サイクロプス
僕がアルバイトのために通っているボールスは、町としては小さい方なんだそうだ。
草原の真っただ中にある、人口一万人程度の町。僕は小さくはないと思うのだけど、住民はそろって、都はもっと大きい、ボールスは小さいよと笑う。
それでも、食べ物屋からアクセサリーショップまで、お店はたくさんあるし、観光名所もいくつもある。
大通りには屋台が出ているし、市民広場では大道芸人が飛んだり跳ねたりしている。
うん、やっぱり、この町は大きいと思う。少なくとも、一日や二日で、町の全てを見て回るなんて、できそうにない。
だから、僕は今日もこうして、ボールスの町を歩いている。
歩くたびに新鮮な発見がある町を、楽しんでいる。
「こんにちは、ハーピーさん。郵便配達ですか?」
「ええ、ちょっと隣の村までね」
「こんにちは、ピケットさん。無事釈放ですか?」
「や、やっと許してもらえたにゃー……」
時おり、住人たちと言葉を交わし、僕はのんびり、町を歩く。
オープンカフェでは、ゴーレムの老夫婦や、犬や猫の獣人たちがお茶を飲んでいる。
ドワーフの若者が、道端に座り込んでアクセサリーの露店を開いている。
僕をかすめるように駆けていったのは、リザードマンや、レッサーデーモン、マタンゴなど、様々な種族の子どもたちだ。
きゃらきゃらとはしゃぐ彼らの声が、町の喧騒にとけていく。
うん、やっぱり散歩はいいなあ。心が満たされていく感じがする。
慣れ親しんだ道を歩くのもいいけれど、馴染みのない道も、またいいものだ。
そこには新たな発見や、人々との交流がある。予期せぬ出来事や、思わぬ出会いがある。
例えば、ほら、こんな風に。
「あっ……」
「おっとと。すみません」
町の曲がり角で、女の子とぶつかった。どさりと音を立てて、尻もちをつく藍色の髪の少女。
「すみません、大丈夫ですか?」
「あ、えと……はい」
つば付きのニット帽を目深に被った少女は、蚊が鳴くような声で返事をした。
「ぼーっとしてました。本当にすみません」
「いや、そんな。わたしの方こそ……」
何故か、帽子の位置を気にしながら立ち上がる女の子。
おお、けっこう身長があるなあ。175cmはあるんじゃなかろうか。男の僕よりも、ほんの少しだけ高いぞ。
軽くうつむいて、何だか妙におどおどした人だけど、シャンと背を伸ばせば、もしかすると、180cmにも届くのではなかろうか。
う~む、僕も負けてはいられないな。
「あ、あの。何をしているのですか……?」
「つま先立ちです」
「は、はぁ」
つま先立ちをしている僕ならば、彼女の身長にも負けはしない。
ぷるぷると震える足に檄を入れ、僕はいつもより少しだけ高い視界を確保し続ける。
が、すぐに耐えきれなくなって、後ろ向きに倒れてしまった。
「あたっ」
運が悪いことに、僕の真後ろには、民家のレンガ塀があった。
ゴチンと鈍い音が響き、視界に星が瞬き始める。
「あいたたた……」
たまらず後頭部を押さえ、その場にしゃがみこむ。すると、ニット帽の少女が、心配そうな声で近づいてきた。
「だ、大丈夫ですか……?」
「いや、なんのこれしき。エイリアンの幼体が生まれてきそうなこぶができただけで、大事はありません」
「大丈夫じゃなさそう!?」
男の子の強がりも、女の子のピュアハートの前では型なしだ。
精一杯の笑顔を浮かべた僕を、少女は軽々と背負い、走り出す。
「た、大変! 救急箱、救急箱……!」
高身長が生み出す長いストライドは、そのまま大きな振動へと直結し、背負われた僕はがっくんがっくんと上下に揺さぶられる。
あいたたた……何だか頭痛がひどくなってきたぞ。本当にフェイスハガーが生まれてきそうな痛みだ。
「だ、大丈夫ですから……!」
女の子はそう言うが、どう考えても大丈夫じゃなさそうですから。
遠ざかる意識。軋む頭がい骨。痺れる脳髄。
よく、頭をうった人を激しく動かしてはいけません、という話を聞くけれど、あれは本当だったんだなあ。
まさか、自分の体で実感するとは、思いもよらなかった。
「すみません……」
「いえ、自業自得のことなので、お気になさらず」
女の子の背中で揺らされること十分。僕は、鍛冶工房『コバルト』というお店に来ていた。
ここは彼女……クロッカさんのお家だそうだ。彼女は、家庭用の救急箱を、家の奥から持ってきてくれた。
「で、でも……すみません」
もにゅもにゅと謝罪の言葉を口にしながら、湿布と包帯を取り出すクロッカさん。
彼女は、おっかなびっくり、僕の後頭部にできた大きなたんこぶに、湿布を貼ろうとしている。
『キシャー! チェストバスターだっ!!』
「ひいい……!」
しまった。場を和ませようと幼体エイリアンの声真似をしたら、クロッカさんが腰を抜かしてしまった。
ううむ、どうやらチェストバスターは嫌いなようだ。
「あ、頭がっ! 頭がかち割れそうだ! あ、ああ、ぼ、僕の頭を突き破って、何かが生まれてくるっ!」
「お父さん! お父さーん!」
しまった。発想の転換で、エイリアンに寄生された人間を演じてみたら、ますます怯えられた。人生うまくいかないものだなあ。
「どうした」
お店の奥から、ドワーフのおじさんが現れた。ああ、お父さんってこの人のことなのか。
「お、お父さん! ちぇすとばすたーがっ! ちぇすとばすたーがっ!」
「落ちつけ」
背の高い娘を見上げるお父さん。ドワーフ特有のごつごつした大きな手を、クロッカさんの肩にのせている。
「客か」
「はい? 僕ですか?」
「お前しかおらんだろう」
ひげ面をもごもごと動かして、僕に問いかけてくるお父さん。クロッカさんは、精一杯縮こまり、彼の背中に隠れている。
「ええと、僕は客じゃないです。佐久間優人です」
「そうか。俺はドワッゾだ」
「モビ○スーツみたいで、かっこいい名前ですねえ」
「そうか」
いかにも職人さん、って感じだなあ、ドワッゾさんは。寡黙だけど、頼りがいがありそうな人だ。実際、娘さんが頼りまくってるし。
「それで、ユウトはうちに何の用だ」
「特に用はないんですよ。僕はクロッカさんに連れてこられただけです」
「そうなのか、クロッカ?」
ドワッゾさんは、自身の背後に隠れる娘さんに問いかける。すると、クロッカさんはあわてながら、とっかえつっかえ、彼に説明を始めた。
「あ、あの、わたし、彼とぶつかって、わたし、しりもちついちゃって、あ、その、彼がね、頭をごちーんってぶつけちゃって、あ、壁なんだけど、それで、大きなたんこぶができて、湿布を貼ろうとしたんだけど、ちぇすとばすたーがきしゃー! って……」
「わかった」
ドワッゾさん、コミュニケーション能力が高いな。今の説明でわかるなんて……さすが親子。
「すまんな。うちの娘が迷惑をかけた」
「あ、いえ。僕もぼーっと歩いていたので、お互い様ですよ」
「そう言ってもらえると、助かる」
軽く頭を下げるドワッゾさんに合わせ、僕も頭を下げた。
そして、僕が顔を上げるのに合わせ、クロッカさんも頭を下げたんだけど……。
その拍子に、ぽろりと帽子が落ちた。
「あっ!?」
見えそうで見えなかった、クロッカさんの顔の上半分が御開帳。
そこには、鉄のような色をした、綺麗な瞳が一つだけあって……ん? 一つだって?
「やあ、クロッカさんはサイクロプスでしたか。ドワーフにしてはおっきいな、と思っていました」
「ぁあ、ひああ……!?」
一つ目小僧みたいな単眼に、高身長、人並み外れた膂力。そして、鍛冶と関わりがあるとすれば、間違いなくサイクロプスだ。
「あう、あわわ……!」
クロッカさんは、何故か落ち着きがない。何だろう。ビームでも放つんだろうか。
「ひぅ……」
結局、クロッカさんは顔を真っ赤にして、また、ドワッゾさんの後ろに隠れてしまった。
ドワッゾさんは、表情こそは変わらないものの、どこか呆れたように、ため息を一つ、吐いてみせた。
「すまんな。うちの娘は、人見知りがひどいんだ。まったく、12歳にもなって……」
「クロッカさん、ううん、クロッカちゃんって、12歳だったのか」
「はぅ……」
衝撃の事実が判明。ひょっとすると、僕より年上かもしれないと思っていた女の子が、実は年下の女の子だった。
う~む、人は見かけによらないとはいうけれど、まさかクロッカちゃんが、僕の妹と同い歳だったなんて。
やっぱり、サイクロプスって大きいんだなあ。
「しかし、こいつが男を連れてくるなんて、珍しい。ちょうどいいから、話相手になってくれ」
「はい?」
ドワッゾさんは、ぐいとクロッカちゃんを僕の方へと突き出すと、店の奥へと戻っていった。
それから、さほど時間を置かずに、カーン、カーンと、金属を打つ音が聞こえてきた。
おお、何て鮮やかな放置プレイ。
「お、お父さん……」
置いていかれたクロッカちゃんは、おろおろと立ちつくしている。
時々、僕と目が合うけれど、その瞬間にふっと視線をそらされる。人見知りが激しいって、本当なんだなあ。
「でも、僕は怖い人じゃないよ。マッチョでもなければ、お化けでもないです。別に取って食ったりはしないよ」
「そ、それは、なんとなくわかりますけど……」
それでも、びくびく、おどおどとするクロッカちゃん。いったい、何が原因なんだろう?
「歳の割りに、高い身長が気になるの? 大丈夫。僕の知り合いには、もっと大きい人がいるよ」
「ちがいます……身長は、別に気にしてません……」
あれ? これも違うのか。
「じゃあ、目からビームが出せないから?」
「元から出せません……」
「特注のコンタクトを落としちゃったから?」
「目はいい方です……」
「わかった。お昼ごはんに嫌いなものが出たんだ」
「人見知りと関係なくないですか……?」
おっと、脇道に逸れてしまっていたかな。反省、反省。
しかし、本当に、何故だろうか。12歳にもなって、ここまでひどい人見知りをする子は、初めて見た。生まれもっての性格だろうか。
でも、何かちがう気がする。クロッカちゃんは、どちらかというと、人と接することよりも、人に見られることを嫌がっているような……。
そこで、ふと、クロッカちゃんが胸に抱いた帽子が目に入った。普通のものよりも、つばが大きめに作られているものだ。
あれを被った状態では、顔がよく見えないんだよなあ……ん? もしかして。
「目が、気になるの?」
「はい……そうなんです」
どうやらそれが答えのようだ。クロッカちゃんは、単眼であることが恥ずかしいらしい。
サイクロプスは、どう頑張っても一つ目だからなあ。みんなとちがうことが、恥ずかしいという感情につながっているのだろう。
「でも、気にすることはないと思うよ。他の人は他の人、みんなはみんな。それでいいじゃないか」
「でも、でも……」
うん、そうだよね。簡単には割り切れないよね。コンプレックスというものは、かくも根深いものだ。
うちの妹も、秘かに胸が小さいことを気にしているようだし。無駄だとわかっていても、割りきれない何かがあるのだろう。
「でも、目って、多い方がいいんですよね? 100個ぐらいあった方が、魅力的なんですよね?」
「大丈夫。きっと、そのうち、気にならなくな……え? 何だって?」
「だから、目の数です……。多い方がかわいいですよね……」
「え?」
この子はいったい、何を言っているのか。ちょっとよくわからないです。
「わたしがもっとちっちゃな頃に、ヘカトンケイルさんってアイドルが町に来たんですよ。あの人は、かわいかったなあ……目なんて100個もあって、ぜーんぶ、キラキラ輝いているんですよ。それに比べて、私なんて、一つしか目がないから……何だか、はずかしくなっちゃって」
「そういうことだったのかあ」
ああ、なるほどなあ。ヘカトンケイルさんはかわいいものなあ。僕の友だちも、彼女の歌を聞いては、あの目に見つめられ、あの腕に抱かれたい! って叫んでいるぐらいだし。
それだけ、ヘカトンケイルさんは魅力的だ。不動の人気を誇るアイドルだというのも、うなづける話だ。
「だけど、一つ目も、かわいいよ?」
「え……」
きょとんとしたクロッカちゃんの顔。その目は大きく見開かれ、瞳は鉄色に輝いている。
「うん、やっぱりかわいい」
「そ、そんなことないです……」
そそくさと店の奥へと引っ込んでいくクロッカちゃん。あらら、恥ずかしがらせちゃったみたいだ。
う~ん、彼女のコンプレックスが解消されるのは、いつになることやら。
まあ、気長に待っていれば、そのうち消えてなくなるんじゃないかな、とも思う。
あれだけかわいい子なんだ。きっと、僕意外にも、彼女の単眼をほめてくれる人も出てくるだろう。
「だから、強く生きるんだよ、ハナちゃん」
「なんでわたしの胸を見ながら言うの?」
妹の怒りのハイキックは、とても痛かったです。