第三小節 Unfinished
「食材って言ってもなあ……」
「何もいないわね」
辺りは木、木、虫、そして木。もちろん木なんて食えないし、虫は絶対に食いたくない。
「猪とか熊とかあんなでかい図体して何処に隠れてるんだろうな」
あれ程大きい生き物が隠れる場所なんて少ないであろうに、いくら探しても気配すらなかった。
「そうね……。まあ、山頂に着くまでには見つかるでしょ。とりあえず登山よ、登山」
今俺達が登っている山には特殊な動物もいるそうな、狼とか珍しい猫とか。もちろん狸や狐も住んでいる。
さて、そろそろ状況の説明をしよう。
今日のこの登山はとある企画の一環である。それは名付けて"新入部員おめでとうパーティ"。要するに新規メンバーである俺と雪の歓迎会だ。あえて言うがギルドというのは部活ではない。
と言う事で、登山自体は非常に面倒であるが、一応今回の主役である俺達は必ずてっぺんに到達しなければならないのだった。
「やっぱ暑いな……。これは拷問だ……」
ただ淡々と登るのに飽きたからか、それともちょっとしたストレスの発散の為か、俺は石ころを1つ蹴り飛ばした。石ころは真っ直ぐ転がり、茂みの中へと入り込む。そして、茂みは揺れた。明らかに石ころなどではない何かによって。
「い、猪!?」
現れたのは体長70cm程度の猪。山に籠もっていた2週間、数体の猪を見たが、その中でも大きめの個体だ。このサイズならば2人分どころか軽く40人分はいける。ただ、こんなデカブツを相手にできるかどうかか問題だ。
「雪、下がれ!!」
猪は確か時速30kmは軽く出せたはずである。稼げるのは一瞬程度だが少しだけでも距離はあった方が良い。
折角なので、俺はベルトに取り付けたナイフを1本引き抜き、投げの構えをとる。しかし、予想外にも猪はこちらとは違う方向に駈け出してしまった。
……猪が警戒心の強い動物であると言うことをすっかり忘れていたな。
もちろん俺は走って追いかける。猪が逃げた方向は斜面。良い感じの固さの地面で、割合下りやすい。幸い猪との速度差は小さく、これなら余裕を持ってナイフを投擲する事が可能と踏んだ俺は、足場が斜面から平地に変わるタイミングの事をシュミレートしていた。だが、ここでまさかの事態が発生する。声も出なかった。俺は適当な方向にナイフを放り投げた後、重力に引かれてそのまま落下する。
何が起こったかはすぐに分かった。少しおかしな表現かも知れないが、足場が消失したのである。言い換えるとすれば、見えない落とし穴に嵌まった、という感じだ。
数秒なのだろうか、それとも1秒も経っていないのだろうか。あまり上手とは言えない体勢で着地をした。
――見えない物。
俺には心当たりがあった。それは、もう2週間近く前に見せられた魔法である。
世界には魔法という概念が存在している。実際に使うまでのステップは細々とした物を除けば3つだ。
まず1ステップ目。2重円を描いて、その中に星を描く。この図形は一般的に魔方陣と呼ばれる。
第2ステップ。魔方陣からもやもやした霧の様な何か、つまり魔力が流出しているのをイメージして、更にそれが目的の場所に移動していく様を思い浮かべる。
第3ステップ。魔力が火や水に変化する所等を想像。
すると、想像した事象が創造される。これが魔法の一連の流れだ。
この時、創造出来る事象は火、水、風、土、光、闇の6属性の内、使用する個人が持つ属性の対応する事柄である。火属性なら発火、消火、火炎の移動等。水属性なら水そのもの、水の凝固、水の浮遊含む移動等々。ちなみに俺の属性は風で、そして俺の相棒である雪の属性は火と水だ。
……ざっとこんな感じだろう。資質さえあれば行使する事は割りと容易く、距離や場所に制限はあれど、中々に便利である。しかし出来る事が限られている事もあって便利止まりなのが現状だ。
たしか校長は、例の隠す魔法を高難易度だと言っていたはずなのだが……、もしや校長の仕業だろうか?
思考を巡らせていると、真上から砂が落ちて来、頭に掛かった。
「裕城ー。何処に居るのよー」
展開は何となく読めた。全く嬉しくないビジョンが脳裏に過ぎる。
「のわっ!」
なかなかユーモラスな悲鳴を上げるじゃないか。ふざけている場合では無いと分かっていながらもそんな事を思った。
下半身にほとんど力が入らない。落下の衝撃は想像以上に身体に響いていた。なので俺はほぼそのままの体勢で受け止めようと少しだけ体位をずらす。砂は俺の真上から降ってきたのだから雪も真上から落ちて来るに違いない。ちゃんと受け止めれなかったとしてもクッションにはなれるだろう。雪も文句は言わないはず。それ以前にこんな真っ暗闇の中で人間を受け止めろという方が無理な話なのだが。
そうして出来る限り上半身を傾けようと試みていた時、身体に何かが触れる。
「いたた……、何なのよ……」
すぐ近く、本当にすぐそこから雪の声。キャッチは上々だ。背中を打ち付けたので痛かったがこれ以上は望めない程綺麗に受け止めることが出来たと思う。
状況確認の為、俺は腕時計のライトを点けた。
「大丈夫そうだな、良かった」
随分と痛そうな声を出していたが外傷や打撲はほぼ無さそうである。俺はというと既にボロボロだが。
「うわっ、ななな何でそんな所にいるのよ!!」
顔を真っ赤にした雪は飛び退いた。俺達は抱き合う格好になっていたのだから、雪のこの対応は普通であるだろう。……わずか10センチも無い距離で見つめ合ってしまったのは不覚だった。
「へ、変態変態変態! 誰の許しがあって抱きついてるのよ!」
ますます頬を上気させ、今しがた適当に考えたであろう文句を言ってくる。
「まあそうカリカリするなよ」
「うるさいわね。あんたが助けてくれなくてもあたしは無傷で着地できたのよ!! そ、そうよ。あんたが真下に居たからしょうが無く抱かれてあげただけなんだから!」
ちょっと意味が分からないな……。
「その言い回しだと語弊が生じるかもしれないぞ?」
「語弊……、って…………、馬鹿、馬鹿バカ! 馬鹿ぁああああ!!」
いつも弄る側に立っているのは雪なのだが、される側も結構似合っている。俺としてはこちらの方が楽しい。
「はて、雪はどんな想像をしたんだ?」
「いや……。だからその、あんたが、あたしを……、ベッドの上で……」
「俺が悪かった。そこから先は言わなくていい」
これは想定外の事態だ。俺はそこまで鬼畜ではない。
「そ、そう? ……ここは何?」
「さあな、俺も突然落ちたんだ。そういえばお前、何であんなおかしな落ち方だったんだ?」
言って猪を逃がしてしまったことを思い出す。惜しい事をしたが仕方ない。
「ツタを使ったのよ。結構急だったし。あっ、簡単に出れるみたいね、ここ」
「そうみたいだな」
立ち上がってほんの少しだけ前進すると、視界に太陽の光が戻った。生い茂る樹木のおかげか、眩しいほど明るくはない。この目に映る景色は実に不思議な事になっていた。
「これが蟻の目線というやつか」
眼前には石ころや砂利が転がっている。上から見るのとでは全く異なる景色。木の根を真横から見ることなど殆ど無いだろう。
この不思議現象を思えば、魔方陣と人が在るはずなのに、けれどもその人とやらは何処にも見当たらない。何故なら魔法というのは本来常に誰かの想像が必要だからだ。しかしけれども俺達以外に人は居らず、それが意味しているのはつまりどこかに魔水晶があると言う事。
魔水晶。マナクリスタルとも呼ばれるそれは、魔力を溜め込む事の出来る、その名の通り水晶だ。見た目石英の塊と何ら変わりはしないが、それはその特性において訳が違う。融けず、曲がらず砕けないのである。まあ砕けないというのは言い過ぎかも知れないが、現状削るくらいしかまともな成型方法はないと言えよう。
そしてもう2つ、他の万物と違う点がある。1つは先も述べたが魔力を溜め込む事。もう1つは魔法使いが、起動条件と起こす事象を想像する事により設定すれば、条件が満たされた時にその事象を創造するという特性。例えば、魔水晶に衝撃が加わる事を条件として設定し、爆発を創造すると想って火属性の魔力を流し込む。すると、その魔水晶を叩いた時に、その内に込められた魔力が熱と光となって炸裂するのである。
まあ魔水晶がある事が分かったからと言って、探す気にはなれないし、探してもきっと見つからないだろうけど。
「蟻視点になってどうするのよ」
「そう言うお前だって立ち止まってるじゃないか」
――その時、一迅の風が吹き抜けた。
「ちょっと冒険してみない?」
これ即ち、この謎の場所が洞窟の入り口になっているということを示す。
「奇遇だな。俺も同じ事を言おうとしていた」
今そこに未知があるのだ。いったい誰が捨て置けるものか。これは行く他に無いだろう。そう自分に言い聞かせ、好奇心を正当化し、後押しする。
危険行為は出来るだけ避けなければならないのは百も二百も承知のつもりだが、欲求には逆らえない。
「決まりねっ、それじゃー、行ってみよー!!」
何を思ったか、キャラ崩壊もあり得そうなほどに雪のテンションは高まっていた。
「またか」
退路を断つ壁が天井より落下してくる。ちょっとした爆発でも壊れないその壁を今現在の俺達の力で破壊するのは不可能であった。
「あたし達……、出れるのかしら」
そろそろ雪も不安になってきている様である。軽い気持ちで、そう、無邪気な少年のような気持ちで踏み込んだこの洞窟なのだが、とんでも無いことになってしまった。人類の進歩の糧である好奇心とやらは、時偶人の敵ともなるらしい。
「大丈夫だ。絶対脱出できる」
何も適当に言った訳ではない。俺にはこの洞窟が作りかけの試練の場の様に感じられるのだ。そう感じた理由もある。
俺達2人は、道中いくつものスイッチを踏んだ。恐らくどれも"本来"デンジャラスなトラップの起動ボタンだったのだと思う。しかしその全てが不発。何かしらのアクションはあるものの、水の落ちてこない水攻めや、とても浅い落とし穴ぐらいしか目的が分かる物は無く、ほとんどは何のトラップだったのかすら分からなかった。ただ、どれも根性で切り抜けられそうではあったのだ。これが試練だとするならば終わりがあるのは必然。必ず出れるということ事になる。
「あ、ありがと……」
少し照れ気味に彼女はそう言った。
再び無言の時が続き、俺は硬い地面をひたすらに蹴り進む。あの2週間のおかげか疲労感と言った類の物はほとんど感じない。
この洞窟の壁、天井、床、それらは全て同じ材質で、ナイフ如きでは傷すら入らない硬度を誇る。なお、それらに継ぎ目は存在しない。加えて、進行方向の左側の壁には松明が備え付けられていて、親切な事にも1つに火を点ければ連鎖的に全ての松明に火が点くようにされている。
「水、飲むか?」
一本道ではあるが直線ではない。定めて、山の中をグルグルと回り続けているのではないだろうか。この洞窟には階段もあれば、曲がり角もある。そして先程、俺達は特殊な形状の通路へと踏み込んでいた。
「ええ、もらうわ」
筒状の道だ。どこまでも、とは言わないがそう比喩したくなるほど長く続いている。
550mLのペットボトルを雪に渡そうとした時、地が揺れた。
「おい雪、走るぞ!」
振り向けば背後には石球。俺の身長プラス1mぐらいの直径のそれは通路に九分九厘ピッタリのサイズである。
雪の手を取り、一目散に俺は駆け出した。ペットボトルが雪の手に渡る事はなく、地面へと落下する。拾っている暇などありはしない。
もっと、もっと早く気付いていれば良かった。気付けたはずだ。通路が円で構成されていたのも、緩い傾斜があったのも、全てこのトラップの為だったのだ。壁と球の間に隙間はわずか小指1本分ぐらいの隙間しかない。つまり、物語の登場人物の様に、球と壁の間に入り込んで回避する事は不可能なのである。
背後でプラスチックが潰される音があった。もし球に追いつかれれば俺達もペットボトルと同じ運命を辿る事になるのは明白。
だから、だから走る。精一杯、例え身体が悲鳴をあげようとも。この古典的なトラップには安全域というのが付き物のはずなのだがいくら進もうともありそうにない。このまま行けば轢かれる。もしや今までの不発続きだったのもこれの為だったのだろうか。
――何故すぐに殺さなかった?
こんな回りくどい事をしなくとも殺すだけなら入り口で簡単に出来たはずだ。落とし穴なり、吊天井なり、確実に仕留める方法等いくらでもある。
……何か避ける方法があるんじゃないのか?
球との距離は既に20mぐらいを切っていた。一度離しはしたものの、アレの加速は無限に近い。然れどもこちらの速度は有限。このような長距離を走る事により逃げおおせるなど不可能。
左手に掛かる力が突然大きくなった。音もなく少女が転倒する。
「クソがッ!!」
理由は見れば分かる。床の一部がせり上がっていた。
実に悪趣味な罠ではないか。ただでさえ絶望的なシチュエーションであるのにも関わらず、まだ陥れようと言うのだ。だがそんな事はどうでもいい。考えろ考えろ、考えるのだ。何か無いのか? 何か手段は無いのか? もう走る事は出来ない。……いっその事俺が身代わりになるか? 人があの隙間に挟まれば、あるいは……。
――ああそうか。簡単な話じゃないか。
背中の剣の柄を握り、石球の左側に走り込む。正円に見えるが、この通路は微妙に縦の方が長い。3mに対しての数cm等普段は誤差の様なものだが、ほんの少し、あとちょっとの所で均整がとれていないのだ。そして今はその数cmで生死が別れるシビアな状況。
軽量化の為された銃器の耐久性等知れた物である。故に手持ちの物で一定の厚さと強度を持つのはこの剣のみ。しかしそれでは少し大きめのこの上下の隙間には対応出来ないだろう。ならばそれより更に狭小な横の間隙である。
その銀色の刃に、謎の文字列を刻み込まれた俺専用の剣。文字の意味は分からないけれども、異常な耐久力と不思議な力をこの剣は備えている。
俺は片手でその剣を鞘から抜き、壁に沿わせる様にして、そのまま石の塊の間に差し込む。リスクは承知の上だ。失敗すれば、あっさりとシャツにくっついたカエルの如くペシャンコになるのは分かっている。だけれどもこうしなければ俺か雪、もしくはその両方が死ぬ。ノーリスク・ノーライフ、ならばやるしか無い。
して、足場は最悪と言っても良かった。ツルツルとまでは言わないが摩擦はかなり少なく、更に急傾斜と来ている。剣を落としては意味が無い故、片手で衝撃に耐えなければならない。まあしかし、勝敗はすぐに決した。
「ああ、死ぬかと思った……」
結論を言えば勝ち、だ。球は止まったけども、俺の動悸は治まらない。不思議武器の回収は無理そうだが、それで命が助かったのならば安い物であると思う。どうしても取りたければ後でギルドの誰かに頼めば良いだろうし。
「大丈夫か? 派手に転んだみたいだが」
ポーチから真っ赤なチョークを1本取り出し最大限丁寧に魔法陣を描きながら俺は言う。
「ええ、全然大丈夫じゃないけど命に別状は無さそうよ……」
一応受け身はとれたらしく擦り傷は少ない。打撲は一見しただけでは分からないが、そちらもそんなに酷くは無さそうだった。
「辛そうな所悪いが頼む。アレがまた転がり出したりしないように凍らせてくれ」