第十小節 Grenade
退院してまる3日が経ち、今に至る。
空は相変わらずの曇天で、しかし点々と存在していた無人ヘリはその数を減らしていた。立て続けに落とされた物だから、多数の出動を断念せざるおえなかったのだろう。
「やっぱり何もないよな」
ここは湖である。始めに訪れたあの湖。朝だからか濃厚なもやが覆いっていて、より一層暗い。流石に視界の邪魔なので、とりあえず俺達は魔法によって可能な限り、湖上のもやを吹き飛ばした。
再びここに来ている理由は、もちろん元凶の探索である。
「いないんじゃない? ずっとお空の上とか、他の水場とか」
「でもここぐらいしかいそうな場所なんて思いつかないんだよな」
もはや龍かどうか等どうでも良い。大事なのはこの災厄を食い止めることだ。樹木は倒れ、家屋は瓦礫と化し、人の行道は川となっている。死者はわずかしか出ていないのが幸いだが、許してはならぬだろうこんな事は。
けれども思いは虚しい。俺達には手掛かりがないのである。
――カチン。
「ばっ、ちょお前何やってんだよ!! 馬鹿か!?」
何が起こったのかと思ったのかと思えば、響が柄付手榴弾のピンを抜き取っていた。それは間も無く湖の、社の近くに放り込まれる。
「お褒めに与り光栄だな。見てろよ、水柱が立つぜ」
「いや褒めてねえぞ……」
何秒が経っただろうか。火薬が爆ぜる音に伴って、言う通り水面が隆起し、やがて柱の如き高さとなる。それはすぐに崩れ落ち……、なかった。
手榴弾が成した水柱に重ねる様に、巨大な水柱が1本立つ。それは伸びて伸びて天高く、見上げるほどの高さに成った時、中から――、異物が顔を出した。
「響、お前馬鹿だな。ああ馬鹿だ。凄い馬鹿だぞ!」
響の肩をポンポン叩きながら賞賛の意味で連呼する。こいつにはこの単語も褒め言葉らしいからな。
「だろ?」
もちろん彼は親指を立ててグーサイン。
「あんた達どっちも馬鹿よ……」
傍らの雪ももちろん引いていた。いつもの事だし構いはしない。
と言うか今はそんな場合ではないだろう。
「人よ、命惜しければこの地から去れ!!」
顕現するは、水色の鎧を纏いし龍。2本の角を頭部に持ち、伝承通りに髭も生やしている。その巨体は目に見える部分だけでおよそ20mはあった。
――そして、その首には紛う事なき、逆さ向きの鱗が据えられている。
「ええ、出て行ってやるわよ。この異常気象が止んだらね!」
「……貴様ら何者だ? ……神庭の人間か」
厳かなる龍は静かな調子で人の言語を話す。その声色は先述したとおり一聞静清としているが、内には怒りを孕んでいる様に思えた。
「ああそうだ。ちょっと人に頼まれてな。この雨を止めてくれってよ」
そして今は俺達自身が止めたいと思っている。同情などではない。ただこんな惨たらしい事は許せないのだ。
「悪い事は言わぬ。早々にこの地から立ち去れ。追い等せぬから一刻でも早く出て行くのだ!」
「断るね。で、こっちから1つ質問があるんだがよ、これやってるのはお前か?」
「なぜそんな事を訊く? 知ってもどうにもならぬであろう」
奴の声のトーンは低い。その身体の重厚さを表すかの如き重低音。
……よく見ると先日のあのマナクリスタルにこいつの鱗はよく似ている。
「言っているだろう。止める、とな」
流花は口と共に足を動かし、魔方陣を描いていた。そして俺も同じく描く。
「なるほどつまり逝去したいのだな。良かろう、冥土の土産に答えてやろうぞその質問」
瞬間、空が煌めく。
「つまりこれが答えって言いたいんだな」
降り注ぐ、創造速度と一点破壊に特化した氷の杭。その一つ一つは雑で崩れ易く、恐るるに足らないが、数があれば脅威と化す。
「随分と乱暴な土地神様の様ね」
雪は半球を成すように氷の壁を創り出していた。加えて火の魔法。杭を融かして残りを壁で止める。彼女はそれを1人でしていた。しかしそう長くは保つまい……。
奴は飛べる。身に纏う大量の魔水晶によって奴は空中でも自由に魔法が使えるのだ。ならば俺達に手はない。
「手榴弾ってまだあるか?」
「おう、いっぱいあるぞ」
少年の服から、ポーチから、ガラガラと多種多様な爆発物が現れる。普通の手榴弾に柄付手榴弾、リモコン爆弾、プラスチック爆弾等。自爆テロリストと間違えられてもしかたのない様な格好だったらしい。
「本当に馬鹿だったんだな……、お前」
「おうよ」
「試しに1発叩き付けてやろうと思うんだが1番火力の高い奴はどれだ?」
奴はまだ近くにいるし、飛んでいく気配もない。ならば1度試してみても良いだろう。
「これかな」
少年は小さめの球体を拾い上げて言う。
「ありがとよ。じゃあ雪、ちょっとだけ穴空けてくれ」
「あんま無茶言わないでよね。これでも結構大変なんだから」
何だかんだ言って空けてくれた小穴から水龍に向かって小石大の爆弾を投擲する。
上方斜め45度。全力で投げた時限式小型爆弾は急速に奴に近付き、丁度頭部の手前で炸裂しようと、サインである赤い点滅を高速で繰り返す。
「……行ったか?」
爆ぜる寸前、赤の光は青い輝きに包まれた。
宙で回転しながら前進していた爆弾は静止して、大質量の氷で覆われ、すぐさまに真下へ落下していく。
なるほど、確かにあれなら少々の爆薬等あっさり無効化出来てしまうだろう。
「駄目な様だな」
槍を携えたまま流花は不動で。
「ぽいわね」
雪は拳銃を2挺とも抜き放ち、やはり小穴を空けてトリガーを左右2度ずつ、総じて4度引いていた。
飛翔する弾丸はとても人間の目に見えない。しかし、刹那の内にまたもや落下する弾丸が目に入った。
何が起こったかは見れば分かる。水の大きな抵抗、それを利用しているのだ。つまり水の防御壁を生成したのである。雪の成している壁越しに、光を反射する水の詳細な状態は掴めないが、まだそれは宙に浮いている様だった。
「遠距離は無理ってか……」
流石六龍の一角である。黒龍程度ならばあんな防御は出来ないだろう。いや、防御等しなくてもこの程度ではきっとダメージすら与えられないか。
杭は依然降り注ぐ。半球形の氷の壁に1つ当たっては砕け、また1つ当たってはまた砕ける。しかしその攻撃もそろそろ止みそうであった。
「何か来そうだぞ、君。私は後方を担うから君は前方をやってくれ。継ぎ目は重ねるぞ」
指示に沿って俺は直ぐさまに魔力の防御壁を展開する。
これは魔法使い同士の戦闘における基本。魔力には同じ空間に存在出来る魔力量には限度があり、それを壁の様に占有する事を魔力壁と言うのだ。
魔力無しでは魔法は使えない。だからこの手法は上手く機能する。
「んじゃあ俺は湖面でも固めますかな」
壁を一瞬解除し、その隙にドームの外に氷の魔方陣が創造される。それは湖に近づく様に複製され、後にあの巨人の時如く大地を凍て付かせていく。
「んでどうするよ。キリがつかねえのは言う迄も無いと思うんだけどさ」
遂に杭は尽き、続けて襲ってきたのは水のカッター。ドームを切り裂こうと圧倒的な速度で噴出されるが、魔力壁によって生まれた距離によりその威力を弱め、狙い通りこれは機能しない。
――グォォォォォオオオオオオオオオン!!
叫び声か、分かりはしない。しかしけれども轟く咆哮。木々は震え、湖面は波み立ち、地表の石ころは小刻みに跳ねる。
そして向かって来たのは水でも氷でもなかった。
「耐えられるか!?」
「ごめん無理。絶対無理。総員散開!!」
奴の胴の直径は大型建造物の大黒柱並みだ。それが急速にこちらに突っ込んでくるのである。訊くまでも無くあんな無茶苦茶に耐えれる訳が無いだろう。
故、ドームを液化させた後、散り散りになって避ける。
俺、雪は右側へ。響、流花は左側へ。龍はその丁度真ん中に長々しい胴体を叩き付けながら、一気に空へ跳び上がる。
「皆無事か?」
「ああ、こっちは怪我の1つもしてないぞ」
「大丈夫そうだな」
にしてもなんという破壊力か。湖の縁からドームがあった場所に掛けて完全に地が抉り取られている。かなり深く抉られたらしく、早々と水が張られていた。
「地雷は?」
地に再び魔法陣を描く。数秒も経たぬ内にそれを元に数えきれぬ程の魔方陣が創り出されて行っていた。
「効くか分かんねえぞ。さっき散蒔いてたあれも効かなかったみたいだしよ」
「無理そうだな……」
そう言って話している間に第2波。纏う氷を更に巨大に、更に鋭利にさせ、再度巨体が迫り来る。
そして一撃。木々を吹き飛ばしながら、木々をなぎ払いながら、巨龍が地上を蹂躙する。湖辺を破壊した奴はそのまま湖へ潜っていった。
「やってみるしかあるまい」
奴は再び襲って来ると、恐らくそう確信して、流花は氷床を踏みしめ駆け抜ける。俺もそれに続いていた。
「中々やるではないか人よ。もっと早うに出会っておれば良かったな!」
「俺達はどこぞの戦闘大好き人間じゃねえよ!」
飛び出す水龍は告げ、俺が言い返す。
流花の槍が一閃。速く速く、下方に突き出された槍は、奴の身体に届かない。
「なっ」
突き立てんとした一閃は氷に捉えられ、水龍は高度を急速に上げていく。
それだけなら良かったのだが、捉えられたのは槍だけでは無かったのが最悪と言っても過言では無かった。
かなりの高度で氷を振り払った流花が、ぐるぐると無防備な体勢で落下していく。
――その途中、迫り来る氷の突起に流花は強く身体をぶつけていた。
「雪!!」
「はいはい。分かってるって、受け止めてあげるから。後、あんまり言わせないでよね、無茶しないでって」
氷を蹴って跳躍し、龍の鎧の突起に乗って、一気に空へと舞い上がる。
「すまないな」
聞こえているかは分からない。
落ち行く流花は、どうやら意識が無いらしく、頭を下にして、真っ逆さまに落ちて行く。その速度は凄まじい。加えて上昇する俺も相当な速度だった。
だが、躊躇う余裕なんてそもそも無い。
少し高さに余裕を持って、龍の背を蹴る。既に地上からは大分離れていた。軽く見積もって10m、いや20か? もう考えるのはやめよう。今更足掻ける事も無い。
「おい流花!! 意識があるなら返事しろ!」
「…………」
返事は無い。重力に引かれ、地に向かう流花の顔が見える程に近づいてきていたが、やはり意識は無い様子であった。
神経を研ぎ澄ませる。ああ大丈夫だ、必ず届くとそう信じて腕を伸ばす。
「……っお……!!」
抱きつく様にして捉えた流花の身体。それは既にかなり冷えていて、服越しにも温度差が良く分かる。
そして体勢を整え、いざ落ちんとすれば地上、もとい水面との距離は上昇した距離の倍にも見えてくる。ここは雪を信じるしかあるまい……。響はこういうのにはきっと向いて無いからな。
平たく、暗い空を映す水面が、段々と拡大され、視界はより狭い場所を捉える。はずだった。
――この龍神様とか言う野郎も中々どうして悪趣味な性格をしていやがる。
「…………、ち……」
何かを叫ぶ雪の声が確かにこの耳に入る。然れども、内容までは聞こえず、その姿もまた目に入らない。
雪がいるはずの場所の近くが、これもまた青く輝く。そうして、丁度俺が落ちるであろう場所に、こちらを串刺しにしようとするかの如く鋭い氷の突起が創られていた。
「そ……、おちな……!」
回避しなければ死に絶える。水の中に突っ込まなければ即死する。そう思って身を捩るが、抵抗も重心も上手く移動させる事は出来ない。それどころか反って体勢を悪くしているだけの様でもあった。
「そのまま落ちなさい!!」
耳に届く雪の声。彼女は突如現れた氷の杭の上にむざむざ落ちろと言う。まあけれども、こんな空中で流花を抱えながらに落下点を変えるのも難しそうだ。
――ならばいっそ信じて落ちてしまおう。