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ユキの会話は止まらなかった。実際に会って話が出来ると言う事の重大さも去る事ながら、今まで積み上げて来たナオトとのチャットが心底拠り所になっているのを実感していたからだった。人は何も包み隠さずに居られる場所があれば幸せなのかも知れない。例えそれがごく限られたスペースで、ごく限られた人間の繋がりで、ごく限られた時を刻む場所であったとしてもだ。ユキはそんな物想いにふける朧げな表情をしていた。
「想像と違うんだろうな(笑)実際に会ったら話出来なくなるかも(笑)」
ユキは相変わらず嬉しさを誤魔化しきれずにキーボードを叩いていた。真っ白いローテーブルの上にパソコンを置いて、その隣には長丁場の会話を想定したであろう飲み物のペットボトルと少量の洋菓子が置いてある。妹のサエが姉の服を借りるのに手土産で持ってきた手作りクッキーだ。それを会話の切れ間を見計らって一掴み口にする。今日口にした食事と言えば、これがメインになるだろう。ユキはひきこもり始めてから滅多に家族と食事をしなくなった。青年のそれと全く同じで、腫れ物を見るような目が家族だとしても怖かったのだ。ナオトの返事が案外速く、ユキは口に入れたクッキーを飲み物で慌てて流し込んだ。
「オレは普通の学生だからな?期待すんなよ?(笑)」
ナオトは少し慣れてきたこのチャットで息をし始めていた。青年が車椅子に腰掛けながらぼんやりと画面を見つめている。ナオトとユキの会話に口を出す気は微塵も感じられない、まして戦略を練りに練って選手に指示を出すフットボールの監督ようにはならなかったんだ。もう既にユキとのチャットに慣れてきたナオト任せである。ナオトもそれを感じて、もう自分の言葉として文字を入れていたのだった。
「ねえ?ユキはどんな感じなの?(笑)オレも全く想像つかないから教えてよ(笑)」
ナオトは青年の顔を一切見ることなく文字を打ち続けた。それを只ぼんやりと他人事のように見つめる青年と今少しの間同居した殺風景なこの部屋に、ナオトは何かしらの答えを導き出そうとしているようだった。
「あたしだって普通だよ(笑)可愛い子と会えなくてナオト残念だね~(笑)」
「オレの予想だとユキは可愛い気がする(笑)」
「ハハハ(笑)残念でした~(笑)」
青年は二人のやりとりから一瞬画面から目を逸らすと、天井を仰いで押し潰されそうな感情と戦っていたのだった。元はと言えば自分が蒔いた種、それを理解していてもこの状況はあまりに青年には酷すぎた。自分でも驚くほどナオトに嫉妬しているのが手に取るように解ったのだ。可笑しい……こんな筈ではない……楽しそうにユキと自分に代わって会話するナオトがなんとも恨めしい。自分がこんな身体にならなかったら、こんな生活を送っていなかったら、五体満足で楽しそうにするナオトを本気で恨めしいと思ったのだった。今までのチャットで暮らしてきた一年、それを嘲笑われているかのようにも思ってしまった。全てこの足のせいにしてきたツケが回ってきたのだろう、青年はその思いとを計りに掛けて重たい重圧を知ってしまってもいたんだ。結局何も出来ない。人と交われば必ず心が傷付けられるだけで、家族だって助けちゃくれない。誰がこんな自分にしたのだ。こんな人生なら百回繰り返したとしても自害を選んでやろう、青年は心の呟きに葛藤していた。
「それじゃ明後日は例の場所でね?(笑)また明日ね♪」
一通りナオトとユキの会話が締め括られた。静かな夏の始まりの夜は、昼間からの温度差で過ごしやすくさせる。偶に外では気の早い花火の音がして、ナオトのような学生は夏休みの解放感を空気と一緒に吸っているのだろう。青年が自傷衝動を抑えながらナオトにこう言った。
「ありがとうな……あとは全部お前に任せるから……だけど……一つだけ約束してくれないか?」
ナオトはユキとのチャット部屋から落ちて、楽しげな雰囲気で終わらせた余韻を青年に見せつけたまま返事をする。
「約束?……」
青年は少し身を揺らしながら、それでいて必死に落ち着きを取り戻そうとしながらナオトの顔を見据えた。これは兄としてではなく、一人の足の不自由な障がい者、そして一年もの間自分に落ち着きをくれた相手に対しての自分が出来る精一杯の愛情表現、青年は右手を口に押し付けながら漏れる息と一緒に言葉を吐いた。
「絶対にユキを傷付けないでくれ……お願いします……」




