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Ⅰ.初陣におけるメイドの有用性

「え、えっと……一応訊くけど、今から何をするの?」

「この屋敷に攻め入ります」


 それを前にしたときの最初の会話はそのようなものだった。


「あ、あの……ここには僕が倒さなくちゃならない敵がいるんだよね?」

「魔王様のおっしゃる通りです。この屋敷には有力魔族のマモンという者が住んでいます。また、マモンはオラゴ……いえ願いを叶える宝具の一つも所有しているはずです」

「え……それって、もしかしてすごく強い敵なんじゃあ?」

「はい。魔界の七大悪魔と呼ばれる内の一体です。並みの魔族では到底歯が立たないでしょう。ですが、七大悪魔の中では最も魔力が弱い者でもあります。なので、魔王様の初陣の相手としては適切かと」

「……」


 少年は改めて、屋敷を見つめる。

 その広大な庭には紫色の海が、雲霞の如き軍勢が、所狭しとひしめいていて。


「あ、あれ。下級悪魔だっけ……僕達を襲った奴らだよね?」

「魔王様のおっしゃる通りです」


 化け物の大群。その一個体ごとが人間には対処しきれないほどの脅威を持つ代物であるのに。それが群れている。しかも、隙間どころか地面すら見えなくなるほどの規模で。それは人間界で彼が目にしたものとでも、まるで比較にならない。


「……相手が一体とか二体ならまだしも」


 あのとき少年は、右腕から放たれた火の玉で下級悪魔を数体倒すことができた。けれど、その後の襲撃してきた群れには抵抗すらできず、一方的に自身の体を喰われた経験をしていて。

 

「こんなの絶対無理だよお!」


 少年は涙目になる。


「だ、だって。あの下級悪魔達って、たぶんマモンって奴の家来とかなんでしょ!?」

「はい。一般的に有力魔族は、自分より下位の魔族を従えています。彼らはその類でしょう」

「それなら、マモンはあいつらよりも強かったり……?」

「魔王様のおっしゃる通りです。あの程度の下級悪魔の集団なら、マモンは造作もなく壊滅させられるでしょう」

「うわあああ! もう、無理! 間違いなく無理! そもそも下級悪魔一体だって、僕は頑張らなきゃ倒せないんだよ!? それなのにこんな……ていうか何でこんなに下級悪魔が集まってるのさ!? 昨日まで全然いなかったじゃない!」


 屋敷は、二人が昨夜寝泊まりした小屋のすぐ横に建っていたものだった。

 以前少年が見た屋敷の周囲には、ただ広々とした庭が広がっているだけで。悪魔の姿などは影も形も見当たらなかったが。


「昨日の内に、敵陣営に書簡を送り届けておきました。本日、魔王様が屋敷にいらっしゃるという旨の。おそらくそれを受け取ったマモンが、魔王様の訪問に備えて配備したのではないかと思われます」

「な、何でそんな余計なことするのおおお!?」


 理不尽。耐えがたい理不尽に少年は心からの悲鳴を上げる。

 しかし、そんな彼とは対照的に淡々と理由を説明するミア。


「相手に全力を出させておいて、それを一方的に叩き伏せる。魔王様はそうすることで他の魔族達を震え上がらせ、魔界を支配しておられました」

「い、いや。だって、魔王だって言うけど。僕の力ってまだ覚醒してないんでしょ? 魔王の卵なんでしょ? そんな状態で敵を一方的に倒すことなんてできる訳――」

「ご安心ください」


 そしてミアは落ち着き払って言う。

 その発現にはどこか秘策めいた響きがあり、少年は手首だけで振り返る。もしかすると、この状況を打開する何かがあるのかも。そう信じて。

 しかし。


「危機的状況に陥れば、魔王様の力は覚醒します」


 次に放たれた彼女の言葉は死刑宣告のようだった


「い、今がその危機的状況だよー!!!」


 そう叫んだのもつかの間。

 彼女は屋敷まで歩き、自宅の扉に対してするような、そんな自然な動作で目の前の門を押し開ける。

 それは城壁と同様にかなりの高さと厚みを有していたが、一度も止まることなくスムーズに、それまでじっと閉ざされていた庭を解放した。


「え?」


 そして、庭に集まっていた下級悪魔達が一斉にこちらを振り向く。


『ギャリギャギャギャ!!!』


 一つ一つを慎重に聞きとればきっとそう聞こえるのだろうが、そのときはあまりの音の重なりに、とてもそれが鳴き声には聞こえなくて。


「……っ!」


 まるで至近距離で爆弾が破裂したかのような巨大な雑音に、少年は思わず耳を塞ぎたくなる衝動に駆られた。


「……ぅ!」


 次いで、小さな悲鳴が彼の口から漏れだす。けれど、それは下級悪魔達の大合唱の中で一瞬の内に掻き消されて。

 視界は紫一色に染まった。


「あ、ああ!」


 少年の体があのときのように燃え始める。刻まれた刺青が眩い光を放ち、強大な熱量が掌に収束する。


「……あ」


 しかし、それが起きるのはあまりにも遅すぎた。

 熱が十分に集まる前に、狂気の軍勢が押し寄せる。もはや、自然界が起こす災害に似たそれは少しも勢いを衰えさせないまま、二人に、少年とミアに襲いかかる。

 そのとき。


仕える者の暴虐ヴィクランズト・クラフト


 ミアが耳慣れない呪文のような言葉を口にする。

 すると、辺りにどこまでも落ちる深い混沌のような闇が広がって。まるで世界が瞬きしたかのように、全てが無になる。そして。


「……え!?」


 それは一瞬だった。

 眼前にいた、あの苦痛なほど騒がしかった下級悪魔の大群が消える。微塵も残らず、欠片も留まらず。まるで、最初からそんなものは存在しなかったかのように消失する。最後の一声すら上げられずに、完全に。


「な……何が起こったの?」


 少年は今、突然を起きた事態を受け止められずにいる。

 そんな彼にミアは当然のように告げた。


「処刑致しました。彼らは偉大なる魔王様の御前であまりに無礼でしたので」

「……」


 言葉を失う少年。

 一方のミアは、何事も無かったかのように彼の乗る椅子を丁寧に胸の前で抱えたまま歩いていく。


「……ミアが、魔王やればいいのに」


 そして屋敷の玄関の前に着く頃、少年はぽつりと漏らした。

 しかし、残念ながらその愚痴にも似た呟きは、扉を開ける音に紛れてしまって、彼女の耳まで届かない。

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