夏休みの思い出
わたしは食パンを加えて通学路を走っていた。本当は漫画みたいに「キャ~!!遅刻~!遅刻~!」と叫びながら走りたかったけど、食パンのせいでそれは出来ない。今日は夏休みの登校日、ランドセルがカパカパうるさい。
学校へ曲がると着く曲がり角を曲がったらドシンと何かにぶつかってた。
「「痛っ!」」
私とおなじセルフだった。目の前にはわたしと同じくらいの男の子がいて驚愕した。
「おまえ、どこ見てんだよ!?」
「そっちこそ!」
「なんだとお!」
「なによっ!」
「なんだよ!」
「「フンッ!」」
そこで二人は別れた。
教室でみんなで担任の相沢先生が入ってくるのを待っている。先生はすごく若くて綺麗。羨ましい。
ドアを空けて先生が入ってきた。
「はい、今日はみんなに新しいお友だちを紹介します」
教室に誰か入ってきた。
「「あ~~~~!!!!!!!」」
二人は同時に叫んだ。
あの男の子だ!まじか・・・!まじでか・・・!
でもよくみるとかっこいい・・・かもしれない?
窓から空を見ると大きな入道雲が立ち上がっていて、新たな旅立ちを予感させた。 完
―――――――――――――――――――――
九月五日、大井小学校の職員室。時刻は十二時半。
相沢 遥は教え子達が提出した夏休みの宿題の確認中、怪文書を見つけた。
頭を抱える。
――――なによ、これは? なんなのよ?
小学校教員の仕事は、遥が覚悟していた以上の激務だった。日々、授業の資料作成、保護者への対応、学校行事の準備、教職者としての研修参加等、仕事に追われ続けている。学生の頃は自他ともに認める「本の虫」「活字中毒」だったが読書の時間すら作れない。
この昼休み時間も全く「休み」ではない。少しでも仕事を進めたい。進めなくてはならない。廊下からは子供たちの弾んだ声が聞こえている。
夏休みの宿題の一つ、「夏休みの思い出」というタイトルの作文の中にこれはあった。「夏休みの思い出 5年3組 水川 小雪」と表に記載され、開け口をホッチキスで五ヶ所も留めた白い封筒に入れられて。
A4用紙にプリントアウトされた怪文書。原稿用紙に自筆で書いている子供たちの作文の中に、紛れ込んでいた怪文書。
――とにかく水川さんに話を聞こう。
遥は、放課後に水川 小雪と面談することに決めた。
―――――――――――――――――――
だから、無理だって言ったのに……。
放課後の職員室。小雪の目の前に遥が椅子に座り、小雪を見上げている。
小雪の胸中には、父親の水川 翼への苛立ちと、父親の提案を断れなかった後悔が渦巻いている。
小雪が父から渡された封筒が遥のデスクの上に置かれている。「ちゃんとレベルを小学生レベルに合わせたから大丈夫」と渡された封筒。
「水川さん、この作文は誰が書いたんですか?」
遥の質問は「小雪がこの作文を書いていない事」が前提の質問。小雪は覚悟を決めた。
「先生、ごめんなさい。最近……、お父さんが……」
「お父さんが?」
「お父さんが小説家になりたがってるんです」
遥はめまいがした。
――――
夏休み最後の日曜日、宿題も作文を残すのみとなっていた。昼食を終えてから取りかかっても、充分余裕はある。そう判断した小雪はリビングでテレビを眺めていた。
アニメの再放送。大量に残っている夏休みの宿題の手伝いを、主人公が家族に泣きついていた。祖父、祖母、父、母、姉に。
小雪が同じ事をしても、翼との父子家庭なので「家族総出」と言っても二人だけ。平屋の一戸建ては水川家には無駄に広い。「二人だけ」になってしまった水川家には無駄に広い。
小雪には家を出て行ったらしい母親の記憶がほとんどない。今よりもずっと幼いころのあやふやな記憶しかない。
「なんで、私にはお母さんがいないの?」
この疑問を追求すると、自分も父親も傷つくことになる。
小雪は直感的に理解している。
小雪はこの疑問に蓋をしている。
「小雪、宿題は出来てるのか?」
自室から出てきた翼が訊いてきた。翼は寝巻き代わりにしているジャージを着たまま。休日はずっと着替えず、家にいることも多い。
「小雪ちゃんのパパ、かっこいいよね」と言ってくれる友人たちには絶対に見せたくない。
「うん、あとは作文だけ」
「作文!? テーマは?」
翼が食いついた。
「……『夏休みの思い出』だけど」
小雪は嫌な予感しかしない。
友人たちが言うように翼の外見は悪くない。クールな雰囲気があり、街を二人で歩いているとすれ違う女性がチラチラと翼を見ていることの多さに小雪は驚かされる。
――――「中身」は全然違うのに。
娘の小雪から見ると、父親の翼は「クール」の欠片もないお調子者だった。切り替えスイッチみたいな物を頭の中に持っているのか、「小雪と二人きりのとき」と「他に誰か一人でもいるとき」で全く違う。そのギャップが面白かったし、自分だけが翼の隠された一面を知っているのが楽しかった。
「よしっ! お父さんが書いてやるよ」
「ええっ!」
小雪は翼がそう言ってくるのを予想していたが、拒否の意味を込めて驚いたフリをした。
「お父さん、小説家になる! 小説家になって会社辞める! 辞めてやる!」と七月に翼は小雪に宣言したばかりだった。何に触発されたのか、小雪には分からない。「お父さん、ユーチューバーになる! ユーチューバーになって会社辞める! 辞めてやる!」と宣言してきたこともあったので、小雪は気にも留めていなかった。ただ、翼が今の勤務先を、今の仕事を好きではない事は伝わってきた。
「お父さん、無理だよ。絶対バレるって」
「まかせろ、小雪。ちゃんと子供が書いたような文章で書くから。まあ、お父さんの文才がにじみ出てしまったらバレるかもしれないけどな」
高笑いする翼を見て、小雪は諦めた。この「全く根拠がない自信たっぷりモード」の翼には何を言っても無駄だと小雪は知っている。
「結局うまくいかない」のも知っている。
―――――――
「水川さんの話は分かりました。少し、待ってて下さい。三分……、二分でいいです」
親に宿題を手伝ってもらったことを叱られると小雪は思っていた。小雪の方から頼んだわけではないが、そんな言い訳は通じないと思っていた。
しかし、遥はそれ以上なにも言わず、デスクの上のノートパソコンを開いた。白く細い指を「パキッ」と鳴らし、キーボードを打ち始める。
小雪はその速度と滑らかさに驚いた。ピアノの演奏を観ているように感じた。
「これをお父さんに渡して下さい」
きっちり二分後、小雪は遥から封筒を受け取った。小雪が作文を提出した封筒。
「今日は帰っていいですよ。帰り、気を付けて下さい」
遥に頭を下げ、小雪は普段より十五分遅く、帰路についた。
まだまだセミが大合唱していた。
――――――――――――――――――――
「えっ、バレた!?」
夕飯を終え、翼と麦茶を飲んでいるとき小雪は切り出した。畳の上に座布団を敷き、座卓越しに向かい合っている。
翼が帰宅してすぐに言わなかったのは、小雪の翼への思いやり。
――あの封筒の中には、お父さんの食欲なんか吹っ飛ばす何かが入っている気がする。
「そうか、そうか。やっぱりバレたかあ。なんだかんだでお父さん、本気だしちゃったんだよなあ」
小雪の気も知らず、翼は嬉しそうに笑っている。
「……お父さん、先生から『これを渡して』って」
小雪は座布団の下に隠していた白い封筒を、座卓の真ん中に置いた。
「先生が?」
翼が腕を伸ばし、封筒を取る。中から一枚の紙。翼が数行読む。遥が凄まじい速度で打ち込んだ文章。
「感想……?」
翼が呟いた。翼の目が紙に書かれた文字を追っていく。顔がどんどん青褪めていく。
全て読み終えたらしい翼はフラリと立ち上がり、自室に行ってしまった。小雪はそんな翼を見ている事しか出来なかった。
座卓の上には、翼が置いていった紙が残されている。
――お父さん、ごめんなさい。
小雪は手を伸ばした。
――――――
水川 翼様
小雪さんの担任、相沢 遥です。今回、お父さんがお書きになった小説の感想を書かせていただきます。あくまで私個人の感想であり、納得できない事も多々あるかと存じます。私はプロの小説家でもなければ、編集者でもない前提で気楽に読んで頂ければ幸いです。
(最初の一文や改行時はヒトマス空けた方が読みやすいです)わたしは食パンを加えて(誤字「加えて」→「咥えて」)通学路を走っていた。
本当は漫画みたいに「キャ~!! 遅刻~! 遅刻~!」(文章の途中での感嘆符、疑問符の後はヒトマス空けた方が読みやすいです。また、感嘆符を二つ以上並べた文章「!!」はしつこく感じます)と叫びながら走りたかったけど、食パンのせいでそれは出来ない。
今日は夏休みの登校日、ランドセルがカパカパうるさい。(ランドセルの錠前をロックし忘れているから冠 がカパカパ音を立てているんですよね? 説明不足です。まず、夏休みの登校日にランドセルは不要です)
学校へ曲がると着く曲がり角を曲がったら(「曲がると」「曲がり角」「曲がったら」……しつこいです)ドシンと何かにぶつかってた。
「「痛っ!」」(複数の人が同時に同じ事を言ったときに、カギカッコを複数書く表現は好きではないです)
私(「わたし」か「私」か統一して下さい)とおなじセルフ(誤字「セリフ」)だった。
目の前にはわたしと同じくらい(同じくらいの年齢ですか? 身長ですか?)の男の子がいて驚愕した。(全体の文章の硬さに合わせるなら「驚いた」「ビックリした」がいいと思います)
「おまえ、どこ見てんだよ!?」
「そっちこそ!」
「なんだとお!」
「なによっ!」
「なんだよ!」
「「フンッ!」」(会話文が続き過ぎだと思います。地の文を間に入れて下さい)
そこで二人は別れた。(何故、同じ学校を目指している二人が別れるんですか? また、何故この文章は三人称みたいに書いているのですか?)
教室でみんなで担任の相沢先生が入ってくるのを待っている。(待っている時間に、久しぶりに級友と再会した描写が欲しいです。「真っ黒に日焼けしている」等)
先生はすごく若くて綺麗。羨ましい。(このような読者――本作品は私――に媚びる文章は反って不快です。まず、小学五年生女子は二十代の大人を「若い」と感じません)
ドアを空けて(誤字「開けて」)先生が入ってきた。
「はい、今日はみんなに新しいお友だちを紹介します」(余程の事がない限り、夏休み登校日に転校生は来ません)
教室に誰か入ってきた。
「「あ~~~~!!!!!!!」」 (非常にしつこいです)
二人は同時に叫んだ。(この文章も何故か三人称みたいです)
あの男の子だ! まじか・・・!(三点リーダー「…」を偶数使って下さい) まじでか・・・! (この「まじか、まじでか」のセリフが冒頭からの主人公のイメージに合いません)
でもよくみるとかっこいい・・・かもしれない?
窓から空を見ると大きな入道雲が立ち上がっていて、新たな旅立ちを予感させた。 完(「それっぽい文章」でむりやり物語を締めようとしないで下さい。それに何故、入道雲が立ち上がっていたら、「新たな旅立ち」を予感するんですか?)
以上です。「遅刻しそうで食パンを咥えた女の子」という誰もが知っている場面。それを逆手に取った予想外の展開を期待して読んでしまうとガッカリしてしまいそうです。
「この文章は小雪さんが書いていない」とすぐに分かりました。 勿論、「担任教師ならすぐにフィクションだと分かる内容」なども理由の一つですが、まず小雪さんが普段書く作文はもっとしっかりとした、読みやすい文章だからです。気になった点はまだまだありますが、小雪さんを待たせてこの感想を書いているので割愛します。
前述しましたが「私個人の感想」です。他の方が読んだらまた違う感想になるはずです。
相沢 遥
――――――――
「うわぁ……」
小雪は思わず声を出した。頭に浮かんだのは「コテンパン」という言葉。
(お父さん、大丈夫かな?)
ここまで叩きのめされて、平気でいられるわけがない。頼んでもいないのに勝手に書いて提出させたのは翼だが、さすがに同情する。
しかし、小雪は「遥の感想は正しい」とも感じている。なおさら父を励ます言葉が見つからない。分からない。
翌朝まで翼は自室から出てこなかった。夜中、小雪がトイレに行くとき、翼の部屋からキーボードを打つ音が聞こえた。
カチャ……カチャ……。
指に力が入り過ぎているのか、廊下にまで響く。遥とは比べ物にならない速度。
「これを先生に渡してくれ。頼む。新作を昨日の夜、書いたんだ。先生が少しでも嫌そうにしたら、そのまま持って帰っていい」
朝食後、小雪は翼から白い封筒を渡された。前回よりも少し厚い。翼の目が充血しているのは睡眠不足のためか、泣いたためか小雪には分からない。
「うん」
小雪は一言だけ返事をした。
―――――――――――――――
担任教師と父親の奇妙な文通が始まった。
翼が新作を書くたび、小雪に預ける。その感想を遥が小雪に預ける。翼が小雪に封筒を預けるスパンも、封筒の厚みも毎回違う。「プリントアウトした紙を小雪に持たせたら重すぎる」と翼が判断した長編は、封筒にSDカードを入れて渡した。
短編でも長編でも、遥は渡された日に感想を小雪に預けた。
提出した日はいつも、翼は帰宅するとすぐに小雪が遥から預かった感想を読んだ。小雪は遥の感想をあれ以来読んでいない。しかし、翼が遥から誉められる回数が増えているのを感じていた。感想を読む翼に、笑顔が浮かぶ回数が増えていたから。
小雪の記憶では、翼は三十作以上提出している。
(お父さん、先生にいろいろ教えてもらって上手くなったんだろうな)
小雪も嬉しかった。
しかし、小雪が六年生に進級する直前――――
担任教師が相沢 遥ではなくなる直前――――
翼は半年以上続いたこの奇妙な文通をやめた。三月に一度だけ小雪に預けた最後の封筒には、二枚の紙しか入れていない。
四月に小雪は六年生に進級し、担任の教師も遥ではなくなった。
――――――――――――――――
六年生の夏休み、親子は海水浴に来ている。ドライブも兼ねて遠く離れた海までやってきた。
小雪は海面から首を出し、砂浜を眺めていた。
綺麗な砂浜。心地よい波。ぎらぎらと照りつける太陽。入道雲。こちらをみている二人の人影。
「小雪ー! そろそろ昼飯にしよー!」
砂浜に座っている翼から大声で呼ばれる。
「はーい!」
砂浜へ向かい、小雪は泳ぎだす。
泳いでくる小雪を見ながら、遥は一抹の寂しさを感じている。隣に座る翼へ目を向けると、翼は嬉しそうに小雪を見ている。
翼と小雪は似た者父娘だと、遥はなんとなく思う。
今年の三月、小雪が翼から預かってきた最後の封筒はやけに薄かった。遥はいつも昼休みに翼が書いた小説を読み、感想を書いていた。
(今度はショートショートを書いたの?)
職員室の自席でそんなことを考えながら、封筒を開けると紙が二枚。一枚目は小説ではなく手紙だった。今までずっと、プリントアウトされた文章だったが自筆の手紙。
相沢 遥さま
今まで僕が書いた小説(今思えば、小説と呼べないようなものも多かったですが)のご感想、ありがとうございました。「小説家になって一攫千金。印税生活!」とあさましい目標から小説家を目指し、書き始めましたが諦めます。娘のためにも、今の勤め先で一生懸命、逃げないで働こうと思います。
正直に言うと、去年の十一月には小説家になるのは諦めてました。「諦めた」というより目標が変わってました。いつの間にか既に、以前から僕の目標は「先生が面白いと思う小説を書きたい」に変わってました。先生との文章のやり取り、すごく楽しかったです。
趣味として小説は書き続けます。
文章を書くことの楽しさ、難しさを教えて下さりありがとうございました。
最後に話が逸れて申し訳ないのですが、僕と結婚しませんか?
水川 翼
最後の一行で、そこまで手紙に書かれていた内容が遥の頭からほとんど消し飛んだ。遥は、震える手で二枚目の紙を開いた。
ダウンロードされたらしい婚姻届。「妻になる人」欄以外、全て記入されている。
遥は他の教師たちの声も、廊下からの子供たちの声も聞こえなくなった。
「……『いつの間にか既に、以前から』って、しつこいです」
自分の声だけが聞こえる無音の世界で、遥は呟いた。
なぜか、指摘事項はしっかり覚えている。
小雪が封筒を持って来るのを、楽しみにしていたことに遥は気付いた。
いや、とっくに気付いていたことを認めただけ。
少しだけ落ち着いた遥は小さく笑った。
――――小雪ちゃんが言ってたとおりのお調子者ですね。
砂浜を、小雪が笑顔で駆け寄ってきている。
遥は空を見上げた。大きな入道雲が海のむこうに立ち上がっている。
くすりと笑う。
そんな遥に気づいた翼が声をかける。
「どうしたんですか?」
まだこの二人は敬語が抜けていない。
「いえ、大きな入道雲を見たら、なぜか『新たな旅立ちの予感』がしたんです」
「あれは忘れて下さいよお」
翼は、ばつが悪そうに笑った。
遥は思う。
さっき感じた寂しさの理由は、まだまだこの父娘と家族になれていないから。
でも、きっといつか本当の家族になれると信じている。
だって、新たな旅立ちの予感がしたんだから。
――――水川 遥の夏休みの思い出。
最後まで読んで頂けて嬉しいです。
御感想、評価頂けたら励みになります。よろしくお願いします。
御感想には必ず返信させて頂きます。