第十五小節 Context 五音目
「それで雨男演じてたって訳か」
俺は剣を構える。身体の全神経は研ぎ澄まされ、痛みは消し飛び、思考もこれまでに無い程にクリアだ。今ならば何事であっても成せるのでは無いかとすら思えてくる。
「何と言われようと、例え恨まれようと、私は構わない」
方や、どこかもの悲しそうに龍は呟き、止血をする事も無く、身に纏う鎧をより鋭利にした。
「そして私はッ」
「それじゃお前はッ」
見上げて睨み、刹那――。
「私は彼との契りを果たすのだああああぁぁァァアアアアアア!!」
「お前は何も守れてねえんだよおおおぉぉオオオオオオオオ!!」
無言で響は少し大きめ魔方陣を置き、俺と龍から距離をとった。心遣いには感謝する。あの斧での立ち回りは困難であろうし、妥当な判断とも言えよう。
雪と流花に関しては、魔水晶である鱗を用いた龍の攻撃に苦戦しているらしかった。たった1発の弾丸で位置を把握されたのは予想外だが、後は俺だけで十分だろう。
「私はここでは終われん!! 契ったのだ!! 50年後、変わらぬこの地でまた会おうと!! その日まであと数日、それまでにこの地から人を追い出さねばならん!!」
「違えよ、お前は間違っている。何も合っちゃあいない! お前の友人はそんな事を望む奴なのか? 違えだろ、もっと穏やかな人間のはずだ! 変な妄想してんじゃねえ!!」
察するにあの小林という老人がその友なのであろう。正確な年齢は聞いていないが、70は超えているそうだし、この地を離れた時の25という歳に50を足せばその様な歳になる。あの静かな老人が、そんな事を望むものか。
故に俺は駆けた、龍の下へ。そして一閃。鎧をいとも容易く砕いて鱗の隙間を縫い、刃が肉を切り裂く。そこに氷の杭が飛来して俺も同じ様に、腹部に傷を負わされた。
「否、過ちに非ず。見たであろうこの辺りの景色を。時は流れ行く物だ、眺めが変わる事は仕方ない。私もそう思う。だから人が住まいを建て、宿を建て、道を固めて森をさざめかせた所までは気に留める事をしなかった。だがどうだ、人間の欲は天井知らずではないか。木が入り用ならば森を切り、土地が無くなれば山を崩す、そして要らぬ汚物はこの自然に、この湖に、投げ捨てて満足するのだぞ? そんな事が許せようか。かつて人間達が生の糧としていた水を、今の人間は穢して殺す。そうとも、許せる訳が無いッ!!」
鮮烈な紅が迸る、朱に染め上げる。
「……ふざけてんなよ、まだ綺麗事抜かすつもりかこの野郎!」
血管を流るる液体を撒き散らしながら、跳躍して背に飛び乗り、己が剣を叩き付けた。浅いが、それでも刃には血が流れる。
「そうだな……、訂正しよう。私は私の望む物の為に生きている。ああ、50年も待ったのだ!! 邪魔はさせん!!」
その為に、より良い再会の為だけに、無かった物は排除しよう。私と彼の再会に今のこの地は相応しくない。奴の言い分はこんなところか。
龍が一瞬の内に後退し、俺は凹凸のある氷の上を転がって遂に龍の頭部を超えた。丁度血塗れの潰れた目が視界に入った時、俺は龍の顔面を蹴りつけて最善の体勢で空中に飛び出し、そして開口。
「……よく見てみろよ、空を。昔はこんなに暗かったか? お前の降らせた雨こそが、このキャンバスを滲ませてるんじゃないのかッ!?」
龍の突進を、俺は咄嗟に剣で受け、風を以てして衝撃を減殺する。だが殺しきれなかった衝撃は、宙にいた俺を直撃し、抵抗はかなく慈悲は無く、かなりの距離まで飛ばされた。
「くはッ!!」
気付けば衣類は地の色が分からぬ程に純粋な赤で染められている。それは奴の血液か、俺の血液か、もはや区別はつかない程までに真紅であった。ただ、これだけは言える。
――血を流しすぎた。
絶体絶命の大ピンチ、今の状態は当にそれ。立っていられるのが不思議だとかそんな事は言わないが、不味い状況であると直感が告げている。
「野郎……」
重心を最大限低位置に来る様に接地し、摩擦の少ない氷の上を滑って止まる。
先刻よりは鈍っているが、それでもしかと意識はあった。故、まだいける。まだ終わっていない、終わりはしない。
そう信じ、風を生み出そうとした時だ。気付く、魔法が使えないと。
「響っ!」
「悪い、やられたわ。マジですまねえ……」
声の方には無論響の姿があった。しかしその両手に斧は無く、代わりにあるのはハンドガン。ついでに対峙しているのは数多の氷の剣である。
「了解した」
無理は言うまい。言ったとしても無理は無理なのだから、子供の駄々と同じであろう。
「どうした人間、その程度でよくも大口を叩いた物だ」
「やかましいッ!!」
一喝して焦燥感を拭い去る。どうしたものかこの戦況は……。このまま行けば、ああそうだろう、俺は逝くに違いない。
――そんな事があって堪るか。
負けぬ為に剣を構える。勝つ為に敵を見据える。生きる為に、俺は想う。
「……お遊びが過ぎた、そろそろ止めを刺してやろうぞ」
その長い体躯で螺旋を描きながら、龍は昇った。そこに一閃、龍の真横から、轟音を後にして金属塊が空を滑る。
「2度同じ手は喰わん」
けれども、厚い水の壁が木陰から飛来した弾丸を捉え、これを完全に無力化。あえなくその弾丸は地に落ち、余った水は発砲のあった方向に放り投げられる。
そこに殺意は無いのだろう。飛ばされたのがただの水で、地に着くやいなやいつものそれと変わらず違わず、どこかへ消えて行った事がそれを裏付ける。しかし俺を睨む眼光だけは別だった。
……ここで俺は殺されるのだろうか? いや、そんな事は無い、ついさっき終わらぬと信じたばかりであろう。しかし、根性論で総て片付くならばこの世に努力等という言葉がある訳も無し…………、終わるのか? ここで? こんなところで、この俺が?
「生憎俺はまだ生きたり無くてね……。来いよ、この馬鹿野郎」
そうだ、俺はまだ死にたくない、――この俺、風峰裕城は生を望むッ!!
「良いだろう、せめて次も貴様が人として生まれる事を祈っておいてやる」
輪廻転生とはまたファンタスティックな物だ、流石の俺でもこのジョークは笑えないぞつまらねえ。
「お節介やきは嫌われるんだぜ、知ってたか?」
皮肉を返し、節々含め全身に力を込めて俺は立つ。そして想った。
――俺は刃、刃は俺。斬って刻んで貫きぶち抜く剣、それが俺で俺がそれ。故に願おうこの道を。
誰かに力を請うなんて事は、言い換えてしまえば他力本願。そりゃ他人に頼るのは大事必須の事項だけれど、せめて己が望みくらいは1人で成そうじゃないか。でなけりゃそこに意味は無い。これは俺のただ1つの信条。
刹那、風、が、生、ま、れ、て、渦、を、巻、く。それは緑に輝きながら、剣を軸として高速で回転していた。これは何かと問えば、万人が竜巻とでも言うに違いない。大きさこそつむじ風にも満たぬのに、なのに竜巻、けれどトルネード。そう言わせる程の絶対的な力が目に見えていた。
「人間んンンンンンンンンン!!」
龍は身を翻し、一筋の矢の如き突進を繰り出す。違う訳が無い、あれは小細工等欠片も含まぬ、必殺の一撃であろう。
「歯ァ食いしばれよおおォォオオオオオオオ!!」
対し俺は、人体が耐えうるギリギリの爆風で空を駆る。更に加速、加速、加速して加速。背後から俺を押す風の強さは増し続け、それに続いて速度も然り。
そして激突の寸前。
「何っ!?」
声を上げたのは龍である。
「ぶち抜けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇェェェェェェェェェエエエエエエエッ!!」
軌道を無理矢理捻じ曲げ、俺は龍の下に滑り込んでいた。そこからの最大加速、剣を持つ手に力を込めて、俺はただ空を滑り――、一閃。
渦巻く颶風が龍の装甲を見る見る剥がし、脆い血肉が曝け出されて行く。血飛沫を撒き散らしながら俺は突き抜ける。疾く、強く、何をも凌げ、力はこの身に、勝利はこの手に。
――気付いた頃には、俺は落下を開始していた。