リッチ
夜、友だちと花火をした帰りに田んぼ沿いの道を歩いていると、宙に浮かぶローブを見つけた。
茶色い、ボロボロのローブだ。初めは、電線にも引っかかっているのかな、と思ったけれど、どうやら違うらしい。ローブは何に吊り下げられることなく、ふわふわと宙に浮かんでいる。
おかしなものもあったものだと、手を伸ばしてみる。すると、ローブは僕の手を避けるように、スッと後退して、また、ふわふわと宙に浮かんだ。
手を伸ばす。後退する。
手を伸ばす。後退する。
……大きく、踏み込む! 大きく、後退する!
駄目だ。これじゃあ、イタチごっこだ。近づいた分だけ、相手が遠ざかる。どうやっても、つかめそうにない。
「じゃあ、燃やそう」
しゅぼぼぼおおおおおお!
殺虫剤を噴霧し、ライターで火をつける。
「熱っ!? 熱うっ!?」
即席火炎放射を受け、炎に包まれるローブ。しかし、すぐにつむじ風が巻き起こって、炎のみが空の彼方へ飛んでいった。
「やあ、すごいなあ」
まるで打ち上げ花火みたいだ。これはいいものを見させてもらった。
「ふう、満足、満足」
余韻に浸ったまま、僕は帰路につく。ローブを追いかけているうちに、どことも知れない墓場へと迷い込んでしまったようだ。けど、まあ、歩いていたら帰れるだろう。
そう判断した僕は、墓場の外へと歩き出して……。
「おい、待て!」
ぐいと肩を引かれて、強引に振り向かされた。あれ? 人なんていたっけ?
「お前、いい度胸をしているな! いきなり私に火炎魔法を発射するなど、勇者でもしなかったぞ」
「おや」
誰だと思ったら、ちみっちゃい女の子が宙に浮いていた。青い瞳と、ふわっふわの金髪が、とってもキュート。
でも、何で、ボロボロのローブしか着ていないんだろう。うちの妹やお母さんじゃあるまいに。
「しかも、はしっこが少し焦げているじゃないですか。もうちょっと身なりには気をつかった方がいいですよ」
「お前に燃やされたからだ! おのれ! おのれ!」
むきー! と、空中でじだんだを踏むちびっ子。ずいぶんと器用なことをするなあ。
「まったく、人に向けて火炎魔法を使ってはいけませんと、お母さんに習わなかったのか」
「あ、はい、習いました」
「そうだろう? それなのに、今、お前がしたことはなんだ? 反省しろ、反省を!」
「すみません、軽率でした」
まさか、宙に浮かんだボロボロのローブが人だったなんて、思いもしなかった。そんな言い訳は通用しない。大いに反省しよう。
「やはりニンゲンとはろくなものではないな。ミッドナイトでは珍しいと思って観察してみれば、これだ」
「あれ? あなたはニンゲンじゃないんですか?」
ふわりふわりと浮いてはいるが、ゴーストのように透けてもなければ、ヴァンパイアのように牙が生えているわけでもない。この子は、何の種族なんだろう。
「私がニンゲンだと? 馬鹿なことをいう。私はな、高貴なる種族! アンデッドの王! 闇の支配者!」
両手を広げ、ばさりとローブをひるがえし、やたら芝居かかった仕草で説明をするちびっ子。そして、ぐっと間を置いたかと思うと、一際大きな声を出した。
「そう、私はリッチだ!」
「僕は中流家庭です」
「……ん?」
「家のローンも、残っていまして」
「んんん?」
そうか、この子はリッチなのか。ぼろ布一枚の見た目からは、全然わからなかった。
よく、お金持ちの人が理解できないようなファッションセンスを示すことがあるけれど、あの類かな。
「どれぐらいリッチなんですか?」
「お、おお。私はリッチの中のリッチ。リッチ・オブ・リッチーズだ!」
「なるほど」
それなら、一周回って、ボロボロファッションに目覚めることもあるだろう。もしかしてあれかな。ダメージドジーンズとか、そんな感じなのかな。
「そう考えれば、この焦げ目なんて、実に乙な感じで……」
「それはお前がやったんだろう!」
大変申し訳ありませんでした。反省はしています。
「まったく、これだからニンゲンは……しかし、ニンゲンなど本当に珍しいな。我が家に何の用だ」
「え? 我が家?」
ぐるりと辺りを見回す。なだらかな丘には、いくつもの朽ちかけたお墓があり、まばらに生えている木には、葉っぱが生えていない。
クロワッサンのような三日月が、煌々と墓地を照らしているが、そのせいで逆に寂しげな印象を覚えてしまう。
こんなところに、家だって? それらしいものは、どこにもないじゃないか。
……はっ!? も、もしかして……。
「あの木のうろに、住んでいるんですね?」
「はあっ!?」
丘の上に生えている、一際大きい枯れ木の中ごろには、ちびっ子ならもぐりこめそうな穴が開いている。
あれで雨風をしのいでいるのだろう。リッチだと言っていたのは、精一杯の強がりだったのか。なんて不憫な。
「あの、プリッツをあげます。強く生きてください」
「な、なんだ、その優しい目は!? 止めろ! 私を濡れた捨て犬を見るような目で見るな!」
ああ~! サラダ味のプリッツをはたき落されてしまった。まだ袋を開けていないから、セーフとしておこう。
「この墓地は庭で、あの木は玄関だ。勘違いをするんじゃない」
「いいんですよ。泣いたっていいんです。強がらなくていいんです」
「だから、その優しい目を止めろ!」
ああ~! また、差し出したプリッツがはたき落された。今度は、中身が折れてしまったかもしれない。
「くそ、説明するよりも、見せた方が早いな。喜べニンゲン。お前を我が家に招いてやろう!」
「わっわっ」
巨人につまみあげられたかのように、僕の体が宙に浮く。そして、リッチちゃんの後に続いて、すいーっと木のうろに飛んでいく。
「なんだ、【レビテーション】をかけられたのは初めてか? 体を楽に、心を落ちつかせろ。あまり暴れられると、コントロールが狂う」
「わかりました。天井の染みを数えています」
「天井……?」
あれ? 違った? 体を楽にしろ、と言われた時はこう返せと、お母さんに教わったんだけど。
「まあいい。ほら、入るぞ」
「わ~」
三日月が空に浮かぶ、寂しげな丘の上の墓地で。
僕は、枯れ木のうろに、テュポン! と呑みこまれた。
「あれ? ここはどこですか?」
「ここは、我が家だ。あの墓地から一瞬にして移動してきたのだ」
木のうろに入ったはずなのに、僕は石造りの部屋の中にいた。
本や巻き物がごちゃごちゃと散らかった、十畳ほどの部屋。奥には机と本棚が、左右には扉があった。
振り返れば、ぽっかりと壁に開いた穴が。まっ黒くて、向こうが見えないけれど、おそらく、ここから入ってきたのだろう。
「ワープみたいなものですか?」
「む? 空間転移のことか? そうだ、その通り。私の魔法で、墓地と次元の狭間をつなげているのだ」
おや? 聞き慣れない言葉が出てきたぞ。
「次元の狭間?」
「そう、次元の狭間だ。どの世界にも属さない、いわゆる異次元空間というやつだ。ここでは、空間の概念が存在しない。部屋を拡張し放題、散らかし放題だから、とても便利なのだよ」
ドラ○もんの四次元ポケットの中みたいな感じだなあ。それは確かに、便利そうだ。
「でも、いくらなんでも散らかし過ぎじゃないですか? 天井に蜘蛛の巣がはっていますよ」
「リッチらしくていいではないか」
「ネズミもいます」
「うむ。リッチらしくて、実にいい」
リッチな人の感性って、よくわからないなあ。
でも、少し歩いただけで、本の山が崩れてしまうのはどうなのだろうか。日常生活に支障をきたしそうなほど、ごみごみしているんだけど。
「掃除はしないんですか?」
「リッチは掃除などしない!」
おお、いかにもリッチらしい発言。でも、自分で掃除をしないなら、メイドさんを雇えばいいのに。
「さて、せっかく招いてやったのだ。もてなしの一つもしなければな。ニンゲンには珍しいものを見せてやる。こちらについてこい」
「あ、はい。おっとっと」
本の山に難儀しながら、左の部屋へとついていく。いいなあ、リッチちゃんは。宙に浮かぶことができて。
あ、また本が崩れそうだ。あらら、巻物が落ちた。おっと、その弾みで、向かいの本の山が倒れた。
そして始まるピタゴラスイッチ。
本の山のドミノから始まり、巻物が宙を舞い、ネズミが走り回り、羽ペンが落下する。
「まさかこんなことになるなんて」
なぜか、最後にはリッチちゃんが本の山に埋もれてしまっていた。
「な、何故こうなった」
「しっかり。傷は浅いですよ」
ずるずるとローブを引っ張ると、ローブだけが本の山から出てきた。
「い、いやああああああ!!」
「あれ?」
「返せ! 私の一張羅を返すんだ!」
本の山からにょっきりと生えてくる白い腕。ああ、僕はリッチちゃんの最後の砦を奪ってしまったのか。
これは申し訳ないことをした。急いでその手にローブをのせる。
「まったく、どうやったらこうなるのだ。狙ってやったんじゃないだろうな」
「とんでもない」
本の山がごそごそと動く。白い肌を、茶色いローブで隠しているのだろう。う~む、下着や服を着るという選択肢はないのだろうか。
まあ、ファッションセンスは人それぞれだよね。この前なんて、レディーススーツをビシッと着こなした中年男性が深夜の町を歩いていたぐらいだ。裸ローブも、ありといえばありなんだろう。
「ほら、こっちだ。今度は余計なことはするなよ」
「はい」
ローブの前までしっかり閉じたリッチちゃんが、僕の手を引いてくれる。すると、今度は本の山を崩すことなく、左の部屋へ辿り着くことができた。
「おや? この部屋はなんですか?」
書斎風の部屋とはうってかわって、左の部屋は研究室のような様相を見せていた。
本棚の代わりに薬品棚が設置され、部屋の中央の長机には、ビーカーやフラスコがいくつも置かれている。
小さなビーカーを一つ、手にとってみる。すると、中身の黄色い蛍光色の液体が、ポン! と軽い音を立てて、紫色の煙に変わった。
「ここは、実験室だ。私は日夜、ここに籠って、新薬の研究をしているのだ」
リッチさんがピンと立てた人差指をくるくると回すと、立ちこめていた紫煙がビーカーの中へと集まり、元の蛍光色の液体に戻った。
おお、映像の逆再生を見ているみたいだ。すごいなあ。
「ふふふ、これしきのことで驚いているようでは、肝心の薬の効能について知れば、倒れてしまうかもしれんな」
宙に浮かんだリッチちゃんが、長机の上に置かれているフラスコを手に取った。
「例えば、これなどは、飲めば誰でも空を飛べるようになる」
「おお、スゴイですねえ」
「そうだろう? また、これは、飲めばニンゲンが獣に、獣がニンゲンになる薬だ」
「スゴイですねえ。これは全部、リッチちゃんが作ったんですか?」
「ああ、そうだ。ここにある薬は、私のような天才にしか作れんのだ」
「おお~」
パチパチパチと、惜しみなく拍手を送る。リッチちゃんは、へへーんと胸を張り、鼻を高くしている。
うん、それも当然だね。こんな薬、見たことも聞いたこともないや。実際、誇るべきことだと思うよ。
「いよっ、大統領」
「ふふふ、そうだ、私はアンデッドの王なのだ! とっても偉いのだ!」
「きゃー、すてきー」
「うわははは! そんなにほめるでない! このような薬を作るなど、私にとってはどうということはないことなのだ」
そうは言うものの、リッチちゃんはとてもご満悦のようだ。胸を張り過ぎて、ローブの頭巾部分がずり落ちてしまっている。
やあ、何だか微笑ましいなあ。
「ふふふ、お前はニンゲンにしては見る目があるようだな。よし、褒美として、ここの薬をくれてやろう。さあ、好きな薬を一つ選べ」
「あ、はい」
そんなつもりで褒めたんじゃないんだけどなあ。でも、もらえるというのなら、遠慮はしないでおこう。実は、興味津々だったんだ。
う~む、しかし、迷うなあ。長机の上には、ざっと見ただけで、20もの薬があるぞ。
どれも、綺麗な蛍光色をしていて、いかにも効きそうな見た目をしてる。さて、どれを選んだものやら。
「ほれほれ、早く決めるがいい」
リッチさんも急かしている。うん、優柔不断はいけないよね。
じゃあ、僕は、この白黒マーブルの薬を飲みます!
「ん? あ、それはっ!?」
手に持つなり、グイッとフラスコをあおる。何だか、杏仁豆腐のような味がする液体を、ごくり、ごくりと飲み下す。
すると、お腹の中が、カッと熱くなり始めて……。
「おお。これは、『お腹の中がカッとなる薬』だったのですね」
「違う! それは、実験段階の、異世界転移の薬……」
「はい? 何の薬ですか?」
フラスコを長机の上に置き、リッチちゃんへと向き直る。
するとそこには、真っ赤なポストが立っていた。
「……あれ?」
リッチちゃんが、やたら赤くて四角くなった姿、というわけではなさそうだ。
どこからどう見ても、郵便ポストにしか見えない。しかも、とても見覚えのあるものだ。
「あれ? いつの間に、こんなところに来たんだろう」
よくよく辺りを見てみれば、ここは僕が住んでいる住宅街だった。
それも、家から五分とかからない距離だ。
う~ん、いつの間に移動したのか。
「まあ、いいや。かーえろっと」
結局、あの薬は何の薬だったんだろう。
今度会った時に、聞いてみよう。
「今日はリッチな人の家に遊びにいったよ」
「へ~、どれぐらいリッチだったの」
家に帰った僕は、晩御飯の準備をしながら、今日あった出来事を話す。
すると、ソファーに寝そべった妹は、気だるそうに雑誌を読みながらも、話にのってくれた。
「えっとね、天井には蜘蛛の巣がはってて、ごちゃごちゃしたものがいっぱいあって」
「ん? んんん?」
「それで、住んでる女の子は、ローブしか着ていないんだ」
「それってリッチなの?」
「リッチの中のリッチなんだって」
「へ~……お金もってる人のセンスは、よくわからないね」
ごろりと仰向けになって、うん、と伸びをするTシャツパンツ姿の妹。そんなに伸びたら、パンツどころか、おへそまで丸見えだ。
似たようなかっこうのハナちゃんなら、リッチちゃんのファッションセンスも、わかると思ったんだけどなあ。