ゴースト
お昼過ぎぐらいに裏山を歩いていると、変な建物を見つけた。
お城っぽい建物だ。ドイツとか、その辺りの、西洋風のお城。
それが、森の木々に隠れるように、建っている。
あれ? こんな建物、裏山にあったっけ?
今まで見た覚えがないなあ。どうにも、気になる存在だ。
「おじゃましまーす」
だから、入り口まで回り込んで、中に入ってみた。抑えきれない好奇心。たぎる少年ハート。
「あれ? すみませーん! 誰かいませんかー?」
でも、最低限の礼儀は忘れちゃいない。正門を開きはしたけれど、玄関ホールで足を止め、住んでいる人が来るのを待った。
でも、何度呼んでも、誰も来ない。僕の声は、かなりの広さのホールに反響して、そのまま消えていった。
「おかしいなあ。灯りは点いているのに」
煌々とホールを照らすシャンデリアの光。壁には炎を模ったランプが備えつけられ、窓が少ないにも関わらず、暗さを感じさせない。
「すみませーん! お留守ですかー?」
誰かが今までここにいた。そんな気配はするんだけど、待てど暮らせど、誰も来ない。さすがに変だ。
「う~ん、何かおかしいなあ」
おかしい。裏山にこんなに立派なお城があったこと自体おかしいけれど、管理人や住んでいる人がいないのは、もっとおかしい。
「ちゃんと手入れがされているのになあ。階段の手すりなんて、ほこり一つついてないし」
玄関ホールの正面、二階に続く大階段は、素材の石材もそうだが、手すりがまた、お金がかかっていそうだ。
つやつやと輝きながらも、どっしりとした色合いの、とても渋い木製手すりだ。目に見える範囲のものだけで、ウン百万円かかっていそうな感じ。
「うん、やっぱりきれいだ」
「ありがとうございます」
「え?」
女の人の声に振り返ったけれど、僕の周りには誰もいなかった。おかしいな。誰かの声がしたと思ったんだけど。
「おや、ニンゲンか。珍しい」
「どこから迷い込んだのでしょうねえ」
「ええ?」
今度は、階段の上から声が聞こえてきた。しかも、男の人と女の人、二人が会話をしているように聞こえた。これは、絶対に空耳なんかじゃないぞ。
「すみませーん。誰か、いらっしゃいますかー?」
しーん。返事の代わりに、耳が痛くなるほどの静寂が返ってきた。
でも、僕は、負けじと声を張り上げる。
「すみませーん。誰かいませんかー?」
しーん。広々とした玄関ホールに、僕が発した声の残響が染みこんでいくようだ。
う~む、あちらこちらから視線を感じるから、絶対に誰かいるはずなんだよなあ。どうして、隠れたまま、出てこないんだろう。
「出てこないというのなら、僕、この大きな階段で、エクソシストごっこをしますよ」
シャカシャカシャカ! ブリッジをしながら、猛烈な速度で玄関ホールの階段を昇り降りする僕。
「悪い子はいねがー」
「ひいいいいいいいいいい!?」
何か間違えた気がするが、まあ、住人らしき人物が出てきたので、よしとしよう。
「なんですか、あなた!? なんですか、あなた!?」
どこに隠れていたのやら。階段を降りきったところで、メイドさんが尻餅をついていた。
「こんにちは。僕の名前は佐久間優人です」
シャカシャカシャカ! メイドさん目がけて、高速で階段を駆け下りる。
「ブリッジはやめてえええええ!」
おっと、悪魔を抜け切れていなかった。ハンドスプリングで、直立二足歩行の人間フォームに変形する。
「何ですかあ、ニンゲンさんが、このお城に何の用なんですかぁ……」
「悪意はなかったんです」
「悪意しか感じませんでした! 悪魔そのものでした!」
しまった。エクソシストごっこで、すっかり怖がらせてしまったようだ。今後、悪魔憑きのふりをするのは自重しよう。
「で、出てってくださいよう。ここは、高貴なお方が住まうお城なんですよ。あ、あなたのような変な人に、好き勝手やらせるわけには……」
「まあ、いいじゃないか。せっかく、ニンゲンさんが来てくれたのだ。そう無碍に扱うこともあるまい」
「セバスさま!」
二階から、カツコツと足音を響かせて、執事服を着た中性的な男性が降りてきた。銀髪をオールバックにまとめ、片目にはモノクル。う~ん、美形だなあ。
「こんにちは、サクマユウト様。私、ミッドナイト城の諸事を任されております、セバスと申します。以後、お見知りおきを」
セバスさんは、胸に右手を当て、頭を下げる。その一つ一つの動作が、とても洗練されている。思わず、見とれてしまいそうだ。
「あ、はい、こんにちは」
ボーっとしてばかりもいられない。こちらも、できる限りの礼儀を示すため、ビシッと背筋を伸ばし、前方ななめ三十度に体を傾けた。
「これはご丁寧に。その礼一つで、ユウト様のお人柄がわかるというものです。これなら、問題なさそうですね」
「セバスさま!? 先ほどのブリッジを、見ていなかったのですか!? あれは、悪魔の如き所業ですよ!」
「ユニークな方ではないですか」
「ユニーク!? ユニークで片付けちゃうの!?」
何だかもめている。置いてけぼりな僕。でも、イケメン執事、セバスさんは、そんな僕を放ってはおかない。さすがの気配りだ。
「ああ、すみません。この子はまだ雇われてから日が浅いものでして。しつけがなっておらず、いやはや、お恥ずかしい。モニカ。姿を消していなさい」
「うう、は~い……」
あれ? メイドさんが、いきなり薄くなって、そのまま消えちゃった。ええ? 何が起きたんだろう。
「おや、ゴーストの透明化を見るのは初めてですか?」
「ゴースト? ああ、メイドさんは、ゴーストだったんですね」
ゴースト。それは、その名の通り、幽霊みたいな種族のことだ。
浮かぶし、消えるし、壁はすり抜ける。不思議な力で物を浮かせられるし、人によってはテレパシーや瞬間移動も使えたりするらしい。
彼ら、彼女らは、その力を最大限に発揮し、視界の端にチラッと映ってみたり、夜中に変な音を立ててみたりと、人々にホラー体験を提供し続けているそうだ。
「この前、部屋の中に真っ黒い人が立っていたんですが、あれもゴーストですか?」
「ああ、それは本物ですよ。ゴーストはそのようにあからさまで、品のない真似はいたしません」
「そうでしたかあ」
あれは本物の幽霊だったのか。
「まあ、それはさておき、先ほどから声しか聞こえなかった理由がわかりました。みなさん、姿を消しているんですね」
「ええ、そうです。ミッドナイト城は、ゴーストの城なので」
話している間にも、僕の視界の端で、誰とも知れない人たちが、チラチラと現れては消えていく。
家具がふわり、かたかたと動き、絵画に描かれた男性が、ぎょろりと僕をにらみつけた。
なるほど、確かに、話に聞いた通りのゴーストだ。あっちにきょろきょろ、こっちにきょろきょろと視線をさ迷わせれば、その度に何らかの変化を見て取れる。
やあ、これは面白いな。何かのアトラクションみたいだ。
「お気に召していただけたようで何より。みなも、久方ぶりのニンゲンの来客に、張り切っております」
にこりと、セバスさんが微笑んだ。
「でも、何だか悪いですね。僕ばっかり楽しませてもらって」
「気が引けますか? ユウト様」
「ええ、ちょっぴり」
セバスさんが、我が意を得たりとばかりに、白い手袋をはめた両手をパンと打ち合わせる。
「では、こうしましょう。我々は、ユウト様を楽しませます。その代わりに、ユウト様は姫様の遊び相手になってください」
「姫様?」
「ええ、我らが主、ルサルチカ様です。ここで出会ったのも、何かの縁。ユウト様には、ルサルチカ姫と遊んでいただきたく存じます」
「ルサルチカ様、ですか。いいですよ。今日は暇でしたし、お姫様と遊ぶなんて、滅多にできないことですからね。むしろ、喜んでやらせていただきます」
僕は、さして悩むことなく、承諾の意を伝えた。すると、セバスさんはにっこりと微笑んで……。
「ありがとうございます。では、姫様が参りますので、しばしのお待ちを」
一礼して、姿を消した。
一人、玄関ホールに取り残された僕。今は、視界の端に誰も映らないし、何の怪奇現象も起きない。どうやら、セバスさんに続いて、みんなどこかへ行ってしまったようだ。
「お姫様、か」
どんな人なんだろう。かわいい子かな。背の高い子かな。ううん、ゴーストのお姫様だもの。もしかすると、テレ○みたいな子かもしれない。
「あ、それはかわいいなあ……って、あれ?」
頭にお姫様テ○サを思い浮かべていると、ふっと、玄関ホールの灯りが消えてしまった。
いや、それだけじゃない。まだ昼のはずなのに、窓から光が差し込んでこない。真っ暗だ。
一体、どういうことだろう。
『くすくすくす……』
どこからともなく聞こえてくる、鈴を転がすような笑い声。誰だ誰だと辺りを見回してみれば、暗闇に包まれた玄関ホールに、ぼうっと浮かびあがる人影があった。
『くすくすくす……』
レースやフリルがふんだんにあしらわれた白いドレスに、透きとおるような薄青色の髪。まだ幼い顔の口元に小さな両手を当てて、くすくすと笑う少女。
おお、ふわふわと浮かんでいるぞ。想像とはだいぶ違ったけれど、この子がお姫様なのかな?
『ねえ、かくれんぼをしましょう? うふふ』
「あ、はい」
ふわり、ふわりと漂いながら、僕に笑いかけるお姫様。彼女は僕に、かくれんぼをしようという。
やあ、かくれんぼだなんて、久しぶりだなあ。最後にやったのはいつ頃だったろう。小学校高学年までだったかな。
懐かしい響きに、去りし日に思いを馳せていると、突然、お姫様がふっと消えた。
光源がなくなり、また、暗闇に包まれる玄関ホール。
「あれ? お姫様、どちらへ行かれたんです? まだじゃんけんしてませんよ」
呼んでみても、彼女は姿を現さない。代わりに、お姫様の可愛らしい声が、辺りに響く。
『まよなか城は、いつもくらやみ。さがして、みつけて、月あかり』
声は、城の奥へと遠ざかっていき……語尾をたなびかせて、ふっと消えた。う~ん、これは開始の合図か何かかな?
と、すると、僕が鬼ということなんだろうか。あらら。一方的に決められてしまったぞ。
まあ、ちっちゃい子は、年長者に鬼をさせたがるもんだよね。妹も、ちっちゃい頃はそうだった。
「じゃあ、探しますか」
軽く腕を回して、探索を開始する僕。でも、こうも暗かったら、歩くのも一苦労だよ。まずは、明かりを探すのが先かな。
「おや?」
そう思った矢先に、正面階段の両サイド、通路の奥に、光が灯った。
いや、そうじゃないな。あれは、部屋から漏れているんだ。だって、ここからかすかに見える程度の、頼りない明かりだもの。
「でも、ちょうどいいや。あそこで、明かりになるものをもらおう」
そう決めて、一歩踏み出したら……。
ごろん、ごろんと音を立てて、階段の上から何かが転がり落ちてきた。
何だろう。暗くて、よく見えないけれど……大きさ的には、サッカーボールだよね。
「ヘーイ、ナイスパース」
そう判断したので、反射的に蹴り飛ばしてしまった。
「ぬあああああああああっ!?」
あれ? サッカーボールがしゃべった?
まさか。どこの世界にしゃべるサッカーボールがあるというのだろう。確かめようにも、球は暗闇のどこかへ飛んでいってしまった。明かりを手に入れたら、後で探そう。
てくてくと、一階玄関ホールの奥へ歩き出した僕。光源に近づけば近づくほど、廊下や、そこに置かれた家具、装飾品の細部が鮮明になっていく。
やっぱり、人間、明かりがないとね。電気って大事だよなあ。
「あれ? ここって、電気の明かりでしたっけ?」
「い、いや。ランプやシャンデリアで、魔素を燃やしている」
「そうでしたかあ」
魔素については、この前、ワーウルフのお姉ちゃんに聞いたけれど、このような形で生活の役に立っているなんて。ゴルムスの元だけじゃないんだなあ。
親切にも教えてくれた、僕の後ろをひたひたとついてきていた黒い人影に頭を下げ、僕はまた歩き出す。
目的の部屋までは、もうすぐだ。木製のドアからは、明かりと共に、誰かの笑い声や、喧騒が漏れている。先ほど姿を消したセバスさんたちが、いるのかな?
「すみませーん。……あれ?」
結構な数の人たちが騒いでいた。扉を開く前まではそう思っていたんだけど、いざ部屋に入ってみたら、誰もいなかった。
それどころか、扉を開けた途端に明かりも消えてしまい、また、暗闇に逆戻りになってしまった。
来た道を振り返っても、部屋の中を見回しても、通路の奥に目をこらしても、見えるのは、闇、闇、闇。
まるで、目隠しをされたみたいだ。何も見えやしない。
「でも、気配はするなあ。メイドさんの気配が」
「ひっ! な、なんで……!?」
暗闇の奥から、先ほど出会ったメイドさんの声がした。
「ああ、そこにいるんですね。すみません。明かりをください」
食堂らしき部屋のテーブルや椅子にぶつかりながら、メイドさん目がけて進んでいく。
「ひゃあ!? き、来た!? あわわ、にげ、逃げるよ~、みんな~!」
「あれ?」
食堂中からガタガタと慌ただしい音が聞こえ、一気に静かになる。どうやら、ここに隠れていたみんなが、一斉に壁抜けでいなくなったみたいだ。
「困ったなあ。明かりが欲しいんだけどなあ。あの、あなた、持っていません?」
「い、いや、私は夜目がきくので」
「そうですかあ。このランプを壊してもっていくわけにも、いきませんよねえ」
「止めて!?」
しかたがないので玄関ホールに戻ると、一つだけ壁のランプが灯っていた。
その脇に、いかにも誰かが入っていそうな甲冑が立っていたので、話しかけてはみたんだけど、結局、明かりはもらえなかった。
まごまごしているうちに、ランプは消え、甲冑もどこかへ行ってしまった。
う~ん、困ったなあ。
「どうやって、お姫様を探そう。う~ん……あ、そういえば」
お姫さまが、最初に、何か言ってたっけ。月明かりを探せとか、何とか。
「月明かり? 月明かりっていっても……あ!」
よ~く見回してみると、階段を昇った二階の通路の奥に、薄ぼんやりとした明かりが見える。もしかして、あれが月明かり?
「うん、きっとそうだ。あれを目指せばいいんだ。ヘーイ、ナイスパース」
「ぬあああああああああっ!?」
また、階段を転がり落ちてきたサッカーボールを蹴飛ばし、僕は二階に向かった。
暗闇の中、壁や手すりに沿って、二階の廊下の奥へ、奥へと向かう。近づくほどに、はっきりとわかる。間違いない。あれは、月明かりだ。
僕は、廊下の突き当たりを目指して、てくてくと歩いていく。
途中で、血まみれの女の人が廊下の脇に立っていたので、ハンカチを渡してあげたり、お腹が空いたようと泣いている、ガリガリの女の子がいたので、プリッツサラダ味をあげたりした。
そうこうしているうちに、廊下の突き当たりに到着した僕。そこには、大きな扉が一つあって、わずかに開いた隙間から、月明かりが漏れていた。
暗闇に慣れた目では、仄かな明かりでも眩しく思え、中途半端にドアが開いているのに、その先が見えない。
「お姫さまは、ここに隠れているのかな?」
ドアノブを、グッとつかむ。そして、ゆっくりと、バルコニーか何かに通じていそうなドアを開けると……。
「おかえり、お兄ちゃん」
「あれ?」
そこは、見慣れた我が家だった。
「どうしたの、お兄ちゃん。ボーっとして」
「ええ? あれ、ここは……」
振り返る。すると、そこには真夜中の城ではなく、さんさんと太陽が降り注ぐ、住宅街の道路があって……。
「熱中症? 早く家に入りなよ」
「あれ?」
妹に手を引かれるまま、靴を脱ぎ、リビングへと向かう。見慣れたテレビに、見慣れたソファー。テーブルは、四人がけ。うん、間違いない。我が家だ。
「夢でも見ていたのかなあ」
かりかりと、後ろ頭をかく。妹のいう通り、散歩の途中で熱にうかされたのかなあ。
念のため、水分補給をしておこうと、冷蔵庫のドアを開く。すると、耳元で声がした。
『くすくすくす……こんなに驚かないニンゲンさんは、はじめて。おみやげも用意しておくから、また、遊びにきてね』
「お姫様?」
振り返っても、そこには誰もいなかった。