3話
彼は動けなくなった。
どうしたらいい。
なんて声を掛けたら。
そうしている内に、エヴィの顔はくしゃくしゃに歪んだ。
エヴィは彼の胸ぐらを掴むと、思い切り彼をビンタした。
エヴィの力は、一般的な人間と比べたら貧弱ではあるものに、彼の想像以上に強く、彼は舌を噛むと口から血を流した。
エヴィは、もう一度手を振り上げる。
抵抗する事もなく、ギュッと目を瞑る彼を見たエヴィは、彼の顔を自分の方に寄せた。
穴が開く程に彼を凝視する。
「な、なんだい。僕の顔に何か付いて―――」
彼が言いかけるのを遮って、エヴィは彼の胸ぐらを引き寄せてキスをした。
舌を無理矢理口の中に捩じ込むと、ゆっくりと口の中を蹂躙し始める。
彼は目を回した。
「んっ……んんっ……」
エヴィは、片手で彼の頭を押さえ、片手で彼のシャツのボタンを外し始める。かなり手慣れているのか、直ぐに幾つかのボタンが外れた。
「んんっ! ぷはっ! ちょ、ちょっと、待ってくれ!」
何が起こったのかよく分からない彼は、彼女から離れ、一旦落ち着く為に深呼吸する。
エヴィはなんだか少しイラッとした様な表情をして、彼の手を掴んだ。
「どこへ連れてくんだい?」
エヴィは、彼の寝室まで辿り着くと、彼をベットに無理矢理押し倒した。
「え、落ち着いて、君の意識が戻ったのは嬉しいけれど、僕はちょっと歳がいっているというか、求めてくれるのは嬉しいのだけれどっ。あっっ!」
エヴィがシャツが大きくはだけた彼の首に噛み付く。
エヴィが首筋からブロンドの髪の生え際までを舐め上げると、彼は目を閉じ、顔を背けた。
だが、それ以上何もされない。
「え?」
目を開けて周囲を見回すと、エヴィがゴソゴソと、彼の布団の中に潜っていくところだった。
「ヴィっ……」
彼はそう言い掛けて言葉に詰まる。
エヴィは、布団の中に横たわると、パンパンと枕を軽く叩く。
一瞬ビクッと体を動かす彼を片手で手招きし、少し近づいてきた彼の腕を掴み、思い切り引っ張った。
「わっ!」
彼はそのまま布団に倒れる。
彼女は、彼のシャツの中に手を滑り込ませ、彼の肌を直に抱きしめると、そのままスースーと寝息を立て始めた。
「…………眠っている?」
何処かあどけない表情をした女性が、気持ち良さそうに寝息を立てている。
起こすのも忍びないと思った彼は、靴を脱いで布団に入ると、そのまま寝息を立て始めた。
朝、彼が目を覚ますと、エヴィが相変わらず彼を抱きしめたまま、スヤスヤと寝息を立てていた。
彼が時計を確認すると、そろそろ起きなくてはならない時間だった。
「僕もこのまま眠っていたいけど、仕事に行かなくてはならないから失礼するよ」
眠っている彼女の額にそっとキスをし、彼女の腕からそっと抜ける。
音を立てない様に、その場を去ろうとするが、彼の腕は思い切り後ろに引っ張られ、彼は再びベットの中に倒れ込んだ。
「ん?!」
彼は、エヴィに再び、そしてより強くホールドされてしまった。
エヴィはしっかりと目を瞑っている。
「……起きているのだろう」
エヴィがピクッと動く。
彼女の反応が言葉より雄弁に、彼に返事をした。
「僕は仕事に行かなくてはならないよ。朝食は作って行くから」
エヴィがムッと口を窄める。
彼の腰に自分の顔をグリグリと押し付けると、彼女はこっそりと片目を開いた。
「おはよう」
エヴィがシュッと布団に隠れる。
彼女から解放された彼が、立ち上がった。
「まだ眠かったら、ゆっくり眠っていていいからね」
彼は、温和な表情でエヴィに語りかける。
彼女は布団の中から、こっそりと彼を覗き見ていた。
「おはようございます……今日はその、なんだか肌の艶が良いですね。何か良い事でもありましたか?」
「え“っ! ははは、そうですかね」
ブロンドの教師は、なまじ外れていない指摘に焦り、苦笑いをする。
なぜ気付かれたのだろう。
話しかけた教師は、じっと彼の首筋を見つめる。ハッとしたブロンドの教師が、手で首筋を覆った。
「授業の支度があるので、僕はこれで」
「あっ! ちょっと」
彼に話しかけた教師が引き止めようとするが、ブロンドの教師は足早にその場を去る。
「あの先生があんな跡付けてくるなんて、珍しい」
「跡? 跡って何よ」
「首筋に赤く噛まれた様な跡があったのよ」
「え。新しい人見つけたって事?! うっそ! ちょっと狙ってたのにー」
彼に早くも新しい女性が出来て、彼が首筋に跡を付けたまま職員室に来た事は、暫くの間、教師達の間で噂になった。
「チッ!」
そしてその教師達の中には、噂の内容が気に入らない女性も混じっていた。
彼が家に帰り玄関の前に立つと、焦げ臭い臭いが彼の鼻につく。
彼が恐る恐る玄関を開けると、調理場から黒い煙が上がっている。
調理場から彼が帰って来たのを確認したエヴィが、おかえりと言いたげに彼の方に手を振った。
「これは……凄い色の煙だね」
荷物を置いた彼が駆け寄る。
彼が調理場を覗き込むと、調理場には、彼の書斎にあったマンドレイクの秘薬の作り方という本が立てかけられており、一通りの材料が揃っていた。
彼は驚いて少し目を見開く。
「マンドレイクの秘薬をフライパンで作ろうとしたのか。君は……博識だね。なかなかに面白い。ふむ、どれどれ」
彼が、フライパンの上に乗ったマンドレイクだったと思われる真っ黒な物体を見て、一旦火を止める。
彼は、ホッとした様に息を付いた。
「残念だけれど、少し火が強かった様だね。これは持ち直せそうにないね」
桶の中に魔法で水を張ると、そこにフライパンを突っ込む。
ジュー! と音を立てて桶に入ったフライパンをエヴィが手に取る。彼女は、忌々しそうな目でフライパンを見つめた。
彼は、エヴィの頭の上に、彼の大きな手を乗せた。
「フライパンに罪はないよ。大丈夫。君ならきっと、そんなに難しい事じゃないさ、ヴィー……。いや、違うね。それは僕が付けた名前だ。君の名前ではないね」
彼は少し寂しそうに笑う。
「君の名前を、教えてくれるかな?」
エヴィが彼を見つめる。
彼女は自分の口を指差すと、ぱくぱくと口を動かした。
「声が出ないんだね。文字を書く事は出来るかい?」
エヴィは、少し考えると首を横に振る。
ブロンドの彼は、少し困った様な顔をした。
「文字を書く事は出来ない。でも、文字を読む事は出来るね?」
エヴィは首を縦に振る。
彼は、ホッとした様に笑うと、紙とインク、万年筆を用意した。
彼は、文字を一通り紙に書くと、それをエヴィに渡した。
「出来た。話したい文字を順番に指差せば、簡単な会話をすることが出来る筈だ」
エヴィは、紙を受け取ると、文字を指差し始めた。
「ヴィ・ー……それは私が付けたあだ名だね」
エヴィは首を縦に振る。
彼女は自分の方を指差した。
「エヴィと呼んでもいいと、言ってくれているのかな?」
エヴィは口を尖らせている。
彼女は、先程と同様に「ヴィ・ー」と、指差した。
「ヴィー……」
エヴィは満足気な表情で笑っている。
彼女は、エヴィではなく、ヴィーという呼び方が気に入っているらしい。
彼は、少し嬉しそうに笑った。
「ヴィー。お腹が空いてはいないかい。夕飯にしようか」
一日の仕事を終え、彼は風呂に浸かっていた。エヴィとの意思疎通が出来る様になって、それまでの毎日の仕事量と比べれば随分楽になったなと、彼はホッとする。
こんなに穏やかな気持ちで風呂に浸かっていられるのは、いつ振りだろうか。
そうして感傷に浸りながら湯船に浸かっていると、風呂場の扉が徐に開き、そこにはタオルを一枚を巻いたエヴィが、ドヤ顔で立っていた。
「ヴィー?!」
彼女は堂々とタオルを取り払うと、軽く体をお湯で流し、呆気に取られている彼の浸かっている浴槽へと足を踏み入れた。
エヴィはリラックスした様子で湯船に浸かり、彼の背中にもたれ掛かる。
「ヴィー、僕は先に出るから……」
彼女が振り向く。
彼女はそのままお風呂から上がろうとしている彼の体に体重を掛けて彼を湯船に沈めると、両足で、彼の腰を挟んだ。
彼の頬に手を当てて、彼の髪をかき揚げ、そのまま抱きしめる様に彼の背中に手を回すと、彼は、わなわなと震え出した。
「……ヴィー」
エヴィが、彼の低い声にギョッとする。
彼はエヴィを抱き抱えると、軽く体を乾燥させる魔法を掛けた。シュワっと蒸発した水滴を気にも留めず、そのままベッドへと彼女を運ぶ。彼はエヴィをベットへ横たえると、強引に彼女の両腕を上から押さえつけた。
「はあー……。ヴィー、君はね、僕が理性を保つのがやっとな位の美人なんだ。軽率にそんな事をしてはいけないよ」
彼がエヴィの髪をそっと撫でる。
エヴィは、ニヤッと煽る様な笑みを浮かべると、彼の腕を引き、彼を思い切り自分の胸に引き寄せた。
エヴィは彼を抱きしめると、彼の頭を撫で始める。彼を抱きしめるエヴィの力は、それまで死にかけていたとは想像し難い程に強く、だが普通の人よりも弱い。
決して大きくはないが、人並みの女性の大きさの、それも裸の女性の胸の谷間に顔を挟まれてしまった彼は、ハッと我に帰ると、慌てて自分の顔を彼女から引き剥した。
「ヴィー!」
怒られると思ったのか、エヴィはさささと布団に潜り込む。布団の中からチラリと様子を覗き見るエヴィを見た彼の怒りは、しゅんと途中でなりを顰め、彼は諦めた様に小さくため息を吐いた。




