸をする。次いで、瞼をかっと開けながら。


「よし、やるぞ!」


 と意気込んだ。

 それはもしくは、ただの強がりなのかもしれない。けれど、同時に彼が自ら掲げた決意でもあった。

 だから、彼は志高く掌を広げて。


「……あ、でもその前に、ちょっと訊いていいかな?」


 しかし、ふと先ほどの流れの中で感じた疑問をミアに問う。


「なんなりと」

「えっと、どうしてあの二人だけなのかな? コムとかゲィーミットは?」


 それは選べる従者の選択肢についてのこと。

 確かに、メイドは他にもいるのに、候補に挙げられないのは不自然で。

 ミアは少年の意図を察し、端的に答えた。


「コムは魔力が弱く、護衛には向きません。また、ゲィーミットも戦闘向きではありませんので」

「ああ、そうなんだ」


 だが、彼女は言葉の背後に隠されたもう一つのメッセージを読み取れずにいる。いや、気付いてすらおらず。

 けれど、それは当たり前のことで。言うならば、僅かな揺れのような意志。一番に言いたいことを、伝えたいことを、弱気が後回しにしてしまう心理。


「…………」

「……」


 その場に流れる、ちょっとした沈黙。

 しかし、少年はタイミングを逃してしまったと感じた。

 次いで、引き立つ焦燥。

 どうして、最初に言わなかったのか。自分自身からの追及。


「…………」

「……」


 そうしている間にも、空気は空虚に覆われて。

 言い出すための機会が、ますます失われていく。


「…………」

「……」


 簡単なことなのに、それは不思議なほど遠くて。一度、意識してしまうと、とても言葉にし辛く。

 そして。


「それでは魔王様、そろそろご就寝のお時間です」


 ミアはそう言って、少年を寝室へと誘う。

 次の日のことを気遣ってか、それはいつもより少し早い。

 だから、余計に彼は追い詰められたように感じられて。


「…………」


 焦りのピーク。

 同時に、背後から淡い気体が吹き込むような感覚が少年を後押しし、ついに彼は声を上げる。


「……ミアは!?」


 彼の言葉に振り返るミア。


「……?」


 その顔は、相も変わらずとても綺麗だった。それは細やかな造形という意味だけでなく、本来の美貌の内からあふれる、彼女の忠実さや実直さをありのままに映し出して。

 だから、少年の掌は真っ赤に燃えあがる。


「い、いや! あの!」


 何ら悪いことをしていないのに、彼の目は潤み始めた。

 心が恥ずかしさでいっぱいになり、今にも弾けてしまいそうだ。


「ち、違うくて!」


 おそらく、少年が意図したことはミアには全く伝わっていないだろう。

 だが、彼にはそれすらも判別できない。頭の中には、とんでもないことをしてしまったと奇妙な後悔がひしめいて。


「いかかがされましたか?」


 そんな様子の相手を前にしても、慌てることなくミアは訊ねる。

 普通ならその振る舞いは、相対する者の気持ちを落ち着け、和ませるはずだ。

 けれど、それすらも少年には心苦しく。


「あの! ええっと! あの!」


 窮地に立った彼の口から出た言葉は。


「あの! 僕! ミアと行きたくて……っ!」


 子ども故の素直さ。経験のなさ。言葉の未熟さ。そんなものらが詰まった、甘い酸味の恋恋慕こいれんぼ。それはいつの間にやら膨れ上がり、幼心をぐいと押し上げて。裏付けの必要ない、暴走気味の淡い切なさを少年の内側に満たしていた。


「……え?」


 次いで、先に声を上げたのは不思議と彼の方。

 また、その目からはぽろぽろと雫が落ちて。


「……ぅ」


 当初は、「どうしてミアは選べないの?」とだけ訊くつもりだった。何の他意もなく、ただ自然に。


「……うぅ」


 しかし、少年は理由すら分からず、それを先延ばしにして、最後には墓穴を掘ってしまった。

 あるいは、彼が十分に成長した大人なら。その曖昧な気持ちにいち早く気付いて、気持ちを整理するなり、誤魔化すなりできたかもしれない。


「……うぅ、うぇ」


 だが、彼はどこまでいっても少年だった。


「うえ、うえええん!」


 だから、何だか泣けてきて。

 体はその処理し切れない気持ちを涙に変える。

 そんな彼を。


「……」


 ミアは胸に抱いた。


「……うぇ?」


 そこはまるで空からこぼれいずる陽の光のように暖かく、優しく。天使の羽のような愛おしさで。

 彼女はすぐに離す。


「……?」


 状況が理解できず、少年が見上げるとそこには。


「……」


 彼以上に戸惑った表情のミアが。

 そして。


「……大変申し訳ございません」


 そう呟き。彼女は。


「この無礼は命をもって償います。仕える者のヴィクラインズト――」

「え? だ、ダメ! 死ぬのはダメ! 魔王様の命令!」


 反射的に少年は諫める。

 けれど、彼女は「かしこまりました」とは言わず、両手を掲げたまま制止し。


「……」


 いつも通り表情は落ち着いているのに、その海の深さを写し込んだような瞳は、信じられないほど広がっていて。


「…………っぷ」


 彼はつい噴き出してしまった。


「あははは!」


 すると、さっきまでの混乱が嘘のように晴れて。


「あはははははは!」


 おかしくてたまらなくなる。

 一方のミアは、その場で固まったまま石造のように立ち尽くしていた。

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