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手足を得て




 初登校からルクセイオ暗殺未遂事件、アーマインによる洗礼があった翌朝。


「んー……眠い」


 ミシェルは寮部屋で目覚める。

 二段ベッドの下段から見上げる上段の底は、もう一人の気配で軋みを上げていた。

 ミシェルは寝台から起き上がって着替える。

 髪はイグルから貰った櫛を適当に通して、あとは放置した。

 既にシワだらけの学生服の上からローブを羽織る。

 まだ目の下には薄い隈があった。


「エンテントさん、おはよう」

「どうも」


 朝の挨拶にミシェルは嗄れた声で答える。

 二段ベッドの上で起床したルームメイトの少女が、寝ぼけ眼をこすっていた。

 東方を出身とすることを窺わせる色の深い黒髪を手早くまとめて、彼女はミシェルの隣へとやって来る。


「髪、やってあげようか?」

「やる必要ある?」

「女の子なんだから当然でしょ」

「んー…………お願いします」


 ミシェルは渋面で少女に頼む。

 少女は満足げに笑ってミシェルの髪を指で梳く。

 彼女はエルゥ・アイト・ヘルドバルト。

 大陸北東部の小国の王族、とミシェルは聞き及んでいる。

 腰まである黒髪に、艶やかな紫檀のようにさえ感じる褐色の肌は、普段は外観の美醜などに興味を持たないミシェルにさえ色香を感じさせる。

 やや垂れ目の視線は、見つめた相手がどきりとする『魅了』の催眠魔法の効果を宿しているとさえ錯覚する甘い視線を送られている。


「あんまり手入れしてないでしょ」

「そうっスね」

「駄目だよ?エンテントさん、女の子なんだから」

「別に、誰もあたしなんかに注目しないっスよ」

「手入れしてないと逆に目立っちゃう。これから私たちも忙しくなるから、自分でできるようにならなくちゃね」

「うへぇ」


 この先訪れるであろう自身で身支度する生活……普段からやっていて然るべきなのだが……を想像してミシェルは情けない声を上げる。

 親切な同居人がいなければ、今日の朝から開始を余儀なくされただろう。

 自ら世話役を買って出てくれるエルゥの優しさだけが今のところミシェルにとっての幸福だった。


「エンテントさん?」

「いえ。ちょっとぼーっとしてただけっス」


 レギューム魔法学園の寮は基本的に一部屋二人。

 魔法使い、特に研究者は自己中心的になりやすく、人との協調性が無い者がよく禁忌の魔法の研究に手を出す傾向がある。

 そのため、学生は共同生活を強いられた。

 在籍している身としては遵守すべきなのだが、ミシェルは早々にその理念に辟易している。

 基本的に洗濯や、その他の自己管理を他人に任せることができない。鋼のような自主性の養育を目的とした体制だった。

 いや、そこは別にどうでもいい。

 学生と身分を偽るのなら、これに従うのも作戦の必要事項。巧く周囲に溶け込まなくてはならない。

 それよりも致命的な問題は。


「イグルの朝ごはん…………!」


 週に一度か二度あった幸福、研究に没頭し過ぎて廃人のような生活でもミシェルが人間として在れたのはひとえにイグルの尽力あってこそだった。

 よく調理された具材たちと、配慮された調味料の共演による味覚的衝撃はミシェルの中で特別なルーティンとなり、生活を華やかに彩っていた。

 胃袋をつかまれたミシェルは、たとえ空腹は満たされても味覚が飢餓感を訴える。

 昨晩、帰りしなに食堂で夕餉を頂いたミシェルだったが、多くの生徒に向けた戦略性から量産的な味となっていてクオリティはそこまで高くなく、逆にやや凝り性なイグルの料理が恋しくなる味だった。

 何より、食事を自分で取りに行く手間と時間……………!

 今日だって、この後は食堂に行って朝食を取らなくてはならない。

 寮の一階にある大食堂は学生が多く集うので、朝ともなればその盛況さは凄まじいことが予想される。


「行きたくないっス〜」

「エンテントさん、だらしないよ」

「うう」


 髪が仕上がる。

 形は昨日イグルが整えてくれた物と同様。

 昨晩にミシェルとエルゥは自己紹介を終えている。王族であるにも関わらず、己の立場に傲らず深入りせず、ただ一人の人間として接するエルゥには少なからず救われていた。

 だって――深入りさせると面倒な立場だし!

 エルゥは教室は異なるが、同じ学年だ。

 ミシェルが通う魔法学園の普通魔法学科とは異なり、研究に重きを置いて最初から専門性を追及する進魔法学科に所属している。


「それにしても」


 不意にエルゥの手がミシェルの頭を撫でる。

 ミシェルは小首をかしげた。


「エンテントさんは可愛いよねぇ」

「え?」

「小柄で、何かハキハキ喋るし、こう…………妹みたいで可愛がりたくなっちゃう」

「アハハ」


 エルゥの反応に空笑い――実際、妹のような年齢なのは黙っておく。


「あと少し経ったら食堂に行こっか」

「そうっスね」

「エンテントさんは背が低いから、取れなかったり見えなかったりしたら私に言って」


 対応まで幼子扱いなのも嫌、とは口を出さないでおこう。


「ねえ、エンテントさん」

「はい?」

「昨晩にくれた私の研究課題の解説だけど、もう一回質問していい?」

「あたしで良ければ」


 エルゥが机の上の綴じられた紙を差し出す。

 ミシェルはそれを受け取って、内容へと目を通しながら気になった部分を指摘した。エルゥが授業で課せられた研究に関するレポートである。

 昨晩、つい気になって読んでいたミシェルと、それを見咎めたエルゥはその話題で盛り上がってしまった。

 日頃から身に染み付いた習性なのか、つい気になった部分などについて尋ねたり、正したりするミシェルの意見を興味深そうにエルゥは受け止め、小一時間で内容を推敲するという結果にまで発展した。

 その時の達成感が忘れられないのか、エルゥは目を輝かせてミシェルを見つめる。


「――という感じっスかね」

「エンテントさん、凄いね。まるで教授みたいよ」

「あー。あたしの師匠の研究を見てたのもあっただけで、素人と大差ないっスよ」


 エルゥの顔がまぶしかった。

 猫を可愛がるような慈愛に満ちた表情や、今のような尊敬の眼差しを向ける彼女の反応は、人を弄んで楽しむ師匠や自分を蔑む同業者たちばかりを見てきたミシェルには直視できない輝きがある。

 …………イグルの笑顔は癪に触るので例外!


「これでレポートの評価点は高そう!」

「正直、直すとこほとんど無かったんで評価に関してはエルゥの能力だと思うっスよ」

「謙遜までするの?ホントにエンテントさんったら可愛くて偉いんだから〜」

「もががが」


 ミシェルの頭を抱きしめて撫で回すエルゥ。

 興奮で気付いていないが、豊かな胸に圧迫されて呼吸に困っている苦悶の声が届いていない。

 しばらくして解放され、肩で息をするミシェルにエルゥは謝罪する。


「ごめんね、つい熱くなっちゃって」

「ほんと、暑かったっス」

「大丈夫?食堂、行ける?」

「行くしかないんスよね」


 ミシェルは呆れながらも椅子から腰を上げる。

 二日目が始まろうとしていた。








  ×    ×    ×






 食堂で朝食を済ませた後、ミシェルは校舎の中でエルゥと別れた。

 親切な彼女との一時を名残惜しく思いながら、自身の教室へと向かう。王子の見張りは昨晩からイグルに任せているため、今朝まで報告が無いということは異常が無いということだ。

 さて。


「おはよーございまっス」


 やや陽気に声を弾ませてミシェルは挨拶した。

 すると、教室中がびくり、と肩を跳ねさせて驚く。

 自分の席へと向かう途中、すれ違う視線は恐怖ばかり。

 懐かしい――とさえ思いながら進むと、目の前に誰かが立ち塞がる。見上げれば、険しい面持ちのルクセイオだった。


「おはようございます、生徒会長サン。……何でこの教室に?」

「ミシェル君。いったい君は何をしたんだ?」

「問題行動は何もしてないっスよ?」


 飄々としたミシェルの返答に、頭痛すら覚えてルクセイオは額を指で押さえる。


「朝からこんな話があった」

「ん?」

「アーマイン派改め、エンテント派。登校初日で一派閥を乗っ取ったとか、何とか」

「風評被害も甚だしいっスね。いくら初日に悪目立ちしたからってそこまではしないっスよ」

「本当か?」

「本当っス。……ね、アーマイン君?」


 ミシェルは笑顔でルクセイオの背後の座席で静かに座るアーマインに尋ねる。

 アーマインは無言で首肯した。

 ただミシェルとは視線を合わせず、異常なほど汗の滲んだ顔にルクセイオの表情が引き攣る。

 それは穏便な肯定ではない。

 明らかに怯えてミシェルの都合に合わせている。


「…………まあ、表立った被害が出ていないのなら口は出さないが、問題行動は謹んでくれ」

「あたしも生徒会室に連行されるのは嫌なので自重するっス」

「……本当に頼むぞ」


 まあ、生徒会室連行よりも師匠とイグルに説教されるのが一番嫌だけど、なんて本音は隠す。


「そういえば、昨晩はどうでした?」

「何事も無かったよ」

「そうっスか。じゃあ、今日の放課後にでもルクセイオ先輩の部屋を調べられるようにしましょう」


 ルクセイオの隣を過ぎて自分の席に着く。

 そして後ろからアーマインの背中を指でつついた。

 びくりと跳ねた長身が、震えながら振り返る。


「な、何だよ」

「早速お願いがあるんスけど…………聞いてくれるかな〜、って」

「…………言えよ、チクショウ」

「ん?」

「何なりと」

「ふふふふふ」


 ミシェルはアーマインに耳打ちする。

 その内容に、彼は嫌そうな顔をした。


「何で俺が」

「意図はその内に。まずは仕事をこなすのが部下の仕事っスよ」

「…………分かった」

「アーマイン君は見たところ仕事が出来そうだから、期待してるっス」


 ミシェルはとん、と肩を叩いて離れた。

 そのとき、丁度講師が教室内へと入ってきた。






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