余計な客人
端原屋敷の広間、豪政は怜と並び、重苦しい空気の中で報せを聞いた。
「……照安王、ついに動いたか……」
豪政の声は低く、しかし震えていた。
怜は膝の上で手を握りしめ、豪政の言葉を待つ。
「ぼ、ぼくも、正確にはよく分かっていないんです……でも、王都の方で大きな戦が起こった、と……」
豪政は窓の外の雪を見つめる。遠く麻生山嶺の向こうで、中央政府の混乱が始まったのだ。
照安王——赤丑照安は、赤丑氏の血筋でありながら、大館氏の専制に不満を抱き、影で準備を進めていた。王府直属の兵を率い、密かに待機させていた反乱軍は、代王や副官を標的に、迅速に王都と中央施設を制圧していったという。
「王都の要所はすでに制圧された場所もあると聞く。情報が錯綜していてどこまでが真実か判断しかねるが、中央の直属官僚や各知事家の役員も混乱しているらしい……」
豪政は短く吐き出すように言った。
「我々端原が直接介入するわけではない。だが、影響は必ず端原にも及ぶ……」
怜は豪政の肩に手を置き、声を震わせながら言った。
「豪政……ぼく、怖いです……」
豪政は怜の手を握り返し、少しだけ微笑む。
「怜、大丈夫だ。俺たちが守る……端原を、俺たちの仲間を、必ず」
しかし心中の焦燥は消えない。
照安王の乱は、単なる王族の内紛ではなく、中央政府全体の権力均衡を揺るがすものだった。代王の赤丑景厚、副官の大館実伸、首相の真槻朝昌——各勢力は警戒態勢に入り、王都の警備は混乱、各地の忠臣や反乱軍の動きが入り乱れていた。
「中央は混乱している……でも、これは端原にとっても、好機になるかもしれない」
豪政は拳を握る。野心よりも、衝動よりも、まずは守るべき者たちへの思いが先に立った。
怜は少し間を置いてから、静かに呟いた。
「……でも、ぼくたちの手で何かを変えられるんでしょうか……?」
豪政は視線を怜に向け、決意を込めた。
「変えてみせる……動くのは今だ。だが、慎重に、だ。衝動だけじゃ、俺たちは守れない」
外の雪は静かに降り続けている。だが、中央の王都では、既に赤丑照安の旗印のもと、戦火が広がり始めていた。端原屋敷では、豪政と怜が互いに手を握り、迫る嵐を前に、覚悟を固めるしかなかった。
豪政は膝を抱え、視線を遠くに走らせる。胸の内には、焦燥と怒りが渦巻いていた。
その視線の先には、久繁の横暴な振る舞いが脳裏をよぎる。
彼は端原の先祖代々の惣墓にまで手を伸ばし、自らの屋敷地にするために墓石を取り払い、封じられた霊を蔑ろにした。
豪政は思わず拳を握る。
「豪政……?」
怜が小声で尋ねる。
「奴は、俺たちの土地も、心も、すべて奪おうとしている……でも、父上は――」
豪政は深く息を吐いた。
「動かない……動かぬまま、見守るだけだ」
壮真は、静かに書院の座敷に座したまま、久繁の横暴も、中央の混乱も、ただ観察している。
慎重さと冷徹さ。父上の静観は、豪政には苛立ち以外の何物でもなかった。
こうしている間にも、国俊のことで、久繁は麻霧の知事・麻霧槻彦を懐柔しようと画策している。
「父上……どうして……」
豪政は声を荒げかけるが、怜の手が肩を軽く押さえた。
「豪政、豪政様……どうか落ち着いて……」
豪政は息を整え、窓の外に目を戻す。雪は止むことなく降り続け、庭の白を紅で染めようとする久繁の圧政を、まるで嘲笑うかのようだった。
戦局はまだ端原の目の前には遠く、だが確実に、彼らの日常を飲み込むように近づいていた。照安王の乱——それは、端原家と中央の均衡を大きく揺さぶる火種であり、豪政にとっても怜にとっても、避けられぬ現実となったのだった。
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その時、扉が勢いよく開き、見慣れぬ老人が現れた。
「豪政! 豪政さま!」
当年が眉をひそめ、驚きの声を上げる。
「誰だ? あのおっさん……」
老人は胸を張って堂々と歩み、部屋の中心に立つ。
「わしは犬法良! 長い旅から戻り、端原の過去も未来も、ぜんぶまとめて書き留める者じゃ、そうじゃ、書き残すのじゃーーっ!」
声の張りはあるが、どこか間の抜けた響きがあった。
豪政は眉をひそめ、怜は目を丸くした。
「……誰か知っているのか?」
当年が小声でつぶやく。
法良は気にも留めず、豪政の目をまっすぐに見据えた。
「豪政さま、このままでは端原が滅ぶ! 久繁の圧政は留まることを知らず、先祖代々の惣墓までも掘り返し、自らの屋敷地に変えようとしております! 麻霧槻彦を懐柔し、領内の諸将も手なずけつつあります! 今こそ端原家は立ち上がるべきです!」
豪政は拳を強く握りしめ、怜は肩を震わせる。雪夜の白が、怒りと恐怖で赤く染まるかのように感じられた。
その横で、敬達と翔吾が法良の後ろに立つ。
「法良殿、落ち着いていただけますか……」
敬達が穏やかに声をかけ、翔吾が軽く法良の肩を押すが、法良は気にも留めない。
「拙者は静観しておれぬ! 歴史は記録に残さねばならぬ! 端原家が今、動かぬなら、後世の人々は何を思うか――!」
豪政は息を荒くし、目を伏せた。怜は必死で豪政の手を押さえる。
「豪政さま……落ち着いて……」
壮真は座敷の奥から、静かに二人を見つめていた。表情は動かず、しかし目は法良を射抜いている。
「……愚策は避ける。端原のために、今は静観することが最善だ」
その声は柔らかく、しかし断固としていた。
法良はにこにこと微笑み、壮真の言葉を理解した気で首をかしげる。
「ほう……なるほど、静観でござるか……」
しかし、その顔には一切の疑念も焦燥も見えず、鈍感さが際立つ。
当年が小声で呟く。
「……誰だよ、こいつ……」
法良は肩をすくめ、にこやかに豪政に向き直る。
「豪政さま! 拙者は無論、命を賭してでも端原家の名を守ります! 静かなる父上の下、さあ、今こそ行動を!」
豪政は拳を握りしめ、唇を噛み締める。
「……怜、俺たちにできることは、父上が決める時まで耐えることだけだ……」
法良は笑みを浮かべ、豪政や怜の方を一瞥すると、ゆっくりと座敷の奥へ進む。目指すは壮真だった。
「壮真さま! 拙者は端原家の過去も未来も、すべてを記す者! 今、端原家に迫る危機を、何としてもお伝えせねばなりませぬ!」
法良の声は張っているが、どこか間の抜けた抑揚があった。
壮真は静かに法良を見据えたまま、声を発した。
「……犬法良よ。お前の言うことは理解した。しかし、今は端原家のために、静観するのが最善だ。愚策を避けよ」
法良は肩をすくめ、にこやかに首をかしげる。
「ほう……静観、でございますか……? なるほど、なるほど……」
しかし、その顔には焦りも疑念もなく、鈍感さだけが際立っていた。
壮真は動かず、法良の肩すら軽く押さぬまま、毅然と言葉を重ねる。
「これ以上は私の判断に従え。端原家の安泰は、私が決める」
法良は手を振って抗議しようとするが、壮真の無表情の壁に遮られ、何もできなかった。仕方なく、微笑みながら背を向ける。
「ううむ……これではワシの熱意も届かぬか……」
外へ引きずり出された法良は、なおも屋敷の方へ向かって大声を張り上げる。
「壮真さま! どうか耳を貸してくだされ! 久繁の悪逆、もはや隠しようもござら――」
言い切る前に、背後から荒々しく腕をつかまれた。
「おい。誰の名前を気軽に呼んだ?」
「妙な格好のやつだな。端原家に不穏な話を持ち込むとはいい度胸だ」
久繁配下の兵ふたりが、法良を睨みつけた。
「拙者は、いや、わたくしは――端原の危機を伝える重大な使者でして!」
「使者ならもっとましな態度を取れよ」
拳が飛んだ。
鳩尾に深く刺さり、法良は湿った雪の上に崩れ落ちる。
「ぐふっ……!」
兵たちは容赦なく羽交い締めにし、足で法良の脇腹や背を蹴りつける。
「おまえ、久繁さまの邪魔をするなって言われてんだろうが」
「次やったら埋めるぞ。あの惣墓の脇にな」
その言葉で、法良の目がぎらついた。
「惣墓……ああ、やはり、もう手を――」
再び蹴りが顔面に入った。
その時――
「やめろ!!」
怒声が雪を裂いた。
豪政が駆け寄り、兵の腕を掴んで引き剥がす。
「豪政さま!? こ……これは……!」
兵たちは一瞬たじろいだものの、豪政の怒気に射抜かれ、舌打ちして後ずさる。
「退け。父上の前で暴力沙汰を起こすつもりか」
兵は不満げに唸りつつも、凍える空気へ溶けていくように姿を消した。
豪政は雪の上に倒れ込む法良を抱き起こした。
「大丈夫か……!」
「お、おお……豪政さま……救いの手とは、まこと……慈悲深い……っ」
法良は鼻血を拭いながら、嬉々として豪政の肩を掴んだ。
「豪政さま、聞いてくだされ。久繁の圧政、ただ事ではござらぬ!」
「……何が起きている?」
法良は息を荒くしながら、だが妙に誇らしげな声音で語り始めた。
「久繁はまず、端原家の惣墓に目をつけました。
『古きものを壊し、新しき政の象徴とする』とな! 先祖の眠る地を掘り返し、己の新邸を建てるなど、正気の沙汰ではござりませぬ!」
豪政の拳が震える。
「……惣墓を……?」
「さらに! 麻霧槻彦――あの男を甘言でもって取り込みつつありますぞ。
麻霧の配下へは酒と金、槻彦本人には『領地の再配分』などと囁き、じわじわ懐柔を進めております。」
「麻霧まで……久繁の側に?」
「ええ、領内の諸将も同じです。
機嫌を取る者には褒美、逆らう者には見せしめの粛清……。
端原は今、静かに締め上げられつつあるのです!」
豪政の胸は怒りで煮え立っていた。
法良は痛む体を押さえつつ、真剣な顔で言葉を続けた。
「だからこそ、壮真さまに伝えねばと思ったのです。
豪政さま……いまは耐えると壮真さまは言われましたが、久繁の暴挙は日ごとに増していく。
このままでは――端原の名、消え失せるやもしれませぬ」
豪政はしばらく雪空を仰ぎ、長く息を吐いた。
「……父上が静観を選ぶなら、俺は従う。
だが法良……お前の話を、父上にも改めて伝える」
法良は鼻血をすすりながら、妙に満足げに頷いた。
「おお……では、拙……わたくしの身をもって得た情報が、端原の一助となりましょう!」
豪政は苦笑し、肩を貸した。
「お前……なんでそんなに満足そうなんだよ……」
法良は雪明かりの中、ぼんやりと笑っていた。
その笑みはどこか頼りなく、しかし確かに――端原のためだけに向けられているものだった。
豪政は肩を貸しながら法良を屋敷裏手の離れへ運ぶ。
雪を踏みしめる音だけが、冷え切った夜気に吸い込まれていった。
途中、敬達と翔吾が駆け寄ってきた。
「豪政さま、そちらの方……え、法良殿!? 血が……!」
敬達が目を見開き、翔吾は「あーまたかよ……」と額を押さえる。
「久繁の連中にやられてた。とりあえず手当てを頼む」
二人は頷き、法良を抱えて離れへ連れていく。
豪政は「後で行く」と短く告げ、父――壮真の部屋へ急いだ。
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障子を開くと、壮真は薄灯りの中、書架の前で静かに佇んでいた。
振り返ったその目は、すでに豪政の険しい表情の理由を察しているようだった。
「……法良の件か」
「父上。久繁の圧政は、想像以上です。惣墓を奪おうとし、麻霧を金で懐柔し、逆らう者を脅して……端原は、締め上げられています」
壮真は微動だにしない。
「聞いている。領内からの報告も同じだ」
豪政の拳が震えた。
「では……なぜ、何も動かれないのですか。
このままでは、端原が……祖霊が……!」
しばしの沈黙。
外の雪が、すう、と流れるように降り続ける。
壮真は、灯の影を背に受けながらゆっくりと語った。
「豪政。久繁は今、力で領内を制している。
だが力で締め上げた秩序は、力以上の圧でしか壊れぬ。
いま兵を挙げれば、それは久繁の思うつぼ。
『端原が逆臣』と喧伝されれば一気に孤立する」
「……しかし……!」
「静観とは、ただ手をこまねくことではない。
嵐の中心は最も静かだ。静けさは、次に訪れる“揺り返し”の前触れでもある。
久繁が自滅へ向かう瞬間を、見逃すな」
豪政は言葉を失った。
壮真の横顔は、ただ冷たいわけではない。
かすかに、その奥に苦悩が滲んでいることを豪政は察した。
「……父上は、すべてを……」
「見ている。
そして、動くべき時を――選んでいる」
豪政は悔しさと理解の狭間で、そっと息を吐いた。
「……承知しました。
父上のお考えに従います」
壮真は頷き、その視線を雪の外へ向けた。
「豪政。法良を大切に扱え。
あれは奇妙な男だが……時に、常識外の者が真実を拾ってくる」
豪政は驚いた。
(父上が……法良を“使える”と言った?)
壮真の目は細められ、意味深な光を宿していた。
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這々の体で救出された法良は、屋敷の離れで敬達と翔吾から手当てを受けていた。
「痛いところは? 無理に動かない方がいいです」
と敬達が声をかけると、
「いえいえ、これくらい日常茶飯事でして!
殴打の感触まで逐一覚えておりますので!」
翔吾が頭を抱えた。
「えーと……覚えなくていいから……」
法良はふと懐から紙束を取り出した。
墨で書き殴られた文字が並ぶ。
「むむ……『雪の夜 久繁の手勢、我が鳩尾を無慈悲に直撃す』……うむ、迫力が足りぬ」
「何書いてるんですか……?」
翔吾が眉をひそめる。
「いやぁ、世には伝えねばならぬ“事実”が多すぎましてな……!」
敬達は小声で囁いた。
「これ……日記というより……なんかの記録……?」
「うん……あいつ、後世に残す気満々じゃない?」
法良は二人の視線には無頓着で、
筆を走らせながら独り言を漏らした。
「端原の歩み……人々の息遣い……失われた先祖の嘆き……これらは、いずれまとめておかねばならぬ……だが、まだその時ではない。これからの歩みを見届けなければならない。端原の兵士としてではなく、一つの歴史の観測者として」
その目は、異様に澄み、狂気にも似ていた。
そこへ豪政が戻ってきた。
「法良、大丈夫か」
「おお、豪政さま! 父上にお話は通じましたかな!」
豪政は少しだけ笑い、肩をすくめた。
「父上は……お前の言葉も無駄ではないと仰っていた」
「むっ……では、拙……わたくしの献身は歴史に刻まれるわけですな!」
翔吾が呆れ顔になる。
「ほんとに刻む気なんだなこの人……」
法良は豪政の手を掴んだ。
「豪政さま!
わたくしは何度殴られようとも、蹴られようとも、この身朽ち果てようとも……
端原のために、この目で見たすべてを“書き留め”ますぞ!」
豪政は困ったように頷きながらも、真剣に頷いた。
「……頼む。
お前の“奇妙な目”が、いつか俺たちの役に立つかもしれない」
法良は胸を張り、鼻血を垂らしたまま誇らしげにうなずいた。
「任されよ!! わたくしの筆先は、止まりませぬゆえ!」
「鼻血も止まってないけどな」
遠慮がちな翔吾の呟きに、豪政の頬が思わず緩んだ。
雪は静かに降り続き、
その白の中で――端原家の未来を巡り、綴る、奇妙で異様な人物の影が、確かに動き始めていた。
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麻霧本部の朝は、近頃いつになく慌ただしかった。
木霊のように飛び交う伝令の声が、廊下に薄い不安を落とす。
久繁は知事館の上段の間で、静かに茶を啜っていた。
その隣で、槻彦は青ざめた顔を隠しきれなかった。
妹尾和元と澤尾親通が控え、昌原宗景と習師辺行保は柱にもたれ、冷ややかに事態を見ている。
「……また報せか」
槻彦の声は震えていた。
久繁は扇をゆっくりと閉じる。
「麻霧殿、落ち着かれよ。
戦火はまだ遠い。貴殿の管轄に火は及ばん」
言葉は優しい。
だが、それが“逃げ場を塞ぐ縄”になっていることは、誰の目にも明らかだった。
伝令が膝をつき、息を切らしながら報告する。
「――霊殿廣実、寺下晴光と共に赤丑照安公を担ぎ……挙兵とのこと!」
ざわめきが走る。
槻彦は声を裏返らせた。
「挙兵……本当に……? 照安様が……?」
久繁は静かに頷いた。
「ええ。久しく鬱積していたのでしょうな。
だが、あの旗は長く持ちませぬ」
言葉の端には妙な確信が滲んでいた。
さらに別の伝令が駆け込む。
「東方監察府前……戦闘!
敵方の法印・尊俊と名乗る僧兵が、監察府役人の奥知呂頼致を道連れに!」
槻彦の顔が真っ青になる。
「し、し、死んだと……いや、その……奥知呂頼致どのは……
中央の……あの……」
妹尾和元がそっと肩に手を置く。
「槻彦様……深呼吸を」
しかし槻彦の動揺は隠せなかった。
久繁は彼の乱れた呼吸を楽しむかのように、目を細める。
「尊俊……命を投げたか。
だが、敵の勢は大きく削れたようだ」
宗景が鼻で笑った。
「宗教家が命を棄てるなど珍しくもないさ。
だが、そこまで追い詰められてるんだ。
あれらの“新王軍”は長く保たん」
何分、何時間、或いは、何日が経ったのか。おそらくは数刻後の事だったであろう。
次の伝令が入る。
「晴光と照安王は南方へ退き……廣実は別働で立て直しを図るも……行方知れず!」
さらに続く。
「官軍の追撃激しく……照安勢、境山へ籠城」
「西村武博、緑川秀忠ら官軍……迫るとのこと!」
槻彦はとうとう座り込み、手を震わせた。
「や、やはり……我らは……どちらに付くべきなのだ……
久繁殿……わ、わたしは……」
久繁は扇で槻彦の視界をそっと塞いだ。
だがその声は氷のように冷たかった。
「麻霧殿。
あなたはもう、“わしの側”にいるのですよ」
宗景がにやりと笑う。
行保は呆れたように肩をすくめる。
「知事様は最初から逃げられねぇ道を選んだんだよ」
和元と親通が困ったように視線を下げた。
槻彦の唇が震えた。
「……しかし……照安殿は……
もしこのまま討たれれば、我らの名も……」
「照安など、もう終わりですよ」
久繁の声は冷酷なまでに静かだった。
「官軍の堂坂則興が、晴光を討ったと聞きました」
槻彦の息が止まる。
久繁はさらに告げる。
「照安王は……おそらく長くは持ちますまい。
あの男に王の器がないことは、あなたも知っているはず」
伝令が最後の知らせを読み上げた。
「……照安王、自刃の報……
境山にて、最期を迎えたとのこと……」
しん……と部屋が静まり返る。
槻彦だけが肩を震わせ、声を失っていた。
久繁は静かに槻彦の前へ歩み寄り、
震える肩に手を置いた。
「麻霧殿。
乱は終わった。
あなたは“正しい側”にいる。
わしと共に歩むのです」
槻彦はうなだれ、唇を噛んだ。
和元が必死に支え、親通が袖を握りしめる。
だが槻彦の目は、もう久繁の方へしか向いていなかった。
宗景が嘲笑を隠しもしない声で言う。
「知事殿、あれじゃ麻霧は久繁様の言いなりだな」
行保が鼻を鳴らした。
「まあ、あのお方が生きる道は一つだったってことだ」
槻彦は震える声で呟いた。
「……わ、私は……ただ……麻霧を……守りたいだけなのだ……
どうか……どうか、久繁殿……お導きくだされ……」
久繁は満足げに微笑んだ。
「ええ。あなたの望む“安寧”を、わしが授けましょう」
凍える城の中で、
麻霧槻彦の心は完全に折れ――
久繁の影は、麻霧一帯を静かに覆い始めていた。




