表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/43

スライム

 ボールスの街には、様々なお店がある。


 日用雑貨から食料品まで取り扱うケット・シー商会。ドリアードの花屋さん。アイスゴーレムのジェラート&ドリンクショップに、ドワーフの鍛冶屋さん。


 サキュバスの娼館に、サハギンの海鮮居酒屋さん。ハーピーの郵便屋さんに、ワーシープの衣料品店。


 珍しいものでは、ゴーストのお化け屋敷なんてものもある。


 多種多様な、街のお店。


 その中に、一つだけ、僕には理解できないものがあった。


「スライム屋、って何なんだろう……?」


 町の外れのスラム街に、その店はあった。


 スライム屋。


 粗末な木製看板には、そうとしか書かれていない。店にはこれまたおんぼろなドアが一つあるだけで、中をのぞき見ることすらできはしない。


「入ってみるしか、ないのかなあ」


 屋、というからにはお店なのだろう。


 なら、入っても問題ないはず。


「おじゃましま~す」


 だから、僕は思い切ってスライム屋に入ってみたんだけど……店の中には、何もなかった。


 いや、正確にいえば、「テーブル以外には何もなかった」だ。


 6畳ほどの小さな店内の真ん中に、丸いテーブルがぽつんと一つ。


 そして、その上に載せられた、値札つきの小さな丸瓶。


 他には何もない。スライム屋には、それだけしかなかった。


「これがスライムなのかなあ」


 瓶をひょいと持ち上げてみる。中に入っているのは透明感のある水色の液体で、軽くふると、とろり、とろりとわずかに揺れた。


 うん、子どものころに、子ども会のイベントでつくったスライムとそっくりだ。


 懐かしいなあ……うちの妹は、赤い色をつけたスライムが好きだったっけ。ほっておくと、いつまでもぺたぺたぺたぺた触っているほどに。


「うん、安いし、お土産に買って帰ろう」


 しょせんはのりとホウ砂の混ぜものだ。そんなに高いわけもなく、丸瓶にかけられた値札には、「銅貨一枚」と書かれている。


 これなら悩むこともない。僕は妹へのお土産に、スライム入りの丸瓶を購入した。


「お代はここに置いとけばいいのかな?」


 店内中央のテーブルに、銅貨を一枚置いておく。


 なにせ、ここにはレジもないんだ。たぶん、露店販売のようなものだろう。


 そう判断した僕は、丸瓶をサイドバッグに入れて、スライム屋を後にする。


「まいどあり」


「えっ?」


 店を出て、ほんの少しだけ進んだら、後ろから声が聞こえた。


 もしかして、店主さんがいたのだろうか。


 そう思って振り返ってみるも……。


 店主どころか、スライム屋自体が、きれいさっぱり消え失せていた。


「あれ?」


 店があった場所には、塗りがはげ、レンガが剥き出しになっているスラム街の外壁があるばかり。


 どこにも扉はないし、よくよく考えてみると、外壁をくりぬいてお店なんて作れるはずはない。


 でも、僕は少し前まで、スライム屋にいたわけで……。


「う~ん、不思議なことも、あるもんだ」


 世界は不思議に満ちている。


 考えてもわからないことなんて、たくさん、たくさんある。


 でも、確かなことも、もちろん存在している。


「例えば、この小瓶とか、ね」


 そう、僕がスライム屋で、この丸瓶を買ったのは、確かなことだ。


 財布の中からは銅貨が一枚、消えているし、僕の手の中にはスライム入りの瓶がある。


 この場合、それが一番、大事なことだ。


 妹へのお土産を、確かに買えた。それさえ確かなら、お店がゴーストのように消えてしまっても、別にかまわない。


「あ、でも、お母さんもスライムを欲しがったら、どうしよう」


 お母さんもスライムが好きだからなあ……。妹と取り合いになっても、お店が消えてしまったから買い足しもできない。


「肉球ボールでもあげようかなあ」


 自分用の肉球ボールをポケットから取り出し、ぷにぷにと握る。ああ、やはり肉球ボールはいいものだ。


 うん、お母さんにはこっちをあげよう。それで、スライムは諦めてもらおう。


 右手で肉球ボール、左手でスライム入りの小瓶を手遊びしつつ、僕は夕暮れのスラム街を歩く。


 お土産を受け取った家族の笑顔を頭に描いて、土の地面をざくざくと歩く。


 途中、立ち寄った市場で、晩御飯の材料や、竜巻号用のお土産を買いながら、僕はのんびり、家へと帰った。






「おかしいなあ。喜んでくれると思ったんだけどなあ」


 日も暮れ、夜も更け、時刻は深夜二十三時。


 ベッドに転がった僕は、先ほどの出来事を思い出していた。


「子どもじゃないんだから、スライムなんかいらない」


 妹は、スライム入りの瓶を受け取ろうともしなかった。


 こちらをちらりと見たかと思うと、すぐに雑誌に目を戻して、小瓶を見ようともしなかった。


「ああっ! ぷにぷに……! なんてぷにぷに……! お兄ちゃんがこんなのを隠し持っていたなんて……!」


 対照的に、お母さんは大いに喜んでくれた。


 肉球ボールをぷにぷにぷにぷに触りまくって、なぜか頬を上気させていた。


 竜巻号だって、そうだ。


 わんちゃん用のゴルムスの干し肉を渡してあげたら、しっぽをぶんぶんとふりたくって、いそいそとケージに持って帰っていた。


 きっと、誰も見ていないところでこっそり食べるのだろう。竜巻号は、がっつく姿を見せないわんこだからね。


 うん、お母さんと竜巻号は、喜んでくれたんだ。


 でも、妹だけは、全然喜んでくれなかった。昔はあんなに喜んでくれたスライムを、見向きもしてくれなかった。


「ハナちゃんも、もう子どもじゃないってことなのかなあ……」


 妹も、来年は中学生だ。無邪気なままではいられないのだろう。


 考えてみれば、ハナちゃんだって成長しているんだ。


 小さい頃は、泣き虫で、お兄ちゃんっ子だったけれど、近ごろは強くなったし、甘えてくることもなくなった。


 普通に考えれば、それはいいことだ。自立に向けてのステップアップ。喜ばしいことじゃないか。


 それは分かるんだけど……妹の成長が、嬉しい半面、ちょっとだけ寂しかった。


「いけない、いけない。僕の方こそ、妹離れしなくっちゃ」


 手の中でいじっていたスライム入りの小瓶をサイドボードの上に置き、壁のスイッチを押して、部屋の明かりを消す。


 そして、布団の中に潜り込んで、目を閉じる。


 明日はピケットさんのお店でアルバイトだ。そろそろ寝ないと、明日の仕事に響くかもしれない。


 幸い、寝つきはいい方だ。暗闇の中、目を閉じていると、すぐさま眠気が襲ってくる。僕は夢の世界へと、旅立っていく――――。


 眠ってしまう直前、サイドボードの方から物音が聞こえた気がしたけれど、確かめるのも億劫だったので、僕はそのまま、眠ってしまった。








「ぱぱ……おきて、ぱぱ……」


「う、んん……」


「おきて……ねえ、おきて……」


 誰かが僕を、呼んでいる。


 僕の体を揺さぶって、僕を目覚めさせようとしている。


 いったい、誰だ? もしかして、お母さん?


「うう~ん……お母さん、トイレにいけなくなるから、夜にホラー映画を見ちゃいけませんって言ったでしょ……」


「ちがうよ……ぱぱのままじゃないよ……」


「あれ? ちがうの?」


 まさかの否定に、びっくり。おかしいなあ、うちでは僕を夜中に起こすのは、お母さんしかいないはずなのに。


 驚いた拍子に、睡魔がどこかへ飛んでいってしまった。


 ぱちりと目を開け、上半身を起こしてみる。


 すると、僕の両足の間に腰を下ろした、一人の少女と目があった。


「おはよう、ぱぱ」


「うん、おはよう」


 フレンドリーな挨拶につられてしまったが、見たこともないぞ、こんな子は。


 妹でもないし、お母さんでもないし、ご近所さんでもない。


 かといって、ボールスの町にも、こんな知り合いはいなかったし……まさか、泥棒さん?


「ハートはあげませんよ」


「はーと?」


 どうやらちがったらしい。少女は不思議そうに首をかしげている。


 しかし、見れば見るほどに変わった女の子だなあ。


 体は水色で半透明だし、下半身はドロドロに溶けてまとまっているし、妙にたぷんたぷんしているし。


「おまけに服を着ていない。きゃっ、エロス」


「ふくなんてきないよ。だって、スライムだもん」


 えっへん、と胸を張る少女。その弾みで、二つのふくらみが、ぷるる~んと揺れる。


 なるほど、この子はスライムだったのか。道理で、たぷんたぷんしていると思った。


「そのスライムちゃんが、どうして僕の部屋にいるのかな?」


 スライムであることはわかったけれど、僕の部屋にいる理由がわからない。


 また、お父さんが、友だちの娘さんを連れてきたのかな?


「おぼえてないの? ぱぱがわたしをつれてきたんだよ?」


「ああ、やっぱりそうか。お父さん、帰ってきたんだ。お父さんは、もう部屋に戻った?」


 まだリビングにいるようなら、おかえりの一つでも言おう。そう思って、ベッドから降りようとすると、スライムちゃんが僕のそでを引っ張った。


「ぱぱは、ぱぱだよ。あなたが、わたしのぱぱ」


「お、おお?」


 ぐいと引き寄せられ、僕はスライムちゃんの体に倒れ込んで……お、おおお?


 何だ、これは。僕の体が、スライムちゃんの中に沈み込んでいくぞ。


 頭が、腕が、体が、半透明のゼリーに、じわり、じわりと包まれていく。柔らかな粘液が、僕の全てを抱きしめてくる。


 不思議と、息苦しくはない。呼吸はできるし、暑苦しいなんてこともない。


 まるで、ウォーターベッドの中に、埋め込まれたような気分だ。


「あなたがわたしを外のせかいにつれ出してくれた。だから、あなたはわたしのぱぱ。わたしはぱぱのむすめなの」


 鼓膜まで浸す粘液から、声が聞こえてくる。スライムちゃんは、お腹の中の僕を見て、微笑んでいる。


「ぱぱは、むすめといっしょにいるの。ぱぱは、むすめにやさしくしてくれるの」


 ずるり、ずるりと、僕の下半身までも、スライムちゃんに飲み込まれていく。


 スライムちゃんは、ただただ、無邪気に微笑んでいる。


「そして、ぱぱはむすめに、ごはんをくれるの」


 僕の体の全てがスライムちゃんに呑みこまれたとき、彼女はお腹を鳴らした。


 ぐ~、と、大きく、大きく、お腹の虫が鳴いた。


 それをごまかすように、彼女は恥ずかしげに笑った。


「おなかすいたなあ、ぱぱ」


 にっこりと、ただただ無邪気に、彼女は笑った。


「じゃあ、プリッツでもあげようかな」


 だから、僕は秘蔵のプリッツをあげることにした。


 スライムちゃんの体からちゅるんと抜け出して、机の引き出しを開ける。


「な、なんで!? なんでとけないの? なんでぬけ出せるの?」


 後ろから、スライムちゃんの焦った声が聞こえる。そんなに急かさないでも、今、あげますよ。


「はい、どうぞ。お好み焼き味のプリッツだよ」


「ぷ、ぷりっつ?」


「そう、プリッツ。おいしいよ」


 たぶん、プリッツを見るのは初めてなのだろう。戸惑うスライムちゃんにプリッツをもたせ、まず僕が口にしてみる。


 ポリポリと口を動かして、スライムちゃんも食べてみなよ、と目でうながしてあげる。


 すると、スライムちゃんは、ためらいながらもプリッツを口にした。


「んむ……ん~! お、おいしいっ!?」


 そして、目を輝かせて、ポリポリ、さくさくとプリッツを食べ始めた。


「ああ~! おいしい! これ、おいしいよ、ぱぱ!」


「そう。よかったね」


 そのままスライムちゃんは床に座り込んで、プリッツを食べ続ける。


 僕はベッドに座って、にこにこしながら、彼女を見守る。


 昔は妹も、こんな感じで純粋無垢だったなあ……。


 時おり哀愁を感じながらも、僕はスライムちゃんの頭をなでなでする。


 彼女は昔の妹を思わせる笑顔で、プリッツをさくさくかじる。


 なでなで、さくさく。時間がただ、過ぎていく……。


 どれぐらいそうしていただろうか。気がつけば、僕は眠ってしまっていて、スライムちゃんは姿を消していた。


 あれは夢だったのだろうか。妹の成長への寂しさが見せた、泡沫の夢。


 朝日を浴びながら、そんなことをぼんやりと考える。


 サイドボードに置いていたスライム入りの小瓶が、きらりと光ったような気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ