Ⅱ.魔王とお風呂展開ktkr
こんな状況なので、仕方がないのです。
温かな空気、肌触りのいい柔らかな感触。
そんな心地いい場所で、少年は目を覚ます。
「……」
どうやらそこはベッドの上のようだった。
しかし、見覚えはない。これまで来たことのない場所。
「……えっと」
手首をもたげて、辺りを見回す。
すると、すぐに美しく姿勢を伸ばすうしろ姿が飛び込んできて。
「……ミア?」
少年はそっと訊ねた。
呼びかけられた彼女はくるりと振り返り、品よく頭を下げる。
「おはようございます。魔王様」
ミアの声は相変わらず透き通るようで、そのさざ波のような落ち着いた響きが少年の心を和ませた。
「あの、ここは……?」
「マモンの屋敷です」
「あ、そうなんだ……」
「主であるマモンを倒されたので。お屋敷の所有権は、現在魔王様の元にあります」
「へ、へぇー」
相槌を打ちながら少年は、部屋の様子を確認する。
そこにあるのは豪華な家具に、何やら高価そうな骨董品。床にはそのまま寝そべってもよさそうなほど、ま深かなカーペット。また、そもそも彼がいるベッド自体が一流の品で。まるで、雲に揺られているような心地よさを持っている。
「バフォメットもこちらのお屋敷の敷地に移動させておきました」
「ああ、そんなのもできるんだ」
そう言いながら少年は立ち上がる。
右腕だけになってからだいぶ経っていたため、体の動かし方にはほとんど問題は見られない。
「……あれ?」
しかし、少年はそこで気付く。
「マモンの屋敷って壊れなかったっけ?」
彼が意識を失う前、確かに屋敷はマモンの攻撃により倒壊していた。しかし、この部屋はどこも破損している様子はない。いったいどういうことだろうか。
問われたミアは。
「魔王様がご就寝の間、我々で修復しておきました」
こともなげにそう告げる。
だが、納得はできない。少年は、眉をひそめて彼女を見た。
「えぇ!? 修復って、そんなのできる壊れ方じゃなかったじゃない? 何て言うか、もうぐちゃぐちゃで」
だから、ミアはまた涼しい顔で口を開く。
「はい。ですので完全にお屋敷を復元するのに、半月ほどかかりました」
それは驚くべき内容だった。いや、そんな短い時間で全壊した建物を修繕できることもさることながら。何より、その期間が重要で。
「……半月?」
少年は自分の耳を疑った。
「はい」
「え……あの。一応、確認するけど。僕が寝てた間に、屋敷を直してくれたんだよね?」
「はい」
「じゃ、じゃあ、もしかして僕はあれから半月も眠ってたってこと?」
「はい」
けれど、それは聞き間違えでも何でもなくて。
「……う、嘘」
少年は例えようのない喪失感に襲われて、少し目眩を感じる。
その間、ミアはまたどこか分からない場所から、精密な金のレリーフが掘られた宝箱のようなものを取り出した。
「……それは?」
「マモンが所有していたオラゴ……いえ、秘宝です」
そこには少年が魔界にやって来た目的、集めた者の願いを叶えるとされている秘宝が入っているようで。
「ああ、忘れちゃってた。それを探してたんだよね、僕は……」
だが、彼はその存在をすっかり頭の中から消してしまっていたことに気付く。マモンとの闘い、力の覚醒、それにミアへの――。それまで色々なことがあり過ぎたせいだろうか。
「失礼致します」
ミアが宝箱の蓋の繋ぎ目に触れると、カチャリと音がして鍵が開く。
彼女はそのまま、丁寧な動作で蓋を持ち上げようとした。
「あ、ちょっと待って。ミア」
だが、少年はそれを制止する。
「一応、訊いてもいい?」
それは覚悟のため。いきなりそれを見るよりも、事前に知っていた方が心の準備ができるというもの。
「はい、なんなりと」
すると彼女は宝箱を開ける手を止めて、いつものようにお辞儀した
「……あのさ、その秘宝のことなんだけど。色……あと、もし模様とかがあったら教えて欲しいんだけど」
そして、少年はミアを見つめる。
彼女は少し首を傾げたあと、口を開いた。
「秘宝は、人間界で言う所の蜜柑の果実のような色をしています。また、模様は星型の印が一つ表面に――」
「……あ、もういいや」
「かしこまりました」
頭を抱えたくなる衝動に駆られた。
「えっと……それはもう見せなくていいから、どこかに仕舞っておけたりする? あまり目の届かない所がいいんだけど……」
「では、宝物庫がありますので、そちらに保管しておきます」
「ああ、ありがとう。お願いします……」
心の疲労を載せるように少年は溜息をつく。
一方のミアの手からは、またいつの間にか宝箱が消えていて。
「それでは改めて、魔王様にお仕えする専属メイドをご紹介致します」
「わぁ、本当に綺麗に直ってるね」
それから少年達は元いた寝室を出て、以前にマモンと闘った大広間に来ていた。
彼の記憶ではそこは、もはや修繕不可能なほど破壊されていたが、現在その名残りは全く見受けられない。まるで、新築のような佇まいである。
そして。
「この椅子もふかふかだー」
部屋の奥には白く光を放つ石造りの階段が。
少年はその上にあつらえられた豪壮な椅子に乗っていて。
目の前には5人のメイド達が立っていた。
だから彼は。
「え、えっと、ありがとう! 君達がお屋敷を直してくれたんだよね? 僕、今日までずっと寝ちゃってて……手伝えなくてごめんなさい!」
そう彼女らに感謝の意を述べた。
すると。
「……え?」
「魔王はんが……」
「いえいえ、お気になさないでくだ……って、えぇ!?」
「ほう」
メイド達はお互いに顔を見合わせ、妙な空気を醸し出す。
「え? ぼ、僕何か変なこと言ったかな……?」
少年は不安になってミアに訊ねた。
彼女は品よく、少しだけ頬を緩ませながら。
「我々メイドが、魔王様から感謝のお言葉を頂くのは稀ですので」
そう告げる。
「そ、そうなの?」
「はい」
「うーん……。でも、やっぱりお礼はちゃんと言った方がいいと思うんだけどなぁ」
手首を傾げる少年。次いで、彼はメイド達に訊ねた。
「あ、じゃあ、全員の名前を教えてくれるかな?」
すると彼女らはまた。
「な……まえ?」
「そら……まぁ、別にええけど……」
「あ、はい。私の名前は……って、えぇ!?」
「ふふふ、前代未聞じゃのう」
戸惑うように目を丸くする。
少年がミアを見ると。
「魔王様がメイドの名前をお訊ねになることは今までありませんでしたから」
彼女はそう口にした。そして、続けざまに。
「魔王様はメイドの名前をご所望です。順に申し上げなさい」
メイド達に指示をする。
対する彼女達は困惑しながらも。
「キント……です」
「ドゥリーベスやでー、よろしゅうなー」
「コムと申します!」
「ゲィーミットじゃ」
それぞれ名前を紹介していった。
「ありがとう。あ、僕の名前は、えっと覚えてなくて……」
しかし、少年の方はそれをまだ思い出せていない。
「魔王様は、魔王様です」
けれど、ミアが穏やかにそう告げるので。
「……そっか、そうだね! 僕は魔王です」
彼はない胸を張ってそう語った。
そして、ミア以外のメイド達は仕事に戻る。
そこには少年と彼女の二人だけが残されて。
「あーあ、でも何だか色々あって疲れたなー」
少年は肩にするように、自身の手首を回しながら呟いた。
するとミアが。
「魔王様。ご入浴の準備が整っております。宜しければいかがでしょうか?」
とても嬉しいことを彼に教えてくれた。
「え! お風呂があるの!? すっごく入りたい!」
「こちらでございます」
案内するミアのあとを、少年は浮かびながらついていく。
「うわー、すごい!」
そこはとても豪華な造りをしていた。その広さもさることながら、特殊な材質を使っているのか全体が薄く煌めいていて。また、壁に設置された燭台から落ち着いた淡い光が舞っている。それに脇には、人型の美しい形状の像達が。更に、お湯は正面にある大きな獅子の彫刻の口から流れ出ていて。
「こんなの見たことないよ!」
彼は興奮して目を輝かせる。
そんな中、ミアがいつもと変わらず落ち着いた口調で言った。
「失礼致します」
振り返ると、そこには。
「え?」
いつの間にかバスタオルを体に巻いて立っているミアの姿が。
「え! えぇ!?」
それはまるで一つの芸術品のようだった。白磁のような滑らかな肌を、酷く頼りない布だけが守っている。美しい華のように儚げで、奇跡のように麗しい。彼女の可憐さに比べれば、この豪華な大浴場など全くかすんで見えて。
しかし、その光景を楽しむ余裕は少年にはなく。
「な、何!? いきなりどうしたの!?」
彼は慌てて、彼女の姿が視界に映らないよう腕を返す。更に、潰れんばかりに目を力強く閉じて。掌は林檎の実のように赤く染まっていた。
「お手伝い致します」
淡々とミアは告げる。
その言葉が表わす意味を理解して、彼は。
「い、いや、ダメだよ! は、は、は、早く、服を着て!」
手首をぶんぶんと振って彼女に伝える。
照れなのだろうか、恥ずかしさなのだろうか。今、彼の心を占める感情がなんなのかは分からない。分からないが、それはとても受けれ入れがたくて。
だが。
「ですが、魔王様。どうやってご自身のお体をお洗いになるおつもりですか?」
少年はミアに言われるまで、その当たり前の事実に気が付いていなかった。
「……あ」
改めて自分の体を見返す少年。
確かに、今置かれた現状を考えると、それはどうしようもなさそうな問題で。
「……」
少年はうつむく。
そんな彼に優しく告げる声。
「それでは魔王様。私が魔王様の尊い御肌に触れることをお許し頂けますか?」
そして続く長い沈黙。
しかし、結局打開策は浮かばず、少年は意を決して答えた。
「……お願いします」
少年はずっと目を閉じている。理由は泡が入らないようにしているから、というだけではない。
「おかゆい場所はありませんか?」
ミアは、ほとんど洗う場所のない右腕をとても丁寧にタオルで洗ってくれていた。
「だ、大丈夫」
何も見えていないというのに、それだけで少年は頭がくらくらするようで。
「……うぅ」
自身の高まる鼓動を必死に耐える。
「……」
そして、しばらくして。少年が少しはその刺激に耐えれるようになった頃。
突然、ミアが口を開いた。
「魔王様。以前、私におっしゃられたことを覚えておいでですか?」
「……え?」
困惑する彼。
「私の名前を訊いて下さったときのことです」
「……」
少年は二人で魔界に来たときのことを思い返す。
自分は何か特別なことを言っただろうか。彼は珍しく感じた。ミアはこれまで自分から、そのような話題を振るようなことはなかったから。
「えっと。僕、何か言ったかな?」
「『これから宜しくね』、と」
「……ああ」
それは確かに少年がミアに告げた言葉だった。
彼女は続ける。
「名前を訊かれたのと同様に、魔王様から『宜しく』というお言葉を頂いたのは初めてでした」
そして、淡く息を吸い込んだ。
「改めて申し上げます」
また、僅かに緊張した様子で。
「これから宜しくお願い致します、魔王様」
ミアは少年に告げる。
その言葉を受け取った少年は、何だか少し照れてしまって。
「う、うん、宜しくね!」
誤魔化すように大きく、子どもらしく笑った。




