デュラハン
僕は散歩が好きだけど、走るのも案外、好きだったりする。
走るといっても、全速力とか、そんな走りじゃないよ。
のんびり、のんびり。一定のリズムで、頭をからっぽにして、走る。いわゆる、ジョギングというやつが好きなんだ。
だから、僕が所属している一ノ瀬高校柔道部の練習に、走りこみが多いのは結構嬉しかったりする。
「一ノ瀬~! ファイ、オッ、ファイ、オッ!」
「ファイ、オッ、ファイ、オッ!」
キャプテンのかけ声に合わせ、僕ら平部員も声をあげる。
声にリズムに乗って、どこまでも続いていそうなあぜ道を、僕ら柔道部員は一列になって進んでいく。
一ノ瀬高校の周りは山と田んぼしかないからなあ。当分、このままだろうね。
でも、それがいいんだ。変化が少ないほうが、ジョギングには向いている。目まぐるしく景色が変わったりしたら、のんびり走りを楽しむこともできないよ。
このままでいいんだ。たった十人の部員仲間たちと、変化に乏しい田舎道を走っていく。
一定のリズムでかけ声をあげながら、ひたすらに走っていく。それがいいんだ。
「ミッドナイト~! ファイ、オッ、ファイ、オッ!」
そうそう、こんな感じにね。
「ところで、山田くん。何で甲冑なんて着ているの?」
目の前を走っている山田くんが、ちょっと目を離した隙に西洋甲冑を身につけていた。
「しかも、首がないよ。大丈夫なの、それ?」
首なし山田くんは答えない。代わりに、グッと親指を立てて応えてくれた。
なぜハンドジェスチャー? ああ、頭がなければ喋れないか。
しかし、前から自分の体に頓着しない人だとは思っていたけれど、まさか頭をなくしても大丈夫と言い張るとは。さすがにまずいんじゃないだろうか。
ここは一つ、先輩方に注意してもらおう
「って、先輩方もですか」
山田くんの更に前を走る先輩方も、みんな甲冑姿に首なしだった。おかしいなあ。いつから西洋甲冑は柔道の正式ユニフォームになったんだ?
たずねようにも、みんな頭がなくては言葉を交わせない。
……いや、かけ声を出していた人がいたはずだ。その人に聞けばいい。
そう思って、列の先頭まで回りこんでみた。
すると、そこには女性用の甲冑を着込んだキャプテンがいた。
「キャプテン、練習中に女装はよくないと思いますよ」
「いきなりなんだ、お前は。失礼な奴だな。私は生まれたときから女だ」
「あれ?」
よく見ると、キャプテンじゃない。兜の下の顔は、確かに女性のそれだ。
「むっ、貴様、ニンゲンか? 何用だ?」
走りながら、甲冑姿の女性が問いかけてくる。
「いや、僕、練習中だったんですけど……いつの間にか、みんな鎧を着込んでいて」
「何を言うか。我らデュラハン、いついかなる時も甲冑を身につけるのは当たり前のことだ」
「え? デュラハン? デュラハンというと、あの首なし騎士の……」
「そうだ。我ら死霊騎士団、第二小隊は、全員デュラハンだ」
ほら、と、自分の頭を取り外してみせるデュラハンさん。おお、アンパンマ○みたい。
「アンパン○ンみたいでかっこいいですね」
「そうか? よくわからんが、ありがとう」
頭を元の位置に戻しつつ、デュラハンさんが礼を述べてくる。
しかし、この走りこみをしている人たちは、柔道部のみんなじゃなかったのか。
いつの間にはぐれたんだろうか?
「今度は君の番だ、ニンゲンの子よ。ミッドナイトは死霊の国。見境のない悪霊も多くいる。なぜ、ニンゲンがそのような軽装で生きていられるのだ? 仲間はいるのか?」
「はぐれたんです」
「そうか、キャラバンか何かからはぐれたか。それは難儀だな」
本当に、みんな、どこに行っちゃったんだろう?
「全隊~、止まれっ!」
先頭の女デュラハンさんが急に立ち止まり、号令を発した。すると、後続のデュラハンたちが走るのを止め、ぞろぞろとこちらに集まってくる。
「緊急事態だ。訓練は、一時中止とする。今は、この子をどうするか、考えよう」
『了解』
『かしこまり』
『ニ、ニンゲンの男の子だぁ! お、お姉さんと遊ばない? ぐへへ』
ずらりと整列した九人のデュラハンたちが、一斉にプラカードを掲げる。ああ、なるほど。頭がない時は、こうやって意思の疎通を図るのか。よく考えられているなあ。
「改めて、紹介しよう。我ら、ミッドナイト王国所属、死霊騎士団、第二小隊。見ての通り、構成員は全員デュラハンで、私は彼らの隊長だ」
かぽりと、頭を取り外してみせる隊長さん。脇に抱えられた頭の、セミロングの白髪が、さらさらと風になびいている。
「あれ? 他のみなさんの頭は、どこにあるのですか?」
先ほどから、デュラハンらしく頭をつけたり外したりしているのは、隊長さんだけだ。他のみんなは、ずっと首なし状態のまま。
鷹にでも持っていかれたのだろうか?
「ああ、訓練や任務中に頭を装着できるのは、隊長格の者だけなんだ。普段は、遠隔操作の訓練も兼ねて、頭は城や砦に保管している」
「遠隔操作? みなさん、遠隔操作で体を動かしているのですか?」
『イエス』、『その通り』と書かれたプラカードが、バッと挙げられる。すごいなあ。自分の体を、ラジコンみたいに遠隔操作できるだなんて。
「じゃあ、ラジコンヘリみたいに、空も飛べるんですか?」
『それは無理』
『かなり無理』
『お姉さんがお空に連れて行ってあげるわ! ハァハァ』
どうやら空は飛べないようだ。ちょっとだけ、期待してしまった僕がいた。
「さて、次は君の番だ。君は、どこの国の者で、誰と一緒にミッドナイトに来たのだ?」
隊長さんが、ずいと顔を突き出して聞いてくる。
「僕は、極東の島国、日本の人間で、先ほどまでは、先輩たちと一緒にいました」
「なるほど、極東か。遠い所から来たのだな。しかし、先輩たちだと? キャラバンの仲間ではなく? 先輩たちとは、何の先輩だ」
「柔道部の先輩です」
「ジュードー?」
「東洋の武道の一種です。前回り受け身と、エビ、逆エビを繰り返して、強くなります」
くるん、すたん、と前回り受け身をやってみせる。そこから、後ろに倒れ、エビのような動きで頭上の方へ進む。更には、肩と足で地面を蹴り、足の方へも進んでみせた。
「エビはともかく、逆エビとやらは、どのあたりがエビなのだ……?」
そこを突かれると、つらい。
「しかし、所属しているのがキャラバンではなく、武道家集団だったとはな。ミッドナイトには、修行の旅の途中で立ち寄ったのか?」
「日本で走り込みをしていたら、いつの間にかこの国にいました」
「東洋からここまで走ってきた!? 化け物の集団かっ!?」
首なし騎士さんに、化け物だと言われた。
「い、いや、しかし、君はそこまで強そうには見えない」
「はあ。よく言われます」
「だから、先ほどの話も信憑性が薄いな」
「と、言われましても」
本当のことしか、言ってないんだけどなあ。
ぐむむと、僕に疑わしげな目を向けてくる隊長さん。う~ん、どうやったら、信じてもらえるんだろう。僕も頭を悩ませる。
「なあ、お前たちはどう思う?」
部下に意見を求める隊長さん。それに応え、プラカードがバッと挙がる。
『晩飯の話ですよね? 肉がいいです』
『焼き魚を希望』
『極東の男の子、テイクアウトで』
「そうか、お前ら、死にたいらしいな」
すらりと鞘から抜かれる、白い刃の長剣。部下デュラハンたちは、『あひー!?』とプラカードで叫びつつ、全力で土下座をした。
「まったく、これだから、お前たちはいつまで経っても頭持ちになれないのだ。まだまだ、精進が足りんぞ」
剣を鞘に戻し、パチンと留め金をかける隊長さん。うちのキャプテンもそうだけど、リーダーっていうのも、大変そうだなあ。
「しかし、どうしたものか。砦に連れて帰るか? それとも、少し遠いが、街まで連れていくか。君はどうしたい?」
「あれ? 砦? みなさん、お城から来たんじゃないんですか?」
「ああ、我が隊は、砦に駐屯しているのだ。ミッドナイト城には、親衛隊でなければ、勤めることはできんな」
「そうでしたかあ。近くにいるのなら、お姫様に挨拶をしようと思ったのですが」
僕がそう言うと、デュラハンたちが『わはは!』と笑った。隊長さんも、困ったような顔をして、苦笑している。
「え? どうしたんですか、みなさん」
知らず知らずのうちに、おかしなことでも言ってしまったのだろうか。
僕は困った顔をしていたのだろう。隊長さんが、口元から手を離し、説明をしてくれる。
「君、我らが姫君、ルサルチカ様には、おいそれと出会えるものではないのだよ。我々でさえ、式典の際にしか、お目にかかることはできない」
「ゴーストは透明ですからねえ」
「いや、それは関係なくてだな」
あれ? じゃあ、なんで?
「ルサルチカ様は、唯一の王族だからだ。ルサルチカ様には、親も兄弟も親類もいない。彼女がいなくなれば、千年続いたミッドナイト王家は途絶えてしまう。だから、普段はセバス殿たちに守られ、王城の奥で過ごされておられるのだ」
ええ? お姫様って、そんなに偉い人だったの?
「でも、僕、前にお姫様とかくれんぼしましたよ」
「……え? いや、ははは、まさか」
隊長さんに続き、『ないない、ありえない』、『ないわー』と、否定の言葉を示すデュラハンたち。
う~ん、本当のことなのになあ。
「ああ、話が逸れていたな。ともかく、そうだな。君のように華奢な者では、砦で無骨な騎士たちに囲まれるのも辛かろう。少し時間はかかるが、街まで行こうか。君は、持久力ならありそうだ」
「ええ、長い距離を走ったり、歩いたりするのは、得意です」
「決まりだ。では、これより我が隊は、訓練も兼ね、この子を街まで護送するぞ!」
『了解』
『かしこまり』
『了解であります! 街の連れ込み宿まで、しっかりエスコートします!』
「さあ、私に続け!」
頭をはめ直し、颯爽と走り出す隊長さん。重たそうな甲冑が、ガチャガチャと鈍い金属音を立てている。さすが、騎士さんだなあ。あれだけのウェイトを身につけて、重さを感じさせない走りができるんだから。
「ミッドナイト~! ファイ、オッ、ファイ、オッ!」
「ファイ、オッ、ファイ、オッ」
『ファイ、オッ、ファイ、オッ!』
隊長さん、僕、デュラハンさんたちが列になって、山と山に挟まれた道を走る。うん、このペースならば、無理なくついていけそうだ。
「大丈夫か、君。ついてこれるか」
隊長さんも心配してくれていたのか、頭だけを後ろに回し、声をかけてくれる。
「はい、大丈夫です」
「よし、それなら、しばらくはこの調子でいくぞ。疲れたら、遠慮なく声をかけるんだぞ」
「はい、ありがとうございます」
それきり、隊長さんは前を向き、一定のペースでかけ声を発し始める。やあ、まるでキャプテンみたいだ。キャプテン・デュラハン。なんか上位種っぽい。
「ミッドナイト~! ファイ、オッ、ファイ、オッ!」
「ファイ、オッ、ファイ、オッ」
『ファイ、オッ、ファイ、オッ!』
僕たちは、山道を抜け、平原にさしかかっても、ペースを落とさず、ただただ、走っていく。見渡す限りの大平原は、吹き抜ける風がとても爽やかだ。
やあ、一時はどうしようかと思ったけれど、こんなところを走れるだなんて、災い転じて福となす、というやつだね。
僕は、ある種の充足感に浸りながら、たったったっ、と、地面を軽く、蹴り続けた。
すると……。
「おい、佐久間。佐久間!」
「あっ、キャプテン」
隣に顔を向けたら、キャプテンがいた。
「あれ? キャプテン。どこに行っていたんですか?」
「それはこっちの台詞だ。お前は何で、走っている最中にふっといなくなるんだ。イリュージョンの練習なら、よそでやれ」
なんと。消えたのはキャプテンたちじゃなくて、僕の方だったのか。薄々そんな気はしていました。
「いや、でも、僕、デュラハンさんたちに混ざって、走り込みをしていたんですよ。ねえ?」
振り向いて、隊長さんに説明してもらおうと思ったら……そこには、デュラハンたちは誰もいなかった。それどころか、大平原から、学校の周りの田んぼ道に戻っている。……イリュージョン?
「さあ、馬鹿なことを言っていないで、練習を続けるぞ。まずはエビと、逆エビだ」
「あ~れ~」
角刈りマッチョのキャプテンに道着の襟をつかまれ、ずるずると引きずられていく僕。
柔道の練習は、別に嫌いじゃないけれど、もう少し、あの平原を走っていたかったなあ。
まあ、次の機会まで、楽しみに待っていよう。
「首なし騎士~? それって、どんなの?」
「こんなの」
家に帰った僕は、妹に今日あったことを話していた。そこで、デュラハンについての説明を求められたので、僕は柔道着を頭から被って、首なし騎士を演じてみせた。
「デュラハンだぞ~」
「……ジャ○ラみたい」
あらら、襟元から顔が出てしまっていたか。失敗、失敗。
「ほら、お兄ちゃん。馬鹿なことしてないで、ご飯つくって。プリッツじゃ、お腹はふくれないよ」
「あ、こら。ハナちゃん、晩御飯前にお菓子を食べるんじゃありません」
ソファーに寝っ転がって、明太子味のプリッツをポリポリとかじる妹を叱る。
「いいの。お菓子は別腹」
「太っても知らないよ?」
「いいの。私は太らない体質だから」
確かに、ハナちゃんはスタイルがいいけれど……う~ん、ご飯を残されるのも、嫌だなあ。ええい、プリッツは、僕が片づけよう!
プリッツの袋をひったくり、ザラザラザラー! と、中身を口の中に落とす。そして、バリボリ、むしゃむしゃと食べ尽くす。
「ああ~!? お、お兄ちゃん!」
「はなひゃんのはめはよ(ハナちゃんのためだよ)」
もごもごと口を動かしながら、ポコポコと僕の背中を蹴ってくる妹を連れて、台所へと向かう。
うん、今日は焼き魚にしよう。そう決めた僕は、冷蔵庫から、鮭の切り身を取り出した。