助太刀に参った!
学園の広大な敷地を駆け抜ける。
庭園の中でも学生たちが秘密の集合場所として使う茨垣で作られた迷路を、いま緊迫した様子でひた奔る影は四つ。
先頭で風を切るのは蜂蜜色の髪。
少年は後ろを振り返らず足を動かした。
「ッ、まだ来るか!」
複雑になっていく迷路に道の選択という余裕は無く、ただ勘で選んだ先を力走する。
背後からは三人の黒装束。
その視線は迷わず前を行く人影の一点を捉えていた。
その距離はじわり、じわりと縮む。
疲弊していく蜂蜜色の髪の少年に対し、まるで獲物を捕捉した狼のごとく、一晩中はその追走が能うかのような獰猛さは一瞬も衰える気配がない。
少年が角を曲がる都度に要する、刹那の停止と再加速への空白さえも無駄にしないような接近法は、たしかに狼の狩りそのものだ。
そんな獣たちの殺意を背中に浴びながら、少年は死力を振り絞る。
ルクセイオ・アーマ・リューデンベルク。
彼は魔法学園の生徒。
リューデンベルク王国の第三王子という身分がありながら、とある事情があって魔法を学びに学園へと入学した。
通い始めて四年が経つ。
蓄積した学びの中で、追跡者を撃退する魔法についても心得があった。
それがどうしてか。
「なぜ、魔法が使えないッ!?」
ルクセイオは誰にともなく叫ぶ。
体の異常はいつからだったかも分からない。
教室で席に着き、教師の到着を待ちながら教科書を開いた瞬間から記憶が曖昧だ。
何があったかを思い出そうとしても、やはり靄がかかったように頭がぼーっとする。
ただ、気づいたら庭園に独りぽつんと立っていた。
そして、間もなく自身を襲う黒装束たちに遭遇して魔法で応戦しようとしたが…………。
「僕の身に何が起きてるんだ…………?」
ルクセイオはぎり、と歯を噛む。
悔しいが分析する余裕が無い。
もう黒装束とは、角を曲がったり方向転換する度に間隙がすり潰されていっている。
捕まるのは時間の問題だ。
だが、救援を求める手段もなければ、そもそも人がいない!
「もう終いで良いな」
「――――!」
黒装束の一人が短剣を投擲した。
ルクセイオは反射的に腕を掲げて頭を庇う。
ただ狙いは頭蓋ではなく、刃は肩に命中した。刺さった箇所で激痛が炸裂し、守るために上げた腕がだらりと落ちる。
「ぐっ!」
痛みと疲労で足が縺れた。
前のめりで地面に転倒して、ルクセイオは止まった。
相手の失速を認めて、黒装束たちもまた速度を緩めて倒れる彼へと歩み寄る。
「へへ、意外と簡単な仕事だったな」
肩に突き立つ短剣で苦悶するルクセイオを、顔を隠す黒布の下で三人は嘲笑う。
茨垣の隧道となったその一本道で三角形に包囲するように少年の傍らに立つ。
退路を塞ぎ、己の余裕を確固たる物にする。
完全に勝者としての優位を確保した黒装束たちの視線は、これまでの確実に相手を処理する純粋な殺意の中に、かすかな愉悦を滲ませていた。
「しっかし、王族殺しの仕事かぁ」
「俺もこの業界は長いけど、滅多に無いぜ」
「日頃から連中には使い回されてるからなぁ、ちょっと鬱憤もあるんだよ」
「ッ…………!」
嫐られる未来を想像し、ルクセイオは歯軋りした。
動かなくてはならない。
だが、周囲には暗殺者三名、魔法は使用不能状態、肩に負傷した上に倒れた状態で可能な動作も反撃の手もかなり制限される。
悪条件ばかりが重なっていた。
まるで、この場で死ねとでも運命が告げているかのように。
黒装束の一人が進み出る。
肩に突き短剣の柄頭に足を乗せた。
押し込みながら足を捻り、傷口を広げるように抉る。
短剣が命中したときとは別種の、苦い激痛が脳髄を刺す。
悲鳴を堪える意味は無いが、ルクセイオはぐっと拳を握って声なき苦悶に留める。
「おお? 頑張る、頑張る」
感心したように、けれど蔑むように。
さらに黒装束は短剣への加圧を強めていった。
「ッあ…………!」
ルクセイオがこぼす小さい苦鳴に黒装束たちは歓喜する。
暗殺者らしからぬ余興に走り始めた彼らに対しても、しかし隙を見出だせずルクセイオはひたすら痛みに堪える。
「やってみると楽しいもんだ」
「今は授業中らしいからな…………助けは誰も来ねえぜ?」
「学園から出ず、常に誰かと行動するほど警戒していたのに…………今日は一人で生徒会とやらから教室へ戻る好機に狙撃しようかと考えていたが、よもや能天気に庭まで出てくるとは」
ルクセイオは状況の理不尽さを呪った。
黒装束たちの言葉の端々から読み取れる情報から察するに、王族だと理解した上で襲撃している。誰の依頼かまでは不明だが、リューデンベルク王族またはルクセイオ本人に怨みのある者が使嗾したに違いない。
たしかに、国を離れた王族など他の者からすれば利用すれば莫大な利益に繋がる垂涎物だ。
今日は異常があったとはいえ、今まで無事だった事こそ奇跡なのかもしれない。……この事態こそ、当然なのかもしれない。
――俺は、この死を受け入れるべきなのか。
段々と、ルクセイオの胸中には諦観によって粛々と死を許容する構えができつつある。
そう考えれば、肩の痛みも些末なことだった。
危機的状況の最中にありながら落ち着いていくルクセイオの様子に、興が削がれたように黒装束を包む空気が冷たくなっていく。
当初の目的を、殺意を思い出した彼らの瞳がまた冷たいモノを孕んでいた。
「ま、ここまでにしとくか」
「続きは報酬で買った女に発散しとけ」
「そいじゃ、お疲れ様ー」
各々が武器を取り出す。
何とも顔を顰めたくなるほど憚るべき下卑た欲求を口にしながら、その本分を全うすべく凶刃を掲げた。
逃げないよう、それぞれが肩や背中を踏みつける。
ルクセイオは瞼を閉じた。
思い出すのは学友たちと、抱いた夢と、魔法への理想と―――まあ、あとはこんな状況へと自分を陥れた己自身への小さな恨みでも胸に、最期を迎える。
「あばよ」
一人が終わりを告げる。
頭上では何をしているかは見えない。
ただ、背中に乗る足に力が込められたのを感じて、遂に来るのだと実感した。
死が到来する。
もうすぐ、思考も途切れる。
ルクセイオは、静かにそのときを待った。
「おや、今は授業中っスよ。まさか、こんなところで不良さんとお遊びっスか?」
呑気な声がした。
ぴくり、と背中の上の足が震える。
ルクセイオも違和感を感じ、うつ伏せの状態だった顔を持ち上げた。
茨垣の隧道の先、迫持状の出口を背にして、小さなローブの人影が佇んでいる。
「き、君は…………?」
「自己紹介は後で」
悪戯っ子のような、無邪気な笑みを浮かべる口元がフードの下から覗いた。
黒装束は突然の闖入者に、視線だけでなく凶刃をローブの人影へと向ける。
「おい、状況が読めてねぇのか?」
「見たが最後、処理する死体が二つに増えちまったなぁ」
闖入者に黒装束たちは半笑いで話すが、その語調に反して醸し出す空気は驚くほど冷たい。
茨垣の隧道を通る風だけが、厳冬の寒気を湛えているかのようだった。三人の殺意が、そう錯覚させている。
それでも、ローブの人影は。
「杜撰な仕事」
「…………あ?」
「殺し屋なのに無駄なことしてるなんて三流も良いとこっス」
この通り、全く調子を崩さず挑発的だった。
そんな相手の言動に、とうとう黒装束の一人が無言で地を蹴って飛び出す。
短剣を手に、低く床を這うような体勢で闖入者に肉薄する。俊敏な動きと姿勢は、さながら見る者に蛇を連想させた。
あと数瞬の内には殺される。
そんな残酷な結果の到来が、残る二人の黒装束とルクセイオが悟った未来図だ。
だが。
「――『耳を澄まして』」
闖入者の発した声が、異質な力を帯びる。
接近する黒装束に向けて身構えない。
闖入者がこつんと地面を軽く靴の爪先で叩く。――残り二歩の距離、もはや回避の猶予は皆無だった。
黒装束がここだと、ローブを貫かんと短剣を前に突き出した……が。
「ぁああああああああああッ!!?」
「……………え?」
剣先が闖入者のローブに到達する直前、黒装束がその場に頭を抱えてうずくまる。
見守る三人には、突然のことで意味が分からない。ただ、許しを乞うように頭を垂れながら絶叫し出した。
するりと、何事もないように隣を闖入者が過ぎていく。
悠揚とした足取りで、ルクセイオたちに近づいた。
ルクセイオを踏んでいた黒装束が慌てて構える。
「て、てめえっ!」
「アイツに何をした!?」
「何って、単に『靴の音を聞くと途轍もなく不安になる』状態にしただけっスよ」
「あ?」
「次は〜、『この指止まれ』」
フードが小さい手を前に出す。
黒装束二人の前に、一本だけ指を出した。
そこから何かが放たれる、と飛び退きながら注視した彼らも、次の瞬間には後ろに倒れて起き上がらなくなった。
ジタバタと、手足を振って暴れるだけ。
「な、何だこりゃ!?」
「うあ、気持ち悪い、うぇ、なんだこれ!?」
「『あたしの指先以外に焦点が合わなくなる』状態。…………ふふふ、趣深いっスよね」
困惑の声を上げて、地面を転がる。
そんな姿を尻目に、闖入者はルクセイオの前で膝を抱くように屈み込んだ。
「お迎えに上がりましたっス」
「君は、一体…………」
「自己紹介はー……って、まあ今でも大丈夫か」
途中で言葉が切られる。
フードを取って、ローブ姿の闖入者は隠れていた人相を露わにした。
その素顔に、息を呑む。
「本日から入学する事になったミシェルっス。よろしくお願いします、先輩!」
「さ、さっきの……外見年齢詐称少女!!」
「あぁん!?」
正体を明かした闖入者――ミシェルに、ルクセイオは傷の痛みも忘れて全力で驚愕に身を震わせた。




