第五小節 Pan 上
「乱暴だな……。人類は恋人とか絶対嘘だろ……」
山のどこかに俺は放り出された。また会おうと言われた後の記憶が無い。大方気絶でもさせられたのだろう。
周囲を確認する。すぐ横には雪、それと槍、そんなに遠くではない所から煙が上がっているのも見える。ここがどこであるかは分からないが、頂上へは問題なく行けそうだ。
「おい雪、起きてるなら返事しろ」
「…………」
彼女は横になってはいるが、意識がない訳ではないように見える。
「おーい、雪。大丈夫か?」
「…………」
ちゃんと息はある、ならばそこまで神経質にならなくて良いのではないかと考え、神に言われた事をしようと思った。
確か剣がそこにあると想像するんだったな。……剣、どんな形をしていただろうか。グレーの刀身で、変な文字が入っていて、そうだな、この鞘にピッタリ収まるような形をしている。まあピッタリなのは当たり前なのだが。兎にも角にもそんな感じだ。
目を瞑る。剣は手の中、剣は手の中、そう俺は心のなかで何度も復唱し、真っ暗闇の中の自分が剣を持っている姿を想像する。重いはずなのに軽く、そして鋭い剣。ここしばらくずっと手にしていたはずなのだが、しかしなかなか上手く思い浮かべることが出来ない。想像するならこんな適当な格好では無く散々やった構えの方が幾分楽なはずだと思った俺は、立ち上がり空気を握る。やはり見慣れた構図は身体が覚えていた。不思議な感覚の後に、手に重みが加わる。
「おお、なるほど、これは便利だな」
目を開けば、俺の両手には剣が握られていた。今まで練習してきた構え通りの持ち方で。
どこからか声がする。
「…………ねえ、裕城。あなたは帰りたい?」
空を仰ぎ、唐突に雪は言った。俺はその言葉を聞いてホッと胸を撫で下ろす。
「やっぱり起きてたんだな。どうしたんだよ突然」
「……元の世界に帰りたいと思う?」
質問の意図が理解出来ない。けれどもこの質問に対する俺の答えは、雪にとって今何よりも大事なのではないだろうか。
「帰りたい、と思う。別にあっちでやり残した事なんてほとんど無いんだが。ただな、妹の事が気になるんだ」
俺に友人は少なかった。転校の度、皆優しくしてくれたがそこまでだったのだ。俺は忙しい事に託つけて友達を作ろうとはしなかった。友人を作る事を避けて来た。だから人間関係はほとんど無く、故にやり残したことも無いに等しい。ただ2つを除いては。
1つは妹について。そう、義妹についてである。幼い頃からずっと共に暮らしてきたが、しかし今は連絡の取りようも無い。電話の1本、いやせめて手紙の1通だけでも出せれば良いが、生憎世界と世界の間を往来してくれる様な親切な奴は居ない。四六時中ぽけー、としている奴だからちゃんと生活しているかが心配だ。そして何よりも俺が寂しかった。ああ、シスコンという訳ではないぞ。
「そう……、じゃああたしも帰りたいわ……」
喜怒哀楽、そのどれもが今の雪の言葉には欠けていた。
俺は知っている。この純粋な少女が心から帰還を願っている事を。しかし同時に、ここに残る決意もしている事を。あの日の夜、俺が雪と出会った日、彼女は泣いていた。激しく、寂しそうに、そして力強く泣いていた。死の危険が無くなり緊張が解けたからだろう。泣くなという方が無理な話である。
「ならとりあえず、今帰るべき場所に帰るぞ」
だけどあの時、彼女は笑ってもいた。決して気が狂った訳ではないと思う。
少女はまた黙り込んだ。心の整理をしている真っ最中なのだろう。実際の所、俺も整理はついていない。しかし今は考えたくなかった。しばらくの間忘れたかったのだ。
ふとした時、砂利が擦れる音が耳に入り、俺はそちらに意識を向ける。
「やあ流花、また会ったな。こんな所で何してるんだ?」
ここがどこか分からないとは言ったが、太陽と狼煙の方角で大体の位置は分かる。ここを通るのはスタート地点から山頂へ向かうには遠回りなはずだ。
「くまさんと川へせんた……。いや、何でもない。今のは忘れてくれ。くまさんと山へ魚狩りへ行っていた」
何故日本昔話なのだろうか。というか訂正しても方向性は変えないんだな……。
ちなみにくまさんと言うのは動物のあの熊の事である。熊という種を指しているのでは無く、今言われているのは何故か人語を解しており、会話も成立するその中の1匹のこと。残念ながら今この場には居ないが。
「ということはその竹の籠は竹魚籠か。どれくらい獲れたんだ?」
言いながら自分が剣を握ったままであることに気付き、鞘に収める。
「大漁だ。くま五郎も手伝ってくれたからな。五郎は魚釣りの天才なんだ」
……熊ならせめて素手で捕まえてくれ。
「そうだ、一本槍さんって携帯はあるの?」
さっきまで放心状態に近かった雪は知らぬ間にいつもの調子に戻っている。
「一応ある。けれどもいまいち使い方が分からなくてな……。ああ、すまない。今は持っていないようだ」
「じゃあまた今度連絡先を交換しようか」
雪は「あたしもお願いするわ」と言った後、思い出したように槍を拾い上げる。
「良い槍だな、少し不思議な形をしているが。ところで食材はとれたのか?」
「いや全く。これっぽっちもだな」
携帯やら槍やら、有用な無機物はいくつか手に入れたが肝心の食い物は無し。今から山頂を目指せば、それだけで残り時間を使い切ってしまいそうな時分である。
けれどしかし、ここには女神が居た。
「ふむ。やはりそうか。ではこういうのはどうだろう。その槍を担保に私がこの魚の一部を貸す。だから君は後日、手料理で返済してくれれば良い」
かつてこれ程までに優しい女性が居ただろうか。否、俺の周りには居なかった。
「すまんな。是非それで頼む」
「あんた何デレデレしちゃってるのよ、気持ち悪い」
……こんな感じの女性も居なかった。
いや違うな……。これらは全て、全部が全部誤りだ。訂正するとしよう。そもそも俺の周りに女性は居なかった。
1時間弱の苦闘の末、制限時間ギリギリで俺達は頂上に辿り着いた。頂上はそこそこ開けた土地であり、中心には大きな木が立っている。脇には炊事棟と思われる建築物が2つ、もう1つ何だかよく分からない小屋。広場では巨大なクワトロポッドに吊るされた黒い鉄鍋がメラメラと揺れる火の上で、同じく揺られていた。
「着いたー!!」
気の抜け切った声で雪はそう叫ぶ。当然のことだが、既にほとんどのメンバーは到着しているだろう。
「とぉぉおおおおおおう!! 待っておったぞ、少年少女!」
絵に描いたような立派な大木に近付いた途端、空から人間が降って来る。これが少女だったらどんなに良かった事か。
「食の道に極み無し! 精進せえよ!」
「紹介する。この方はホムラタケル先生だ。ギルドの担任教師をされている」
巨大な2本の槍を振り回したり、指の上に立てたりして遊びながら流花は言う。俺も中学時代までよく箒で同じ事をしていた。
「おう、まだ名乗っておらなんだな。我輩はホムラタケル、猛る炎と書いて炎猛だ! 世界を巡り、しがない料理人をやっている。よろしくな! 少年少女よ!!」
やはり何が何だかよく分からんが、しかし分かる……、分かるぞ!!
「よろしくお願いします!! 師匠と呼ばせてもらってよろしいでしょうか!!」
「よ、よろしく……」
いつもと変わらず雪は身でも心でも引いていた。この件に関しては致し方無いか。
「尊敬などせずとも良い。だが、同じ食の道を進む者同士、必要とあらば分け隔てなく我輩の経験を伝えようぞ!」
名は体を示すと言うが、この人ほどその言葉がピッタリ当て嵌まる人間もそうそういないのではないか。この爽やかな熱さ、まさに料理人、いや人間の鏡だと思う。
「余談だが先生は世間では"紅蓮の料理人"と呼ばれている。その界で名を知らぬ者はまずいない有名人だ」
流花先輩はさっき拾った槍を横に持ち、その先端にもう片方の槍を立たせて、懸命にバランスを保とうとしている。危険行為は出来るだけやめて欲しい。
「肩書きなどどうでも良い。我輩はただ旨い飯を作り、それを皆に食してもらっているだけなのだ。それが食す者の生きる喜びの1つとなれたならどれだけ嬉しい事か……」
握り拳を作り、師匠は何かを噛み締めながら喋る。
「では我輩はこれにて御免被る。食材達が我輩を待っておるのでな。また次の機会に語り合おうぞ!! 少年!!」
怒濤の勢いでしゃべり倒し、名前の如く燃え盛るような髪の男性は、掛け声と共にバク転で文字通り後退して行った。体操選手も目を丸くせざる負へないであろう動きである。
「なんというか、あれね。嵐みたいな人ね……。凄いっていうのはよく分かるんだけど」
「ああ。だがそれが良いんじゃないか」
「そ、そう? 分からなくもないけど……。そういえば魚はどこへ持って行けばいいのかしら」
感性とは人それぞれなのだから共有できない思想もある。
「泉に渡せばいい。どちらかの炊事棟に居るはずだ」
「じゃあ俺が行ってくる。すぐに戻らなかったら手伝いをしているのだと思ってくれ」
竹魚籠を手に持って近い方の炊事棟へと向かう。炊事棟の外観はウッドハウスで、屋根からは煙突が伸びていた。調理台や器具置場を考慮しても中で6人は同時に作業が出来そうである。
大きめのドアを押し開け、炊事棟に進入。内装は案外先進的であり、IHとまでは行かないが電磁調理器やレンジが設置されている。そして肝心の作業台は8人分あったのだが、しかし中に居るのは泉さんだけであり、彼女は3つの台を併用し、とれたての獣や山菜のを調理するべく下ごしらえをしていた。
「お邪魔するぞ。これ、風峰、不知火、一本槍の分だ」
掲げて、その存在を強調する。泉さんは手を止めこちらに一礼した。
「お帰りなさいませ、ご主人様。わざわざすみません」
この誰がどう聞いてもおかしい呼び方は、決して俺がこの人のご主人様であるからではない。浅ーい事情故の物だから、そう気にする事も無いだろう。
「他の皆はどうしたんだ? 広場にはほとんど居なかったが」
食材の量は凄まじく、時間的にも9割以上は既に到着していると見て間違いはないはずだ。けれども広場に居たのはたった4人。俺達4人と泉さんを合わせてもまだ9人しか到着を確認出来ていない。
「皆様は第2炊事棟でおくつろぎになられております」
「なるほど、ありがとう。何か手伝えることはあるか?」
この山積みの肉や山菜を1人で捌く事は至難の技だろう。師匠や泉さんとは雲泥の差があるが、幸い俺も調理には慣れている。手伝える事があるなら手伝いたいと思うのだ。
「いえ、大丈夫ですよ、ご主人様。ご主人様のお手を煩わせるほどの事ではありません。それでももし、手伝っていただけるというのなら、肉魚を捌いて頂けると助かります」
ポケットの中で何かが震えているのを感じる。
「了解した。すまん、ちょっとだけ待ってくれ」
携帯を取り出し、画面を開く。もちろん初めて見る画面だ。待受は恐らく神庭学園の航空写真である。左上にはパーセント表示の電池残量、そして何だかよく分からないアイコンが4つ横に並んでいて、更にその下にはメール受信中という表示があった。それは間もなく受信完了という表示に切り替わる。
操作方法がさっぱり分からない俺はメニュー画面から順に辿ってメールを開いた。
[Date]2015/8/2 18:19[From]小刀祢 星
[Sub]初メールだよ
[Main]さっきぶりだね。今君は小刀祢星って誰だよ、と思っていたんじゃないかい? ああ、心配しなくていいよ。僕は神だ。小刀祢星っていうのは僕が普段使っている名前だよ。何分名前がないと色々不便だからさ。人間っていうのはとても心配性なんだろうね。じゃあまず、罠の件について謝っておくよ。まさか人が入って来るとは思ってもみなかったんだ、すまなかったね。そこで僕は気になるんだけど、君達はどうやって入り口を見つけたんだい? ああ、これは別に答えてくれなくて構わないよ。さて、ここからが本題だ。もう気付いてるかもしれないんだけど、どうやら僕はうっかり物を渡すのを忘れてしまっててね。充電器と説明書が無いだろう? だからオプションもオマケして渡そうと思うんだ。ここで君に1つ質問さ。どうやって渡せば良いかな。僕としては人目につかなければどんな方法でも構わないんだけどさ。それじゃあ返事を待っているよ。