少女を〇〇た悪魔
ある村の外れには悪魔と呼ばれる生き物がいた。
血を求めては人間を殺し、その血肉を喰らう。悪魔は際限なく人を殺し続ける化け物である。それがこの村に伝わる悪魔の噂で、子どもたちを森に近づけないための言葉でもあった。
ただ、噂の的にされた悪魔は、実のところ一度も人間を食べたことがなかった。
まず、空腹というものを知らない。そして血を欲したこともない。眠りも要らず、子を成すこともないので、大凡人間にある三大欲求をこの悪魔は持っていないのだ。
見た目は人間とほとんど変わらず、大きな牙と、二本の太く長い角さえなければ、きっとこんな扱いを受けることもなかったはずだ。まぁ、伸び切った長い髪の毛と、白目まで黒く塗りつぶされた目は人を驚かせる要因にはなってしまうのだろうが。
それでも悪魔は、なんとも思わなかった。出会えば悲鳴が上がり、銃口を向けられ、剣で追い払われる。なぜそうされるのか分からず、一晩中考えてみたこともあったが、答えは出なかった。
きっと分かり合えないのだろう。そう結論づけてからは村に寄りつかず、森の奥でひっそりと暮らすようになった。
誰にも会わず、空を見上げ、花を眺め、ときどき動物たちと言葉を交わす。
そうして、ただ時間が過ぎていくだけの日々を送っていたのだが──
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その日、悪魔は森を抜けた先の大きな大きな花畑にいた。何故この場所を訪れたのか、その理由はない。ただの気まぐれだった。
色とりどりの花に囲まれた真ん中に、ごつごつとした岩がひとつある。座り心地の悪いその岩に腰かけ、花の薫りを楽しんだり、鳥の囀りに耳を傾けたりした。そうして数刻、足もとに伸びる自分の影の隣に、もうひとつ影が並んだ。
悪魔が不審に思い振り返ると、そこには少女がいた。見た目だけなら、悪魔と同じくらいの年頃の。急な来訪者に一度だけ肩を震わせる。ただ、それだけだ。スッと、悪魔は目を細める。
「あなたが悪魔さん?」
少女は笑顔でそう訊いた。
「そうだよ。君の知っているとおり、人を喰らい、血を舐め、肉を貪る悪魔さ。君は喰われに来たのかい?」
物好きな人間もいたものだ。悪魔は声を低くし、牙をかちりと鳴らしてやった。
「へぇ、そんなに怖いのね。私はアンナ。ねぇ、隣いい?」
悪魔の返事も待たずに、少女は岩の隣に腰を下ろした。座り心地が悪かったのか、何度かもぞもぞと位置を直していたが。
「……君は、事の重大さが分かっていないのかな。それとも言葉が難しかったか」
「これでもお勉強はしてるから、意味はわかってるわよ。それと、私は『君』じゃなくてアンナ」
頬を膨らませる少女を、悪魔はじっと見た。屈託のない笑顔だ。嘘をついているようには見えない。
それでも、信じられなかった。
「なら、なぜ逃げない。君……アンナは、これから僕に殺されるかもしれないんだよ?」
「君」と言った瞬間に睨まれたので、悪魔は言い直す。
「殺してないじゃない」
逃げ出さない少女に悪魔はますます不信感を得る。もしかしたら周りに村人が潜んでいて、この少女を襲おうとした瞬間に殺す算段なのかも。
「これからかもしれない」
「悪魔さんって、嘘が下手なのね」
くすくすと笑う少女に、何を言っても無駄だと悪魔は悟った。それに、もしもそんな算段を立てているなら、この少女はこんな表情をしないだろう。
だとすれば。
それからは少女がひとりで喋り、悪魔は黙って空を見ていた。相手にしなければ、好奇心旺盛な少女はそのうち、つまらないと言って二度と来なくなるだろう。そう考えたからだ。
それでも、少女は次の日もこの花畑に来た。その次の日も、そのまた次の日も。何度も足を運んできた。
はじめは生返事ばかりだった悪魔も、少しずつ言葉を返すようになり──二週間も経つころには、二人はすっかり友達のように話すようになっていた。
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「ねぇ、そういえば悪魔くんって名前はあるの?」
唐突な問いだった。いつの間にか「悪魔さん」は「悪魔くん」に変わっていたが、悪魔は何も言わなかった。
「名前……はないね。生まれた理由も、どうしてここにいるのかも分からない。君たちで言うところの親なんて個体も覚えていない」
「そうなのね……じゃあ、私が名前を考えてあげよっか!」
少女は一度考え込んだかと思うと、ぱっと顔を輝かせた。本当はどちらでもよかったが、人間たちが互いの個体を呼び合うときに扱う名前というものには、少しだけ興味があった。だから悪魔は頷き、問いかける。
「へぇ? 例えば?」
「悪魔くんの名前は……うーん……そうだなぁ。悪魔だから、アークはどう?」
「アンナ、それは安直すぎないか」
悪魔だからアーク。本当に安直だ。少女はまた頬を膨らませる。
「ふん! じゃあいいもん。アークの名前なんて考えてあげない」
もう呼んでいるじゃないか、とは思ったが、それよりも悪魔が気になったのは、ぷいとそっぽを向いた少女の横顔だった。何がそんなに気に入らないのだろうか。
「別に、嫌だとは言ってないんだけれど」
「嬉しそうにしてないじゃない! 本当は嫌なんでしょ」
いよいよ本当に怒り始めた。膨れっ面がさらに膨れる。
「嬉しそう……か」
「アーク?」
悪魔はこのことを少女に話すべきか考える。ただ、それは一瞬のことで。
「僕は、嬉しいと感じたことがないんだ。嬉しいも、悲しいも、怒るのも、何ひとつ。僕たち悪魔にあるのは、疑うことだけ。なぜ、どうして──それだけなんだ」
人間に騙されないように。悪魔が生まれつき持っているのは、ものを疑う心だけだ。不信感を得たり、何故という疑問は持てる。だから、誰も寄りつかなかったこの場所に少女が現れても何も思わなかったし、勝手な噂で銃を向けられても何も感じなかった。悪魔を嫌うこの世界に、腹を立てることもなかった。
「それと、もうひとつ。悪魔には、人間にはない力があるんだ」
「力?」
「自分の心臓を潰せば、一番望む願いがひとつだけ叶う。……もちろん、潰したら死ぬけどね」
少女が目を見開く。悪魔は肩をすくめた。
「でも、心配はいらない。願いっていうのは、望みがあって初めて生まれるものだろう。僕には望みがない。だから、この力を使う日は一生来ない。一体何のために、神サマとやらは僕らを創ったんだか」
淡々と言い終えて、悪魔は少女の顔を見た。
人間は、自分と違うものを嫌う。角や牙に怯えるのと同じように、心のない相手を気味悪がる。悪魔はそれを知っていた。
だからこれで、少女も逃げていくだろうと思った。
──なら、なぜ言うのを一度躊躇ったのだろう。そして、それでも告げようと思ったのだろう。遠ざけたいと望んでいたのは、自分のほうだったはずなのに。
「……可哀想」
少女はそう言った。
気味が悪いでも、怖いでもなく。
「は?」
「だって、嬉しいとか、楽しいとかって思えないんでしょ? そんなの可哀想よ!」
本気でそう思っている顔だった。地団駄を踏み、神様は酷いわ! などと言い出すものだから、悪魔は今度こそ何も返せなくなった。
「それと、その力。絶対に使っちゃだめだし言っちゃダメ。約束」
「えっと?」
「使わないって言ってるけど、それでも約束。アークを狙う人がいたら大変だもの」
差し出された小指を、悪魔はしばらく眺めた。人間の約束の仕方らしい。使う日など来ないのだから、約束するまでもない。そう思いながら、小指を絡めた。
「……アンナは、僕の予想をことごとく裏切るね」
数秒の沈黙のあと、悪魔はようやくそれだけ言った。胸の奥が、少しだけむず痒かった。それが何なのかは、まだ悪魔には分からない。
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今日は何の話が来るのだろう。優しい母親の話だろうか。仲良しの女の子友達の話だろうか。
そうやって、悪魔はいつもの花畑で、いつもの岩の上で少女を待っていた。
だが、今日は少女は花畑に来なかった。
一日目は気にしなかった。これまでにもあったことだ。
二日目も来なかった。風邪でもひいたのだろうと思った。
三日目も、四日目も、五日目も。
岩に座っていても、隣に影が並ばない。花の数を数えて、雲の形を眺めて、また花の数を数える。それでも日は沈まない。一日は、こんなに長かっただろうか。
なぜ、自分はさっきから森の出口ばかり見ているのだろう。どうして、こんなにもむず痒いのだろう。
一週間が経って、悪魔は村へ向かう事にした。村人に見つかるわけにもいかない。ただ、村の方を眺めて、少女が何をしているのかを確認するだけだ。
花畑を抜け、村の手前の森まで歩く。木々の向こうに村の男たちが立ち話をしているのが見えて、悪魔はとっさに幹の陰に身を隠した。
「あの子……アンナも可哀想にな」
少女の名前に、悪魔は息を止めた。
「あぁ、段々と弱っていってるのが見てらんないぜ。進行の早い病らしい。もう一日ももたないだろうって話だ」
「女手一つで育ててきた母親も、相当参ってるらしいな」
──気づけば、木陰から飛び出していた。
「どういうことですか!?」
飛び出してから自分の失態に気づくが、もう遅い。
「あ、悪魔だぁぁぁぁ!?」
男が悲鳴を上げる。数十年、あるいは数百年の歴史はそうそう変えられない。こんな屈強そうな男性でも、この姿を見れば青ざめてしまう。
「いや、落ち着い——」
「く、来るな! 来るんじゃねぇ!」
悲鳴を聞きつけて、村人たちが剣や銃を手に集まってくる。
「あ、悪魔め! ついに来やがったな!」
「俺たちを喰らいに来たんだろう!」
「近寄らないで!」
四方から悲鳴のような罵声が降ってくる。銃口に囲まれながら、悪魔は必死に口を開いた。
「ち、違います。殺しません。食べたりもしません。ただ、あの子に会いたいんです」
「黙れって言ったろうが、この悪魔が!」
乾いた破裂音。衝撃が、悪魔を貫いた。溢れ出した鮮血が足もとに広がり、赤い絨毯をつくっていく。あぁ、僕の血は赤いのだなと、そんな場違いな感想が一瞬だけ脳裏を掠め、
「聞いて……ください。あの子に……アンナに、会いたいんです」
少女を——アンナのことを考える。もう、残された時間は今日しかないのだから。
「うるさい! 黙りやがれ!」
二発目。腹に、新しい熱が穿たれる。膝が折れた。口から血を溢し、村人の殺意に晒されながら、それでも悪魔は額を地面にこすりつけて懇願した。
「お願い……です。ただ一言……彼女に、アークが来たと……伝えて、ほしいんです。アンナに、会わせてください。会いたいんです」
一目だけでいい。それが叶うなら、死んでも構わない。
だから。だから──
「……アーク?」
人垣の後ろで、女がひとり、その名前をなぞった。
人垣をかき分け、女性が悪魔の前に膝をつく。やつれた顔の女だった。目の下に、何日も眠っていないような隈がある。
「あの子……熱にうなされながら、ずっと呼んでたの。アーク、アークって。誰のことかって訊いても、内緒って笑うだけで……」
血だまりの中にうずくまる悪魔。そんな悪魔の角を見て、牙を見て。
それから、女性は悪魔の手にそっと手のひらを被せた。
「……あなたが、アークなのね」
村人たちがどよめく。恐怖の象徴が、血を流しながら頭を下げている。そして、そんな悪魔に手を差し伸べる女性。
「アークって、貴方なの?」
今度は、幼い少女の声。見ると、アンナと同じ背丈、おんなじ年齢だろう少女が、母親らしき女性と手を繋ぎながらそう呟いていた。
「こ、こら。何言ってるの」
「だってアンナちゃん言ってたもん! アークって人と遊んでるんだって。すごい優しくてかっこいい人なんだって」
またどよめきが飛び交う。死にかけた少女が呼び続けていたのは、この悪魔の名前だった。そんな悪魔は、今もなお復讐に駆られず、こうして頭を下げている。
銃口が、ひとつ、またひとつと下がっていった。
「……ついてきてください。あの子のところへ」
差し出された手を、悪魔は震えながら見上げた。
「ありがとう……ございます」
手を握り返す。その手は、確かな温かさがあった。
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少女の家は、そこから少し歩いた先にあった。
その間も血は止まらなかったが、悪魔の生命力というのはなかなかのものらしい。村人たちが渋々施した手当てとで、どうにか辿り着くことができた。
「……そんな」
少女の肌は、白かった。酷く衰弱していて、透き通るような白い肌ではなく、くすんだ、病的な白さをしていた。花畑で頬を膨らませていたあの色が、どこにもない。シーツに溶けてしまいそうなほど薄い肌の上で、唇だけがかすかに動いた。
「……アーク」
ゆっくりと首がこちらを向き、少女の瞳に涙が浮かぶ。
喉の奥が、ぎゅっと縮んだ。撃たれた腹よりも、そこが痛い。なぜだ。傷はそこにはないはずなのに。
「ごめん……僕には、わからない。こういうとき、どうすればいいのか」
息がうまく吸えない。胸の内側を、熱い何かが下から押し上げてくる。出し方を知らないそれが、出口を探して暴れている。
「アーク……大丈夫よ」
「大丈夫じゃない……ごめん、ごめん……」
「アーク。もう、分かってるんでしょ?」
「何が!」
自分の声が、ひどく大きく響いた。こんな声を出したことはない。出そうと思ったことさえない。
「だって──泣いてるじゃない」
「泣いて——」
自分の頬に、指を当てる。濡れていた。そして温かかった。その一筋は目尻にもあり、気づけば堰を切ったように、大量の涙となっていく。
——ああ、これか。
喉を塞いでいたものも、胸を押し上げていたものも、腹の傷より痛かったものも。一日がやけに長かったのも、森の出口ばかり見ていたのも。あの日、胸の奥がむず痒かったのも。
全部、これだったのか。これが、感情ってやつだったのか。
「自分の気持ち……感情ってのを、見つけれたんだもんね。やったね、アーク」
弱々しく、それでもあの日のような無垢な子供らしくアンナは笑う。こんなときにまで、アンナは僕のことを。
「……嫌だ」
一度こぼれたら、もう止まらなかった。
「嫌だ。嫌だ、嫌だ嫌だ! 死なないでくれ! 僕は、君がいなくなるから、悲しいんだ。辛くて、苦しくて、どうしようもなく、嫌なんだ」
アークはアンナの手を握りしめた。激しく咳き込みながら、縋るように。
「頼むよ、アンナ。死なないでくれ」
その懇願に、少女は弱々しく手を握り返す。
「アーク……私ね。最初にあなたに会いに行ったのは、ただの好奇心だったの」
「……うん。知ってるさ」
「悪魔って、ほんとは怖くないんだって思った。でも、みんなに言ったら怒られちゃうから、内緒で毎日、あの花畑に通ったの。時々お友達にも話しちゃうくらいにね?」
一言も聞き逃してはいけない気がして、アークは涙を拭いもせずに耳を傾ける。
「話してるうちに、びっくりしたこともあったし、悲しいこともあったわ。でもね……アークといる毎日が、楽しかったの。嘘じゃないわ」
「うん……うん! 僕も楽しかった! 楽しかったんだ! 僕も嘘じゃない!」
たぶん、ずっとそうだった。
出会ったあの日から。隣に影が並んだ瞬間から。ただ、それに名前があることを知らなかっただけで。
「アーク……お話できてよかった。一緒にいられて、よかった……私ね、あなたのことが」
アンナは流れる涙もそのままに、あの日と同じ笑顔を向けて、
「本当に、大好きなのよ」
「アンナ!」
アンナのまぶたが閉じる。握っていた手から、力が抜けていく。
「嫌だ……嫌だよ。まだ言ってないんだ。僕からは、まだ何も言ってないんだよ……いなくならないでよ……」
声が次第に細くなる。アンナの——笑顔のまま眠る少女の顔を見つめて、アークは泣いた。いつまで泣けばいいのだろう。枯れることを知らない涙が、服まで濡らしていく。
「君が死ぬなんて嫌だ。僕は君に救われた。君は、僕のたった一つの光なんだ。だから……だから」
──ああ、そうか。
望みがないから、使う日は来ない。あの日、確かにそう言った。でも今は、こんなにもある。
これは、アンナとのたった一つの約束を破ることになる。怒られるだろうな、と思った。
それでもいい。怒ってくれるなら、それでいい。
アークは自分の胸に手を当てた。鼓動が伝わる。アンナからは消えてしまった音。
その音を確かめて──アークは、自らの胸を貫いた。
指先が心臓に触れる。それでも、躊躇うつもりはない。その心臓を掴み、握りつぶす。
途端、胸から、口から、おびただしい鮮血が溢れ出した。
「僕の願いは……アンナに、生きてもらうことだ。それが叶うなら……この命、惜しくなんてない」
アンナを汚さないように。こんなにも優しい子を、自分の汚れた血で汚してしまわないように。アークは身を捩り、ベッドから遠ざかる。
心臓が完全に潰れた瞬間、胸から淡く小さな光が生まれた。光はゆっくりと宙を漂い、アンナの胸の上で、眩く弾ける。
神秘的な光。思わず村人も、アークですら目を細めた。
「……え?」
アンナの目が開かれる。起き上がり、あたりを見回し──床に崩れた血まみれのアークを見つけて、全てを悟った顔をした。
「アーク!」
ベッドから転がり落ちるようにして、アンナはアークを抱きしめる。
「アンナ……よかった」
「よくない! よくないよ! 使っちゃだめって言ったのに! 約束したのに! アーク……あなたが死んじゃうじゃない!」
顔も服も血で汚しながら、アンナは声をあげて泣いた。汚さないように気をつけたのに、結局汚してしまったか。アークは苦笑する。
アンナを汚してしまった自分に腹が立つ。アンナを泣かせた自分が憎い。それでも、アンナが泣いていることに──自分のために泣いてくれていることに、安堵している。嬉しいとさえ、思っている。
──あぁ、僕ってひどいやつだな。
アークはもう一度、苦笑した。感情というものは、こんなにも憎らしくて、こんなにも愛おしいものなのか。
「アンナ……最後に、言わせてくれ」
「アーク……うん。わかったわ」
何か言いかけたアンナは、アークの目を見て口をつぐんだ。袖で目をごしごしと擦り、涙を拭う。
アークは、そのことに感謝した。そして、
「アンナ。大好きだよ」
あの日のアンナと同じ笑顔で、そう告げた。
アンナも、真っ赤な目のまま笑っていた。
そうして、二人で笑いあって、一人が長い息を吐いて——そのまま、動かなくなった。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
これは、『少女を〇〇た悪魔』のお話。
ある村には、悪魔と呼ばれた、泣き虫な生き物がいた。村の奥の森を抜けると、花畑がある。ただ、その花畑の中心には、ポツンと似つかわしくないひとつの墓があった。そこには花束や、摘まれたばかりの野の花が、いつも絶えることなく供えられている。
墓標に刻まれた名前は、『アーク』。
この村の子どもたちは、もう悪魔の噂を聞いて育たない。代わりに聞かされるのは、花畑で眠る、泣き虫で優しい悪魔の話だ。
そして、そこに毎日訪れる少女が一人。今日もまた、色とりどりの花やピクニック気分なのだろう、お弁当を携えて。
墓前に摘んできた花を手向けると、少女は傍らのごつごつとした岩に腰を下ろす。座り心地が悪くて、何度かもぞもぞと位置を直して。
それから、隣の空いたところに向かって笑いかけた。
「また来たよ、アーク。今日はどんなお話をしよっか」




