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父は私を車で轢きかけたことがある。中学の入学式から二日目の夜のことだ。随分と後悔しているのか、事あるごとに思い出しては笑いながらもどこか許しを乞うかのような表情だった。あの顔は、例え事故を忘れたとしても私は決してぼやけた記憶などにしないだろう。
半月もせずに父がカトリックに入会して、共に洗礼を受けた。
それまでにちょこちょこと、出エジプト記の話はしてくれていた。昔、タロットに手を出そうとした時に、調べたことがあるらしい。青森の出身で日本一のサバクがあると語っていた。共通項は調べたくなるものだ。父と聖書の原風景かもしれない。しかし、あの父とモーゼは私の中では結びつかない。エフェソの信徒への手紙4章32節とコロサイの信徒への手紙3章13節、そして何よりもルカによる福音書23章34節の有名なイエスの言葉が心にのこる。これは私の聖書の原体験だろう。
時間と共に、あの顔は事故になる寸前だった一件と無関係などではなく、さらに私の恨みがましい思春期の言葉が根にあるのではないかと気付きだした。時とは偉大なものだ。そして残酷だと私は思う。これだけは忘れられないだろう。
事故のことは忘れてしまいたい。しかし、これは戒めだと感じた。それから幾年も経ち、私は初めて救われた。
占い師に通っていた時期のことは許してほしい。父が亡くなってからの私の心は掻きむしられてボロボロだったのだ。父の影を求め、その記憶にある話、親戚中から聞いた話を逐一思い出しては、癖や関係者やその土地を肌に触れさせようとしていたのだから。
その間、私は知識の旅をしていたのだろう。父から離れた娘が、必死に赦しの材料を探していたのだ。
私を救ってくれたのは、青森の実家で父の日記を手に入れて目を通し、絶望に駆られた夜のことだ。父は母親を幼くして失くした。そのページと同じ語句が日に日に増えて、最後にまったく同じ文章を繰り返し記したところで終わっっていた。その夜、厳しかった家と私に対する自縛の念で、禁止していたお酒を初めて飲んだ。犬が笑っていると、帰りの河川敷の砂洲で妄言を訴えていたことは確かだ。川面は走る車のライトが照りだしていた。 声が聞こえた気がした。ごめんね、と繰り返していた。私も。
父も一緒だったのだ。
その時、ハッキリわかった父が私と同じ思いをしていると。何年も何十年も謝りつづけていた。
赦さなければならない。まず自分を。父を。私たちの世界を。水が光に輝いてその晩はとても美しい光景だったと記憶している。泣きじゃくった私を撫でる大きなてがあった。轢かれかけて泣きじゃくる私を必死になでていた父のものだ。
時とともに。赦してくれるだろうか。時が。私は主とともにあり、その大きな手で頭を洗礼の時に撫でられてから、赦されるために旅を続け、ここにいるのではないだろうかと思い始めた。
それから私は救われる時が来るまで、旅を続けるのだろう。




