ワーウルフ
「わ~♪ ニンゲンさんだ~♪」
「かまって~! ほらほら、撫でて~♪」
森の中を歩いていたら、ワーウルフの少女たちにまとわりつかれた。
まだ幼い狼っ子たちは尻尾をぶんぶんと振りたくり、撫でて、撫でてと僕に抱きついてくる。ピンと立った耳が、頬を何度もかすめ、少しくすぐったい。
「よしよし」
「ああ~! 気持ちいい~」
言われた通りに撫でてあげると、狼っ子たちはうっとりと目を細め、僕の手に頭をぐりぐりと押しつけてくる。もっと、ということだろうか。
僕は、更に狼っ子たちの頭を撫でていく。少しわしゃわしゃとした灰色髪からは、干した麦わらのような匂いがした。
「わたしも、わたしも~!」
「はいはい」
狼っ子たちは五人もいるんだ。誰かを撫でていると、誰かがせがんでくる。二つの手じゃ、足りそうもないなあ。
ま、時間にはまだ余裕があるんだ。しばらくはこのままでも、何の問題もない。
と、思っていたら……。
「何をしているんだ、お前らっ!!」
雷が落ちた。森の木々を震わせるほどの大声は、僕を囲む狼っ子たちの耳をぺたんと伏せさせた。
声の出所を探って見れば、少しはなれた所にどかんと埋まっている大岩の上で、腰に手を当てて眉を逆立てている、僕ぐらいの歳の狼っ子がいた。
「お、お姉ちゃん……」
姉妹なのだろうか。尻尾を丸めて足の間に挟んだ狼っ子たちは、おそるおそる、お姉ちゃんなる人物の前へ出る。
対して、お姉ちゃんは耳を逆立て、お怒りモード全開だ。
「お前ら、狩りの途中でどこに行くかと思えば、ニンゲン相手に媚を売っているとはな! それでも誇り高きワーウルフ族か!」
「ご、ごめんなさい……」
お姉ちゃんが何かを言うたびに、ビクビクと震える狼っ子たち。みんな、目に涙まで浮かべている。
うちの妹の小さい頃を思い出すなあ。あの子も、おねしょをしてはお母さんに叱られて、こんな顔をしていたっけ。
「さあ、戻るぞ。狩りの続きだ」
「はい……」
しょんぼりとうなだれて、お姉ちゃんの後に続く狼っ子たち。だらりと垂れ下がった尻尾から、あの子たちの落胆ぶりがうかがえる。
それが見ていられなくて、僕は彼女らの後についていった。
「いいか? 私が獲物を追いつめるから、お前らがとどめを刺すんだぞ。難しいとは思うけれど、一人前になるには、やらなくちゃいけないことなんだぞ」
「はい……」
少し進んだところで、狼っ子たちは作戦会議を開いていた。なるほど、大人になるための通過儀礼の途中だったのか。
それじゃあ、邪魔をするわけにはいかないね。静かに見守っていよう。
「じゃあ、お姉ちゃん、行くからな? ちゃんとやるんだぞ?」
「はい」
そう言って、お姉ちゃんは森の奥へと消えていった。とても素早い身のこなしだ。目で追うのがやっとの速さだ。さすが、ワーウルフ。
妹たちも、狩りとなれば手は抜けないのか、真剣な面持ちでじっと、獲物を待ち構えている。その姿は、まさに狼そのもので……。
「あ、そういえば、獲物って何なの?」
「えっ!? あっ、ニンゲンさんだ!」
「かまって~! ほらほら、撫でて~♪」
ふと気になったことを聞きに茂みから姿を見せると、途端に狼っ子たちにまとわりつかれた。緊張感などとうに霧散し、みんな、尻尾をふりふり、僕に抱きついてくる。
やあ、これは参ったな。邪魔をするつもりはなかったんだけど……。
「よしよし」
「ああ~! 気持ちいい~」
あごを撫でてあげると、ちろっと舌を出して、恍惚とした表情を見せる狼っ子たち。なるほど、あごの方がよかったのか。
「よしよし」
「ふわああ~」
「よしよし」
「ああ~!」
「よしよし」
「ガオーーーーーッ!!」
……今の、何?
茂みから熊みたいな生き物が飛び出してきて、また、別の茂みへと去っていった。
狼っ子たちにも予想外のことだったのか、みんな、髪の毛を逆立てて固まってしまっている。
これじゃあ、わかりようもないか……。
と、諦めかけたところで、みんなのお姉ちゃんが帰ってきた。
「はあっ、はあっ、どうだっ!? やったか!?」
「あ、お疲れ様です」
「何でお前がいるんだよおおおおお!?」
お姉ちゃんに、胸倉をつかまれた。
僕にまとわりついていた狼っ子たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出して、木の陰や茂みの中から、こちらをうかがい始めた。
「おい、ニンゲンっ! お前、帰ったはずだろう!?」
「あ、気になったので、ついてきました」
「何でだよっ!?」
何でだろう?
「そういえば、さっきのアレ、何ですか? 何か、やたら大きくて黒かったですね」
「大事な大事な獲物だよ……!」
ああ、アレが。確かに、狼っ子たちに度胸をつけさせるにはちょうどよさそうだ。
「すみません、中断させてしまったようで。ささ、続きをどうぞ」
「いや、帰れよ!?」
「ワーウルフの狩りって、一度見てみたかったんです。以前、旅の人にすごいものだと教えてもらって、ずっと気になってて……」
「うっ……そんな目をするなよ。止めろ、そんな目で私を見るな! わ、わかったよ! 見てもいいよ! ただ、じっとしてるんだぞ?」
「はい、わかりました」
お姉ちゃんのお墨付きをもらった。これで、隠れることなく、堂々と見ることができる。
「じゃあ、お前ら。お姉ちゃんがもう一回、獲物を追いつめるから、今度こそしとめるんだぞ?」
「はい!」
狼っ子の元気な返事に満足したのか、お姉ちゃんはにっこりと笑い、走り去っていった。
それから、一分が経過し、二分、三分と過ぎ去ったが、獲物はまだ来ない。
さすがに退屈だな……それに、おなかもすいた。時間的には、そろそろお昼だろう。何か、食べ物を持ってなかったっけ。
ごそごそと、ズボンや上着のポケットを探る。すると、ロースト風味のプリッツが一袋だけ出てきた。
備えあれば憂いなしとはよくいうけれど、これは単に食べ残しだね。みっともないし、ちょうどいいので食べてしまおう。
そう思って、袋を開けると……。
「わっ」
いつの間にか、狼っ子たちに囲まれていた。彼女らは、興味津々、目を光らせて、僕の手元のプリッツを見つめている。
「食べたいの?」
ぶんぶんと、頭を縦に振る狼っ子たち。
「じゃあ、みんなで食べよっか」
「わ~い♪」
僕が一本だけプリッツを取り出し、ポリポリとかじってみせたら、その通りに狼っ子たちは食べ始める。
しばしの間、ポリポリ、ポリポリという音が響く。
ああ、みんな笑顔だ。分けてあげて、よかったなあ。
「グルオオオオオオオオ!!」
また、変な熊みたいなのが茂みから飛び出してきて、あっという間に去っていった。
でも、こちらはそれどころではない。最後に残ったプリッツの争奪戦の真っ最中だ。
狼っ子たちは目と目でけん制しあい、じりじりと距離をつめている。
勝負は一瞬だ――――来るっ!
「つあああっ! ど、どうだ! しとめたか!?」
プリッツ争奪戦の結末より早く、お姉ちゃんが来た。
「って、お前らあああ……!」
お姉ちゃんに、また胸倉をつかまれた。狼っ子たちはまた逃げ出した。
「なにのん気に変なもん食ってんだ……! 獲物は! 獲物が来ただろう!」
「ええ。あっちに逃げていきました」
「そういうことじゃねえだろ!?」
お姉ちゃんは何を怒っているのだろう? う~ん……ああ!
「プリッツ、食べます?」
「いるかバカ!」
差し出したプリッツが、粉々に砕かれた。ああ~! 最後のプリッツが!
どうやら、お姉ちゃんはプリッツが嫌いなようだ。読み間違えたなあ。
「お、ま、えええ……! 邪魔すんなって言っただろう?」
「え?」
「え?」
言われてないけれど……そうか、邪魔だったのか、僕は。
「すみません。もうプリッツは食べません。じっと見ています」
「てか、もう帰れよ、お前!」
「子どもの頃から、ワーウルフの狩りを見るのが夢でして……」
「うっ、またその目……! あ~、もう、わかった! そこにいろ! た、だ、し! なんもするんじゃねーぞ!」
「はい、わかりました」
お姉ちゃんのお墨付きをもらった。もうプリッツはないから、同じ過ちは繰り返さない。これでお姉ちゃんも安心だろう。
「じゃあ、行ってくる! もう、誘いにはのるなよ、お前ら!」
「はい!」
狼っ子たちの元気な返事に送られ、お姉ちゃんが走り去っていく。
うん、狼っ子たちも、今度ばかりは真剣そのものだ。極力、邪魔にならないように、じっとしていよう。この森の木々のように。
僕は木だ。僕は木だ……。
お母さんに教えてもらったヨガの木のポーズで、僕はこの森と一体化する。
僕は木だ。僕は森の木々、そのものだ……。
木は揺らがない。木は動じない。
例え、視線の先から、轟音を立てて熊っぽい何かが迫っていても、決して焦らない。
焦らず、騒がず、地面に根を張るように腰を落として……。
「体落とし!!」
決まった。高低差を逆手にとっての、体落とし。限りなく熊に近い生物は、勢いよく背中から地面に叩きつけられ、絶命した。
いやあ、我ながら綺麗に決まったなあ。日頃の鍛錬の成果だね。
柔道をやっていて、よかった。
その後、僕は焼肉をごちそうになった。
お姉ちゃんは頭痛がするらしく、頭を抱えていたけれど、狼っ子たちは鹿討伐シーンを見て大いに興奮し、自前の爪で鹿を解体し、その肉を焼いてくれた。
鹿。そうだ、鹿だ。驚いたことに、僕が倒した熊らしき生物は、鹿だったらしい。確かに味も、鹿肉っぽかった。
とっても、ワイルドな味がしました。いや、鹿っぽい味か。つまりはワイルド鹿っぽい味で。
「ワイルド鹿っていうんですか、あの鹿?」
「変な名前をつけるな! ゴルムスだよ、あれは!」
なるほど、ゴルムス・ワイルド鹿。やたら強そうな名前だ。体落とし一つで倒せて、よかった。
「さて、お昼ご飯もいただいて、すっかり長居しました。そろそろ、お暇します」
もう、お昼を回ってしまった。そろそろ帰らなければ、妹はお冠だろう。今日の家事当番は、僕だからね。
「え~? 帰っちゃやだ~!」
「やだやだ~!」
すっかり仲良くなった狼っ子たちがすがりついてくる。別れは僕も寂しいよ。でも……。
「大丈夫。また、会えるから」
「ニンゲンさん……」
涙をハンカチで拭ってあげて、僕はもう一度、希望の言葉を口にする。
「また会いにくるよ。だから、泣かないで、お姉ちゃん」
「私は泣いてないだろう!?」
強がるお姉ちゃんにハンカチを渡してあげて、僕はにっこりと笑い、彼女らに背を向けた。
「またね~!」
「絶対、会いにきてね~!」
後ろから聞こえる声に手をあげて応える。振り返れば、また長居してしまいそうだ。
「え? 何、この雰囲気!? あ、あいつ、ホントに来るぞ、この流れだと!?」
お姉ちゃんの狼狽した声が聞こえる。彼女には、あのハンカチを僕だと思って、強く生きて欲しい。
そのまま僕は、どんどん歩き続ける。彼女らの声が聞こえなくなるまで。森が開けるところまで。
歩いて、歩いて、歩き続け……そして僕は、自宅の前に立っていた。
「ただいま~」
呼び鈴を鳴らすことなく、玄関のドアを開ける。靴を脱ぎ、リビングへと向かう。
すると、三人がけのソファーに、Tシャツパン一姿の妹が寝転がっているのが見えた。
ああ、我が妹ながら、情けない……。
「ほらほら、ハナちゃん。何か着なさい。風邪をひくよ」
「今までひいたことないからへーき」
そう言って、うつぶせのまま足をパタパタと動かすハナちゃん。はしたないなあ、もう。
「そういえば、お兄ちゃん、朝からどこ行ってたの? 何かしてた?」
「うん? ああ、大きな森で、ワーウルフたちとゴルムス・ワイルド鹿を焼いて食べてたんだ」
「はいはい、また散歩ね。散歩」
嘘は言ってないんだけどなあ。妹は、いつも信じてくれない。
まあ、いいけどね。