第二小節 Invitation
「お前……、まさか四織なのか?」
名は四織。姓は風峰。歳は俺の2つ下で、要するに俺の妹である。確証は既に得られているが、しかし未だ受け入れることは出来ていなかった。
「…………っう……、おにい、ちゃん……」
呟いて、少女は嗚咽混じりに鳴き始める。兄としてしてやれる事は……。
「無事で良かった……」
抱き締めてやる事ぐらいだろう、とそう思い俺は妹を抱き起こして抱擁する。こんな事をするのは久方ぶりで、ちょっとばかり恥ずかしいが、兄弟なのだ。さして気にする事もない。
しかし、本音を言えばこんな所では会いたくなかった。否、こんな世界ではと言った方が正しいか。兎に角四織には元の世界で普通に暮らしていて欲しかったのである。何故ならば、こちらにいると言う事はつまりあのふざけた神による何らかの干渉を受けていると言う事であり、四織を連れて元の世界に帰る為には四織も闘いに巻き込まねばならないという事。兄として保護者として、それだけは絶対に避けなければならなかった。
「…………、裕城が見ず知らずの年下の女の子泣かしてる!? しかも凄い呼ばせ方で!?」
せめてこんな時くらい少しは場の空気を読んで欲しい物だ、雪よ……。
場所は変わってカフェテラス。俺は何となくカプチーノを頼み、雪もそれ、四織とその連れである少女は好物であるメロンソーダを注文し、既に4人とも席に着いていた。好物が同じと言うのは良い事だろうと俺は思う。
「お待たせしました。カプチーノ2つとメロンソーダ2つになります。それではごゆっくりどうぞ」
数分の後、一見ゆっくりとした様子でそう言いながら、どこか慌ただしげな雰囲気で店員は商品をテーブルに置き、早々にキッチンの方へと戻っていった。そこまで混雑している訳でもないのに何故逃げるかの如く下がるのか、少々謎ではあったが、まあこの光景を見た者なれば誰も非を言う事は出来ないかも知れない。
ちなみに、各人の座席の位置関係は俺の左隣が四織で、対面に雪と四織の友人。俺と雪が向かい合う格好だった。
「で、あなた達は一体全体どういう関係なの?」
得心がいかぬ様子で不知火雪は俺に問う。
「まず落ち着けよ。ここは修羅場か? お前は俺の嫁でこいつは愛人だとでも言うつもりか?」
雪の顔が述べている。その女は誰なのか、と。俺は既に妹だと宣言したにも関わらずこの反応なのだからどうすれば良いのか俺にはさっぱり分からない。
「だだだだれが嫁よ!! ……くないけど」
「……違うんですか? 兄様」
「四織ちゃんのお兄さんがそんな変態だったなんて……」
ここは一応公共の場だというのに各々が面白おかしな発言をしてくる。されば周囲の人間がこちらをチラチラと見てくる訳で。雪の台詞は対応すると面倒くさい事態に発展しそうなのでこの際無視しておこう。
しかし四織のこの発言は予想外だったな。まあ環境が変われば人が変わるのも当然だし、それには俺も該当している。どちらかと言えば状態は好転しているのだし、俺があれこれ言わずとも良いのは明白。むしろ謝礼の1つでも送りたいところである。
「無理して慣れない呼び方はしなくて良いからな。と言うか誤解を招くような発言はしない様に心がけてくれ」
「じゃ、じゃああたしは嫁っ!?」
とりあえず人の話だけは聞いて欲しい……。
「もう一度言うがこいつは風峰四織、俺の妹だ」
はっきりと俺は宣言する。然れども雪の表情は先程と寸分違わなぬ物で、やはり疑心の存在が窺えた。
「あたしはそんな話を聞いた覚えが無いのだけれど」
「当たり前だ。俺はお前にこの話をしていないんだからな」
何故疑うのか? 俺と四織の発言は微塵の差違も無く合致していると言うのに、どうして信じることをしないのか。
「…………。あ、もしかして義妹だったりする?」
長考の末、雪が辿り着いた解はそれらしい。
「そうなるな。しかし何で分かったんだ?」
「だって全然似てないじゃない。妹ちゃんはこんなにキュートなお顔なのに、兄貴と来たらとんだ厳つさなんだもの」
「酷いなおい。俺にも人並みの繊細な心と言う物があるんだぞ。厳つくは言い過ぎだろう」
確かにちょっと前まで不景気そうな顔はしていたかも知れないが。
「冗談に決まってるじゃない。真に受けられてもこっちが困るわ」
「お前の冗談は偶に分からないからな……。で、事情は分かってもらえたか?」
これ以上説明しろと言われても正直無理である。義兄弟になった経緯について弁明するのが関の山だろう。
「ええ、謎は解けたわ」
「……謎?」
どこか、さっきから雪の発言に違和感を覚える。会話の内容がちぐはぐと言うか、迷言を連発していると言うか、要するに柄にも無く無駄口が多い様な気がするのだ。まあしかし、雪が訳の分からない事を言う節は前からあるし、今更気にする事でもないのかも知れない。
「何でも無いわ、ちょっと考え事をしていただけよ」
雪はそのまま神妙な様相でまだ熱いカップに口を付け、ゆっくりとカプチーノを喉に送った。
「なら良いんだがな……」
少々気掛かりは残るが追求はしない。元々俺は知りたがりではないし、納得出来たのなら問題は無いだろう。
「ところで四織ちゃんのお兄さんと赤髪のお姉さんは本当に付き合ってないんですか?」
右手に持ったストローでメロンソーダをかき回す、四織の同級の青山佳奈多。その一言は彼女の口から唐突に放たれる。
「ッ!? 違うわよ!」
「確かに付き合いは短くないが、そういう意味でのお付き合いとやらはしていないな」
危うく口に含んだ飲料を吹き出しそうになってしまった。あまり年上をからかう物じゃ無い。ちなみに浮き浮き気分の新米カップルなんぞと比べれば善き程それらしい行為をしている事も疑い無いけどな。
「そう言えば、2人は明日から三日間のどこかに何か用事が入ってたりするか?」
折角の機会だ、急である事は否めないが、提案してみるだけの価値はあるだろう。減る物じゃあるまいし。
「なにかあったっけ? カナちゃん」
「いんや、ないと思うよ。学校までまだあるし、宿題は出てないし。強いて言えば明日私達2人でプールに行く約束してたくらいかな」
「だそうです、お兄ちゃん」
それは僥倖。思えば一言口にする度に飲料をちょろちょろと飲む四織の姿も見るに久しい。ここで偶然遭遇したのも、予定が上手く空いていたのも、きっと何かの縁なのだろうし、何より夏休みに1つも兄妹の思い出が無いと言うのは中々味気ない物である。
「なら1つ相談なんだが、明日から俺達とキルドの合宿に行かないか? まあ合宿なんてのは名ばかりで、リゾート地で馬鹿騒ぎするのが目的なんだけどさ。用意する物は水着ぐらいだし金は現地で買い食い出来る程度あれば良い。悪い話じゃないと思うんだが」
交通費、並びに宿泊費は全額ギルド持ち。今回は我がギルドがリーダー、神迅斗が白鳥校長に直談判をすると言う何とも勇敢な金策に走った為、適当な事を言っておけば2人分ぐらいどうとでもしてくれるだろう。駄目と言われた場合は俺が出せば良いだけだしな。
「私達そのギルドと全然関係ないですけど行っても大丈夫なんですか?」
「ああ、それは多分問題ないと思うよ。前回の催し物にも普通に部外者が出入りしてたぐらいだしな」
前回の催し物とは俺と雪の歓迎会を称した山登りの事である。そして部外者と言うのは春寺颯希、大雑把に説明すれば彼女は響の連れだ。
「むしろ大歓迎だと思うわ。特にさっき水着売り場で見掛けたピンク色の変人からするとね……」
変人とはまた言い切るな。それが疑い様の無い事実であることは間違いないけども……。
「じゃあ私は問題なさそうだから四織ちゃんに任せるよ、って答えは訊くまでも無いか」
心ここにあらずといった調子でぼーっと虚空を見つめる青山が言い、勢い良くグラスを空にして四織が続く。その瞳に映るは期待の念。
「うん、行くに決まってるよー。明日が楽しみだねっ」
かくして極々適当に、女子中学生のカレンダーには丸印が付けられるのであった。