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Ⅲ.魔王と受け入れがたい口の形

「……」


 それからどれほど時間が経過しただろうか。

 勇んでも甲斐のない壁を前に、バフォメットはついに彼らを喰らうことを諦め、体を縮ませることで元の愛くるしい姿に戻った。戻って、小屋の前の食べ残した肉塊の方へ、とことこと小さな脚で歩いていく。

 それを見届けてミアが一言。


「正しい手順を踏まないとこのようになります」

『……』


 その後、ミアは最初と同じ方法でバフォメットを鎮めて、小屋の前までやってきた。しかし、扉に手はかけない。彼女は「失礼致します」と告げて、少年の乗った椅子を体から離すと、そっと地面に置いた。

 

『え? 何?』


 そこからは小屋と彼女の両方を見ることができる。


「お帰りなさいませ、魔王様」


 両手でスカートの裾をついと摘まむ、優雅なお辞儀。紅い月明かりに照らされて、まるで魂が吸い込まれてしまいそうな。背後には廃れた小屋しかないのに、そのれはあたかも一枚の絵画のようで。


『……』


 彼は声を出すことができなかった。


「失礼致します」


 そしてミアはまた、椅子を身長に抱えて扉を開く。

 しかし、少年の失ってしまった頬は熱い。溶けたチョコレートのような柔らかで甘い感覚が、心の奥を優しく痺れさせていた。


「魔王様、どうかされましたか?」


 彼がそのぼんやりとしたまどろみから抜けだしたのは、ミアがそう問いかけられたときで。既に二人は小屋の中に入り、少年の乗った椅子は室内にあった木製の机の上に置かれている。そして、彼女に言葉をかけられるまで。それまでずっと彼の頭の中では、先刻の彼女が繰り返し浮かび上がっていて。


『……え!? いや! だ、大丈夫だよ!』


 慌てて、そう言葉を返す。


「……?」


 ミアはほんの少しだけ首を傾げて、少年を見つめた。

 すると、体がかーっと熱くなる。無いはずの心臓が愉快に跳ねる。だから彼は誤魔化すように言葉を捻りだす。


『あ! あ! あの、ちょっと訊きたいことがあるんだけど!』

「なんなりと」

『ぼ、僕……あの。えーと。そ……そう! 口! 口が無いのにどうやってミアと話ができているのかな!?』


 心の中の変化をミアに悟られなければなんでもよかった。理由は分からないが、それを彼女に知られてしまうのは、とても恥ずかしいことのような気がして。少年は、ふと頭に浮かんだ疑問をそのまま言い放つ。


「それは魔王様のお力によるものです。私はの方は先ほどから、頭の中で魔王様のお声が直接響いております」

『えぇ!?』


 しかし、以外にもそれは少年の興味を引くもので。彼は矢継ぎ早に質問する。


『テ、テレパシーってこと!?』

「はい、人間界ではそのように呼ばれているようですね」

『そ、そうなんだ……。テレパシー……』


 彼は少し感動した。漫画やアニメの世界でしかあり得ない超能力。それを自分は無意識的に使っている。


「ちなみに、魔王様がお望みなら普通に会話なさることもできます」

『え!?』


 だから、ミアのその言葉はとても愕然と響いた。けれど、そちらの普通に話す方法というのも一応気になって。


『それは……どうやるの?』


 彼は訊ねる。


「簡単です。普段のように口を開く感覚、それを頭の中で思い描くだけです」

『え? それだけでいいの』


 ミアがそう言うや否や。


『ニチャリ』


 少年の掌から、粘液を滴らせるような音が聞こえた。


「ぁ……あ! 喋れる! 喋れるよ!」


 すると、以前あった口の感覚が戻り、彼は自由に話せるようになる。しかし、それには妙な違和感も伴っていて。


「……ん? 何だか口の中がおかしいような」

「ご覧になられますか?」


 ミアは気付かぬ内に取りだした手鏡を、少年の前へと差し出す。


「あ、ありがとう、ミア」


 少年はお礼の言葉を伝えながら、鏡面を覗きこんだ。

 そこに映っているのは牙、無数の牙。肉食獣のものですらなく、針山を思わせる鋭利なそれが新たに開いた口の上下に生え揃っていた。


「ひぃ!」


 彼はまたもや悲鳴を上げる。


「こ、怖いよ! ただでさえ掌に目があってお化けみたいな体なのに、こんなに不気味な口が開いてるなんて怖すぎるよ! 夢に出てきちゃいそうだよ!」

「いえ、とても麗しいお姿です」

「そ、そうじゃなくて! あ! 例えば元の僕の口にはできたりしないの!?」

「とても麗しいお姿です」

「い、いや。あの……」

「とても麗しいお姿です」

「……」


 そして結局少年はその恐ろしげな形の口で妥協した。

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