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勇者の家のキッチン水栓が壊れた(後編)

【この物語の登場人物】


天野太郎あまのたろう = 水道屋さん。節度ある偏屈者。


ジョル = 甲斐性なしのヘッポコ勇者。


マギ = 勇者ジョルの女房。遊び人のパートで家計を支える。


バビロ = ジョルとマギの息子。高校生。賢者系の大学を志望。


「ほら見て、このレバーを上げるとね、水栓の本体から水がチョロチョロと漏れ出すのよ」


 マギが、太郎に壊れた水栓の説明を始める。勇者のジョルの家のキッチンのそれは、シンクに取り付けるタイプのシングルレバー混合水栓だ。


「あちゃ〜。これはひどい。内部部品の消耗による漏水ですね。申し訳ありあせんが、この器具はもう生産中止になっていて、修理部品も無いのです。新しい器具に取り替えるしかありません。ちなみに奥様、この器具は、何年ぐらいお使いですか?」


 水と湯及び水量の調整をワンハンドで出来るレバーを、クイクイと上げ下げし、漏水の状況を確認しつつ、太郎はマギに尋ねた。


「え~と、この建売住宅を購入したのが、息子のバビロが生まれるずっと前だから。かれこれ、20年にはなるかしら」


「ほう、20年とは、随分と長くお使いになられましたね。衛生器具は通常10年前後で不具合が発生するのです。いやはや、水垢なども無く綺麗にされていますし、本当に大切にお使いになられた」


「まあね、こう見えて、私、実は生真面目で綺麗好きだったりするから。て言うか、私、元は宮殿の侍女だから。エッヘン!」



――――



「今日はカタログをお持ちしております。それでは新しく取り付ける器具の選定をしましょう」


 太郎は、鞄の中から、各メーカーの水栓のカタログを取り出し、それをキッチンのシンクの上に並べて、おすすめの器具の紹介をはじめる。


「やめて、やめて。水栓なんて何でもいいわ。安いのを適当に取り付けてちょうだい」


 マギが両手を大きく広げ「ストップ! ストップ!」のゼスチャー。


「そうおっしゃらずに。ほら、見て下さい。最近はとても便利な水栓が沢山発売されていますよ」


「いや、マジで、私、こういうのちょー面倒臭いのよ。じゃあ、こうしましょう。天野さんのおすすめの器具を取り付けてちょうだい」


 いやいやいや、奥様、お言葉ですが―― そう言って太郎はマギに「衛生器具を販売する側の思い」を率直に伝えた。


「いやいやいや、奥様、お言葉ですが、衛生器具は、毎日欠かさずに使うものであり、一度設置をしたら、そう簡単に取替をするものでもないのです。それはキッチン水栓を20年間大切に使われた奥様が一番分かっているはずです。だからこそ、取り替えをする時は、どうか、こだわって選んで頂きたい。それが僕の願いです」


「何を急に熱く語っているの。キモイんですけど。そりゃあ、天野さんの言うことも一理あるけれど、でもお金の掛かることだしねえ。正直言って私は今より安い水栓で結構なのよ」


「衛生器具を取り替える時は、既存の器具よりワングレード。出来ることならツーグレード上の商品をおすすめします。快適性がまるで違います。取り替えて良かったと、必ず痛感して頂けます。経済的な事情がある場合は、せめて同等品を。既存の器具よりグレードを下げるのはおすすめ出来ません。使いはじめてからの不便さは想像を絶します」


「うるさい人ねえ。まじウザい。こだわれって言われてもねえ、こっちは、まず何をどうこだわってよいのかが分からないのよ」


 その時、リビングのソファーで黙々と新聞を読んでいた勇者のジョルが、ぼそりと口を挟んだ。


「なあ、天野さん、うちの女房は、毎日丁寧にキッチンをにスポンジで洗うんだけどさ、シンクの側面を洗う時が、傍から見ていても、なんだか手間な感じなんだよ」


 よし、来た! 内心ガッツポーズの太郎は、喰いつくように返答をする。


「それならば、シャワーホース引き出しタイプの水栓が御座います。これさえあれば、大きなシンクの側面から隅々までハンドシャワーでお掃除簡単」


 父の発言に触発されるように、息子のバビロが、おもむろに意見を述べる。


「以前から言おう言おうと思っていたのだけれど、うちの蛇口から出る水はカルキ臭いんだ。出来ることなら、もっと美味しい水が飲めたら、僕は嬉しいな」


 太郎は、バビロのちょっとした要望も、がっちりキャッチして逃がさない。


「それならば、浄水器内蔵型の水栓が御座いますよ。さあ、お二人とも、まずは、このカタログをご覧ん下さい」


 太郎は、カタログを持ってリビングのテーブルに駆け寄よる。勇者のジョルと息子のバビロが、太郎が開いたページを覗き込む。三人は水栓のカタログを熱心に捲りはじめた。


「ちょ、ちょ、ちょっとー。私をのけ者にしないでよお」


 一人だけキッチンに取り残されたマギが、リビングでカタログを凝視するジョルとバビロの間に、慌てて割り込む。

 それから勇者ジョル一家は、家族みんなで、ああでもないこうでもないと、カタログのページに穴が空くほどの熱心さでキッチン水栓の選定をはじめたのだった。


 ついさっきまで、ギスギスしていたあの家族はどこへ行ったのやら。太郎はそう密かにほくそ笑んだ。


「ねえねえ、天野さん、前言撤回よ。このカタログ、しばらく借りしてよいかしら。家族みんなでしっかり話し合って、絶対に後悔しない器具を注文したいの」


「勿論です。是非とも家族でお話合いをして下さい。即決なんて、なさらずとも結構です。時間の許す限り、思い切り悩んで下さい。連絡を気長にお待ちしております。では、今日のところは、私はこれで……」


 ねえ、バビロ、これ素敵じゃない。


 ママ、こっちのはどう? 


 おい、マギ、見ろよ、こんなお洒落な水栓があるぜ。


 和気あいあいと会話を始めたジョル一家の邪魔をしないように、太郎は場の雰囲気を汲み取って、リビングをそそくさと退出をする。


 衛生器具とは、当たり前のように毎日使うもの。だからそこ、せめてそれを取り替える時ぐらい、家族の一大イベントであって欲しい。太郎は、心からそう思うのだった。


 リビングの扉を静かに閉じようとしたその瞬間、カタログを見ていた勇者のジョルが、帰り際の太郎に大声で叫んだ。


「おい、そこの商売上手! いろんな意味で、ありがとよ!」


 太郎は、勇者ジョルに、にっこりと笑って、頭を下げ、


「いえいえ、弊社は、決して儲かる商売はしていませんので」


 ビジネストークもそぞろに、ジョル邸を後にする。


 外に出ると、三丁目界隈には朝から賑やかな人の波。たくさんの家族連れがショッピングを楽しんでいる。

 そうか、今日は土曜日だ。あらためてそう思ったら、「何だかなあ……」太郎は、たまらなく家族に会いたくなった。



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