ワーカーアント
山沿いの道を歩いていると、蟻の行列に出くわした。
ううむ、大きい。田舎の蟻は大きいとはよく聞くが、ここまで大きいものは僕も初めて見た。
まるで、小学校低学年の女の子みたいな蟻だ。
「えっさ、ほいさ」
「よっせ、よっせ」
六本足の黒蟻さんたちが、列をなして歩いている。
背中にずた袋まで担いで、ずいぶんと器用な蟻だ。興味を引かれる。しばらくの間、昆虫観察といこう。
「女王さまのためなら、え~んやこ~ら♪」
「赤ちゃんのためなら、え~んやこ~ら♪」
歌まで歌っている。最近の蟻は、進んでいるんだなあ。ますます、興味深いぞ。
ううむ、もう少し近くで……。
「あ、獲物発見でアリます!」
「食べでがありそうな獲物でアリます!」
あれ? 捕まっちゃった。行列に近づきすぎた僕は、女の子のような上半身の巨大蟻に、捕獲されてしまった。
「巣まで運ぶでアリます!」
「そうするでアリます!」
「あ~れ~」
そのまま、僕は担ぎ上げられ、蟻ちゃんたちに運ばれていく。
やあ、大きい、大きいとは思っていたけれど、まさか人間まで餌にするとは思いもよらなかったなあ。
「ごめんなさいでアリます! ごめんなさいでアリます!」
「いやあ、いいんですよ。貴重な体験ができましたから」
蟻ちゃんたちの行列に捕まってから、一時間後。僕は、蟻ちゃんたちの巣の来賓室で、彼女らに平謝りされていた。
「自分たち、ニンゲンを見るのは初めてで。てっきり、鹿かなにかだと思ったでアリます」
「女王さまに叱られるまで、全然わからなかったのでアリますよぅ……」
大変申し訳なさそうな顔をする蟻ちゃんたち。でも、僕はそんなに気にしてはいなかった。
「いやあ、いいんですよ。食べやすいように肉団子にされかけるなんて、滅多にできる体験じゃないですから」
「ごめんなさいでアリますうううううううう!!」
本当に気にしてないのに。
「お詫びとして、自分たちの巣を案内するでアリます。ワーアントの巣は、ニンゲンには珍しいのではアリませんか? きっと、楽しめると思うでアリます」
「ああ、みなさん、ワーアントだったんですね」
「うん? なんだと思っていたでアリますか?」
「たやすく踏み潰せる虫けらだとばかり……」
「ほんとは怒ってるでアリますね!? ごめんなさいでアリます! ごめんなさいでアリますうううううううう!!」
ちょっとした冗談なのに。
「あ、案内役は自分が務めるでアリます。ささ、こちらへ……さささ」
「あ、はい」
一人の蟻ちゃんに背中を押され、来賓室から退室する。
「さあ、まずは食物庫に行くでアリます」
「はあ」
案内されるがままに、通路を歩く。
蟻ちゃんたちの巣は地下にあるのだが、土がむき出しにはなっておらず、壁や床、天井は、白く、ざらざらしたものに覆われている。
「コンクリートかな?」
「壁のことでありますか? それは、白石でアリます。我々ワーカーアントが作ったでアリます」
「ワーカーアント? ワーアントじゃなくて?」
この巣には、二種類の蟻ちゃんがいるのだろうか。
「ワーカーアントは、ワーアントの労働階級の者を指す言葉でアリます。他にも、戦士階級のソルジャーアント。女王であるクイーンアントに、赤ちゃんのベイビーアントがいるでアリます」
「そういうことでしたか」
道理で、やたら強そうな蟻ちゃんが、所々にいると思った。あれはソルジャーアントだったのか。
「でも、これを作ったって、すごいですね。光る石まで埋め込んで、丁寧な仕事ですね」
「お褒めにあずかり、光栄でアリます。でも、我らワーカーアントにかかれば、この程度の仕事、お茶の子さいさいなのでアリます」
ふんす、と、少し自慢げなワーカーアントちゃん。まあ、確かに、これほどの建築技術を持っていたら、誇れるというものだろう。
「何せ、隠し扉まであるぐらいだからなあ」
ゴンゴンと壁を叩くと、パカッと開いた。
「なんでわかったでアリますか!? なんで!?」
「やあ、何となくですよ。おや、ここは女王様のお部屋でしたか」
ひょいと部屋の中をのぞきこんだら、クイーンアントちゃんが着替えている真っ最中だった。
「きゃあああああああ!? は、早く出て行きなさ~い!」
「ごめんなさいでアリますううううう!!」
ワーカーアントちゃんに担ぎ上げられ、女王様の部屋から遠ざけられる。
「勝手に女王さまの部屋に入っちゃダメでアリますよぅ!」
「ごめんなさい。まさか、あんなところにあるとは夢にも思わず……」
「自分も、まさか見つけられるとは思わなかったでアリます……」
どうやら、女王様の部屋はトップシークレットだったみたいだ。世の中、秘密にしたままの方がいいこともあるよなあ。ポリンキーの三角形とか。
「さて、気を取り直して、食物庫に行くでアリます」
「はい」
ワーカーアントちゃんの後に続き、地下通路をてってこ、てってこと歩く。
しかし、全容は知らないけれど、広そうな巣穴だよなあ。通路の幅は余裕たっぷりだし、天井も高い。
おまけに、空気の流れも計算に入れているのか、地下だというのに、じめじめしていたり、息苦しかったりはしない。むしろ、ほんわか暖かく、地上よりも過ごしやすいように思える。
すごいなあ。こんな巣を作れるなんて。
「設計はダイワハウスですか?」
「自分たちでアリますよぅ!?」
そういえばそうだった。
「先ほども申し上げた通り、自分たちワーカーアントは土木、建築技術に秀でているのでアリます。巣穴の拡張、整備はもちろんのこと、依頼を受けて、他の種族の家も建てたりします」
「そういえば、アラクネさんも、自宅をワーカーアントちゃんに作ってもらったと言ってましたね」
「ああ、ニンゲンさんはアラクネさんと知り合いでアリましたか。そうです、あのアラクネさんのツリーハウスは、我々が建てたのでアリます」
また、ふんす、と誇らしげに胸を張るワーカーアントちゃん。実際、これほどの巣を作れるほどの建築技術の持ち主だ。純粋に、すごいと思う。
「ワーカーアントは、他にも食料の調達や、日常雑貨の製造、巣の清掃などを行うのでアリますよ。とっても働き者なのでアリます」
「ほほう、すごいんですねえ。ちなみに、他の蟻さんのお仕事は?」
「女王様は赤ちゃんを産むのがお仕事で、赤ちゃんはご飯を食べていっぱい寝るのがお仕事でアリます」
我々は、彼女らのために働くのでアリますと、ニコニコと笑って語るワーカーアントちゃん。
「じゃあ、ソルジャーアントさんのお仕事は?」
「彼女らは、戦うのが仕事でアリます。外敵から、みんなを守ってくれるのでアリます」
「外敵って何ですか?」
「さあ? 見たことないでアリます。この森は平和なので」
「え? それじゃあ、ソルジャーアントさんたちは……」
「まだ一度も、戦ったことはないでアリますねえ。見回りとかはしますけど、だいたいは巣で待機しているでアリます」
なるほど、なるほど……。
「つまり、ご飯を食べていっぱい寝るのがお仕事なんですね?」
「人聞きの悪いことをっ!?」
通路の端に立っていたソルジャーアントさんが、急にスクワットを始めた。理由はよくわからない。
「彼女らは、万が一の時のためにいるのでアリます。みんなに安心を与えている、大事な大事なお仕事なのでアリます。その重さは、自分たちワーカーアントのお仕事と、何ら変わりないのでアリますよ」
「そうでしたか」
よく考えれば、兵隊さんって、そんなものだよね。兵隊蟻の名前に、偽りはないってことかあ。
「どんなお仕事にも、意味はあるのでアリます。どれか一つでも欠けると、巣のみんなが困るのでアリます。例えば、この食物庫がなくなれば、みんなご飯が食べられなくなるでアリます」
「ああ、つきましたねえ」
喋りながら通路を歩いていたら、いつの間にか食物庫についていた。体育館ほどの広さの空間に、食べ物を入れた箱が山と積まれている。
更には、向かいの部屋で、調理や食材加工が行われている。ここは、僕が肉団子にされかけた部屋だ。
「ガオーーーーーーッ!?」
「あっ、大人しくするでアリます」
「抵抗は無意味でアリます」
部屋を飛び出してきたゴルムスが、無数のワーカーアントちゃんたちに取り押さえられ、奥へと引きずられていった。直後、ごすり、ぐちゃりと、肉を骨ごと叩き潰すような音が聞こえてきて……。
「今夜はつみれ汁ですか?」
「いいえ、ミートボールでアリます」
「そうでしたかあ」
つまり、一歩間違えたら僕はミートボールになっていたわけだ。
よかった。悲惨な未来を、何とか回避できて。どうせなるなら、僕は公務員になりたい。
「安定している方がいいですもんねえ」
「え? ミートボールは食堂の定番メニューでアリますよ? すごく安定しているでアリます」
なんと。ミートボールもめちゃくちゃ安定していた。やっぱり、僕はプロ野球選手を目指そう。安定しちゃったらおいしくいただかれそうだ。
「ちなみに、ここは食肉加工場ですが、隣は魚、反対側は果物と、多種多様な加工所があるのでアリます。更には、地上でドライフルーツや干物を作っているでアリます。そして、出来上がったものは、食物庫に備蓄され、食堂で調理されるのでアリます。種族は数あれど、これほど食生活が充実しているのは、我々ワーアントぐらいのものだと、自負しております」
「すごいですねえ……ちなみに、メニューの数は?」
「200でアリます」
「すごいですねえ」
かなりビックリ。まさか、ジョイフルやガストを上回っているとは思わなかった。
「オススメは何ですか?」
「オススメでアリますか? そうですねえ。旬の果物に、ハニービーやアルラウネの蜜をかけたものなど、人気が高いでアリますよ」
「やあ、それはおいしそうだ」
「食べてみるでアリますか?」
「いいんですか?」
「かまわないでアリますよ。お詫びも兼ねて、早速、食堂に行くでアリます」
六本の脚で、さささーと僕の前を行くワーカーアントちゃん。僕はそれに続いて、通路を歩く。
その後、僕は食堂で果物をご馳走になったり、ベイビーアントちゃんを抱かせてもらったり、クイーンアントちゃんの部屋にまた入っちゃったり、色々な経験をした。
最初はどうなることかと思ったけれど、何だかんだでいい一日だった。
「じゃあ、僕は帰りますね」
夕暮れの森の中。ワーアントの巣穴の入り口で、僕はワーカーアントちゃんに別れを告げていた。
「もう帰っちゃうでアリますか? なんなら、一泊されていっても……」
僕を案内してくれたワーカーアントちゃんが、僕を引き止める。
彼女とは、すっかり意気投合した。友情に時間はいらないって本当だね。半日しか経っていないのに、今では、ツーカーの仲だ。
「ツー」
「え?」
違ったらしい。時間がいらないのは、愛情の方だったか。
「まあ、また遊びに来ますよ。それまで、プリッツを食べて待っていてください」
「プリッツ?」
「ええ、これです」
僕は懐からプリッツ(バター味)を取り出した。そして、それを差し出したら、何故かワーカーアントちゃんは困った顔をして、両手を胸の前でぶんぶんとふり始めた。
「だ、ダメでアリます。ワーカーアントはみんな平等なのでアリます。案内をしたからといって、一人だけ食べ物をもらうわけには……」
そういうことか。でも、美味しいものだから、是非、受け取って欲しいなあ。
「じゃあ、秘密ってことで。このプリッツは、僕と君との秘密」
「秘密……」
秘密という言葉に引かれたのか、両手を胸に抱いて、ぐっと押し黙るワーカーアントちゃん。そんな彼女の手を開かせ、僕はプリッツを強引に持たせてあげた。
「じゃあね~。それは、秘密だよ~」
「あっ……!」
そして、僕はワーアントたちの巣穴を後にした。
短い黒い髪に、黒い瞳。ワーカーアントちゃんは、プリッツを胸に抱いたまま、ぽーっと突っ立ったまま、後を追ってはこなかった。
「と、いうわけで、ハナちゃんの分のプリッツはないんだよ。ごめんね」
歩いて、歩いて、家に帰った僕は、妹に謝っていた。
元々、お菓子を買いにいった帰りだったのだ。ワーカーアントちゃんに捕まったのは。
だからお菓子を持っていたし、渡すこともできた。でも、一箱全部あげちゃったから、僕や妹の分はなくて……。
「ちがう。私が頼んだのは、ポッキー。なんでいっつもプリッツなんて買ってくるのよ」
「ポッキーなんて、プリッツにチョコレートをかけたようなものでしょ? いうなれば、プリッツ、チョコ味」
「全然ちがう! お兄ちゃんは全然わかってない!」
「いいからズボンをはきなさい」
「今、そんな話はしていない!」
家ではズボンやスカートをはかない主義の妹が、荒れ狂う。
ハイキックをくりだすパンツ。ローキックをくりだすパンツ。半月蹴りを叩き込もうとするパンツ。
なんでパンツってあんなに存在感があるんだ……はしたない。
僕は妹の蹴りを前回り受身でかわしつつ、何とかズボンをはかせようとした。あと、プリッツの魅力について熱く語った。
こうして、我が家の夜は更けていった。