第十五小節 Context 二音目
「用意は出来たか? 水龍」
「無論。私はお前を待っていたのだよ」
おかしなな所だけ律儀な物である。いや、これは皮肉を言っているのか? それとも劣等だと見下し、ハンディキャップでも付けているつもりなのか。
まあどちらでも良いだろう。多少気に障る事は無視して、こちらが戦力において劣っていることについては認めなくてはならない。依然として勝ち目は薄いのである。
だがそれでも、俺達には、俺には、策があるのだ。
企みを念頭に置き、俺はかき氷の如くジャリジャリとした氷を踏みしめ、水面すれすれにまで降下してきている龍に駆け寄る。その狙いは陽動だ。俺は雪が狙える隙を作れば良い。ならば行動によって誘うのが最も得策であろう。
「ところでお前、何故こんな事をしている?」
若干力みながら刀剣投擲。剣は縦回転で龍に迫り、氷で作られた外郭を粉砕して凍結した。
「言わぬ。意味が無い」
龍は突進を開始する。その巨体をまるで絡まった紐でもほどくかの様に伸ばし、水面もとい氷面スレスレを蛇行しながら滑翔。避けるのは難しくなかった。
続け、剣を手元に転送して、刺突。
「意味ならある。俺はお前の意図が知りたい」
剣先は容易く氷を割り砕き、鱗に接触して停止。どうやら氷の鎧はそれ程厚くないらしかった。加え、見えてないのか壊された場所はそのままである。
「…………」
返事は無い。いや、訂正しよう。声による返答は無かった。その代わりに、割れたガラスの破片が如き鋭利な氷の数々が龍の周囲に形成され、全方位に向けて射出される。
回避は不可能であると即座に俺は判断した。ならば防ぐためには、叩き落とすしか無かろう。けれども少し前の氷像の剣とは違ってこちらは随分な速度であり、棒きれをいくら振り回そうと被弾は避けられるとは思えない。
――然らば策は一つ。
「いてえなこの野郎!!」
詰まる所、ノーガード戦法。パンチが軌道に乗る前に接触してしまえば重大なダメージを受けない様に、この氷も加速する前に触れればさしてダメージは無い。と言っても刺さる物は刺さるし、やはり出血もする。
だが俺は決行した。風の魔力を剣に収束させ、追い風を巻き起こして突撃する。向かってくる氷は可能な限り叩き落とし、最高速で龍の胴体へ、剣には風を纏わせ……。
「こういう趣向も良いだろう!?」
今の世の中刀剣の類は屋内戦闘でしか用いられることは無いと言っても良い。否、それすらも少ないだろう。故に趣、だから風流。昔ながらの物には少なからずそういう物が伴われる。まあそんなことはどちらでも良い。
風を、空気を収束させ、更に圧を上げようと周囲のそれらを急速に吸引した。そのまま剣の側面に超圧縮した窒素酸素二酸化炭素、その他諸々の大気含有物を沿わせ、剣本体に多量の魔力を注ぎ込む。マナクリスタルでは無いので想像の付与や条件設定は出来ないが、しかしけれども魔力を留めておくことはこちらの制御次第で可能、発動もまた然り。頭は使うが戦いの最中、疲れなど微塵も感じない物である。
「喰らえやぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
刺突一閃。
龍は自らの鱗の一部を空に置いて来た。それが意味するのは鎧が一部脆弱化していると言う事。氷の層が邪魔で良く見えないが、尾に近づく程、頻繁にそれは確認出来た。ならばその弱点を利用せぬ道理は無いだろう。
――突け砕け、抉れ深くどこまでも。そして通れよこの柄まで。
胴に対して垂直に、斜め下方から繰り出した緑の輝きを纏う刃は一息に氷の鎧を貫き、鱗の欠落した箇所から肉の部分に突き刺さって、遂には刀身が見えぬ程まで深く深くその身を潜めた。
そして俺はこの時気付く。
「そんな事をしても意味は無いぞ、人間」
「何!?」
魔法の制御に気を取られすぎて全く気付いていなかったが、龍はその身体で大きな円を描く様に、大回りしてこちらに突っ込んで来ていた。彼我の差は既に人10人分程。加えて音も無く俺の左右には氷壁が形成され、左右への退路は断たれてしまう。これもやはり回避は不能。魔力により自身の周囲に対魔力壁を成していたのが幸いであっただろう。でなければ今頃氷付けに違いない。
「うおおおおおおお」
意識の半分を剣周囲に使用している魔法の制御に回し、残り半分を自分の周りでの魔法に発動に回す。それによって巻き起こすは突風だ。衝突する時までに、彼我の速度差を抑えればそれだけ突進の威力は低下するのである。全身に吹き付ける暴風と鋭利で堅牢な氷、どちらに当たった方が痛いかと訊かれれば、それは間違いなく氷だろう。
そうして俺は跳躍した。全身を反転させて龍と向かい合い、後方に跳躍して突風により更に加速。幸い俺が攻撃を加えていた龍の胴体はもうそこには無く、後退は阻まれない。もしここに尾でもあれば詰まされていたがそんな可能性を論じている場合でも無かろう。
「小賢しい真似を……。だがもう逃げられまい」
ここは龍の声がやかましい程に良く聞こえる。それはまあ当たり前の事なのだが。
結果を言えば、俺は龍の角を捉えることに成功した。鋭利な固体を握る両手からは鮮血が流れ出しているけれども、不思議と痛みは感じない。ただ、龍が斜め上方向に飛行し始めた事は問題である。
「さてどうだろうな」
だが、俺には策があるのだ。こんな空中に打ち上げられる事等予想していなかったが、その件についてもこの策を以てしてすれば対応出来るだろう。
――そしてその策は、今この時牙を剥いた。俺が引き金を引いたのである。
「ッ!? 人間ンんんンンン!! 貴様何をォォオオオオオお!?」
龍の悲鳴に重なり、氷が割れて硬い物同士が当たる音。ここからでもその凄惨な光景は目に入っていた。
「小賢しくて悪かったな」
龍の巨体の、丁度俺が刃を通した部分が綺麗さっぱり吹き飛んでいる。元々そこにあった外殻は周囲に散乱し、肉は更に広域に。体液に至っては雨の如く撒き散らされていた。もちろん抉れた部分からは大量の鮮血が溢れ出しており、直下の氷を赤く染めあげている。
どうやってこれ程のダメージを与えたのか。それは酷く単純な物で、龍の体内で圧縮した空気を一気に解放しただけである。しかし威力は強烈な爆発に等しい。習練した甲斐があったという物だ。
……ここまでは俺の計画通り。いやむしろ、予想以上の結果が得られたと言ってだろう。定めてあの龍の筋力は低いに違いない。
「ぬぅ……」
声を上げて、龍は降下を始める。理由は明らか、その苦痛のせいで魔力制御が乱れたのだ。頭が痛いと計算問題が解けなくなる事と要は同じ。奴も生物である以上、その身の危険を知らせる為の痛覚は持っているだろう。
「おい裕城!! 大丈夫か? こっちは粗方終わったぜ」
「了解だ。ちいと怪我はしたが問題はない」
龍の巨体が氷の床に激突、それと同時に龍の顔面を蹴って俺は後方に跳び、特に何の負傷も無く着地した。
「人間風情が――、人間風情が思い上がるなあアアアァぁぁあアアアア!!」
真っ赤に染まった傷口を氷で固め、空駆る蛇は大気を震わせる。その声は人間では無いのに歳を感じさせ、しかし似合わぬ殺意を前面に押し出していた。最早まともな思考回路は持ち合わせておらぬのでは無いだろうか。
「その存在すら忘れられちまった様な劣等がほざくなよ鬱陶しい。文句あるなら身内一派繁栄万歳ってな風になってから言いやがれ」
だが挑発は続く。折角上がった温度を下げてはならない。奴の考え方はかなり人間に近い様であるし、しかも余り合理的ではないらしいから、キレれば大技を出したがるのは然り。なれば必ず隙は生じるだろう。
「図に乗るなよ人間!!」
僅かしか無い日の光が、半透明の遮蔽物を以てして更に遮られる。宙に創造されるは巨大な氷の塊で、その用途は吊天井に等しい。
不味いな……。これでは圧殺される。マジギレしているのか囲いがある上に対応面積も広い。
「走るか、突くか……。いや」
ここは何もせずにただ待とう。遭難した時は下手に動くなと言う様に、やはりちょろちょろ動かず一点に留まっていた方が見つかり易い。