能ある鷹は爪を隠、せなかった!
破天荒な編入生を迎えた三限目。
科目は『魔力運営学』。
基礎科目の一つであり、ミシェルとしては研究のための独学で概ねの知識を修めているので、反復作業よりも退屈な予感がしていた。
専門科目は講堂で行われるが、基礎科目は教室で教員が指導する。
ミシェルは窓際の列の最後席から、教壇に立つ人物を見て思わず、ゲッと奇声が口から漏れそうになった。
高齢だが、しゃんと背筋の伸びた女教授だった。
加齢によるしわを顔に刻みながら、鋭い目つきから放たれる眼光はむしろ生気に満ちていて、老齢である印象を一切感じさせない迫力がある。
例えるなら、鬣の白い獅子。
そんな比喩が似合う風格の持ち主だ。
女教授の登場に、教室中が騒めいている。
不審に思って、ミシェルは隣の男子生徒の方へ体を近づける。
「みんな、どうしたんスか」
「ひっ。あ、ああ、今まで魔力運営学を担当していたオーネス教員と違うからだ。それに、彼女は専門科目の『魔法力学』の権威だ」
「へ、へえ」
重厚な説明にミシェルは乾いた返事を返す。
一瞬、教壇に立った女教授は視線が合うと片目を閉じて気さくに微笑む。
それだでミシェルは背筋が凍った。
本人にその意図は無いだろうが、獅子に威嚇された兎のような心境になってミシェルには恐怖しかない。
「静粛に!!」
だんっ!と教壇を強く打つ足音に空気がびりびりと震える。
一瞬で全員の背筋が伸びる。
その光景にミシェルは、ほうと感心した。
背中に冷水を落とされた時のような戦慄ではなく、一人の厳格な指揮官が統率する兵士に与える緊張感に似ている。
「今日はこの授業を担当しておるオーネスのバカが体調不良なんで、わたしが代行することになった! ルメス・オーリグ・アテメテュス、よろしく!!」
簡単で失礼な自己紹介に静かな歓声が湧く。
ミシェルは改めてその名を聞いて頭を抱えた。
ルメスとは、以前から顔見知りである。
ミシェルが催眠魔法の分野の一つ――『魔力誘導学』の権威となった際、師であるベルソートよりも先に自分を祝ってくれた相手だ。
最年少且つ元浮浪児とあって快く思わない大多数とは異なり、ミシェルを歓迎してくれた貴重な一人でもある。―――のだが、祝辞と同時に共同研究の提案を熱く進言され、研究者らしく探究心に熱意を燃やす人物で独りで黙々とやりたいミシェルには相性が悪く、苦手な相手でしかない。
少し顔を見ると、すぐ勧誘してくる。
正直……………ちょー苦手っス!
「こ、声デケェ」
「おいクソガキ。失礼だぞ」
前からアーマインの注意する声も聞こえない。
ミシェルには分かる。ルメスは教室全体を見ているようで、その意識が自分に向けられていることを。
先ほどから獲物として見定められた被捕食者としての危機感が消えてくれない。
「では先週からの復習といこう」
背後の黒板へとチョークを手にしてルメスが振り返る。
視線が切れて、ミシェルは安堵した。
「万物に宿る魔素。魔素の流動によって発生する新たな力の法則が魔力、魔力を特定の方法で体外に発散して現象を起こす手段が魔法という前提はいいな?」
「知ってるって……」
「魔力運営学は、基本的にこれを体、細部に分けると筋肉や骨、より特定の器官などに分けて魔力を巡らせる方法を学ぶ。 本来、どんな生物も魔力は全身に満遍なく通っているが、魔力操作で特定の部位に集中させることで機能を上昇させられる」
今語られるのは、魔法使いにとって初歩中の初歩の技術であり、しかしその練度が魔法使いとしての格に直結する。
魔法使いの優秀さの評価の大半は、この技術で決定される。
「発声器官に対象を絞れば、声を媒介にした魔法が使えたりというのが一般的な例。要は魔法使いにとっては基礎中の基礎だな。 基礎だからと侮って、これを忽せにすれば進歩は無いと思え」
厳しい注意から始まる授業に、皆が聞き入っている。
高名な魔法使いの講義とあって、もはやその集中力は元々担当していたオーメス某に日頃から向けられている物以上かもしれない。
ミシェルは顔も見ていないオーメスに同情した。
名声には勝てん。
ミシェルとしても興味はある。
共同研究の提案はさておき、ルメスは現代の魔法文明における重鎮の一人だ。
その人生で培った魔法学の理論は財宝に等しい。
基礎科目としての説明ゆえに奥深く踏み込むことはないが、内容としては許容されている限定の範囲でありながら高水準だ。
聞いていて飽きない。
前のアーマインも、攻撃する隙を窺ってなのか最初はミシェルに意識を割いている素振りだったが、今や黒板の文字とルメスの声に意識を傾注している。
学習意欲の高まった生徒たちの反応にミシェルは目を眇めた。
たしかにルメスの講義は貴重だ。
だが、彼らの意識を授業に専心させているのはそれだけではない。
「早速、手が早いっすね」
ミシェルは嘆息する。
いま教室に響くルメスの声に魔力が宿っていた。黒板に走るチョークにすら同様の技術が用いられていた。音と文字の両方が文字通りの魔的な魅力を有して相手の意識を引き付けていた。
ルメスが先刻挙げた『一般的な例』が早速使われている。
果たして、この中に気付いているのは何人いるだろうか……………。
「――であるからして…………。 では、クルセイガー君。爪先に魔力を集中させた場合の上昇効果を得る機能と反動について答えろ」
「瞬発力?反動は……」
質問内容にアーマインが当惑する。
しばらくしても回答が得られないと見て、ルメスの視線が……………。
「では、そこで眠そうにしているエンテント君」
「ぶぇッ!?」
「君に答えてもらおう」
えーーーーーーー!!
そんな悲鳴を呑む。
既に不細工な声を上げてしまっているが。
教室の意識が、ルメスの魔力によってミシェルへと余さず集中している。
ミシェルは嫌だと顔をしかめた。
「上昇する機能は体重移動の補助、反動は足の長母趾伸筋や母指外転筋の急激な摩耗…………あと、足首への負荷が半端なくて下手すると捻挫っス」
「うむ、正解!」
満足げなルメスにミシェルは胸を撫で下ろし――――…………問われた内容を思い返して、ハッとした。
それ、専門分野の魔法生態学じゃないと知らんヤツでは!?
ミシェルは即座に周囲の反応を見た。
生徒一同、ぽかんとした顔でミシェルを見ている。
次に、ルメスを見た。
にんまり、と笑った笑顔がそこにある。
「エンテント君は優秀だな!」
「は、嵌めやがったな……!」
ミシェルはため息を付きそうになって、ぐっと堪える。
こういう人だった。
ルメスは自身に留まらず、優秀な人材ならその才能を衆目の面前で披露して評価させたがる、控え目に言って有難迷惑の極致たる人柄だった。
教室内で密かに蟠っていたミシェルへの悪感情を察しての行動なのだろう。
再びルメスが黒板に向き直る。
隣の男子生徒がミシェルへと体を寄せた。
「凄いじゃないか、ミシェル君」
「いやー、最近読んだ本に書いてあったよーな」
はは、と笑うだけの反応をミシェルは返す。
どっと疲労を感じつつ、再び前に視線を戻したとき。
「ん?」
「チッ」
いつの間にか後ろに振り返っていた前の席のアーマインと一瞬だけ目が合い、すぐ舌打ちしながら彼は前へと向き直った。
ミシェルはその敵意むき出しの態度に目を細めつつ、意識は黒板とルメスに向けた。
「友だち百人、無理そうだなぁ」
× × ×
授業が終わって、ミシェルは机の上に伸びる。
隣の男子生徒が嘆息していた。
「初日からこの調子か」
「こんなんやるより、独学の方が早いっスよ」
「しかし、今回のように高名な魔法使いの方から薫陶を受ける機会もあるんだぞ」
「ふうん」
ミシェルは首を横に振る。
学園という物をほとんど知らないミシェルからすれば、さほど魅力的には聞こえない。
本来なら中等部から始める年齢でありながら高等部に途中編入したという設定も差し引いて、やはり授業は退屈だ。
この講義で費やした時間で論文がどれほど書き進められたか…………。
「そういえば、君の名前を知らないっスね」
「ジルクス・トーリだよ。よろしく」
「ああ、どうもー」
名乗った隣の席の男子生徒ジルクスから差し出された手に、ミシェルは握手だと察して応じる。
長く伸びた髪で目元まで隠したそばかすの少年。
自己紹介のインパクトを受けた一人でありながら優しく対応してくれる事を意外に思い、少し興味を抱いてミシェルは体の正面を彼に向けた。
「あたし学生向いてない」
「興味があって入ったんじゃないのか?」
「無理やりっスよ」
「親の意向?それは大変だな、俺も同じだから分かるよ」
「そうっスね。空気の読めない使い魔に、無理強いしてくる爺に、人のやること妨害してくる偉そうな人たちで苦労が絶えないっス」
ミシェルは半生を振り返って空笑いする。
ジルクスはその言葉に対して何か感じ入ったのか。
「でも意外と楽しいよ?まあ、俺もまだ高等部が始まったばかりだけどさ」
「まあ、今は大変そうって感想だけっスね」
「そっか」
「正直、ルクセイオ先輩みたいに親切にしてくれる人がいなかったら、門前で踵を返してたっスね」
「そういえば、二人とも仲良さそうだったね。あのルクセイオ先輩が人と親しげに話しているのを初めて見た」
「え、そう?」
「ルクセイオ先輩……生徒会長は、誰にだって平等だけど誰かと個人的に深く関わるっていうのが無いんだって。それこそ生徒会のメンバーにも事務的な態度だけらしいし」
「…………ほへー」
そういった態度や優秀さから恨みを買い、刺客を差し向けられたのか。
ミシェルの魔法技術を用いて、しかも三人も殺し屋を動員する徹底ぶりはそれだけの理由で実行されるとは思えない。
ミシェルは頭を振る。
どうせ放課後にまた会うのだから、その時にでも詳しく訊けばいい。
「人と仲良くなるのは難しくないっスよ」
「そうなの?」
「第一印象さえ挫かなければね。その点において、あたしは猫被るのは大得意っスから!」
「いや、この教室ではもう失敗してなかった?」
「うぐ」
ジルクスの鋭い切り返しにミシェルは言葉を詰まらせる。
たしかに、この教室では途中で面倒臭いからと努力を放棄して盛大に失敗した。そのため、クラスメイトとの関係修復から始めなくてはならない。
やはり、前途多難だ。
「そういえば、ジルクスも寮生活なんスよね?」
「ん?ああ、そうだよ」
「魔法学園の寮ってどんな感じなんスかね」
「綺麗な所だよ。豪華だとは言い難いけど、過ごしやすいのは間違いない」
サマレス曰く、これからは学生寮で生活することになっている。必要品は既に室内に揃えられているらしく、研究室には暫く戻れない。
住心地が良いなら、まあ、良しとしよう。
「あ、生徒会の欠員が出たって話を聞いたんスけど」
「あ、それ知ってるんだ?」
「ルクセイオ先輩が言ってたから」
「……色々あったあらね。生徒会の一人が違法薬物を調合して爆死したんだよ」
「……?授業で必要だから調合する必要があったとか?」
「いや、そうじゃない」
「生徒会の仕事?」
「いやいや、そんなワケ無いよ。生徒会は生徒に許容された範囲での学校の運営と行事の発案、その他にも素行の悪い生徒や校内で行われているであろう犯罪の取り締まりだよ」
「うへぇ」
ミシェルは思わず半身だけ後ろに体を引いた。
いつか生徒会の世話になりかねない。
ルクセイオに説教される未来の自分が容易に想像できてしまう。
「お、お手柔らかにって頼んでおこう」
「ん?」
先を予測して情けを乞うミシェルにジルクスは当然意味が分からず首を傾げる。
「良ければ、もっと学園の事を教えて欲しいっス」
「うん。俺で良ければ」
二人でその後も学校について談笑していた。
ジルクスは、このレギューム魔法学園を擁するレギューム島を囲う海の向こう側にある北大陸のセルメヤス王国のトーリ男爵家出身で四男であり、多少は魔法の才があるからと将来領地運営に役立てる為にと魔法学園へと捩じ込まれたそうだ。
互いの苦労を話している内に、意気投合してすっかり仲良くなった。
そんな風に二人が会話を弾ませていると、近づく一つの影があった。
「エンテント君、少し話せないか?」
「げ。その、声は」
後ろからかかった声にミシェルは顔に渋面を作る。
振り返れば、そこにルメスの笑顔があった。
わざわざ高名な魔法使いに直接声をかけられた一学生という状況では断り難い。
泣く泣くミシェルはジルクスに挨拶をして自身の鞄を持つと、ルメスと共に退室した。
「久しいな、エンテント」
「どうもっス、アテメテュス教授」
「他人行儀はよせ、最初の頃のルメス婆さんで良いぞ」
相変わらず距離が近い――と、ミシェルは顔をしかめる。
その態度が尚の事気に入ったのか、ルメスは嬉しそうにミシェルの両肩に手を置いた。
「しかし、どういう風の吹き回しだ?オマエの名を名簿で偶然目にしたから、オーネスを失神させて代理を演じたんだが」
「うわ、何してんスか」
「オマエと関わりたいだけだ」
「迷惑」
後退するミシェルを掴んで離さない。
最も苦手とするルメスの一面とまさに直面して、ミシェルは半ば涙目になっていた。
「それだけオマエには価値がある!わたしはおまえが大好きだ!」
「は、はあ」
ミシェルは魔法使いに嫌われている。
ベルソートが見出した以外は、出自も最悪なら魔法を悪用していた前科まであった。
魔法を崇高な物とし、探究する魔法学の権威たちからすれば、ミシェルは魔法文明の汚点そのもの。
だから最初はミシェル本人には過剰な排除勢力すら発生した。
ところが、今や研究成果でそれらを制圧し、自らを最高峰の魔法使いとして認めさせている。ルメスが興味を抱くのは、幼いながら相手の物言いを封じさせたミシェルの実力にあった。
「ルメス婆さんも変わってるっスよね」
「そうか?」
「魔法使いが相手を大好きなんてそうそう言わないし」
「確かにな」
魔法使いは基本的に利己的な人間である。
研究者ならば、競争相手は皆が憎むべき敵だ。
残酷な例としては、己の研究の為だけに人を襲う者もおり、或いは互いを妨害する醜い暗闘を繰り広げる厄介者すらいる。
当初のミシェルは特にその的だった。
伝説であり、現代では皆が諦められていた『至宝』は、ミシェルの前に授かった者でも四千年は前とされる。
「それで、オマエはどうして学園に?」
「師匠がこの際だから学生時代というものを経験しろ、だそうっス」
「そんな気の利く爺だったか?」
「いえ」
「だよな」
「あはは」
「オマエは数年前から話題に事欠かん。大魔法使い三人目の弟子、研究成果、『至宝』認定、そしてあの使い魔…………オマエが出てくるとなれば何事かあるに違いないと思うだろ」
その評価にミシェルは涙する。
好き勝手やっただけなのに、全てが功績として数えられる。名誉云々は実際どうでも良くて、ただ好きなことを追究したいだけなのだ。
その所為で、今やこんな面倒事になっている。
ともかく、任務のことを部外者に語ってはならない。
これが大原則な以上、相手がルメスでも語れない。
「いや、本当に師匠の粋な計らい?らしいっス」
「そうか。てっきり、わたしはアルトリウスの『禁忌』の一件に絡んでいると思っていたんだが」
「その名前は口にしないで欲しいっス」
「……本当に大丈夫か?オマエは、アイツを慕っていたじゃないか」
「一生部屋から出れないバカな兄弟子なんてどうでも良いっスよ。てか、この話はしないで下さいっス」
ミシェルは顔を顰めて話を終わらせようとする。
ルメスはその心情を慮って話題を変える事にした。
「ま、そういう事なら学園生活を大いに楽しめ。わたしもオマエがいるとなれば楽しくなってくる」
「もう今回みたいなのはやめて欲しいっス。オーネス先生とやらに後で謝っとくんスよ?」
「はは。そうだな……それでは、また何処かで会おうミシェル」
暇乞いを告げて去っていくルメス。
ミシェルはその背中を見送った後、自身も教室へと戻った。
× × ×
放課後になり、ミシェルはようやく解放されると思って机の上に脱力して伸びた。
あまりの崩れっぷりに隣でジルクスが笑う。
「だらしないなぁ」
「ホント、マジで毎日これとか憂鬱」
「はは……あ、ジルクス。ルクセイオ先輩って何処にいるんスかね?あたし放課後に会う約束してたんだけど」
「え、生徒会長に?」
放課後に会って話すべき事がある。
催眠魔法が仕掛けられたかもしれないルクセイオの私物などの調査をして捜査を進めなくてはならない。
「ミシェル君」
「ほあ?」
「すまないが、今から同行願えるかな?」
隣から聞こえた声に振り返ると、ルクセイオが立っていた。
積み重ねられた紙束を両腕で抱えたまま、その場に佇んでいる。
教室内で彼を見て小さく歓声を上げる少女たちの声がした。ジルクスも、いつの間にか近くにいた生徒会長に驚いて固まっている。
目にしただけで惹きつけられる魔性の存在感。
一方でミシェルは、その美貌に見惚れていたわけではなく、その大荷物を抱えている彼の姿に面食らって黙っていた。小柄な自分では持てない量、よくイグルに力仕事はやってもらったなと心の中でぼやく。
「椅子と参考書には触れて無いっスね?」
「ああ。忠告通りにね」
「それで、たしかルクセイオ先輩もあたしに用があるって言ってたっスよね」
「編入生には一応、生徒会の誰かが編入手続きの再確認を本人にしなくてはならない」
「再確認?」
「ときに名を偽って成りすました人物がそのまま入っていることがあるんだ」
「それで、あたしも再確認を?」
「ああ」
「えー?正直そういうの勝手に師匠がやったんで書かれた内容がどんな物か把握してないっスよ」
「師匠、君に?」
「ええ」
「……とにかく、まずは生徒会室に来てくれ」
ルクセイオに呼ばれて、ミシェルは席を立って彼についていく。
途中、好奇の視線に晒されて落ち着かないミシェルを見てルクセイオが笑った。
「君もああいう視線は苦手か」
「崇拝されるのは良いけど、見世物にされるのは嫌っス」
「どういう感性なんだ……?」
生徒会室へは程なくして到着し、二人で向き合って椅子に座る。
資料だったり、茶会用と思しき茶器などが収納された棚は整理整頓が行き届いている。生徒会室の片付き様と、自分の研究室の散らかりっぷりを比較してミシェルは顔が引き攣りそうになった。
「それじゃ、始めよう」
ミシェルは訊かれた内容へ素直に答える。
任務内容はルクセイオに伝わっても問題ない。
訊かれた以上は答えず、訊かれたことにだけ答える。
まだミシェル自体もルクセイオのことを深く把握していないので、必要以上の情報交換は避けるべきだと考えた。
「……ふむ、確認事項は以上だ」
「どうもっス」
「さて、あの襲撃の件についてだが……私の椅子か机、参考書に何があったのか君には分かるのか?」
「ええ。たぶん催眠魔法の一種かと」
それも高度な、とミシェルは続けた。
「私の物に催眠魔法が?」
「あの場で診察した限りでは、術式の影響かと」
「……なぜ君には分かる?」
「催眠魔法は、あたしの得意技っスから。正直、弟子になったときから師匠にはそっち方面は自分以上って判定を貰うくらいに」
「独学、なのか…………あれが」
「逆に攻撃を目的とした基礎戦略魔法とかは興味無くて、関心の薄さの影響なのかめちゃくちゃ覚えるの大変だったっス」
ミシェルは苦笑するしかない。
好奇心を向けた分野の開拓は天才的でも、興味を引かれなければ人並み以下――という辛辣な評価を師に受けている。
いわば偏りに偏った人間だ。
魔法学の知識は、催眠の魔法分野以外では学生が学ぶ専門科目の知識を修めている程度。
そこから進める気は一切なかった。
気持ちが向かなければ動かない、単純明快な性格である。
「……君が僕にかけた、という線は無いのかな?」
「あたしが?」
「そう。襲撃に間に合ったのも、自分が仕掛けた事だからタイミングが読めていたのかもしれない。そもそも催眠魔法の術式はあまりにも弱いから僕があんな状態になるのは異常だ。もしそうなら、術式は僕を誘い出すだけで、あの通路で出会った瞬間に僕に魔法をかけた……とか」
「いや、あたしくらい優秀なら直接じゃなくてもルクセイオ先輩くらいちょちょいのちょいっスよ」
「えぇ……」
ミシェルがふんと腕を組んでふんぞり返る。
「あと!そんな事をしてる暇があったら、あたしは魔法の研究がしたいんで!」
「ミシェル君は催眠魔法を研究したいのか」
「そうっスね」
「……たしか『研究基礎』だと催眠の魔法分野の研究室は、ほとんどが研究生を求めてないな」
「そうっスね。最近まで先のない分野だから弟子を取って知識の継承を行うまでもない、って風流だったし」
そう、つい最近までは。
「それでも君は?」
「ええ。あたし、そういうの気にならないんで」
「逞しいな」
微笑むルクセイオは、窓の外の夕日を見た。
「そういえば、ミシェル君は寮が何処にあるのか分かるのかな?初めてだと言っていたし、まだ知らないなら案内しようか」
「あ、助かるっス。実際に知らないんで」
「そうか。では、先に私の教室へ行こう。机や椅子、そのままにした参考書が置いてある」
ルクセイオと談笑しながら移動する。
その時、通路で一人の女子生徒とすれ違った。
顔を俯かせたまま、覚束ない足取りで歩んでいく。
隣を通過した瞬間、ミシェルは違和感を覚えて彼女に振り返った。
相手はミシェルを見ない。
ただ静かに背中を見送るだけ。
「ミシェル君?」
「……………いえ、デジャヴな気がしただけっス」




