第九小節 Meeting
「今回はつくづく氷と縁があるな。俺としちゃもう見たくも無いんだけどさ」
「あの程度で済んで良かったじゃない」
路面には卵形の巨大な塊が食い込んでいる。全長にして10m強。表面は数多の気泡と、ひびに突起で真っ白だった。
「これもまたあの氷像みたくなると思うか?」
こんな街中でやり合うには荷が重い相手である。
「どうだろうな」
そう静かに呟いて、漆黒の槍を卵に一突き。すると側の氷の一部は剥がれ落ち、内包された冷たい鉄塊が剥き出しになる。
「……ヘリ? これってヘリよね? ちょっと待って中の人は!?」
「安心しろ、無人機だ。その証拠にフロントガラスが無いだろう?」
フロント部は地面との衝突で氷ごとひしゃげているが、ヘリの特徴であるガラスは欠片も無ければ、そもそも付いていた様子も無い。
「そ、それならいいんだけど……」
遠方で1つ、2つ、恐らくこれと同一の物体が天から降るのが目に映る。雨でもないのに次から次へと、よくもまあこんなに落ちる物だ。さながら毒無に巻かれたハエであった。
灰色を見上げる俺の横では、流花が内部を気遣いながらも邪魔な氷を切り裂いている。何というか、もうこれは芸術のレベルではないだろうか。そう思えるほど見事な手際と断面だった。
「この服返して、そんで響起こしてとっとと戻るぞ」
俺は何気なしにそう言った。何かあまりいい予感がしなかったから、なんとなくそう言った。
「どうしたんだ、君。……なるほど、確かにそろそろ降りそうだな」
「戻るのは別に構わないんだけど、これはこのままここに放置?」
確かに一般人は驚くだろうが、そんな事は気にしても仕方ない。それに驚くかすらも怪しい。
「放っといてもこれの所有者というか使用者は分かってるだろ。落とされたーとか、反応が消えたーとか言ってよ。安全に関しても、これ以上どっかに落っこちる訳でも無いだろうし、爆発する事も多分無い。だから大丈夫だ」
気付かない訳が無い。いや、こうなると知っていてなお飛ばしていたのだろう。俺達が来ている今初めて、都合良くこれが落とされたのだとも思えない。
「そうね、じゃあとっとと寝坊助を起こしに行きましょうか」
「まあ起きてるかも知れねえけどな。電話通じないし、もちろんメールも出来ないし」
巨人の時に圏外になってから、あらゆる交信機器で連絡が取れない。携帯も固定電話も公衆電話も皆一様に、だ。他の人間は使えるのに俺達3人は使えていない。そして響も多分使えない。謎である。
「いやはや、やはり携帯というのは良く分からないな」
流花の疑問はまた違うベクトルを向いている様な気がした。
――俺はずっと考えている。
あの巨人は何なのか。あのヘリは何なのか。何故ここは雨が降るのか。
まず巨人は神の何かだと考えるのが妥当だろう。やたらと凝った演出が、俺のおかしな程の軽傷が、それを裏付ける。前者は感性によるかも知れないが、後者は確実だ。あの拳というか塊は、いとも容易く氷を砕いていた。
――なのに俺は砕けなかった。砕かれなかった。手加減されていた。
おかしい、明らかに。あんな大質量の衝突を人間が耐えられる訳など無いのに、喰らった結果は腹部の傷が大きく開いただけだった。だからあれは神の仕業である。
では次にヘリ。あれははっきり言ってよく分からない。考え続けて見出した可能性は空で何かが起こっていて、空に何かが在るという事。そしてその空の何かはあの水龍ではないのかと言う事。それは雨の謎にも繋がる。
さっき街から撤退した後、予感通りに雨が降った。
氷塊、即ち固まった"水"。雲に雨、つまり水。
水なのだ。あらゆる異常に水が関わる。だから俺は水龍だと推測した。
「何か思い付いたか?」
既にこの推測は既に議論案件として4人の間に挙げられている。響以外の俺を含む3人は思い付いていて、言い出したのは雪であった。最重要議題は"もし水龍が存在して、しかも龍神様が空を飛んでいた場合、どうやって堕とすか"という事だ。この雨はしばらく前から降っているし、この国の軍も今頃気付いたという訳は無いだろう。知っていてなお放置した。観察に留めた。俺の考えはどうして推測の域を脱けないが、それはつまり、水龍とやらには通常の大火力が通じぬという事。爆薬を用いても、大砲を用いても……、ミサイルや核弾頭等の馬鹿げた大量破壊兵器なら或いは通じるのかも知れないが、それでは周辺被害が大きすぎる。だから手を出せないのだろうと、俺はそう考えていた。
「湖の底に眠る7つの玉を集めて『出でよシェンロン!』みたいな」
「いや流石にそれはねえよ。湖の底に玉なんかないし、そもそもあれはシェンロンじゃない。というか大体それじゃあ地に堕とせないだろ」
さっきから何故かにやついていると思えばどうやらそういう風な事を考えていたようである。
「違うわよ。空にいるのはただの龍でしょ。そうじゃなくて、あたしが呼び出そうとしてるのは皆大好き某シェンロンなのよ」
「……ならせめて世界中巡って集めようぜ」
それに対して雪は2言、嫌よ面倒だわ、と述べた。
「流花はどうだ?」
本題に戻るが、推測では現状龍に対抗しうる、局地的な手段は無いのだろう。故、報道機関は捩じ伏せられ、黙らせられたのだ。国内最強の戦力である日本軍を以てしても容易ではない生き物を、国民に見せてはならない。何故ならそれは不安を呼ぶだけだから。
この理論は傍から見れば綺麗事、と言われるかも知れない。しかし体裁というのは取り繕わないといけないものだ。多数の人に死なれてはならないから隠す。たかが龍1匹如きに二の足を踏んでいる事を悟られてはならぬから黙らせる。軍とは、国とは、元来そう言う物なのだろう。
「…………駄目だ」
「じゃあ響」
「素直に、叩いて堕とす」
柊響、彼はグーサインを添えて言い放った。
「いや、それも流石に無理だろ……」
「おう、もち冗談だぜ。例のことについては俺も思い付かねえ。けどさ、いるかいないかも分からないんだろ? じゃあいっそ、ぶっつけ本番っていうのはどうかなーってな」
確かにそれもそうだ。現状では取らぬ狸の皮算用である。せめて電話の1本でも掛けられれば良いんだが……。
そんな時、昔ながらの引き戸が開いて、老人が姿を現した。
「夕餉の準備が整いましたが、皆様どうなされますか?」
小林という名の老人。歳は既に70を超えているらしいが、けれどもきびきびと動いている。加えて言うに、この人が今回の依頼主だ。
「分かりました」
立ち上がり、綺麗に掃除はされているが、しかし何とも言えぬ古めかしさを感じさせる床をそっと静かに俺は踏む。すると、その板はいつ腐り落ちてもおかしくない木材が発する音に酷似したそれを響かせるのだ。また、この現象が言えるのは床だけでは無く、この家屋の至る所がそんな様子である。まあ、他人の家にケチを付けるつもりは無いのだが、しかしどうしても、誰も住んでいないのでは無いか、とそんな風に俺は感じていた。