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足音  作者: ようすけ
2/12

青年の生活は単調だった。高校卒業間近だった夏の日に交通事故に遭い、なんとか復学して卒業はしたものの、それからの生活が一変した。外へ出ることを極端に嫌い、家族の優しい言葉でさえ青年を疑心暗鬼にさせていた。両親とは口も聞かず、顔もまともに合わせず、食事ですら青年の部屋のドアの前に母親が置く。家族も友人も外の環境全てをシャットアウトした青年の日常は、荒んでいたんだ。同じ世代の者が皆、進学や就職をしていく最中、青年は絶望に取り残されていた。いや、実際はその足枷を自ら重く付けて、身動き一つも取れなかったに等しい。青年は今まで二度ほど手首を切った、十九の時と二十二の時だ。底知れない不安と絶望感にかられて、躊躇い傷も付けずに。そんな青年を家族はただ遠くから見守るしかなかった。青年の動向に気を配りながら、青年を傷付けずに接するのは難しい。青年も頭では家族の愛情が解っていたんだ。だから家族には八つ当たりの類いも今までしたことが無かったし、会えばナオトとのように普通に会話する。しかし何処に考えを巡らせても、自分が障がい者になってしまった現実を飲み込む事が出来ないでいた。時にはその運命の矛先を恨み、自分の人生に何の意味も持てなくなってしまってもいたんだ。青年が成人した時から生活を賄う保険金も自分自身で管理し、身の回りの生活品以外の物にも余程必要な時にしか使わなかった。部屋の外に出るのだってトイレと風呂、そしてネットで買い物した宅配の受け取りぐらいだ。青年は大半をこの部屋で過ごし、大体はパソコンの画面を見ている。しかし、今の青年には必要不可欠なユキとの繋がりが、生きる事をやめる選択を下さないまでになっていたんだ。それだけ今の青年には、顔も知らない相手との会話が全てになっていた。



精神状態が不安定な時には、眠る前のホットミルクが良いと聞いたことがあった。しかしここ最近のユキは眠るどころか飲み物さえ喉を通らなくなっていた。彼女もまた、青年との繋がりを必要不可欠としていたんだ。次第に見えなくなって行く自分の視力と共に、この病気と向き合わなければいけない過度のストレス、家族や友人は悲しげな目でしか彼女と話さなくなった。自分の視界から全てのものが無くなり、暗闇にたった一人で取り残される恐怖感に苛まれてもいた。発症を知ってからあらゆるものも試した。目に良いとされるものは全て。しかし、無情にもなす術も無く治す方法も無く、ただ今見えているものを心に焼きつくすしか無かったんだ。そんな彼女が最後に求めたのが青年だ。


「ダメだ……眠れない」


ユキは再度チャット部屋に入室していた。いつからかそこの部屋は青年との二人だけの部屋、パスワードで鍵付きの部屋になっていて入室があれば相手にメールで知らされる仕組みにもなっていた。ユキは青年が来るはずもないと思いながら、ベッドの下で膝を抱えてノートパソコンをぼんやりと見ている。夜中の静けさが心に響き、ある一定のリズムを刻むように不安が込み上げてくるようだった。暗闇を嫌うそこの住人に相応しく、部屋の灯りは煌々と現実世界を照す。引きこもり始めて自分で切り出した髪を撫でながら、毛先のはね具合を気にしていたその時だった。パソコンの画面から入室音と共に、見慣れた文字が映し出される。


「ナオトさんが入室しました。」


ユキはまるで、朝目を覚ました後に枕元のクリスマスプレゼントに気付いて喜ぶ子供のような笑顔で、パソコンの画面を覗き込んだ。


「珍しいな?こんな時間に(笑)」


青年の言葉にユキは嬉しさを隠せない。隠す必要もないので返事を打っている時にも満面な笑みがこぼれていた。家族や友人、ちょっとした知り合い、それとはまた違う青年との関係が今のユキにも全てだったのだ。どうしても自分から距離を置いてしまう現実の人間関係は、さらにユキを孤独にしていたのかも知れない。その胸の内で、これから何も見えなくなるであろう自分の目のことを思うと、吐き気さえ催す。ユキは此処で知り合い、一年もの間会話を交わしていた顔も知らない青年に、揺るぎない信頼を置いている。


「ごめんこんな時間に(笑)さっき落ちたばっかりなんだけど眠れなくて……」


「いや、俺も眠れずにいたから丁度いいわ(笑)」


ユキは青年の言葉に優しい安堵感を感じていた。それとは別に自分の感情を青年に伝えたい、もっと話がしたい、そんな想いも巡らせていたりもした。今日話したリアルな自分を、青年がどこまで受け入れてくれるかも興味があった。ユキは思いのままに青年にぶつかって行ったんだ。


「最近眠れないことが多くて困ってるんだぁ(笑)」


「眠れなくもなるさ……俺でよかったら話付き合うよ?」


「ありがとう♪ナオトは優しいね(笑)」


「いやいや、心配なだけだよ」


考えてみれば初めてだった。どんなに遅くても夜中一時過ぎには同時に落ちていたし、ユキの部屋の壁掛け時計はもうすでに三時を指している。先週末に梅雨明けが発表されたこの時期の大学生は夏休みで、きっと時間にも余裕があるのだろうとユキは漠然と思っていた。


「ナオトは今夏休みかな?」


「あぁ……そうだよ、今日はバイトもなかったんだ♪」


「そうなんだー♪なんかこの時間に不思議な感じだね(笑)」


「そうだな(笑)」


「あたしね……ナオトがリアルでどんな人かたまに想像したりしてるんだ(笑)」


「え?あぁ……全然普通なヤツだよ?」


「普通?(笑)」


「うん……これと言って特徴もないかな(笑)」


「見てみたい……目が見えるうちに……」



ユキは自分の言葉に切なくなった。それはやがて来る現実の壁がすぐ傍まで迫っていて、それを受け止めざるを得ないからだ。どう足掻いてもその時は訪れる、もしもそれが免れる奇跡が起きるならば今のユキはどんなことだってするだろう。その本人にしか解らない想像を絶する不安を、誰が取り除くことが出来るのだろうか。だからユキの家族も友人達も、関わる者全てが悲しい目で見てしまうのだろう。だけど、青年は違ったんだ。

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