スケルトン
「すみません、少しいいですか?」
月のない夜、住宅街を歩いていたら、誰かに呼び止められた。振り返ると、そこには首のない人がいた。
「デュラハンさんの仲間ですか?」
首のない知り合いは、あの人しかいない。もしやと思って、聞いてみる。
「いいえ、私は騎士様のように立派なものではありません」
「はあ。では、どちら様で?」
デュラハン以外で、首なしの種族? 何だろう。パッと思いつかない。
「私はですね……」
するすると着ていたコートを脱ぎ始めた女の人。きゃっ、エロス。
月明かりの下、目にもまぶしい大腿骨や、あばら骨が露わになっていく。
って、んん? 骨?
骨ってことは、もしかして……。
「スケルトン、なんですよ」
「ああ、スケルトンの方でしたか」
コートの下には、骨しかなかった。スケルトンだもの。当たり前だよね。
「それで、スケルトンさんが、僕に何の用ですか?」
「あの、それがですね……」
開いていたコートを閉じ、もじもじとするスケルトンさん。ずいぶんと言いづらそうだなあ。
「ああ、トイレなら、あそこの公園にありますよ」
「いえ、トイレではなくてですね」
「ああ、骸骨だったら、おしっこなんてしませんよね」
「ですです」
いやあ、これはうっかり。てんで的が外れたことを言ってしまった。ちょっと恥ずかしい。
しかし、トイレじゃないとすると、何なんだろう? スケルトンさんは、まだもじもじとしている。
言ってくれなきゃわからないが、また迂闊なことを聞いてしまうのもさけたい。う~ん、どうしたものか。
「こらこら。女性の言いたいことぐらい、察してあげなきゃ駄目ですよ」
「あっ、旅の人」
聞き覚えのある声に振り返れば、大きなリュックサックを背負ったリザードマンさんがいた。緑の鱗に、金色の瞳。間違いない。旅の人だ。
旅の人は、スケルトンさんに会釈をした後に、僕の耳元に口を寄せた。そして、大事なことを、そっと囁いてくれた。
「いいかい、ユウト君。彼女は頭がい骨がないから、困っているんだ。でも、スケルトン族が、大事な大事な頭がい骨をなくしたとあっては、大きな恥。だからこそ、助力を求めたくても、自分の口からは言えなかったというわけですよ」
「ああ、そういうことだったんですか。僕も、頭がい骨がないのはおかしいと思いました」
旅の人はにっこりと微笑むと、僕の頭をポンと撫で、使い古されたリュックを背負い直した。
「自分の直感を、大事にしなさい。それは、大切なことですよ」
「はい、気をつけます。いつもいつも、ありがとう、旅の人」
「いえいえ。では、私はこれで」
トカゲのような尻尾をゆらゆらと揺らし、森の方へ去っていく旅の人。やっぱりあの人は、頼りになるなあ。
「お待たせしました。スケルトンさんが何に困っているのか、わかりましたよ。ずばり、頭がい骨のことでしょう?」
胸の前で両手をきゅっと握り、うなづくような仕草を見せるスケルトンさん。
「ええ、そうなんです。恥ずかしい話なのですが、月光で虫干ししている最中に、野良わんこに持っていかれてしまったのです」
「それは災難でしたね」
「はい……このままだと、私の頭がい骨が、わんこのおやつになっちゃいます」
「骨っこにされちゃうんですね」
「ぶるぶる……それだけは、勘弁してもらいたいです」
悲惨な未来を想像したのだろう。スケルトンさんは、全身の骨をカタカタと鳴らして、震えていた。
何だかかわいそうだなあ。うん、ここは手伝うしかないね。
「わかりました。僕も、スケルトンさんの頭がい骨を探すのを、手伝いますよ」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
深々と頭を下げるスケルトンさん。頭がないのに、頭を下げるとはこれいかに。
「さて、探すのはいいとしても、手がかりがなければ、どうしようもありませんね。何か、あてはあるのですか?」
「あ、はい。私の頭がい骨なので、だいたいの場所はわかるんですよ。でも……」
「でも?」
位置がわかれば、他に問題点なんてないんじゃないかな?
スケルトンさんは、またも言いよどむ。
「あ、もしかして、地面に埋まっているとかですか? 任せてください。ダウジングは得意です」
Lの字に曲げた金属棒を二つ、取り出してみせる。みょんみょんみょん。むっ、凄い反応だ! 地下に巨大な建造物が、埋まっている!
「いえ、そうではなくてですね」
「そうですかあ」
ダウジングはいらなかったのか。今夜はどうにも勘が鈍っているなあ。気まずさからいそいそと金属棒を懐に戻し、後ろ頭をかいた。
「実はですね、私の頭がい骨は、町にあるのですよ」
やがて、腹をくくることができたのだろう。スケルトンさんが、頭がい骨の場所を教えてくれた。
「町? 町というと、駅前のことですか?」
あそこまで行くとなると、ちょっと遠いなあ。
「いいえ、鎖骨町です。私の頭がい骨は、どうやら鎖骨町にあるみたいなんです」
おや? まったく知らない町の名前が出てきた。鎖骨町なんて町、この近くにあったっけな。
「それにしても、鎖骨って何だかえっちい響きですね」
こう、そこはかとないエロスを感じる。
「はあ~……ニンゲンのあなたも、そう思いますか。そうなんですよ。実は、鎖骨町は、響きの通り、えっちい町なんです」
「ええ!? えっちい町って、年がら年中サンバとかしているんですか!?」
「はい。グラマラスな骨格のスケルトンたちが、服も着ずに踊り狂っているんです。他にも、お骨酒っていって、女スケルトンの骨盤にお酒を注いで飲んだりするんですよ」
きゃっ、エロス。なるほど、鎖骨町とは、色街だったのか。
しかし、すごい町だなあ。そんなところに、スケルトンさんの頭がい骨はあるのか。
「今ごろ、頭がい骨を杯にされていたりして」
「いや~! 考えたくないです!」
このままだと、金箔まで貼られてしまうかもしれない。そうすると、スケルトンさんが、黄金バッ○みたいになってしまう。
いけない! 急がなくちゃ!
「さあ、行きましょう。鎖骨町とは、どこにあるのですか?」
「ああ、よかった。ついてきてくれるんですね。男の人がいれば、私も安心して、あのみだらな町を歩けます。さあ、来てください。鎖骨町は、こちらです」
スケルトンさんに腕を引かれ、僕は夜の住宅街を歩く。
路地を右に曲がり、左に曲がる。そして、ポストの周りをぐるりと回って、また左に曲がると……。
目の前に、にぎやかで煌びやかな色街が広がっていた。
「ボウヤ、遊んでいかない? お姉さんの肋骨、触らせてあ・げ・る」
「ボク、そんな首なし女よりも、私と一緒にいいことしない? ねえ、この骨盤の張り、スゴイでしょう?」
鎖骨町は僕の想像以上に刺激的で、数分も歩かない内に、くらくらしてきた。
表通りを歩けば、グラマラスな骨格のお姉さんたちが陽気なリズムに乗って腰をふりたくっていて、脇道にそれれば、セクシーな骨格のお姉さんたちが僕を誘惑してくる。
これがスケルトンだらけの色街、鎖骨町か。妹やお母さんのせいで、女性の際どい姿には見慣れている僕だけど、本格的なアダルトは、まだ早過ぎるようだ。
「鼻血が出そうです」
鼻をつまみながら、夜空を見上げる。すると、宿の二階の窓から顔を出していた、頬骨がかわいらしい女の子と目が合う。にこりと笑って、手をふってくるスケルトン少女。何だか妙に、かわいらしく見える。
あわわ、どこもかしこも、刺激でいっぱいだ。さすが色街。さすが鎖骨町。
「ほ、ほら、ユウトさん、行きましょう!」
「あ、すみません」
スケルトンさんが手を引いてくれなければ、僕はこの街に漂う色気に負けていただろう。う~む、恐ろしいことだ。鎖骨の魅力、恐るべし。
「ええい、負けてなるかー! スケルトンさん、早く頭がい骨を探しだしましょう。捜査に集中すれば、雑念は跳ね除けられるはずです」
「ユウトさん! そっちはサンバストリートです! 言ってることとやってることが違いますよ!」
「おっとっと」
もう一度、情熱的なサンバが見たくて、つい。
悪気はなかった。反省している。
「私の頭がい骨はこちらです。こちらに、来てください」
「はい、わかりました」
スケルトンさんに手を引かれ、僕は町の奥へ、奥へと進んでいく。
「うう、お酒臭い……」
スケルトンさんが肩をすくめ、歩調をわずかに緩める。それもそのはず、奥に進むにつれて、治安が段々と悪くなっていく。
道端には、全身を真っ赤に染めた、酒瓶を抱えたスケルトンが転がっているし、客引きのお姉さんたちの骨にはタトゥーが目立ち始める。
肋骨を鋭く磨き上げたパンクなお兄さんはいるし、ぶっとい骨の、用心棒みたいなおじさんまでいる。
これは、何だかきな臭くなってきたぞ。
そう思った矢先のことだ。僕らがスケルトンたちに襲われたのは。
「きゃあ!? な、何をするんですか!?」
「おわっと。乱暴だなあ、もう」
突然、後ろから突き飛ばされ、少し広めな袋小路へと追いやられる僕とスケルトンさん。
何だ何だと見回してみれば、そこには十人ものスケルトンたちがいた。
いったい、何の用だろう。
「おい、姉ちゃん。お前、これを探しているんじゃねえのか?」
黒い革ジャンとジーパンを身につけ、シルバーアクセサリをジャラジャラと装着しているスケルトンがいた。
彼は、右手で一つの頭がい骨をつかみ、僕らに見せつけた。
「あっ、そ、それは、私の頭!」
どうやらあれが、僕たちが探していたもののようだ。無事に見つかって、よかった、よかった。彼にはお礼を言わないとね。
「すみません、保護してくれていたようですね。助かりました」
ぺこりと頭を下げる。すると、一拍置いて、ドッとスケルトンたちが笑いだす。
「おいおいおい、お前、今の状況がわかっているのかよ!」
「え? それを返してくれるのでは、ないのですか?」
「ちげーよ、バーカ! 俺たちはこれを使って、面白いアソビをすんだよ! ニンゲンは黙って見てろ!」
革ジャンスケルトンが、スケルトンさんの頭がい骨を、バスケットボールのようにくるくると回し始める。
ええ? いったい、何が始まるんだ?
「おう、姉ちゃん。お前、いいとこのお嬢ちゃんみてーだな? 骨の白さが、俺らとは全然違うぜえ」
これ見よがしに、頭がい骨を撫で回してみせる革ジャン。隣に立っているスケルトンさんが、ゾゾゾ、と身震いしていた。
「わ、私の頭がい骨を、どうするつもりなんですか? お、お金なら払うので、返してください」
か細い声で、頭がい骨を返してというスケルトンさん。でも、革ジャンはそんな彼女を笑う。
「金ぇ? 金なんていらねーよ! この街じゃあ、金なんてなくても、面白おかしく暮らせるんだ。そんなもんが欲しくて、これをゴミ捨て場から拾ってきたわけじゃあねえんだぜ」
革ジャンはカラカラと高笑いをする。スケルトンさんの震えが、大きくなる。
「俺はな……お前みてえなお嬢さんの、下品な姿が見てえのさ。それも、とびきりのな」
そう言うや否や、革ジャンが、懐からスプレー缶を取り出した。それを見て、スケルトンさんは鋭い悲鳴を上げた。
「ああっ!? や、止めて! それだけは止めて!」
革ジャンは、そんな彼女の悲痛な叫びを聞いて、にんまりと笑った。
「どうやら察しがついたみてえだな? おお、そうさ。これから俺は、お前の頭がい骨を……」
「やだ、やだあ!」
「ドギツイ金色に染めてやる!」
「いやああああああああああ!!」
よほど嫌なのだろう。スケルトンさんは、がくりと膝を突いて泣き叫ぶ。
見ていられない。可憐な少女であるスケルトンさんを黄金○ットにするなんて、どうかしている。そんなことは、止めてもらおう。
「革ジャンさん。スケルトンさんが嫌がっていますよ。止めてくださいよ、こんなことは」
「ああ!? 止めるわけねえだろ! 無垢なオンナを、サイコーに下品な見た目にしてやれるんだぜ! こんな面白いこと、誰が止めるかよ!」
革ジャンは、今にもラッカースプレーを吹きかけそうだ。もう、迷っている時間はない。どうにかしなくちゃ。
「本当に、止めてはくれないんですね?」
「くどいぞ!」
「ここにお米券があります。これと引き換えては、もらえませんか」
「それも魅力的だが、断る! 俺はパン派なんだよぉ!」
「交渉、決裂ですね」
やはりパン派は、血も涙もない鬼だ。もう、容赦などしていられない。
ならば――――!
「こーーーーーーーい! 竜巻号ーーーーーー!」
僕は、呼んだ。対スケルトンにおいて、猛威を振るうであろうあの子を、呼んだ。
そして、あの子は、僕の呼びかけに応えてくれた。
「アオーーーーーーーン!」
「げええっ!? あ、あれは!?」
したっぱスケルトンたちが、慌てている。だけど、もう遅い。猛獣は解き放たれた。さあ、行け! 竜巻号!
「わんわん!」
「い、い、犬だあああああ!」
薄暗い路地裏に、こげ茶の塊が駆けこんでくる。我が家の番犬、竜巻号だ。
精悍な顔立ち。くるりと丸まったしっぽ。豆柴らしい小さな体には、生命力がみなぎっている。
「わううううう!」
「や、止めろ! 俺の大腿骨は骨っこじゃねえ! 止めろ! 止めろお! コリコリするなああああ!」
竜巻号は、容赦を知らない。呼んでしまえば、敵に未来はない。ほら、今もまた一人、どうと地面に倒れ伏した。体中に刻まれた歯型が、何とも情けなく見える。
「お、俺が悪かった! 頭がい骨は返す! な、な? それで許してくれえ!」
最後に残った革ジャンが、地面に這いつくばって命乞いをする。だけど、もう遅いんだ。竜巻号は、まさしくトルネードだ。一度動き出したら、止まらない。
「ごめんね」
「やめ、やめっ! ああ、ああああああ!!」
革ジャンに竜巻号が飛びかかった。
竜巻号は、やっぱり、容赦なんてしなかった。
「すみません、助けていただいて。本当に、恩にきます。わんちゃんも、ありがとうね?」
チラリとスケルトンさんを見て、また前を向く竜巻号。うちの豆柴ちゃんは、あんまりよその人には媚びないんだ。だから、代わりに僕が返事をしておく。
「竜巻号は、気にするなって言っています。僕もそうですよ。大したことじゃないので、気にしないでください」
実際、活躍したのは竜巻号だしね。僕は何もしていない。
「いいえ、貴方がいなければ、私は今ごろ金色スケルトンでした。本当に、恩を感じているのですよ」
スケルトンさんが、頭を下げる。今度はちゃんと、頭つきの礼だ。言葉通りの行動になっている。
「このご恩は、近いうちに必ず返しに行きます。では、私はこれで」
軽く会釈をして、夜の闇に去っていくスケルトンさん。本当に、お礼なんていいのにな。
「さて、僕らも帰ろうか、竜巻号」
リードを軽く引いてやると、スッと立ち上がる豆柴ちゃん。やっぱり、この子は賢いなあ。それに、いつも助けてもらっている。
「帰ったら、骨っこをあげようね」
ぴこりと、一度だけ尻尾を揺らす竜巻号。あれ? 反応が薄い。
「ああ、そうか。ごめんね。骨は、さっき散々かじっていたね。じゃあ、ささみジャーキーをあげよう」
今度は、ふりふりふりと、機嫌良さそうに尻尾をふる、我が家の愛犬。
「竜巻号は、ささみが好きだもんね?」
竜巻号は、答えない。代わりに、ふりふりと尻尾を揺らす。
そんな物静かな豆柴ちゃんと一緒に、僕は家路を、ゆっくりと歩いた。