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我らが魔王のタマゴ様!  作者: 猫屋敷
~アスモデウス編~
33/57

Ⅱ.魔王「二話以降は試験後に投稿すると言ったな? あれは嘘だ」

勉強しなきゃなぁ。

「……」


 屋敷の食堂。それは他の部屋と同様に、優に舞踏会さえ開けそうなほどの広々とした空間を有していて。

 壁には金製の額縁に嵌めこまれた芸術的な絵画が並び、部屋の奥には大きな暖炉も備え付けられている。

 そして。


「わぁ!」


 食卓に着いた少年の目の前には見たこともない、だが、起床後のぼんやりとした食欲を直にくすぐられるような香しい料理が並んでいた。

 平らな皿の上に載せられた、白色の柔らかそうな楕球状。もちもちとした外見は、その心地よい食感をこちらに伝えてくるようで。端には、小振りなナイフとバターのような見た目のものも添えられている。

 すっと濃厚な旨味を感じさせる湯気。それをまとうのは、陶器の底まで見通せるほどの透明感を持つスープだ。しかし、それが予感させる味は、まるであらゆる楽器がこぞって彩るオーケストラのよう。そこには、液体に溶けた栄養素達が、お互いを決して損なわず、絶妙にバランスを取り合って響く姿が垣間見えて。

 更に、早朝の静けさを、そのままもぎとったかのような瑞々しいサラダに、柑橘系の爽やかさが際立つ赤紫のジュース。

 また、メインの品だろうか。厚みのある油がしっかりと閉じ込められた黒く細長い物体に、緑や黄色のほわほわと豆腐を崩したような料理が盛られている。それらが生み出す香りの何と芳醇なこと。あたかも、味を構成している物質全てが宙を巡っているかのように強い空腹感を急きたてる。

 そして最後に、料理の奥には甘い蜂蜜のような果汁を滴らせるフルーツが。その新鮮さを保つために、白いひんやりとした空気をかもす氷器に飾られていて。


「すごい……!」


 少年は思わず溜め息をついた。次いで、口の中を占拠し始める唾液。もはや、我慢などできようはずもない。


「何からお召し上がりになりますか?」


 そんなタイミングでミアが訊く。


「え、えっと……じゃあ、あのスープからお願いしていい?」


 彼は少し申し訳なさそうに、だが、待ちきれなさを隠し切れずに受け答えた。


「かしこまりました」


 すると、上品な動作で手を動かし、彼女は脇にあったスプーンで液体を掬い取る。

 その縁からあふれた一部は、動物性の豊かな香りを辺り一面に解き放ちながらとろりと落ちていった。


「失礼致します」

「あ、ありがとう……あむっ」


 そして、口の中に広がる濃密で弾けるほどの無数の味わい。これまで経験したどの食事よりも深く、舌に残る旨味がたまらなくて。喉を過ぎて鼻孔を、彼に鼻は存在しないが、きっと匂いを感じとっているであろう器官が優しく刺激される。まるで、美味。食道の全てを満足させる素晴らしい一品。


「うううぅ……」


 唸ることしかできなかった。その数多の生きものが集う、緑豊かな草原のように雄大な味の前では。


「何をお召し上がりになりますか?」

「あ、あ、じゃあ、あのパンみたいな奴」

「かしこまりました」


 ミアは人形のように白く細い指先で、丸みを帯びたそれを千切る。次いで、バターのようなものにそれを撫でつけ、丁寧に少年の口まで運んだ。


「失礼致します」

「あ、ありがとう……はむっ……うううぅ」


 舌を喜ばせる、幸せな味。料理はどれもこの世のものとは思えないほど繊細で、今まで少年が食べたことのあるどんなものにもまさっていた。


「何をお召し上がりになりますか?」


 また、ミアが訊ねる。


「え、えっと、じゃあ次は――」


 それに少年が答えて、その繰り返し。

 夢のような料理を目の前に、この一見もどかしくもある手順を踏んでいる理由については、彼の現状を考えれば容易に説明することができた。つまり、体が右腕だけという不便。それがミアに食事を手伝ってもらわなければならないという事態を引き起こしたのだ。


「ごめんね……あむっ」


 また、少年が食事をするという根本的な疑問。果たして右腕の彼に食事が必要なのか。あるいは、食べたものはいったいどこに移動しているのか。そんな、もろもろの問いの答えは以前にミアが教えてくれた。


「うううぅ……美味しぃよぉ……」


 口から食物を取り入れるという行為、それは「魔力への変換と貯蔵」と一言にまとめることができる。少なくとも少年は彼女から、そう解説された。

 要は、彼が魔王という存在になってから、食事によって得られるエネルギーの質が変わったのだ。人間だったときには、生命活動を維持するための「体力」という名目に変換されていたエネルギーが、これからはそれに加えて攻撃手段にも成り得る「魔力」という分類の力となって体に蓄えられる。それだけのこと。


「何をお召し上がりに――」

「あ、あの、お肉みたいな――」


 最初こそ、見慣れない不思議な食材や、そもそも右腕で食事をするという行為に戸惑いを覚えたが。少年はすぐに気にならなくなった。


「かしこまりました」


 それは、毎回、口にする料理が目を見張るほど美味しかったから。


「失礼致します」


 けれど、贅沢にも彼は別の感情も抱いていて。


「あ、ありがとね……はむっ」


 食事の度に胸に去来する至福感。その正体は。


「何をお召し上がりに――」

「え、えっと――」


 ミアと二人で時間を共有しているという淡い実感。

 少年は相手に悟られぬよう、必死で隠してはいるが。


「失礼致――」

「ごめ――」


 その体積は心の中でそっと増えていった。


『ギィィィ』


 扉が開く音。それは、ちょうど少年が料理を全て平らげた頃に響いて。


「失礼するで―。そろそろ、食べ終わったかー?」


 ドゥリーベスが現れた。彼女は片手に丸い銀製のトレンチを持っていて、ずかずかと荒っぽく近付いてくる。


「あ、ドゥリーベス。え、えっと、すごく料理美味しかったよ!」


 少年は食事の中で感じた想いをシンプルに述べた。お世辞でも、嫌味でもない。ただ、純粋な感情の塊。それは、ある種の感謝にも似て。


「はっはー、そない褒めても何も出てこんでー」


 ドゥリーベスは軽率に、だが不快な響きを全くさせずに笑う。彼女の笑顔には、軽さの内に愉快さというか、痛快さのようなものがあった。


「本当だよ! 僕、元の世界ではこんな美味しいもの食べたことなかったから! あ、でも、ちょっと気なったんだけど。これっていったい何のお肉を使ってたの? 牛とか?」

「ああ、それは下級悪魔の肉やで? 今朝、ちょうど新鮮な奴が手に入ったから使うたんや」


 彼女は当然のようにそう告げる。その笑顔の中にも、愉快さというか、痛快さのようなものが。


「え……?」


 だから、思考が壊れた機械のように停止する少年。

 次いで。


「えええぇぇぇ!?」


 彼は絶叫した。その声は料理の壮大な味わいも、食後の余韻も跡形もなく掻き消して。


「ぼ、僕、食べちゃったよおおお!?」


 目には大粒の涙が溜まる。口もふにゃふにゃと形を失くして。

 衝撃に。あまりの衝撃の大きさに、彼は。


「うぇっ、うえぇぇぇん!?」


 驚きの感情を乗せられてつい泣いてしまった。


「ど、ど、うぅ、ど、どうじよおおお!?」


 しかし、そんな彼を見てドゥリーベスは。


「あははははは! 魔王はんは純粋やなぁー」


 小気味よく腹を抱える。

 相手を小馬鹿にしている印象、そこには悪魔のような愉悦が混じり。


「うぅ……え?」

「そんなん冗談に決まってるやん。あんなもん料理にするぐらいやったら、道端に生えてる草使うた方がまだましやで」


 彼女は何てことのないように少年に告げた。


「……ほ、本当?」


 彼は涙目のまま、涙声のまま訊ねる。


「ほんまや、ほんま。疑うんなら、今度うちが料理する所を見に来たらええよ。魔界の旨い果物とか、色々教えたるでー?」


 ドゥリーベスはそう言いながら、テーブルの上の皿を見る見るトレンチの上に載せていった。

 だが、そのとき。


「……処刑致します」


 少年の隣で声が。まるで、仄暗い地の底から響いてくるような。


「!?」


 彼が慌てて振り返ると、そこには美しいコバルトブルーの瞳から氷河よりも冷たい視線を放つミアがいて。

 そして。


仕える者のヴィクラインズト――」


 彼女は間髪入れずに、致死性の高い呪文を唱え始める。


「お、怖いメイド長がおるから、ここは一時撤退や! ほな、魔王はん。暇なときにでも厨房来てやー」


 対するドゥリーベスの反応は迅速だった。

 彼女は最後に言葉を口にしつつ、何よりも素早く食堂を出て行く。その逃げ足の速さといったら、まるで颯のようで。


「……」

「…………」


 結果、取り残される二人の影。

 その場に流れる、嵐が過ぎ去ったあとのような虚脱感。

 すると、ミアが。


「私の命をもって――」

「ダメだよ。魔王様の命令だよ」

「かしこまりました」


 少年は何となく、魔界のノリに慣れた気がした。

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