ユニコーン
テーブルに放置されていたおはぎを食べた。お腹が猛烈に痛くなり、しばらくトイレにこもった。
薬箱を取り出そうとして、小指をタンスの角にぶつけた。あまりの痛みに悶絶した。
ようやく薬箱を開いて、正露丸の瓶を逆さに振ったら、何も出てこなかった。そういえば、先日、使い切ったままだった。
薬局に行こうと思って、靴をはいたら、靴紐が切れた。しかも、両足とも。
他の靴をはき、外に出たら、猫が横切った。肉球をぷにぷにしてあげた。
「な、何するにゃー!?」
「ああ、ピケットさんでしたか。相変わらずいい肉球してますね」
「セクハラ! セクハラにゃー!」
他意はなかった。
「んで、死にそうな顔して、どうしたのにゃ?」
開放されたピケットさんは、憮然とした表情ながらも、僕の身を案じてくれる。人の情けが、身に染みるなあ。
「それが、かくかくしかじかでして」
「ふんふん、まるまるうまうまにゃね。事情はわかったにゃー」
何故かくかくしかじかで伝わるのだろう。商人のコミュニケーション能力、恐るべし。
「それは呪いにゃね。ユウトは誰かに呪いをかけられたのにゃ。心当たりは、あるかにゃ?」
「呪い、ですか?」
はて、呪いというと、わら人形だとか、いわくつきのダイヤモンドだとか、ああいったやつだよね?
いや、そんな、普通に生きてて、呪いなんかに縁ができるとは思えない。
「心当たりはないんですねえ。いいことならしましたが」
「いいこと?」
「井戸から出てきた髪の長い女の人に、おススメの床屋さんを教えてあげたんですよ」
「そ、それにゃー!」
「ええ?」
やっぱり、美容室のほうがよかったのだろうか。
「井戸はヤバイにゃ、井戸は。ユウト、さっさと教会にいくにゃ」
「教会、ですか?」
「そうにゃ。教会に行って、出来るだけ早く、呪いを解いてもらうにゃ」
「はあ」
何でピケットさんは、じりじりと遠ざかっているのだろう。
もしかして、僕、汗臭い? でも、そんなに汗をかいた覚えはないんだけどなあ。
「いいかにゃ、最優先で教会にいくのにゃ! ぜ、絶対に、その女を店まで連れてくるんじゃにゃいにゃ! 絶対にゃ!」
そのまま、ぴゅーと逃げ出すピケットさん。
「女?」
女の人なんて、いたっけな。
そう思って、隣を見れば……。
髪の長い女の人が、僕のすぐそばに立っていた。
彼女は、顔が隠れるほどの黒髪の隙間から、血走った目で、僕をじっと見ている。
間違いない。この前、井戸から出てきた人だ。
「ああ、こんにちは」
今度はちゃんと、美容室の場所を教えてあげた。
「大通りからウッド・ペクター通りに入って、三つ目の角を右に、か」
町の中央広場の案内看板から、教会の位置を探し出す。
どうやら、教会はけっこう近くにあるらしい。
ピケットさんが嫌がっているようなので、早めに行って、早めにお祓いをしてもらおう。
「しかし、教会にはどんな種族の人がいるんだろう」
石畳の上を歩きながら、考える。
聖職者といえば、神父さんとシスターさんだよね。
それにピッタリな種族となると……エンジェルだろうか?
ああ、でも、以前、お父さんから、エンジェルは神のパシリしかしない、という話を聞いたことがある。
じゃあ、神父にはならないよね。だとすると、聖職者には別の種族がなるんだろうけど……。
鍛冶はドワーフ、靴はレプラコーン、ストリップはスケルトンみたいに、職業のイメージにぴったりと当てはまる種族がいない。
あれやこれやと考えながら、僕はてくてくと町を歩く。
大通りから、アパルトメントが立ち並ぶウッド・ペクター通りに入り、サッカーをしていた子どもたちにさりげなく混ざって、オーバーヘッドシュートをきめる。
「すげええええええ!」
「ヒュー……!」
「ありがとう、ありがとう」
両手を挙げて子どもたちの歓声に応えつつ、僕はまた、歩き出す。
ええと、確か、三つ目の角を右に、だったよね。
う~む、それにしても、やっぱり教会にいる人の種族が気になるなあ。いったい、何なんだろう。
「あっ、さっきの子どもたちに聞けばよかった」
まあ、今さら引き返すこともないか。教会まではもうすぐだ。このまま前に進もう。
アパルトメント通りとも呼ばれるウッド・ペクター通りの途中から、路地に入って、まだまだ進む。
しかし、まあ、大通りや、「○○通り」と呼ばれる主要道路と違って、この町の路地は複雑すぎるなあ。
あっちに曲ったりこっちに曲ったり、三叉路やT字路、行き止まりや階段まで、何でもござれだ。
区画整備された町と違って、これはこれで面白いんだけど、慣れないうちは目的地に辿りつくのも一苦労で……。
早い話が、迷いやすいということだ。
「さて、教会はどこだろうね」
四つに分かれた道の分岐点に立ち、しばしの間、考える。
おかしいなあ。地図上では、ウッド・ペクター通りから曲って真っすぐに進めば、教会があったんだけど。
このまま直進しても、赤い看板がトレードマークの『オーク焼肉店』しかない。かといって、他の道は曲がりくねって先が見えないし。
「う~ん、総当たりしかないのかなあ」
とりあえず、他の道を行ってみれば、教会があるのかも。でも、この町の路地は、分岐路の先に分岐路というのもザラにあるからなあ。
さて、どうしたものやら。
「こんにちは、ユウト君。お困りですか?」
「あっ、旅の人」
聞き覚えのある声に振り返れば、そこには旅人姿のリザードマンが立っていた。
大きなバッグに、所々がすれている外套。それらを身につけ、それでもすらりとして見えるお姉さんだ。
そうだ。旅慣れたこの人ならば、教会の場所を知っているかもしれない。迷子のようで少し恥ずかしいけれど、ここは素直に聞いてみよう。
「教会に行きたいんですけど、どうにも場所がわからないんです。旅の人は、教会までの道を知っていますか?」
「ええ、もちろんですとも。私は旅の人ですからね。道のことなら、お任せください」
こちらですよ、と手招きする旅の人の後ろについて、僕は一番左の道に入る。
まさか、この道だったなんて。娼館や酒場だらけの道だったから、ここを通っても教会には通じていないだろうと思っていたのに。
「先入観は恐ろしいものです。思考を固め、眼を曇らせ、無限にあるはずの選択肢をそぎ落としてしまう」
旅の人は勘がいい人だ。僕が考えていることなど、お見通しなのだろう。
彼女は、前を向きながら、僕に大事なことを教えてくれる。
「世の中には、これしかない、こうでしかありえない、ということは、意外と少ないのですよ。空を飛ぶゴーレムもいれば、火を吐くフロストドレイクもいます。もちろん、いかがわしい通りの先に、教会だってありますとも」
話しながら、聞きながら、僕らは薄暗い路地を抜ける。
すると、目の前には、十字架と鐘楼がついた、真っ白な壁の教会があった。
ここで初めて旅の人は振り返り、教会をバックに僕の目を見つめてきた。
「柔軟な思考は、大事ですよ」
「僕もそう思います」
僕の答えに満足したのか、旅の人はにっこり笑って、教会の脇道へと去っていった。
「さようなら、旅の人」
その背中に向けて、僕は手を振っていた。
いつまでも。いつまでも……。
「さて、帰ろっと」
旅の人の話も聞けたし、教会に着くこともできた。
やあ、今日もいい日だったなあ。奥歯に挟まっていたホウレンソウが取れたような気分だ。明日もこうありたいものだ。
「ん? でも、何かを忘れているような」
ホウレンソウが取れたと思ったら、鶏肉も挟まっていることに気がついたような気分だ。
はて、何かを忘れているような気が……。
「ねえ、何だと思いますか?」
隣に立っている髪の長い女の人に聞いてみた。
でも、彼女は血走った目で僕を睨むばかりで、何も答えてはくれない。
物静かな人なんだなあ。
黒髪の女性の静けさに、大和撫子とはこのことかと感心していると……。
「危ないっ! その悪霊から離れてっ!」
「ああ、物静かな人が」
突然、教会の扉から白い光が飛び出してきたと思うと、髪の長い女性は、光の奔流にかき消されてしまった。
いったい何が起きたのだろう。
開け放たれた扉の奥から、硬質な足音が聞こえてくる。
「さっ、今のうちです。早く聖堂に入ってください」
「あなたは……」
現れたのは、純白の聖馬だった。
馬のような下半身の、半人半獣の女性だ。
だけど、ケンタウロスじゃない。白い肌に、額から生えた一本角。
この人は、ユニコーンだ。
「早く! 悪霊が復活する前に!」
「おっとっと」
ぐいっと体を引っ張られ、僕は教会の中へと転がり込む。と、同時に、勢いよく扉が閉められた。
ここでようやく、ユニコーンさんは強張っていた表情を緩め、ほっと息をつく。
「怖かったでしょう? でも、もう安心ですからね。ここにいれば、神様が守ってくれます」
「はあ」
ユニコーンさんが、体をかがめ、しりもちをついた僕と目線を合わせてくる。
柔らかな表情に、包容力を感じさせる瞳。白桃みたいな色の髪からは、ふわりといい匂いが漂ってくる。
優しそうな人だなあ。相手と目の高さを合わして、笑顔で話が出来る人は、たいていが優しい人だ。
でも、話の方はちんぷんかんぷんだなあ。
怖かったって……誰が? 守るって、何からだろう。
「ああ、あまりの恐ろしさに呆けてしまったのですね。かわいそうに……」
「んぷっ」
考え込んでいると、ユニコーンさんは突然、涙を浮かべて僕を抱きしめてきた。
豊かな胸の谷間に鼻が埋まってしまい、どうにも息がしづらい。このままだと、窒息してしまいそうだ。
いけない、ここはタップだ。
そう思って、ユニコーンさんの体を軽く叩いたんだけど……。
たゆん、たゆ~ん。
「ああっ……!」
弾むような、沈み込むような、不思議な感触が帰ってきた。
「い、いけません……神様が見ています」
ユニコーンさんが胸元を押さえて、僕から離れた。ああ、あのたゆんたゆんはユニコーンさんのおっぱいだったのか。
これはいけないことをしちゃったな。
「悪意はなかったんです」
「そ、それでも、いけません……」
頬をわずかに染めたユニコーンさんに、「めっ!」と叱られた。
おかしいな。お父さんは、こう言えば許してもらえる、って言ってたのに。
「ダメですよ、あまり淫らなことをしていたら、悪魔やお化けにとりつかれちゃいますよ。現に、性質の悪そうな霊が、憑いていたじゃないですか」
「ああ、あの人、悪霊だったんですか」
そういえば、ピケットさんもあの人をやたら怖がっていたっけ。
なるほどなあ。悪霊だからか。
「すると、お腹が痛くなったりしたのも、あの人のしわざですか。ちょっと注意してきます」
「いけません!」
教会の扉から出て行こうとしたら、ユニコーンさんに思いっきり引き戻された。
そして、聖堂に並んでいる長椅子に座らされたかと思うと、両肩に手を置かれた。
「いいですか? このままでは、日没までに貴方は死んでしまいます。あの悪霊に、とり殺されてしまうのです」
「ひええ」
そんなに怖い人だったのか、あの悪霊さんは。僕はてっきり、靴紐を切るのが大好きな人だとばかり……。
「ですが、ここにいれば、神様が貴方を守ってくれます。悪霊の魔の手は、届くことはありません」
「神様ってすごいですねえ」
よくわからないけれど、たぶん、「バーリア!」ってやつなんだろう。建物ごと全部バリアだなんて、神様ってすごいんだなあ。
「あ、でも、それだと、ここから出られないじゃないですか」
それは困る。まだ晩御飯の買出しにも行っていないんだ。僕がいなければ、佐久間家の女性陣が全滅してしまう。
家に帰らなくちゃいけない。でも、悪霊は怖い。どうしようもないジレンマの発生だ。
う~ん、何とかならないものだろうか。
「大丈夫ですよ」
「え?」
ふわりと。
ユニコーンさんが、僕の頬を優しく撫でた。
彼女は、もう一度、「大丈夫ですよ」と言って、柔らかく微笑む。
「私がいます。私が、あの悪霊を祓います。貴方はここで、待っていてください」
彼女は、懐から聖書と十字架を取り出して、教会の入り口へと向かう。
そうか。彼女はシスターだったのか。
どんな種族が聖職者をやっているのかと思ったけれど、なるほど、聖馬ユニコーンならば、神の使いにぴったりだ。
「頑張ってください」
シスター・ユニコーンの背中に、エールを送る。
彼女は、もう一度、にこりと笑って、出ていった。
「待っていろとは言われたけれど、心配だなあ」
ユニコーンさんの話が本当ならば、あの悪霊は命すら奪うという。
そんな強敵に、ユニコーンさん一人で立ち向かうだなんて、無茶じゃないのかなあ。
「おそる、おそる」
どうにも心配だったので、僕は教会の扉をそっと開き、外の様子をのぞき見た。
ああ、ユニコーンさんが、一人で悪霊と戦っている。髪を振り乱した悪霊に、十字架を突きつけているぞ。
そして、右手に持った聖書を天に掲げて……。
「この腐れビッチがああああああああああああ!!」
悪霊の脳天めがけて、力いっぱい振り下ろした。
「……あれ?」
聖書って、ああやって使うものだったけ?
湧いて出た疑問を解消する間もなく、ユニコーンさんの猛攻は続く。
「うちに転がり込んできたおいしそうなさくらんぼを、薄汚え目で視姦してんじゃねえぞ、使用済みマ○○! 聖なるイチモツをぶち込んでやっから、とっとと昇天しやがれええええええ!!」
十字架による刺突。馬の下半身によるバックキック。そして、聖書での乱打。
極めつけは、ユニコーンさんの一本角による串刺しだ。
角に刺されて持ち上げられた悪霊は、苦しそうにジタバタともがいている。
「ジャッジメーーーントッ!!」
「ヒギャアアアアアアアア!!」
モズの早贄のようにされた悪霊に、天から雷が降り注ぐ。
聖なる雷っぽいから、ユニコーンさんには効かないんだろう。むしろ、雷の中、彼女はとてもいい笑顔で、段々と消し炭になっていく悪霊を振り回したりなんかしている。
ああ、さすがシスターさんだ。もしかして、と思った僕が愚かだった。
これで、また、安心しておはぎが食べられる。ありがとう、ユニコーンさん。ありがとう、天の神様。
「うっへへへへへ……これであの子といちゃいちゃできる。『いけません、まだ悪霊の呪いが残っています。ほら、ここに……』『あっ、そんな、ユニコーンさん、そこは!』『私に全て、任せてください』『ああ、神様が見ていますぅ……!』なんてな! なんてな!」
「グ、ア、ギ、アア、ガアアアア!」
「だからさっさとくたばれオラアアアアアアアアアア!!」
ユニコーンさんは、悪霊退治でとても生き生きとしているから、邪魔したら悪いだろう。
でも、悪霊退治が終わるまで待ってはいられない。
もうすぐ夕方だ。早く帰って、晩御飯を作らなくちゃ。
僕は何度も頭を下げて、教会から立ち去った。
「晩は、海老フライがいいかなあ。それとも、豆腐ハンバーグにしようか」
「私、しょうが焼きがいい」
「あっ、ハナちゃん。今、帰り? 映画はどうだった?」
「つまらなかった」
「そうなんだ」
途中、市街地まで出かけていた妹と合流して、僕は近所のスーパーに向かう。
「あ、そうだ。ユニコーンさんへのお礼の品も買わなきゃ」
「誰、それ?」
「お世話になった人」
「ふ~ん」
さて、何を買おうかな?
ポテトプリッツはどうだろう? いやいや、お礼だもの。詰め合わせの方がいいかもしれない。
僕はスーパーまでの短い道のりを、うんうんと悩みながら、てくてくと歩いていった。