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足音  作者: ようすけ
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「そんな事言うなよ……まだ見えなくなったわけじゃないだろ?」


「うん……でもきっともうすぐ見えなくなるし……」


「でもさ……家の人とかサポートしてくれるんだろ?ちゃんと頼りなよ?……」


少しずつユキの言葉がマイナスの方向へと進んで行くのを青年は感じていた。だからこそいつも通りに普通の大学生を演じ、それに見合った返事を必死に探してもいたのだった。でもユキの感情は思いの外に深くて、それ以上に深刻だったのだ。それを裏付けるように返事が現れるまで、しばらくの間沈黙が続いた。


「ずっとあたしは誰かの世話にならなきゃ生きていけないんだね……あたしはこれから誰かに助けてもらわなきゃ……」


体を震わせながらユキはそこまで言葉を入力すると、自分でも信じられない程の涙が流れていたことに気付く。溢れ出る感情が塞き止めていた結界を越えて、それを涙に変えているようだった。ポタポタと部屋着に雫となって落ちるそれは、一気にユキの心を暗闇に誘うようでもあった。


「あたし……もう死にたい……」


その言葉がどれだけの意味を持つのか、この狭いチャットの世界で、今対話している相手が死にたいと言う現実に、青年も言葉を失くしていた。お前には解るか?これから目を開けていても何も見る事が出来ない悲しみを、この部屋よりもっと暗い場所で一人ぼっちになる寂しさを、何かの支えがなければ消え入りそうになる虚しさを、この先未来の自分の姿さえ見れない苛立ちを、どんなに考えても死ぬ理由しか思い浮かばない失望を、それでも奇跡が起きるかも知れないと思う浅ましさを、こめかみに銃口を突き付けられながらそう問われた気がしていたんだ。だけど、その全てを振り払うように青年はユキに返事をした。


「本当は生きたいんだろ?……解るよ?……」


ユキは青年のその言葉に、流れ出る涙をテーブルの上に置いたティッシュで拭うと、沸き立つ感情を露わにしていた。どうしてもすすり泣く音が部屋に響いてしまい、今対峙している相手が無線LANで繋がっている事さえもユキを孤独にする。深呼吸を一つして、ユキはその感情の一面の色を、暗い群青色で塗り潰して行った。


「解る?ナオトに何が解るの?……この先楽しいことがいっぱいな大学生にあたしの気持ちが解るの?」


青年は文字を打つ事が出来なかった。ありのままをユキに伝えられればどんなに楽か、偽りの自分がまた自分を苦しめていた。ただ、ユキの高ぶる感情に気付いてそれを吐き出させてやりたいとも思った。自分に出来る事は話を聞いてやる事しかないジレンマに、現実世界の青年が尚も足を引っ張る。


「あたしの気持ちなんて誰にも解ることなんて出来ないよ……もう一人で考えるのも疲れた……毎日毎日朝目が覚めた時にそのまま何も見えなくなってたらどうしようとか……この部屋で急に見えなくなったらあたし……どうしたらいいの?……親だってあたしの目のことで仲悪いし……妹にだって頼れないし……もう死んだほうがマシだよ!」


青年は見守る事しか出来ないでいた。その力強いユキの心の叫びが、夜中から朝に変わる手前で青年の部屋に反響している。手首の深い傷を擦りながら、青年はユキの言葉をずっと眺めていたんだ。


「ナオト……見えてるの?……」


言葉で吐き出した分、少し冷静さを取り戻したユキは、涙をいっぱいに溜めた瞳で返事を待っていた。青年と自分の距離感が煩わしくて、気持ちを伝える術が此処でしかないのも煩わしさを加速させる。相手が自分の言葉を見ているのか、もしくは席をはずして見ていないのかを一々確認しなければいけない環境も、慣れたとは言え煩わしい。


「見えてるよ……」


ユキの問いかけに青年は我に返り返事をした。偽っている自分を正当化する理由も見つからず、今まで此処でしてきたやり取りの全てを思い返してもいたんだ。それは何かに抗っているわけでもなく、ただ最初に吐いてしまった自分の身を守るための嘘で、雁字搦めにされていた。


「ナオトに会いたい……直接会って話がしたいよ……」


間髪入れずにユキの言葉が悲しく映る。青年は画面から目を背けた。そして背けた先は、今自分が腰掛けている足代わりの車椅子の肘掛けだ。いつかこんな日が来るとも思えなかった此処での繋がりが、今青年の心を鷲掴みにしている。しかし、今の青年の選択肢は一つしかなかった。きっと心の何処かで待っていたのかも知れない。ユキの打ったその文字に、少し間を置いてこう答えた。


「解ったよ……直接会って話そう……」


ユキは膝を抱えたまま、電気の灯りがもう不似合いな明け方になるカーテン越しを見ていた。涙は落ち着いて、その後にこれ程まで自分の感情を青年に伝えたのは初めてだったとチャットの履歴を見ながらそう思った。少し取り乱した感覚と気恥ずかしさの感覚が交差して、青年の言葉を直視出来ないでもいたんだ。だけど、その言葉は今のユキにとって何にでも勝る安眠導入剤で、その二つの感覚さえ鈍らせる安心感を放っているようにも見えた。


「ホントに?……ナオトと会って話せるの?……」



ユキの言葉に青年は少したじろいだ。現実の世界で今の自分が会って話をすることなんて出来やしない、障がい者の自分が惨めになるだけだ、今までの偽りを相手が許すと思うか?、どの面下げて会えばいいんだ、ネットの繋がりだけで何を本気にしている、どうせ相手だって自分のように偽って……青年は追い立てられる自分の気持ちが、そんな頭の中に過る言葉の邪悪な何かに毟り取られそうだった。こんな想いは初めてで、青年は心を開いてしまった仮想な世界が現実に変わって行くのがとても怖くて、思い通りに動かない足を切り捨ててでも逃げ出したくなっていた。青年はもしもこんな時が来るのならばと、頭の片隅に置いていた策を引っ張り出した。それは誰もが傷付かない方法、この時の青年はそう思ってしまっていたのだった。


「そしたらもう……死のうなんて思わないか?」



何かを吹っ切ったように青年はキーボードを叩く。何時もより少しハードな今日の対話が、あまり体力のない青年の身体を疲れさせていた。車椅子の外側のタイヤを回す持ち手を、素早く後ろに回して回転するその動きがもうベテランドライバーに達している域で、回転した真ん前にはちょうど部屋に置いている冷蔵庫がピタッと良い位置で現れる。冷蔵庫のドアを開け、ペットボトルのキャップをパソコンの画面を見ながら無造作に開けると、勢いよく喉の渇きを潤した。それと同時にユキの言葉が返ってくる。


「さっきのはごめん……でも……今のあたしにナオトの存在がなかったらそうしてたかも……」



ユキはそのままの想いを青年にぶつけたのだ。家の外に新聞配達のバイク音がして、まざまざと夜明けを知らせている。泣いた後の腫れた目が、まだ見える事の喜びで気にはならなかったが、青年と現実に会って話をすると言う現実を思うと、そうも行かないとも思っていた。ユキは青年に特別な感情も持っているのかも知れない、今の自分の支えが青年の存在だとも思えて、自覚もしていたんだ。ほぼ毎日、他愛ない話を此処でしてきた。お互いの核なる部分には触れず、時には好きな映画や音楽の話だってしたのだ。これから自分に起きるであろう病の成れの果てに、顔も知らない文字だけで繋がる青年と会うことで、希望を見出だしてしまう事は自然だった。きっと傍から見れば馬鹿げた話だろう。ユキはそれをも自覚していたんだ。




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