Ⅲ.魔王の片鱗
「どうやって町の外に出るんだ?」
「あ、あの目の方に行かなきゃいけないよね……」
丘まで降りると、二人が不安そうに訊ねてくる。
対する少年は口に手を当て、少し考えてから顔を上げた。そして口を開く。
「……町じゃなく、あっちの山を越えよう」
少年が指差す先に、それはあった。確かに、そこを超えれば、隣の町へ行けるのだが。
「……マジかよ」
「うぅ。僕、途中で歩けなくなっちゃうかも……」
山は高くそびえ立ち、少年達の未熟な足ではまるで心もとなく感じられた。
「ここにずっといたらあの化け物達がやってくるかもしれない。だから……」
「お、おう」
「……分かったよぉ」
しかし、少年の言葉で今の自分達が置かれた状況を思いだして。二人も覚悟を決める。
幸いにも、広くはないが山には人間が通れる道のようなものがあった。彼らは地面を踏み固めて造られたようなそこを黙々と進んでいく。
「……こ、怖いよぉ」
だが、臆病そうな彼が泣きそうな声を漏らした。
「……うん」
太陽が消え、辺りが薄暗く沈んでいる。山というだけでも寂しげな雰囲気があるのに、そのことが更に彼らの心を重くした。
ときどき、ごろごろという雷の音に紛れてあの不快な鳴き声がする。木々の切れ間から見える空は、見たこともない色に染まっている。
分からない。心が張り裂けそうになる。果たして自分達は。このまま、生きて帰れるのだろうか。
「お、俺達……死ぬのかなぁ……」
大柄な彼がぼそりと呟く。
「……うぅ」
「……」
その嘆きを否定できる者は誰もいなかった。
ただ、彼らはひたすらに進むだけで。
そして1時間は経過しただろうか。
三人は木々が押し分けられた広場のような場所に辿り着いた。
「……あ! 水!」
「え? 本当!?」
それまで息を切らして俯きながら歩いていた二人が急に元気なる。しかし、それも責められない。彼らはこれまで全く水分を口にしていなかったのだから。
「……神社?」
少年の目にこじんまりとした社が飛び込んでくる。二人が飲んでいるのは、身を清めるための手水舎の水で。おそらく山の地下水をポンプで汲みとって、ろ過したものなのだろう。それは濁りなく透明なまま澄んでいた。
「っぷはぁ! 生き返ったー!」
「もう、僕喉からからだよぉ」
少年も水を口にする。氷が入っているかのようにひんやりと冷え、乾いた喉が潤された。
そして、彼らの気持ちは少しだけ軽くなる。先ほどまで、泥のように沈んでいたが少しだけ。それはまるでコンクリートの上で、花弁を広げる花のような。そんな苛烈な環境でも生まれる、一種の気力のような感情が彼らの内側を満たす。
それに、ここまで登ればあとは下るだけ。下ればそこから隣町へ出ることができる。
「あと少しだ。頑張ろう……!」
「おう」
「う、うん」
三人は互いに目を見合わせながら、決意を胸に強く頷いた。
だが、そのとき。
『……ギャリギャギャギャ』
空から奇妙な声が落ちてくる。金属同士をこすり合わせるような、無理矢理引きちぎるような。そんな不快な鳴き声。
「……は?」
そうして化け物は羽をばたつかせながら、ゆっくりと彼らの前に降りてくる。
「……」
「…………」
「……ぁ」
三人とも言葉は出なかった。言葉も出せず、目の前の存在から目を離せなくなる。
『……』
地面に降り立つと化け物は、直立のまま彼らを見つめた。いや、正確には見つめていたとは言い難い。何故なら、化け物の顔には目が無かったから。その気色悪い紫色の皮膚が覆われた場所に口だけがあり、目も鼻も存在しない。ただ、不格好にたるんだ皮がこちらの方へ向けられていた。
また、その口もまるで異端だ。顔の途中で切り裂かれたような隙間から、針のように鋭い無数の牙が収まり切らずに唇の外へとあふれでている。それは見た者に強い嫌悪感を、深い恐怖感を与えるには十分過ぎる代物で。
更に、化け物の身長は普段彼らが目にする大人達よりもずっと、ずっと大きかった。
『ギャリギャギャギャ!』
そんな怪物が雄叫びを上げる。鼓膜を不快に揺らすあの声で。
いや、もしかすると笑っているのかもしれない。少年は縫いつけられるような恐怖の中で、漠然とそう感じていた。
「うわぁ!!!」
「あー!!!」
二人はその場に尻もちをつく。腰から下の感覚が消え、脚が溶けてしまったかのように動かない。
「……ぁ」
少年も同じだった。少年もまた体が震えて、そのまま何もできず立ち尽くす。
『ギャリギャギャギャ!』
そして、ぬるりと手を伸ばす化け物。
大柄な彼も臆病そうな彼も、どちらも這うようにあとずさるだけで。
「や、止め……」
化け物は止まらない。
「だめ……」
その手が二人の体にに触れる。化け物の口が醜く歪み、だらだらとした涎がずり落ちた。
「止めてー!!!」
少年が叫ぶ。見ている景色がスローモーションになる。焦らすようにゆっくりと彼らを掴む紫の腕。
『タタカエ』
するとまた、苦しいほどに胸が熱くなった。まるで燃えるように。焼き尽くすように。彼の奥。奥の奥のずっと奥。そして底の底。見通せないほどの深遠から、マグマのような熱が湧きでてくる。それがまるで収まらない。体の内から這いでるように、熱が、マグマが上ってくる。
「う……ぁ……!」
どくん。心臓が痛いほど跳ねた。
「あ……ぁ……!」
どくん。体を流れる血液が蛇のようにのたうち回る。
「が……!」
そして。
「うわあああ!!!」
少年は無意識に右手を化け物へと向けていた。
次いで、風が。少年の周りの空気が、嵐のように荒れ狂う。
「うわああああああ!!!」
体中の熱が集まり一つになった。
『撃テ』
そして、また声が聞こえる。まるで暗闇の中にいるような、あの声が。
少年はそれに導かれるままに、右掌に収束した力を解き放つ。
『キュゴオオオ!!!』
すると、光が弾けた。また、耳をつんざくような轟音と共に熱がうねる。
「ああああああ!!!」
熱はあたりの酸素を喰らいながら、更に強く燃え上がり。
「あああ!!!」
全てを終わらせた。
「は?」
「……え?」
二人は目を丸くする。今、自身の目の前で起きたことを整理できないでいるのだ。
「……あ……ぁ」
一方の少年はそのまま力無く倒れ込む。まるで、糸の切れた人形のように。
「あ!? お、おい!」
「大丈夫!?」
そんな少年に不達は驚いて駆け寄った。いや、腰から下に力が入らないせいか、駆け寄るというよりも這い寄るといった動きで近付いていく。
「おい、おい!」
「ね、ねえ。大丈夫?」
地面にうつぶせになった少年を彼らは心配そうに揺り動かした。
「……う。だ、大丈夫だよ」
すると、少年は苦しそうに顔をしかめながら声を返す。
しかし、すぐには立てそうもない。どういう訳か長距離を走ったあとのような疲労感がある。それに、頭がぐらぐらとしてはっきりしない。
少年は靄がかかったような頭を手で差させながら上体を起こし、その場に座り込んだ。
「本当に大丈夫か? って、てか今の何だよ!?」
大柄な彼が詰め寄るように質問する。
「……今の?」
だが、少年は首を傾げた。
「て、手から出たやつのことだよぉ!」
すると、臆病そうな彼も口を出す。
少年は呆けた頭のまま何となく辺りを見渡した。
「……何あれ?」
そのとき奇妙な物体がその目に留まる。
未だに余熱を吐きだしつつ、奇妙にひしゃげる紫色の肉塊。
「何って……何だか知らねえけど、化け物だろ? お前が倒した」
「え……?」
今度は少年が目を丸くした。
「『え?』って……何も覚えてないの?」
改めて化け物の死体を見る。まるで、大きな力で強引になぎ倒されたような。
「……お前、それ。どうしたんだ?」
大柄な彼が言う。彼の人差し指は真っ直ぐ、少年の方へ伸びていて。
「え?」
腕に黒い痣が。いや、刺青のような紋様が浮き出ている。
「……あ」
それを見た途端、先ほどの光景が少年の脳に急速に戻ってきた。胸が熱くて、燃えて。声が聞こえて。そして、確かに少年は腕を上げたのだ。黒く、鋭く装飾された、その右腕を。
分からない、これが何なのか。でも、自分はこれを知っている気がする。どこかで見た。いや、ずっと前から知っていた。生まれたときから、ずっと。
「……ぅ」
頭が割れそうに痛み、少年は目を閉じる。自身に起きていることが、何も理解できなくて。でも、今にも何かが分かりそうで。
だが、そのとき。少年の内面とは裏腹に、随分と楽しげな声が響いた。
「なんだよ、それ! めちゃくちゃカッコいいじゃん!」
「……え?」
声がした方に視線を向けると、大柄な彼が興奮気味にこちらを見ている。
「す、すごいよ」
更に隣の臆病そうな彼も目をきらきらと輝かせて少年を見つめていて。
「それがあの火の玉を出すやつなのか!? どうやるんだ? 俺にも教えろよ!」
「え、じゃ、じゃあ僕も! 僕も知りたい!」
既に立てるようになった二人は、どんどんこちらへ詰め寄ってきた。
「ちょ、ぼ、僕にも分かんないんだって……」
「嘘つくなよ! 先生に言うぞ!」
「そ、そうだよぅ!」
そして。
『逃ゲロ』
そして、また声が落ちてくる。
「……!」
少年は重たい体を無理矢理起こして、立ち上がった。
「え、いきなりどうしたんだよ?」
「え? え?」
困惑する二人。
『逃ゲロ』
声が聞こえる。今までよりもずっとはっきりと少年の元に届く。
「説明はあと! とにかく逃げよう!」
「お、おい! 誤魔化すなよ! あとでちゃんと火の出し方教えろよ!」
「ぼ、僕もー!」
そうして三人は走り出した。