夜を歩く
「お兄ちゃん、手紙が来てるよ」
夕方、家に帰ってくると、妹が指で挟んだ手紙をピラピラと揺らしていた。
それを受け取り、僕はソファーに腰を下ろす。
「うん? 誰からだろう?」
何だか、妙に高級感溢れる封筒だなあ。
白く上品な紙に、赤い封蝋。わずかに散らされた金色の飾りも見事だ。
こんなセレブっぽい手紙を受け取ったのは、生まれて初めて。いったい、送り主は誰だろう。
封を切って、中から手紙を取り出す。なになに……。
『サクマユウト様。 まんげつの夜に、お茶会をひらきます。めずらしいおかしに、ここでしか飲めないようなお茶を用意して待っているので、ぜひ、来てください。 ルサルチカ・アルムース・ミッドナイト』
ルサルチカ? ああ、あのゴーストなお姫様かあ。
まだ知りあって間もないのにお茶会に呼んでくれるなんて、嬉しいことだ。これは是非、行かなくっちゃね。
「それにしても、満月っていつだろう」
テーブルの上にたたんで置いてある新聞を広げる。さて、次の満月は、っと……。
「って、今日じゃないか」
今月、月が満ちるのは、今夜だそうだ。とんだサプライズに、思わず苦笑した。
ずいぶん急な話だなあ。単なる思いつきなのだろうか。それとも、僕を驚かせるため?
どうにも後者っぽいな。お姫様の悪戯っぽい微笑みが頭に浮かぶようだ。
「誰からの手紙だったの?」
ソファーに寝転がったままの妹が、僕の太ももに頭をのせながら聞いてくる。
「お姫様からだったよ。今晩、遊びに来ませんか、って」
「はいはい、お姫様ね、お姫様。夜遊びはほどほどにね」
うわ、すっごい生返事。本当の話なのになあ。
「と、いうわけで、僕は出かけるので、お留守番をよろしく。ご飯は作っておくから、残さず食べるんだよ」
「お肉なら食べるよ」
「今日はお魚です」
「え~!」
ぴしぴし僕の膝を叩く妹の頭を軽く小突き、立ち上がる。
そして、台所に移動しながら、何を作るか考える。
今日は鮭のホイル焼きにでもするかな。これならハナちゃんも、残さず食べてくれるだろう。
メインのおかずを決めた僕は、冷蔵庫の中から秋鮭の切り身を取り出した。
「確か、この辺りに……ああ、あったあった」
家から歩いて五分の裏山を、しばらく歩きまわる。日が沈んでいて、ちょっとわかりにくかったけれど、何とかミッドナイト城を見つけることができた。
やあ、相変わらず立派なお城だなあ。
僕の背丈をはるかに越える観音開きの正門に、つんと尖った四つの塔。窓から漏れる光の柔らかさと、燃え盛って外壁を照らす、松明の光の激しさの対比も面白い。
「門の両脇に置かれた、二つの甲冑も見事だなあ。まるで狛犬みたい」
『我々はデュラハンです』
頭のない甲冑たちが、サッとプラカードを掲げる。
「ああ、デュラハンさんでしたか。これは失礼を」
『いえいえ』
お気になさらずと手をふるデュラハンさんたちに頭を下げ、僕は正門から城の中に入った。
二階まで吹き抜けの玄関ホールは、シャンデリアとランプで明々と照らされている。そして、正面の大階段まで道を作るように、メイドさんが左右にずらり。
おお、圧巻だ。さすが、お姫様のお家。お出迎えが、とても王族っぽい。
「ようこそいらっしゃいました、ユウト様」
「ああ、セバスさん。こんばんは。お招きいただき、ありがとうございます」
正面階段前にひかえていた、麗しの執事セバスさんと、挨拶を交わす。
う~ん、相変わらず美形な人だなあ。わずかにキラキラと輝いてすら見える。
「輝かせているのですよ」
「そうでしたか」
ゴーストってすごいなあ。そんなこともできるのか。
「さて、ユウト様。姫様方がお待ちです。こちらへどうぞ」
「方? 他に誰かいるんですか?」
「ええ、ルサルチカ様と親交のあるお嬢様方が、四名、おいでになっています」
「は~、四人も」
てっきり、お姫様と二人でお茶を飲むものだとばかり思っていた。
でも、考えてみれば、僕はお茶会にお呼ばれしたんだ。「会」というからには、それなりに参加者がいてもおかしくはないよね。
「わかりました。行きましょう」
「ええ、こちらへどうぞ」
セバスさんに案内され、僕は玄関ホールの正面階段を昇る。そして、突き当たりで左右に分かれた階段を右に曲がり、僕は二階へと上がった。
そして、長い廊下を抜け、大きな扉をくぐると、甘い香りがぷんと鼻をくすぐった。
どうやらお茶会の会場は、ここらしい。
広々としたバルコニーには長テーブルが設置され、その上には様々なお菓子が並んでいる。
空中にはティーポットが浮かんでいるし、宙を舞う人魂が、ケトルに入った水を温めている。
やあ、いかにもゴーストのお茶会って感じだ。なかなかのご趣向だなあ。
「しかも、面子がすごい。みんな、どうしてここにいるの?」
「あう♪」
ぼふっと僕のお腹に抱きついてきたのは、先日知りあったばかりのゾンビちゃんだ。
青白い肌に巻いた包帯はそのままだけど、黒いドレスでおめかししている。何だか、いいとこのお嬢様みたいだ。
「それはこちらの台詞だ。異世界に消えたはずのお前が、どうしてここにいるのだ。もしかして、薬は失敗作だったのか?」
「リッチさんまで」
お金持ちで、薬を作るのが得意な女の子が、僕の体をペタペタと触ってくる。
この子は前に会った時と同じ、ボロボロのローブだけを着ている。やはりこの服装は、王城でも通用するようなリッチなファッションなのだろうか。
「それに、スケルトンさんに、アクシエラさん。みなさん、お知り合いだったのですか?」
「ええ、そうなんです」
「みんな、お姫様のオトモダチなの。ふふっ」
椅子に座ったままこちらに会釈をしてくるのは、骨格標本みたいな女の子、スケルトンさんだ。
金糸で刺繍がほどこされた青色のドレスで、骨の白さが引き立てられている。
逆に、アクシエラさんはいつも通りの服装だ。
白いシャツに、黒いズボン。裏地が赤い、黒マント。赤い宝石を金具にあしらったポーラー・タイ。いかにもヴァンパイアといった装いだ。
いつも通りではあるんだけど、むしろ、それがいいと思えるほどにきまっている。
例えるならば、あんぱんと牛乳。どちらも、これしかない! という組み合わせだ。
「あら、私はあんぱんにはお茶派よ?」
「ええ? じゃあ、あんまんにもお茶ですか?」
「ええ」
信じられない……同じ人間とは思えない。
あ、アクシエラさんはヴァンパイアか。
『くすくすくす。アンパンってなあに?』
「わっ、お姫様」
アクシエラさんのとんでも発言に愕然としていたら、背中に誰かがのしかかってきた。と、同時に、首に回される手。
抱きつかれているのに体重を感じない。しかも、腕がひんやりと冷たい。間違いない、ゴーストのお姫様だ。
お姫様は、くすくすと笑いながら、僕の顔を横からのぞきこんでくる。
『アンマンってなあに? ねえ、教えて?』
澄んだ緑色の瞳が、問いかけてくる。知らないことを教えてと、小鳥のようなさえずりで、僕の耳をくすぐってくる。
うちの妹も、昔はこんな感じで無邪気だったなあ。
お姫様のささやきに、ほんの一瞬、遠き日に思いを馳せた。
すると、首に回されていた手が、するりと解かれる。あれ? あんぱんについては、もういいのかな?
不思議に思って振り向いてみたら、お姫様はセバスさんに抱きあげられていた。
「姫様。そうみだりに男性に抱きついてはいけませんよ」
『そうなの?』
「ええ、そうです」
『そうなんだ。くすくすくす……』
笑い声とともに、すうっと消えるお姫様。しかし、次の瞬間には、横から僕の腕を引いていた。
『さあ、お茶会をはじめましょう。おいしいおかしが、いっぱいあるの』
お姫様に誘われ、僕はお茶会の席へとつく。向かいの席にはゾンビちゃんが座り、左隣にはリッチさんが座った。肝心のお姫様はというと、ふわふわと空中を漂っている。
一応、上座が用意されているんだけど、座らなくていいのかな?
「姫様は、一つところにじっとしているよりも、宙に浮かんでいる方が気が楽なんだそうです。だから、このお茶会も、堅苦しいものではないんですよ。好きにおしゃべりをして、好きにおかしを食べていいんです」
「そうなんだ」
向かって右斜め前に座るスケルトンちゃんが、丁寧に教えてくれた。
お城のお茶会だなんていうから、少し息苦しそうなものを想像していたんだけど、何てことはない。実質は、友だちで集まって遊ぶのと、そう変わりはなさそうだ。
「そうとわかれば、さっそくお茶をいただこうかな。少しのどが渇いちゃって」
空のティーカップを、軽く持ち上げる。すると、宙に浮いていたティーポットが、すいーっと滑るようにやってきて、お茶を注いでくれた。
おお、これはすごく便利だ。
「念力とかで動かしているんですか?」
「いや、これは人が動かしているんだ。透明になったゴーストが、茶器を持っているだけ」
「人力でしたか」
隣のリッチさんが教えてくれた、まさかの真実。感動を返して欲しい。
「ん……でも、お茶とお菓子は感動的だなあ。これなんて、すっごくおいしい。何ていうお菓子だろ?」
真っ白いサイコロのようなお菓子を、もう一度、口に入れてみる。
噛むと確かな弾力で歯を押し返してくるんだけど、噛み切ってしまえば、ほろほろと口の中で崩れてしまう。
甘さも上品だし、後味も爽やか。今までに味わったことのないお菓子だぞ、これは。いったい、何て名前のお菓子だろう?
「あう~」
「え? ミロロッパ・モロンロだって? そうか、焼くとこんな味になるんだ」
お向かいのゾンビちゃんが、謎のお菓子の正体を教えてくれた。なるほど、これはミロロッパ・モロンロだったんだ。
生の時とは、まったく違った味わいになるんだなあ。とても興味深い食材だ。
「でも、よく知ってるねえ、ゾンビちゃん。やっぱり、好物だから?」
「ふふ、何を言っているの。ミロロッパ・モロンロはね、彼女が住んでいる市の名産品なのよ。しかも、市長の娘なら、詳しくないはずがないでしょう?」
「え? ゾンビちゃん、市長の娘だったの?」
「あい♪」
えっへんと胸を張るゾンビちゃん。そうだったのか、この子は市長の娘だったのか。道理で、お姫様とも接点を持てるはずだよ。
「あれ? だとすると、スケルトンさんも偉い人の娘さんなんですか?」
やはり、お姫様の友だちともなると、それなりの身分が求められるのだろう。物怖じせず、こくりとうなづくスケルトンさん。
「ええ、私も、父がそれなりの身分でして」
「スケルトンで、それなりの身分? ……ああ、お父さんは、黄金バッ」
「違います」
ばっさりと切り捨てられた。
「ええと、リッチさんはリッチだから」
「何かニュアンスが違うような気がするが、まあ、その通りだ。リッチはリッチというだけで偉いからな」
「アクシエラさんは、トマト農家で、大地主だから」
「……正しくは、大地主で、手遊びにトマトを育てている、ね?」
うん、やっぱりみんな、ここにいるだけの理由や地位を持っているんだなあ。
「ちなみに僕は、我が家のお料理大臣です」
「……あ~、うん」
何故か、僕の右肩にアクシエラさんが手を置いた。
「あ、お掃除大臣や、洗濯大臣でもあります」
「そ、そうか……今日ぐらいは、ゆっくりしていけ。なっ?」
左肩には、リッチさんの手が置かれる。
何だろう、これは。人の肩に手をのせるのがブームなのかな。
「あう~」
「こ、これ、食べてください。おいしいですよ?」
何だか、ゾンビちゃんやスケルトンさんまで、やたら優しくなった。僕、何かしたっけ?
『気にしない、気にしない。くすくすくす……』
「そうだね。うん、そうだ」
お姫様の言う通り。今宵は満月のお茶会だ。細かいことは、気にしないに限る。
おいしいお茶と、おいしいお菓子。そして、友だちとのおしゃべり。ここでは、それが全てだ。
「おっと、プリッツも欠かせないよね」
『おかし? わたしにも、くれる?』
「いいよ。はい、あ~ん」
『あ~ん……ふふっ』
お姫様とプリッツを食べて、にこにこ笑顔。
プリッツが食べられない代わりに甘えてくるゾンビちゃんを膝にのせ、リッチさんとおしゃべりをしたり、アクシエラさんと昔話に花を咲かせたり。
スケルトンさんの歌を聴いたり、とっておきの手品を披露したり。
僕はお茶会で、そんな時間を過ごした。
「あ~、楽しかった」
満月が中天にかかるころ、お茶会はお開きとなった。
僕はみんなに別れを告げ、一人トコトコと帰路につく。
お茶会だなんて、生まれて初めて呼ばれたけれど、いいものだったなあ。お茶もお菓子もおいしいし、みんなとの話も楽しかった。
次は、また月が満ちる日に開催するそうだ。是非、予定を開けておこう。
「こら、そこの君。ニンゲンがこんな時間に何をしている」
「はい?」
帰り道の森の中で、誰かに声をかけられた。顔を向けると、そこには首のない甲冑が立っていて……。
「ああ、隊長さんじゃないですか」
「何だ、君か」
誰かと思えば、デュラハン小隊の隊長さんじゃないか。よく見てみれば、左手に頭がのっていた。
「君は本当に神出鬼没だな。この間、急に消えたと思ったら、こんなところに現れるとはな」
「ああ、その節はご迷惑をおかけしました」
「いや、かまわんよ。人々の安全を守るのも私の仕事だ。君が無事なら、それでいい」
やっぱり隊長さんっていい人だなあ。器も広いし、気配り上手だ。何より、優しい。
「騎士オブ騎士ズですね」
「いやいや。私など、先輩方に比べればまだまだ」
謙虚なところも、騎士っぽい。さすが隊長さん。
「でも、どうして隊長さんがこんな森の中にいるのですか? 部下のみなさんはどうなさったんです?」
「ああ、今日はルサルチカ様がお茶会を開かれていてな。城の周辺に危険があってはならないと、いつも以上に警備を厚くしているのだ。私も、部下も、身回りの最中なのだよ」
「そうだったんですか」
なるほど。道理で、前はいなかったデュラハンが、正門の両脇にいたわけだ。
「危険な生き物の駆除も行ったから、安全だとは思うが、ニンゲンに夜の森は厳しいだろう。城下町まで送ろうか?」
「いえ、慣れていますので」
「む? そうか? なら、いいのだが」
「くれぐれも気をつけなさい」と心配してくれる隊長さんに別れを告げ、僕は夜の森をてくてくと歩いていく。
しばらくすると、近所の田んぼ道に出た。森の木々が遮っていた視界は開け、初秋の夜空が僕の頭上に広がっていた。
喧しいほどのセミの鳴き声はすっかり消え去り、代わりに響くのはちりちりと鳴く鈴虫の音色。
うん、やっぱり、夜の散歩もいいものだ。出会いもあるし、風情もある。
「また夜遊びしてきてー! んもー、ラブ臭いよ、お兄ちゃん!」
でも、お母さんに叱られるので、ほどほどにしておこう。




