ケンタウロス
近所の神社で流鏑馬をするというので、歩いて見に行くことにした。
地元民としてちょくちょく参拝に行っていたから実感しにくいんだけど、どうやらあの神社はそれなりに名が知れた神社らしい。
毎年のように流鏑馬をお披露目するぐらいだ。思えば、そんな神社は、あそこしか知らないわけで。
敷地が広いだけじゃなかったんだなあ。道理で、毎年人がたくさん集まると思った。
いや、でも、流鏑馬ってすごいよね。どうやったら、馬に乗りながら矢を放って、的に当てられるんだろう。
まさしく、人馬一体。馬と一体化するように、呼吸を合わせているんだろうなあ。
僕にもできるかな? ……う~ん、できている姿を、想像できない。ああいうのは、パッとやってできるものじゃないだろう。そもそも僕は、馬にも乗れないんだ。
そんなことを考えながら歩いていると、松の林の間に乗馬した人の姿が見えた。
あれ? もう少しかかると思っていたんだけど、もうついちゃったのか。
ドドドッ、ドドドッ、コーン。ドドドッ、ドドドッ、コーン。
流鏑馬ももう始まっているみたいだ。馬が大地を蹴る音と、的に矢が命中する音が聞こえる。
出遅れてしまったか。いいポジションを、今から確保できるかな?
ドドドッ、ドドドッ、コーン。ドドドッ、ドドドッ、コーン。
それにしても、歓声がないなあ。まだ観客が集まってないのかな?
「その辺り、どうなんですか?」
「何者っ!?」
他に人がいないので、矢を放っていた人に聞いてみた。
「いつの間に練習場に入り込んだ、ニンゲン」
金色の髪をポニーテールにまとめたお姉さんだ。この人が、流鏑馬をしていたのか。
って、すごいぞ。下半身が馬と一体化している。おお、これが人馬一体の極地か。
「ジーグのパーンサロイドみたいですね」
「私の質問に答えろ!」
怒られた。ほめ言葉なのに。
「僕は、流鏑馬を見に来たんです。ついでに、屋台の焼きイカを食べに来ました」
「ヤブサメ……? それに、屋台だと? ここにはケンタウロス族の練習場しかないぞ」
うん? ここはケンタウロスの練習場だって? ああ、どうやら、途中で道を逸れてしまったらしい。
「すみません。道を間違えたようです。お騒がせしました」
ペコリと頭を下げて、踵を返す。しかし、三歩目を踏み出すか踏み出さないかのあたりで、僕の足元に矢が突き刺さった。
「待て! 怪しい奴……おおかた、ケンタウロス族の秘密を探りに来たのだろう」
弓に矢をつがえたまま、ケンタウロスさんがパカポコと近づいてくる。
「秘密、ですか?」
「ああ、秘密だ。貴様は、それを探している。そうだな?」
と、いわれても、僕は流鏑馬を見に来ただけで、ケンタウロスさんに会いにきたわけではないんだ。僕自身にも、心当たりはまったくない。
「ちがいます。僕はそんなこと……」
「嘘を吐くなっ!」
ビュン! 僕の耳をかすめ、後ろの木に突き刺さる矢。ケンタウロスさんの顔は、どこまでも険しげだ。
「こそこそとのぞき見をしていたことが、何よりの証拠。言え。いったい、何を探っていた」
腰の鞘から短刀を抜き、冷たい刀身を僕の頬に当てるケンタウロスさん。
でも、僕には答えようがない。本当に、秘密なんて探っていないんだから。
僕は、どう答えていいものか、考えあぐねて黙り込んでしまう。
すると、ケンタウロスさんの目は、どんどん細まっていって……。
「心にやましいことがなければ、己の行いを隠す必要はない。それを言えぬと誤魔化すのであれば、貴様を悪漢や密偵の類と断ぜざるを得ない」
ケンタウロスさんが、僕の体をぐいと引き上げ、馬の部分の背に乗せる。
「怪しい奴め。貴様は連行する!」
そして、有無を言わさず、森の奥へ向けて、走り出した。
「あ~れ~」
僕は、振り落とされないように、彼女の体にしがみつくだけで精一杯だった。
「では、尋問を開始する。まずは名前だ。名乗れ」
数分後。僕は、どことも知れない湖のほとりで、ケンタウロスさんの尋問を受けていた。
ケンタウロスさんは槍を構え、僕を絶対に逃がすまいとしている。ここは素直に従うべきだろう。
「僕の名前は佐久間優人です」
「なに? サクマ、ユウトだと? サクマが名か」
「いいえ、優人が名前です」
「なるほど、貴様はユウトというのか。けしからん名だ。響きがなよなよしていて、いかにも小ずるい間諜らしい」
なでり。何故か、ケンタウロスさんは僕のお尻を撫でて、けしからん、けしからんと言う。
「では、次は特技だ。得意なことをいってみろ」
「特技、ですか。これといったものは……」
「嘘を吐くな! この、しなやかな二の腕の筋肉を、何と説明する。貴様は戦闘訓練を受けている。そうだな?」
もみもみ。何故か、ケンタウロスさんは僕の右腕をもみ始めた。
「はあ。柔道という、武術は習っていますけれど……」
「やはりな。そうでなければ、その均整のとれた体はありえん」
なでなで。今度は、腹筋を撫で回された。
「えっと……面白いですか? 僕なんかの体を触って」
指摘すると、バッと僕から飛び退るケンタウロスさん。
「くっ……何と恐ろしい奴だ。自分の体を使って、私を魅了しようとするとはな。だが、勘違いするなよ? これしきのことで尋問から開放されるとは、思わないことだ」
「はあ」
まったくもってけしからんとつぶやきながら、ちらり、ちらりと、僕の体を眺めるケンタウロスさん。
いったい、何がしたいのだろう?
「次だ。貴様は自分のことを『僕』と呼んでいるな? それは演技か。それとも、素か」
また、おかしなことを聞くなあ。
「えっと、僕は、小さい頃からずっと『僕』ですけど……」
そう伝えると、ケンタウロスさんは体をぶるぶると震わせて、口元を右手で隠した。
「小さな時分から、ずっと『僕』だと……!? おのれ、純粋培養とは、何と恐ろしい存在なのだ。けしからん。まったくもってけしからんぞ」
顔が真っ赤だ。いよいよ、彼女は大丈夫なのかと、心配になってくる。
「つ、次だ。貴様が持っていたこれは何だ?」
「あっ、それは」
流鏑馬を見ながら食べようと思っていた、プリッツうめ味! いつの間にポケットから抜き去られたのだろう。
「答えろ。これは何だ?」
「プリッツという焼き菓子です」
「ほほう。男のくせに、菓子を持ち歩いていたのか。けしからんな」
ポンと放られるプリッツの箱。おや? てっきり、取り上げられると思ったのに、ずいぶんとあっさり、返してくれたなあ。どうしてだろう?
「その菓子は、箱に描かれているような形状なのか?」
「え? はあ、そうですね。細長い棒状のお菓子です」
何だろう? やっぱり、欲しいのかな?
「では、命令だ。その菓子を、今、ここで、食べてみせろ」
「はい?」
また、よくわからないことを命じられた。プリッツをここで食べろって? どうして?
「できないのか? すると、やはりその菓子は、巧妙に加工された毒菓子か何かか。その毒で、何をするつもりだったのだ?」
「いいえ、プリッツが毒だなんて、そんなこと」
「では、食べてみせろ。毒ではないというのならば、できないことではあるまい」
「はあ……」
プリッツにかけられた嫌疑を晴らすべく、僕は箱を開け、袋を破き、うめの香りがするプリッツを一本、取り出した。
そして、それをさくさくと、食べきってみせたんだけど……ケンタウロスさんは、もっと、と言う。
「今度は、両手で持って、子リスのようにちびちびと、素早く食べてみせろ」
「はい」
サクサクサクサク! と、細かく口を動かして、要求通りに食べてみせる。
「こ、今度は、表面をねっとりと舐めてみろ」
「はい」
べろり、れろれろと、プリッツを折らないように、舐めてみせる。
「う、うう……今度は、上目遣いで、ゆっくりと食べてみせろ」
「はい」
上目でケンタウロスさんを見て、しゃく、しゃくと、ゆっくりとプリッツを食べてみせた。
「おのれ、おのれ、誘っているのか……ううう」
何故か、金髪ポニーテールの馬お姉さんは、鼻血を垂らして僕を凝視していた。
「い、いかん。止めろ。プリッツとやらを食べるのは、そこまででいい」
これ以上は我慢できなくなると、ケンタウロスさんはプリッツをしまうように指示する。
「少し休憩を挟もう。しばらく、ゆっくりしていろ。私は少し、森の奥へ行っている。だが、逃げ出そうなどと思うなよ。この森は、私の庭だ」
ケンタウロスさんはそう言い捨て、パカラッパカラッと森の奥へと走っていった。綺麗な人だけど、よくわからない人でもあるなあ。
「しかし、ゆっくりしていろ、か」
周りには、森と湖しかない。さて、何をして時間を潰したものか。
湖のほとりには短い草が生えていて、寝るにはちょうどよさそうだけど、あいにく、今は夏だ。日向で寝転がろうものなら、汗と日焼けで大変なことになりそうだ。
ぱしゃり。魚が、湖の真ん中辺りで跳ねる。
そうだ、魚釣りはどうだろう? って、道具を取りに帰ろうにも、ケンタウロスさんが逃がしてはくれないんだったっけ。
う~ん、どうしたものか……。
「水浴びはいかがかな?」
「あっ、旅の人」
不意に、かけられる声。振り向けば、リザードマンのお姉さんが立っていた。
腕や脚を覆う緑の鱗。そして、トカゲみたいな大きな尻尾。そして、パンパンに膨らんだリュックサック。間違いない。旅の人だ。
「夏で、湖とくれば、水浴びで決まり。間違いのないことですよ」
「そうですね。気がつくようで、気がつきませんでした。ありがとう、旅の人」
「いえいえ。では、私はこれで」
使い古されたリュックを背負いなおし、颯爽と去っていく旅の人。いやあ、あの人はいつも頼りになるなあ。
「では、さっそく」
すぽぽーんと着ているものを脱いで、パンツ一丁になる僕。夏の日差しが、じりじりと肌を焼いて心地よい。これは、水浴びも気持ちよさそうだ。
ばしゃばしゃ。まずは、足から慣らす。浅瀬でしばらく歩き回って、水に体を慣らしていく。ああ、ひんやりと気持ちがいい。
「次は、体を沈めて……おお、冷やっこい」
ゆっくりと水に浸かって、体の動きを止める。顔に降り注ぐ日差しと、体を冷やす水の温度差がいい感じだ。
しばらく温度差を味わった後に、ざぶんと、一度、湖にもぐってみる。
とても澄んだ湖だ。中心部は十メートルほどの深さはあるだろうに、底の底まで見ることができる。やあ、人魚たちが手を振っているぞ。僕もつられて、大きく手を振った。
「ぷはー!」
もっと水中の世界を楽しんでいたいけれど、さすがに息が続かず、浮上する。
ちょっと無理をしすぎたかな。肺が痛くなるほどに、酸素を求めている。ちょっとだけ、浅瀬で休んでいよう。
そう思って、波打ち際に腰を下ろしたら……。
「貴様、何をしている」
後ろから、ケンタウロスさんに声をかけられた。とても険しい声だ。もしかして、怒っているのかな?
「何をしていると聞いた」
「すみません。ゆっくりしているように言われたので、水浴びをしていました。どうにも、暑かったもので」
ペコリと頭を下げる。しかし、ケンタウロスさんはうんともすんとも言わず、じっと僕の体を見つめている。
「下着一枚で、水浴びだと? けしからん。実にけしからんな。太ももがまぶしくて、けしからんぞ」
「はあ」
うん? 気のせいだろうか。何だか、彼女の息が荒いぞ。
それに、距離が近い。けしからんと言う度に、一歩一歩、近づいてきている。
「誘っているのか? 誘っているのだろう。この下着を脱いで、私を誑かすつもりだったのだろう。けしからん。まったくもってけしからん」
「はあ」
ケンタウロスさんの顔が真っ赤だ。それに、口を開くほどに息が荒い。大丈夫なのだろうか?
「って、わあ」
がっしりと、肩をつかまれた。そして、顔が近づいてきている。どうしたんだろう、彼女は。
「け、けけ、けしからんな! 実にけしからん。襲ってくださいと言わんばかりのその格好、実にけしからんぞ!」
はぁはぁはぁ! 息が荒い。ケンタウロスさんは、何だか興奮しているようだ。それも、すごく。
「けしからん! 貴様が女子を誑かして回る前に、私が成敗してくれる!」
ひひーん! といななくように上体を持ち上げ、僕を抱きしめるケンタウロスさん。あわわ、どうやら僕は、成敗されてしまうらしい。
「おたすけ~」
「ああ、ああ、助けてやるとも! 貴様の腐った性根を、叩き直してやる!」
そう言って、僕のトランクスに指をかけるケンタウロスさん。
すわ、絶体絶命! と、思ったとき……。
どうと、ケンタウロスさんが横に倒れた。
「あれ?」
見ると、彼女は鼻血をだくだくと流して失神していた。
揺すってみても、彼女は目覚めない。う~ん、どうしたものか。
まあ、幸せそうな顔をしているから、大丈夫だろう。
そう判断した僕は、彼女を寝かせたまま、脱ぎ捨てていた服を身につけ、帰路についた。
「と、いうことがあったんだよ」
「お兄ちゃん、それは痴女だよ」
家に帰って、妹に今日あったことを話してみたら、痴女に会ったんだね、といわれた。
「でも、それを言うなら、ハナちゃんだって痴女だよ。Tシャツとパンツだなんて、社会的にはアウトだよ」
「いいの。家庭は治外法権だから」
絶対女帝、ハナちゃん。
どうやら、我が家は、Tシャツパンツっ子の支配下に置かれているらしい。
「ズボンぐらいは、はいたほうがいいと思うんだけどなあ」
「いいの」
何だか、痴女ばかりだなあ。
今日は、そんな一日だった。
ケンタウロスさんは、伝承通りなら色も酒も大好き。
クールな種族というのは、誤った認識。
つまりはエロ担当。