Ⅳ.黄金の君主マモン
そのとき、どこかでじゃらりと金塊の山が崩れる音がした。
「え?」
芯のある声が聞き返す。言っている意味が分からない、そんな怪訝そうな表情を浮かべて。
「い、いや、あの――」
だから、少年は同じ質問を繰り返そうとした。
「えっと……魔王、はん?」
ためらうように語尾が上がる明るい声。少年を、目の前の右腕を魔王と呼ぶのに戸惑いを覚えているような。また、それに加えて、彼女もまた不可解染みた目でこちらを見ていて。
「……?」
自分はおかしいことを言っているだろうか。それとも、何か勘違いをしているのだろうか。今度は少年が困惑する番だった。
「あのー」
そんな中、おずおずと手を上げたのは地味な声の彼女。
「え? 何?」
少年は反射的にそちらに視線を向ける。
すると、彼女はよく分からないことを言いだした。
「そこにいますよ? マモン」
「……は?」
驚いて周りを見回す彼。
だが、そこにはやはり自分とミアと檻に囚われたメイド達しかない。
「そっか、卵だから……」
「記憶は……無いんやな」
「???」
マモンはこの部屋にいる。だが、どんなに少年が目を凝らしても、それは見つからない。周囲にあるのは金の山。目が眩むほど、大量の黄金が静かに横たわっているだけ。
彼には彼女達の言っていることが全く理解できなかった。
「いるって……どこに?」
また、じゃらりとどこかで音がする。
「魔王様」
「何?」
そして、ミアが徐に告げた。
「来ます」
その瞬間、それまで無造作に床に転がっていただけの金塊が大きくうねる。
『グオオオオ!』
地響きのような咆哮。
それに呼応するように辺りの黄金が、見えない力に導かれるように一つの塊へと収束していく。形は蛇、いやその巨大さからは龍と呼ぶのが適切か。
とにもかくにも、そんな部屋を覆うほどのふさやかな金類が集まって生まれた化け物が、その体を激しく波立たせながら少年の元へと這い寄ってくる。
「う、うわあ!」
二人がいる場所は、メイド達の檻が吊るされた壁を背にしてしまう位置取りで。それは化け物によって退路を完全に塞がれた形となる。
『グオオオオ!』
そして、それだけでも少年にとっては不利な展開なのに、このあと更に不都合なことが。全く予想だにしていないことが彼の身に降りかかった。
「それでは魔王様、ご健闘をお祈り致します」
そう言うとミアは、少年の乗った椅子をすぐ前方の床にそっと置く。置いて、自身は檻のある壁まで下がり、粛々とそこに控えた。
「え!? ちょ、どうしたの!?」
当然、放たれる疑問。
ミアはそれに彼女らしく端的に答える。
「マモンは魔王様の直属の家来です。彼に私が攻撃を加えることはできませんし、その崇高な戦いに参ずることも許されません」
「け、家来って!? だってマモンは敵なんじゃないの!?」
「敵ではありません。あくまで魔王様の死後に魔界を我が物にしようとした、魔王様の家来です」
ミアの言葉で、少年は思いだす。彼女が今まで、一度もマモンを「敵」と表現したことがないということを。
「そ、そんな細かいこと知らないよ! た、助けて!」
その間もマモンは巨体を引きずりながら、こちらへ向かってくる。
既にミアの元から離れた少年に、それを避けられるような術はない。
しかし。
「大変申し訳ありません。先ほどお伝えした通り、私は此度の戦いに参ずることはできません」
彼女は無情にもそう告げる。
「そ、そんなー!!!」
少年の体に刻まれた刺青が光った。同時に熱が、膨大な熱量が彼の掌に集まる。集まって、そして。
『キュゴオオオ!!!』
マモンに向かって、それは放たれた。
けれど。
『バンッ』
細長い尾が。無数の金塊で構成されたマモンの尾が、それを薙ぎ払う。
「……え?」
炎はマモンの尾から少しだけ金を削ぎ落した。
だが、それもまたすぐに。ふわりと空中に浮いたかと思うと、あたかも外れた部品を嵌め直すように元の位置へと戻る。
『グオオオオ!』
マモンは雄叫びを上げた。
それが何を意味するかは分からない。だが、その絶望的な響きは少年を震え上がらされるのには十分で。
「……ひぃ!」
彼は反射的に目を瞑る。
すると、周りには床と金属がこすれ合うような攻撃的な音だけが反響して。
「……」
次に彼が瞼を開けたときには、目の前に龍がいた。
『……』
龍はその重そうな頭を持ち上げ、じっと無機質な眼で彼を見つめている。時折、ちろりと口から舌を出した。その舌もまた金でできている。
「……」
少年は何もすることができなかった。絶望的な状況に足がすくんで。
彼はただ茫然と涙目のままその龍を見つめ、一言。
「た、助け……」
そう言った。
『……』
龍は相変わらず感情のない眼で彼を見つめている。そして、再び一度だけ舌を口から出したのち。
『グオオオオオ!』
巨大なあぎとを開いた。
そこには、金製の剣や槍がおびただしく生え揃っていて。
「……あぁ」
少年は弱々しい声を漏らしながら思いだす。抵抗もできず下級悪魔達に、好き勝手に体を貪り喰われた記憶を。地獄に落とされたかのような光景を。
あのときは結局死にはしなかった。体の大部分は失ったが、何とか生き残ることはできた。だが、今回はどうだろうか。自分は現在右腕だけになってしまって、それ以外は何も持っていなくて。もし、この龍に喰われてしまったら。今度はさすがに死んでしまう気がする。彼の頭の中には今、嫌に冷静な思考と諦めのような感情とが混じり合っていて。
「……う」
そして、そのときはやってくる。
景色がスローモーションになった。向かってくる龍の口が、その中にある歪つな牙達が、少年の眼には残酷なほどはっきりと映る。
彼は立ち尽くした。それ以外何もできなかった。あとは闇が体を呑みこむのを待つだけ。
恐怖が、不安が、諦めが。悲しみが、悔しさが。心を震わせる。
しかし、それでもなお。それでもなお、彼の内側で一番深く燃えていたのは。
「ごめん……ね」
申し訳ないという感情だった。
「二人を――」
助けられなかった。
少年はついと涙を流しながら、ただ親友達の顔を頭に描き。
「ごめ――」
龍の顎に呑みこまれていく。
その寸前。
「魔王様、お飛びになられてはいかがですか?」




