フェアリー
ミナルナの街を歩いていると、おいしそうなココナッツを売っている屋台が目に入った。
氷の体のアイスゴーレムちゃんが、「おいしいですよ~。ひえひえですよ~」と、宣伝している。
う~ん、確かにおいしそうだ。どろりとした甘さを避けたくなる昼間の暑さならば、ココナッツジュースの薄い味もちょうどいいかもしれない。
「一つくださいな」
「は~い、まいどあり~」
手に提げていた鞄を下ろし、ポケットから財布を取り出す。そして、銅貨五枚と引き換えに、ひんやりと冷たい椰子の実を受け取った。
「ああ、おいしい」
ちゅーと、ストローでココナッツの中身を吸い上げる。うん、この水っぽさ。残暑払いには最適だね。
「さて……あれ?」
下ろしていた鞄を持ち上げようとしたんだけど、肝心の鞄が見当たらない。どこにいったのだろうか?
「へへーん! ボーっとしてんなよ、兄ちゃん!」
「うん? ああ、僕の鞄が」
声のする方を見ると、トンボのような、蝶のような、透き通った羽を生やした小さな子どもが、僕の鞄を抱えて飛んでいた。
その子は、そのまま、路地裏へと去っていく。まるで風のようだ。
「お客さん~。やられましたね~。あれは、いたずら者のフェアリーですよ~」
「フェアリー?」
「はい~。近ごろ、街に住み着いたみたいで~。いたずらばっかりする子で、みんな困っているんです~」
「なるほど、そういうことでしたか」
フェアリーか。なるほど。いたずら好きというのも、種族のサガかな。
「でも……」
「お客さん~? ヒッ……!?」
でも、あの子は、やっちゃいけないことをした。
あの鞄には、僕の大事なものが入っている。他のものだったら、あげてもよかったけれど、アレだけは譲れない。
許せない。許してはおけない。捕まえなくてはならない。
ぐしゃん!
手の中のココナッツが砕け散る。アイスゴーレムちゃんが、また、短く悲鳴をあげる。
「すみません、店先を汚しちゃって……片付けますね」
「い、いえっ!? いいんです、いいんです~!」
「そうですか? 本当に、すみません」
ペコリと頭を下げて、アイスゴーレムちゃんのココナッツ屋台を後にする。彼女には、後で改めてお詫びに来よう。
でも、今は……。
「フェアリーちゃん。君だ」
僕は、いたずら者の妖精の後を追い、路地裏に足を踏み入れた。
「筆入れに、ノートに、菓子か。ちぇっ、しけてらあ」
ボールスの町は路地が多く、その上、それらは複雑に入り組んでいる。
袋小路も至るところにあり、上空だと、まるで迷路のように見えるらしい。
泥棒フェアリーちゃんがいたのは、そんなところだ。
彼女は、路地の奥の奥、薄暗い袋小路で、僕の鞄をひっくり返していた。
「あ~あ、オレが欲しいのは金だよ、金。菓子じゃねえってば」
そうは言いながらも、僕のプリッツを勝手に食べるフェアリーちゃん。
どこにそんなに入るのか、サラダ味のプリッツは、ちっちゃな体の妖精さんの胃袋へとどんどん消えていく。
「ねえ、おいしい?」
「びみょー。薄味過ぎんだろ、これ」
「へえ~」
人のプリッツを勝手に食べておいて、その言い草。やっぱりこれは、おしおきが必要だね。
「ねえ、おしりぺんぺんと足の裏こちょこちょ、どっちがいい?」
「ああ? なに言ってんだ、おまえ……って、げえっ!?」
ここにきて、ようやく、僕の存在に気がついたようだ。
フェアリーちゃんは、大きく目を見開いて、びょいん! と空中へと飛び上がった。
「お、おまえ、何でここにいんだよ!?」
「追いかけてきました」
「ニンゲンがどうやって……ええい、くそっ!」
空へと向かって、トンボのように飛び上がるフェアリーちゃん。
兎にも角にも、逃げるつもりなのだろう。せっかく盗んだ僕の鞄を放り出して、一目散に飛び去っていく。
彼女は、建物の上まで上昇したら、今度は空に線を引くように、一直線に南へ向かった。
あっちは繁華街がある方だね。なるほど、雑踏や、煩雑な市場の中に紛れようというわけか。
なかなか、頭が回る子だなあ。
「ぜはっ、ぜはっ、ああ、こ、ここまでくれば……」
やがて、フェアリーちゃんは、大市場の隅に着地した。
彼女が背中を預けている屋台では、色とりどりの果物が売られている。ちょうどいいや。水気が多そうなのを、一つ買おう。
「のどが渇いたみたいだね。これ、食べる?」
「あ、ああ、すまねえ……んぐっ、んぐっ、ぷはー!」
僕が手渡した桃っぽい果物を両手で抱え、かぶりつくフェアリーちゃん。
果汁たっぷりなのだろう。じゅるじゅると音を立てて、ちっちゃな妖精さんは、ひたすらに口を動かしていく。
やがて、まるまる一つを平らげた頃、彼女は少しだけ大きくなったお腹をさすりながら、僕に礼を述べてきた。
「どこのどいつかはしらねえけど、ありがとよ。おかげで、のどをうるおすことが……って、おまえはっ!?」
「はろー」
僕がひらひらと手を振ると、フェアリーちゃんは大げさに反応して、バッ! と空中へと飛び上がった。
彼女は、油断なくかまえ、僕を凝視してくる。
「ニンゲン、だよな? なら、なんで追いかけてこれるんだよ。ありえねえ……!」
いつでも飛び出せるぞ! という姿勢のまま、彼女は僕に問いかけてくる。
「やい、ニンゲンっ! お前、どうやってここまで来たんだ!」
「歩いてきたんだ」
「うそをつくなっ!」
本当のことなのに。
「くそっ、嫌な予感がしやがる。ここは逃げの一手だ!」
また、ぴゅーっと飛び去っていくフェアリーちゃん。
やはり、素直に捕まる気はないようだ。彼女は、全速力で僕から遠ざかっていく。
でも、あれなら十分に追いつけると思う。
「むしろ、結構いい運動になるかもしれない」
「ひいっ!? また来たぁ!」
東の住宅街で。
「まだまだいけるよ、僕は」
「な、なんでここまでっ!?」
北のスラムで。
「しかも、先回りとかしちゃったり」
「もう勘弁してくれよぉ……!」
西の歓楽街で。
僕は、フェアリーちゃんを追いかけ続けた。
それが功を奏したのか、いたずら者の妖精さんは、がっくりとうなだれて、両手を前に突き出してきた。
「って、何、そのポーズ?」
「決まってるだろ……おまわりにオレを突き出すんだろう? さあ、やれよ。オレはもう降参した。手ぐらい縛って、連行しろ」
「んん?」
この子は何を勘違いしているのだろう。僕は牢屋に入れたくてフェアリーちゃんを追いまわした訳じゃないのに。
「ちがうよ。僕は……」
「へっ?」
彼女が暴れないように、ガシッと体を掴む。小さな妖精さんが、僕の手で拘束される。
準備はできた。後は実行あるのみ。
「僕は、いたずらっ子におしおきするために、君の後を追いかけていたんだああああ!」
「えっ、あ、やめ、あっ、あっ、あああああああああ!」
そして始まる、足の裏こちょこちょの刑。
かの暴君ハナちゃんですら、この刑の前では白旗を上げた。
果たして、フェアリーちゃんは何秒でいい子になるかな?
「そ~れ、こちょこちょこちょこちょ」
「やめっ、んあっ! ああはははははは! やめっ、ひー! 止めてくれええええええ!」
容赦なくいたずら妖精の足の裏をくすぐり続ける僕。涙とよだれをたらし、笑い、叫び続けるフェアリーちゃん。
それから数分後。
そこには、僕の手の平の上で、ぐったりと横たわるフェアリーちゃんの姿があった。
彼女の瞳は、どこまでも虚ろだった。
「で、君はどこの誰なのかな?」
そのまま放っておくのもなんだから、近くの喫茶店へと場所を移して、話を聞くことにした。
別におしおきが完了したのだから、そのまま帰ればいいんだけど、どうにも気になることがあった。
それは、彼女の外見だ。
よくよく見てみたら、フェアリーちゃんはけっこういい身なりをしている。
さらさらとした金色の髪を留めている琥珀のヘアピン。体にフィットした薄緑色の絹の服。小さな足を包んでいるのは、実に丁寧な造りの青い靴だ。たぶん、オーダーメイドの品だろう。
多少は薄汚れてはいるけれど、素材の良さは隠せはしない。どれもこれも、引ったくりをするような者には、似つかわしくない品だ。
いったい、彼女は何者なのか。あれこれ考えてみるものの、しっくりとくる答えが出ない。
だから、本人に聞いてみたら……意外な答えが、返ってきた。
「オレはさ、妖精王の娘なんだ」
「へ~」
ぶすっとした顔のフェアリーちゃんは、片手に持ったクッキーの欠片をかじりながら、さらりと答える。
そうか、妖精王の娘さんだったのか。道理で、いい服を着ていると思った。
「お父さんは元気?」
「って、知り合いなのかよ!?」
ズビシッ! とツッコミを入れてくるフェアリーちゃん。あれ? 知らなかったのかな?
「そうだよ。妖精王さん、毎年お中元に蜂蜜をくれるんだ。代わりに、家のお父さんが桃のゼリーを送っているんだ」
「あのゼリー、お前んちが送ってたのかよ……!」
どうやら食べたことがあるらしい。おいしかったのなら、何よりです。
「それで、妖精王さんの娘さんが、どうしてこの町で置き引きなんてしていたの?」
妖精王さんは、その名の通り、妖精の王だ。その娘ならば、彼女は王女ということになる。置き引きとは最も無縁そうに思えるんだけどなあ。
「え? おまえ、知らないの?」
「うん、知らないよ」
妖精王さんに娘さんがいたこと自体、初めて知った。そんな僕が、妖精の王家の事情に詳しいわけもない。
それでも、推測するならば……。
「もしかして、クーデターでも起こった?」
「ぶ、物騒なこと言ってんじゃねえ!」
ちがったか。はて、だとすると、何が原因なのだろうか。
視線で問いかけると、フェアリーちゃんは、ばつが悪そうな顔をして、とつとつと語り始めた。
「オレはさ、家出中なんだよ。親が花嫁修業をしろ、おしとやかになれってうるさくてさ。しかも、婚約者まで用意したとかぬかしやがるから、カッとなって、着の身着のままで城から飛び出したんだ」
「そうだったの。勝手にお婿さんを決められたら、嫌だよね」
「だろ!? だから、もう、絶対に言うことを聞いてやるかって思ってさ。この五日間、城にも帰ってねえんだ。でもさ……」
「でも?」
「もう、限界かもな。ニンゲンに捕まるようじゃ、妖精族の名折れだ。ろくなもん食ってねえから、知らない内に弱ってたのかもしれねえ。金もねえし、寝床もねえ。伝手もねえときたら、もう、家に帰るしか……」
「だけど、家には帰りたくないんでしょ?」
「当たり前だ! あんな親のところになんか、絶対に帰ってやるもんか!」
「でも、お金も住むところもない」
「うっ……!」
強がっていても、痛いところは痛いのか、顔をしかめるフェアリーちゃん。
強気なフェアリーちゃんが、自分を曲げてまで家に帰ろうと考えるぐらいだ。やはり、流浪の身は厳しいものがあるのだろう。
でも、ここでフェアリーちゃんを帰してしまえば、悔いが残ると思う。
正論だけで相手を諭して、籠の中に押し込めるのは、できればしたくないことだ。
さて、どうしたものか。
「にゃにゃ? こんなところで会うなんて、奇遇にゃね、ユウト」
「ピケットさん」
猫の妖精、ケット・シーさんが、喫茶店へと入ってきた。
配達の途中なのだろう。重たそうな木箱を抱えて、よたよたと歩いている。
「ふ~、やっぱりにゃーには力仕事は似合わないにゃー。ユウト、バイトのシフト、増やさないかにゃ?」
「週三が限界ですねえ」
「そうかにゃ。ああ、どっかに力自慢のアルバイターが転がってないかにゃー」
ぼやきながら、店の外に置いた荷台から、えっちらおっちらと荷物を運んでくるピケットさん。
彼女の姿を見ていたら、ふと、名案が思いついた。
「そうだ! ねえ、ピケットさん。この子、住み込みで雇ってもらえませんか?」
「うにゃ?」
「はあ!?」
お金もない、家もないフェアリーちゃんが、まともな生活を送れるようにするには、これしかない!
ピケットさんに頭を下げて、頼み込む。
「ほら、君も頭を下げて。雇ってもらえれば、家も、お金も手に入るよ」
「マジかよ!? じゃ、じゃあ、お願いします!」
「お願いします」
ぺこぺこと頭を下げる、僕とフェアリーさん。しかし、ピケットさんはただ苦笑いをするばかりだ。
「いやいや、ユウト。にゃーが欲しいのは、力仕事ができる奴にゃ。こんな、木箱より小さい妖精なんて、お呼びじゃにゃいにゃ」
ふすー、と、鼻からため息すら吐いてみせるピケットさん。
しかし、彼女の言葉を、行動をもって否定する者がいた。
「はっ、こんな木箱、軽い、軽い」
「にゃにゃーっ!?」
そう、ピケットさんに非力だと鼻で笑われたフェアリーちゃんだ。
彼女は、荷台に積まれた木箱を片手で持ち上げてみせる。
「オレの魔法はこんなもんじゃないぜ。ほら、よっ、とっ」
「にゃにゃにゃーっ!?」
五つあった木箱が、全て、ふわりと浮きあがり、フェアリーちゃんが持つ木箱に積み上がっていく。
それを支えるフェアリーちゃんは、涼しげな顔で、ピケットさんの周りを飛んでみせた。
「どうよ?」
「採用! 採用にゃーっ!」
即断即決。
こうして、僕にもバイト仲間ができました。
「その、なんだ。あり、ありがと、な……。お前の鞄をパクったオレに、よくしてくれて」
「ううん、気にしなくていいよ」
夕暮れの町角で、僕はフェアリーちゃんとお話していた。
出会ったばかりのトゲトゲしさは鳴りをひそめ、夕焼けに染まったフェアリーちゃんは、しおらしく頭を下げてくる。
うん、やっぱりお家って大事だね。どんなに小さくても、あるとないとじゃ、精神的な余裕がちがうのだろう。
「じゃあ、またなー!」
「うん、さよならー」
僕もお家に帰ろう。フェアリーちゃんと別れの挨拶を交わした僕は、夕映えの町を、一人、歩く。
妹とお母さん、家族のことを思いながら、ただただ、歩く。
すると、気がつけば、目の前には僕の家の玄関があって……。
「ただいまー」
「おかえりー」
「おかえり」
帰宅した僕を、こんな感じで家族が出迎えてくれる……はずだったんだけど。
「あれ? 何が起きたの?」
「う゛う゛~ん、う゛う゛~ん……」
「痛いよう! お兄ちゃん、ぽんぽん痛いの~!」
リビングに転がる、妹とお母さん。その周りを、心配そうにうろつく竜巻号。
「もしかして、変なものでも食べた?」
「お腹すいたから、お母さんが作ったご飯を食べた……」
「なんて無茶な」
お母さんの料理を食べるだなんて、紐なしバンジージャンプと同じだ。結果はわかっていただろうに……。
「今晩はおかゆにしようね」
「え~!」
「え~!」
「二人とも、わがまま言わないの」
救急箱から正露丸を取り出して、嫌がる二人に飲ませておいた。
あとは、消化にいいものを食べさせればいいだろう。
「ちなみに、何を作って食べたの?」
「ミディアムレアの鳥肉」
「なんて無茶な」
今度から、晩御飯には間に合うように家に帰ろう。
僕は、そう心に決めて、棚から土鍋を取り出した。




