Ⅰ.準備期間
次の日、午後。
少年は、細い材木で作られたお洒落な椅子に乗りながら。
「へえー、そうなんだ」
相槌を打っていた。
辺りには浅く、あるいは深く。伸びたもの、平たいもの、ねじれているもの、重なっているもの、束ねられているもの、切れ味のいいものなど様々な形の道具が揃っていて。それらの多くは金属製であり、また、その一つ一つが驚くほど丁寧に手入れされている。
「そうなんや! そのときに見つけた茸が、ほんまに旨くてな! ただ、ある決まった場所にしか生えないんや」
「うんうん」
「その場所に行くのがまた難儀でなー。それに、保存も難しくて――」
そこは厨房だった。
話し相手のドゥリーベスは楽し気に語る傍らで、要領よく夕食の準備を進めている。
「あ、今日のメインは期待してええで?」
彼女は紫色の海老のような食材に、調味料を振りながら。
「え? 何の料理なの?」
「それはお楽しみやで」
にやにやと悪戯っぽく笑う。
だから、少年も嬉しくなって。
「えー、何だろう!?」
ほやほや笑った。
「ふんふーん」
そうして、鼻歌交じりに次々と料理を作っていくドゥリーベス。
少年の分だけでなく、自分も含めた五人のメイド達のものも用意するので、のんびりとはしていられない。していられないのだが、彼女は焦る素振りも見せず。それでも効率よく、迅速に食材を調理していくものだから無駄がない。無駄がない故に、早い。
そんな様子に彼は。
「ドゥリーベスって本当に料理が上手だね」
そう漏らす。
すると、自信に満ちた表情で茶化しながら。
「はっはー、当たり前やでー。子どもん頃からずっとやってきとるからなー」
「そうなんだ。というかドゥリーベス達って、いったいどんな風に大人になったの?」
「ん、何や? 藪から棒に」
「あ、いや。子どもの頃って言っていたから、ちょっと気になっただけ。魔界の人達ってどういう生活しているのかな、って」
「ああ、なるほどなー」
ドゥリーベスは塩と出汁の香るスープをお玉でかき混ぜた。
「まぁ、詳しく説明しようとすると色々あるねんけど。ぶっちゃけ、種族で結構ちゃうねん」
「種族?」
「そ、種族。魔族って一括りに言っても、悪魔族やら、魔獣族やら、魔人族やら。それで全然ちゃうくて。群れる奴もおれば、一人で生きる奴もおる。卵から孵る奴もおるし、子どもを産む奴もおる。それに親とか関係なしに気付いたら、勝手にこの世界に生まれてくる奴なんかもな。例えば、魔王はんも知っとる下級悪魔なんかは、子どもを産む類の種族で、割と群れるのが好きやなー」
「へぇ! 何だか面白いね!」
目を輝かせる少年。
「ちなみにうちは、小さい頃は村で生活しとったんや」
「魔界にも村があるの?」
「あるでー。まぁ、数は少ないねんけどな」
「ふーん。じゃあ、ドゥリーベスはそこでお母さん達と暮らしてたの?」
そして、何気ない質問。
しかし、それに対して帰ってきた答えは酷く意外で。
「ああ、うちに親はおらんねん」
「……え?」
彼の胸はどきりと音を立てる。
「自分でも知らん間に村におったからな。母親も父親も分からへん」
「あ、あの…………ご、ごめんね」
気まずさと同調が混じり合ったかのような謝罪。
「あはは、そんなん謝ることやないで? 魔界の奴らは大概そんなもんや。弱肉強食、言うんかなー。親は子ども産んだら、あとは知らん顔や。そんで、生き残るんは強い奴だけ。それが魔界やな」
ドゥリーベスはそう言いつつ、横目で少年の様子をうかがった。
「…………」
すると、視界に何ともいえない表情の彼が。
だから。
「って、何、暗い顔してんねん!」
おどけて見せる。
「…………」
けれど、少年の瞳に映り込む複雑な感情は消えず。いや、それはますます深くなるばかりで。
「あのなあ」
彼女は持っていた調理器具を脇に置いて。少年の掌、その目のすぐ上ほどの場所にでこぴんをした。
「!?」
予想外のことに虚を突かれ、目を丸くする少年にドゥリーベスは。
「親がおらんことは不幸やない。少なくともうちは、自分を可哀そうやなんて思うてない。それを同情かなんや知らんけど、そんなアホ面かますのはお門違いもええ所や」
「不幸……じゃない?」
「そうや。村の奴らは皆、ええ奴やったしな。それに、うちに親はおらへんけど、弟はおるし。やから、何やかんや言うても、うちは幸せや」
「で、でも……」
「魔王はん。本人が幸せや思うとることを、可哀そがる権利なんて誰にもあらへんで? 例えば魔王はんだって、自分がちゃんと納得してることを周りから馬鹿にされたり、見下されたりしたら嫌やろ?」
「それは…………うん」
「なら、おんなじや。自分がええと思ってんねやったら、それでええねん。周りは口出し無用やで?」
「…………」
そこまで聞いて、少年は黙った。黙って、彼女の言葉を反芻するかのように目を瞑って。また、思考を巡らせて。
「……」
記憶や経験。思い出や、戸惑い。
耳心地のいい言葉。冷たい視線。心ない談笑。
それらが無数の星となって、体を突き抜けていく。
「……」
しかし、そんな閉じた器が今日、少しだけ。
ドゥリーベスの言葉は、不思議とコーヒーの中の角砂糖のように心の中に柔らかく溶けていく。
少年の既知ではまだ、その理由は分からなくて。だが、あるいは勇気のような気持が、暖かな想いが。彼の内には芽吹いていて。
だから、彼は。
「……ごめん」
もう一度謝った。
だが、物悲しい響きはなく、むしろ堂々とした口調で。
「分かってくれたら、ええよ」
ドゥリーベスは右手をひらひらと振る。次いで、先ほど置いた調理道具を掴み上げながら、彼女の料理の作業に戻った。
「…………」
「……」
ただし、そこから続く沈黙。
会話の落差からか。そこには、発言をためらわせるような重たい空気があって。
「…………」
「……」
何の言葉も出ずに、時間だけが過ぎていく。
少年は佇み、ドゥリーベスは調理を淡々とこなす。
その場には、ぐつぐつというスープの音が嫌に大きく響いていて。
「…………って、息苦しいねん!」
ドゥリーベスが音を上げた。
「二人しかおらんのに、どっちも黙り込むってアホか! 葬式やないねんで!?」
「ご、ごめん……」
「謝んなや! 余計、雰囲気が暗くなるわ!」
「……」
そして、彼女は溜息をつきながら訊ねてくる。
「あーもう、めんどくさい。そういや、魔王はんの方はどうやねん?」
「え? 僕が、何?」
「いや、魔王はん。魔界征服せなあかんのに、マモン倒してからはずっとこの屋敷におるやん? そろそろ、次の奴ん所に行った方がええんちゃう?」
すると、少年は戸惑いながらも言葉を返して。
「あ、それは、えっと。僕、マモンとの闘いで使った魔力が回復し切っていないみたいで」
「ん? そうなんか?」
「う、うん。だから、前にも試したんだけど、火の玉が出せなくなってて。『しばらくはご休息してください』って」
「ふーん、メイド長がそう言うたんか?」
「うん」
「そうかー。まぁ、でも、今やったら割といけるんちゃうかな?」
「え?」
「ま、腕の違い言うんかな。うちの料理を食べると魔力溜まるの早いねん。それで、魔王はんはここ最近ずっとうちの用意した食事を食べてたやろ? せやから、もうだいぶ魔力が戻っとるかもしれへん」
「えっと、じゃあ?」
「いっぺん、外で試して来たらええやん?」
ドゥリーベスがにやりとした笑みを浮かべる。
一時の重苦しい空気はどこ吹く風。
「……」
彼は提案されるがままに、ふわふわと屋敷の玄関へ向かった。




