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忍び寄る影




 入学手続の再確認も終えて、次に向かったルクセイオの教室。

 ミシェルは、生徒会長ルクセイオが日頃から使用している机と椅子、そして開かれたままの参考書を確認していた……のだが。


「ちょっと、誰よあれ」

「ルクセイオ様の私物を物色するなんて言語道断よ」

「で、でも、ルクセイオ様はそれを許されていますわ。……あんな小汚い小娘をじっと見て……!」


 思わずため息が出る。

 調査したい証拠品が目の前に揃っているのに作業が集中して行えない。ひそひそと静かだが声が聞き取れる微妙に騒々しい外野の声と視線が煩わしかった。

 その原因は、明らかにルクセイオ本人。

 ミシェルの背後に立ち、ミシェルを調査を見守っている。

 教室への道中でもそうだが、このクラスメイトからの反応から嫌でも察せるのは、ルクセイオが如何に人々から慕われているか。主に女子生徒からの眼差しの熱量は尋常ではない。

 注目度の高いルクセイオと行動しているミシェルもまた、同様に衆人環視の中にいるのは避けられない事だった。


「どうかしたか。作業に集中出来ていないようだけど」

「……周りが騒々しいんで人払いしてくれませんか?」

「了解した」


 ルクセイオが身を翻し、少し離れた位置から自身らを見ている多くの視線へと声を張る。


「君たち、今は少し用があって調査中だ!悪いが二人きりにして欲しい!」

「「「ぎゃああああああああ!!!?」」」


 ルクセイオの発言に室内が阿鼻叫喚地獄と化す。

 鼓膜を劈くような音量の炸裂に、ミシェルは耳を塞ぐと同時に胸裏に蓄積していた怒りの熱が沸点にまで昇ろうとした。

 今にも教室内を実力行使で黙らせたい衝動を泣けなしの理性で飲み込む。

 悲鳴、啜り泣き、譫言を呟く……と多種多様な反応を見せながら煩わしい視線たちはルクセイオの指示通り退去してくれた。


「やっと集中できる」

「では、頼む」

「はいっス!」


 ミシェルはまず、机と椅子の分析を始めた。

 椅子ならば座面と背もたれの部分に、机なら甲板と呼ばれる机上に術式が刻まれている可能性が高い。

 如何に開発者といえど触れたらミシェルにもまた同様の効果が現れるので、慎重に魔力感知を行いながら椅子と机それぞれの脚に触れた。

 どちらにも魔力は感じられない。

 次に外観から探るが、やはり術式の要となる文字や図は確認できなかった。

 ならば。


「問題は、この参考書っスね」

「うむ。だが、どうやって調べる?迂闊に触れたら危険だろ」

「んー……あまりこの手は使いたくないけど」

「何かあるのか」

「ルクセイオ先輩。あたしが参考書を調べ終わったら頭を叩いて欲しいっス」

「は?」


 ミシェルは自身の額に人差し指で触れる。


「――『私は強くなった』」


 独り言を呟く。

 ルクセイオはその行動を困惑しながら見守っていた。

 独り言の後に少し固まっていたミシェルだったが、やがてくつくつと笑いながら参考書を掴んだ。


「最強のあたしに催眠なんか効くかー!!」


 唐突に高揚したミシェルの声が響く。

 ぎょっとして、ルクセイオは思わず半歩だけ彼女から距離を取った。何事かを呟いた直後に様子が変化したのも驚くべき事だが、それ以上に触れるのを警戒していた参考書を豪快に掴みにいった行動に度肝を抜かれた。

 ミシェルは全ページを捲り、装丁などを確認した後、参考書を机に叩きつけるように置いた。


「参考書に術式有りっス!ルクセイオ先輩!」

「声が大きい……」


 振り返ってさっきの数倍はありそうな声量で話すミシェルに眉を顰め、あっと彼女から受けた頼みを思い出す。

 たしか、『参考書を調べ終わったら叩け』。

 ルクセイオは力加減をどうしようか悩んだが、外見は幼くか弱い少女の体を見て軽く手刀をミシェルの頭に落とした。


「あいてっ!?」

「……すまない。これで良いか?」

「え?……あー、はい、有り難うございます」

「今のは何なんだ」

「いや、自分に『催眠魔法』をかけておいたんス。既に支配下にある状態の人間に、別の暗示をかけようとしても無効化されるっスから」


 これは催眠魔法の基本である。

 一つ催眠魔法をかければ、それを解かない限り次の魔法を施す事は出来ない。

 ルクセイオの身で発動し、庭園まで誘導した魔法は一度の作業で二種の効果を織り交ぜたから成立した魔法で、別々に分けてかけても一つしか作用しない。

 ミシェルは、その原理を利用した。


「参考書に術式があった場合、あたしがかかるかもしれないんで『先に自己暗示をかけた』んスよ」

「成る程。それで参考書の術式を無効化したのか」

「ただ、『自己暗示』って厄介なのは自覚出来ない事なんスよね。だから、誰かに解いて貰う必要がある」

「それと私に攻撃を命じたのは何の理由が?」

「あたしは、『自己認識の改革』っていう催眠魔法では『誘導』に分類される技を使ったっス。それで自分が最強の魔法使いだと己に信じ込ませた」

「ほう」

「それを解くには、自分が弱いんだと再確認させるっス。だから、ルクセイオ先輩に()たれたら弱さを自覚するんで暗示が解除される」


 自分が最強だと信じ込ませ、相手から敗北を味わわせて貰う。最強なら、何をされても効かないし、痛がったりもしない。

 だから、ルクセイオに叩かれた痛みで暗示が解ける。

 その為の『叩け』という指示だったのだ。


「もう少し事前に説明してくれ。君を叩け、なんて中々に堪える指示だぞ」

「そういう優しさは魔法使いの中では致命的っスよ」


 ミシェルは参考書を指さした。


「これに、ルクセイオ先輩から感じ取った催眠魔法の効果をもたらす術式が発見できたっス」

「……やはり、それか」

「これを誰かに貸したりとか、不在時に先輩の参考書に触れられるような身近な人間に心当たりは?」

「ふむ……」


 ミシェルの挙げた特徴を基に、ルクセイオは参考書に術式を刻んだ容疑者を思い浮かべていく。


「僕は少し特殊で寮はルームメイトもいないからな……」

「クラスメイト……で、いる訳ないか」


 ルームメイトはいない。

 では、クラスメイトに容疑の的を絞ったがそれもすぐに違うとミシェルは感じだ。

 さっきの野次馬たちの中で、ルクセイオの私物に触れるのは恐れ多いという反応を示す女子生徒が複数人いた。彼女らのような人間が常にルクセイオに注目しているならば、彼の私物に触れたり持ち出そうとする人間がいれば直ぐに摘発される。


「じゃあ、他には……」

「寮の管理人ならば可能かもしれない。非常時用のマスターキーを保管しているし、私が授業や生徒会執務で不在時に術式を刻める時間ができる筈だ」

「管理人か。……となると、やっぱり寮に行って訊くしか無いっスね」


 ミシェルは参考書を睨んで沈黙する。

 使用されているのはミシェルの魔法技術――一般的には、まだ高度な術式であり、普及化するには扱うのが難しいから出回っていない代物だ。

 これを刻めるほどの力がある者が、簡単に尻尾を出すだろうか。


「んー。危険が無いかルクセイオ先輩の部屋も調べたいっスけど」

「男子寮だから、女子は立ち入れない。生徒会権限でならば可能だが、そこまで大事にすると今度の標的がミシェル君になりかねない」

「今さらっスよ。この教室で調査してる事も、さっきの野次馬が噂にして長すから犯人にも気づかれるっス。むしろ、あたしが標的になるならそれこそやりやすい」

「……もう少し君は自分を大事にしろ」


 ルクセイオの気遣いの一言に、だがミシェルは鼻で嗤う。


「あたしの技術を模倣する二番煎じ野郎に、負ける訳無いっスよ!」

「…………」

「あたっ!?何で叩くんスか!」

「こんなに弱いのに、か?」


 ルクセイオが嘆息混じりにミシェルの頭に手刀を落としながら言った。

 その一言に、ミシェルはぐぅの音も出なかった。









  ×     ×     ×







 ルクセイオから身の危険を案じられ、今日の調査は中断となった。後日、また部屋を検分させてもらう事で話は終わり、速やかに解散したのである。

 ルクセイオは、取り敢えず自身の師事する教員の研究室に寝泊まりする事になった。

 暗殺が失敗して第二矢が放たれた場合の用心である。

 近くに信頼できる強い魔法使いがいて、且つ容易には手を出せない環境となれば、魔法研究者の居城たる研究室に他ならない。

 研究者は、研究成果を奪う事を企む外部からの攻撃に備えて研究室に自前の防備を設えるのが常識だ。

 現に、ミシェルも同じ事をしてつい何日か前に入室しようとしたベルソートを封じている。

 研究者の内懐ならば、ルクセイオを容易には害せない。


「流石にすぐ殺しにはいけないだろうし」


 取り敢えず、ルクセイオの命を救った事だけが今日の成果だとして、ミシェルは事件捜査についての思考を止めた。


「うーん。しかし、入学手続の書類がなぁ……」


 次に考えるべきは、学園内での活動だ。

 ミシェルは今のところ教室で浮いている。

 露骨に敵意を向けるクラスの中心人物アーマインからの攻撃を避ける為にも、これからどういう態度で接すべきか考えなくてはならない。

 その点で、最も重要なのはミシェルが自身に与えられた『設定』を深く理解する事だ。

 年齢も身分も偽っての入学。

 ベルソートが作った設定通りに従わなければ、不審に思われて捜査どころではない。

 しかし、生徒会室でルクセイオが再確認の為にと取り出した入学手続関連の書類に記されていた内容は、特に変わったところは無かった。

 あのベルソートが手続きをしたとあって色々な不安はあったが、口裏合わせすら無意味になりそうなほどの理不尽が無かったのは幸いだ。

 ただ一点だけ、出自関係が改竄されている。

 ミシェルの家名『エンテント』とは、『至宝』に認定された際にミシェル自身に授けられた物である。

 実質的な権力は無い。

 領地も無ければ、特に階級社会における上下関係の柵とも無縁だ。

 その点について、書類には北大陸辺境国の成り上がり男爵家『エンテント』の四女と記されていた。

 戦争孤児であるミシェルは親を知らない。

 会話が盛り上がった拍子に、家族関係を問われたら応えられるかという部分だけが不安だった。

 嘘は幾らでも並べられるミシェルだが、知らない親の愛情――については自信が無かった。

 自分でもどうしてなのかは分からない。


「というか、今思うと危なかったなー」


 ルクセイオと初めて会った時に名乗っていたが、あれはまだ学園内でのミシェルの『設定』を把握せずにした自己紹介である。

 仮に『ミシェル・エンテント』ではない名で登録されていたら、在籍する全生徒の名を憶えているルクセイオには最初から怪しまれていただろう。

 

「ふひー。もう少し慎重にやろう」

「ミシェル」

「ん?」

「お疲れ様、初日はどうだった?」


 一人だけの帰り道の途中、聞き慣れた声に呼び止められる。

 遥か後ろでイグルが手を振っていた。

 午前中の出来事もあって、普段の恨みを乗せた批難の眼差しを投げかけるが、能天気な笑顔のまま駆け寄ってきたイグルは隣からミシェルの顔を覗き込む。

 この毒気を抜かれる笑顔を見ていると、自分の悩みごとが小さく思えてしまう。

 ミシェルは我知らず嘆息した。


「友だち二人」

「百人は厳しいかい」

「自己紹介でぐっと心をつかんでやろうかと思ったんだけど、途中で面倒くさくて素で話したら距離を置かれた」

「ふむ、それは仕方ないな」

「オイ。仕方ないってどういう意味だ、コラ!」


 掴みかかる勢いでイグルに詰め寄る。

 彼はそんなミシェルに気圧されることもなく、ただ微笑んでいた。


「まだ初日だ。たしかに難儀な性格ではあるけど、ミシェルは良い子だからね」

「…………」

「いずれ、君に人は集まるよ」

「神って崇めて貰えるかな」

「それは師匠に怒られるぞ」


 ミシェルは苦笑する。

 過去にベルソートに完膚なきまで叩きのめされ、組織した宗教団体は解散し、半ば強引に弟子として世界旅行へと引きずり回された過去を思い出す。

 あのとき、ミシェルに人権は無かった。

 いや、前提として戦争孤児だった身空にそんな物は無かったが、旅の苦労に比べれば痛くも痒くもない。

 思えば、魔法を悪用して教祖をやっていたことを迷惑に思っていた国に依頼を受けて現れたのが、師匠との縁の始まりだ。

 現在、『至宝』になった立場では却って魔法の悪用などできない。

 それこそ、派閥争いに忙しい魔法学の重鎮たちの怒りを買って、一気に世界が敵になる。

 これからの学園生活は、ミシェルが想定している以上の拘束があった。

 そこまで考えて、ミシェルははっとする。


「ごめん、イグル。実はあたし、今日から寮生活なの」

「む」

「だから実験室には戻らない」


 イグルに対してミシェルは少し申し訳なく思った。

 恐らく、イグルは実験室に共に帰るつもりだったのだろう。今日は買い出しの日なので、献立と材料も用意していたに違いない。

 人の厚意を徒労に終えさせることに罪悪感を覚えないほど血も涙もない魔女ではない。

 ミシェルは俯いて、尻すぼみしていく声で伝えた。


「そうか、それは少し残念だね」

「…………」

「でもね、ミシェル。引きこもりだった君が部屋を出て、人と関わることが嬉しい。だから気にせず頑張るんだ、俺は見守ってるよ」


 ミシェルは顔を険しくさせた。

 それこそ、幼い十二の子供がするような形相ではない、人を殺しかねない迫力の表情になった。


「ホント、そういうとこ。兄貴面するのやめて」

「凄いな、怒った猫みたいだ」

「ムカつく」


 家族とは呼べないが、イグルはその関係に近い。

 ミシェルは保護者面の彼に言い表せない反感を覚えつつ、ただその無邪気な笑顔に呆れて怒る気力すら失ってしまった。

 二人で辿る帰途も、その内に分かれる。

 寮のある建物と、実験室を擁する校舎は別方向にある。

 ミシェルは隣のイグルとの短い談話時間を素直に楽しむことにした。


「そういえば、昼以降はイグル何してた?」

「学園敷地内を巡回していたよ」

「不審な動きをした人間は?」

「いなかったね」

「捕まえたあの襲撃者たちは処理した?」

「いや、君の師匠の方に回しておいたよ。俺は人殺しなんてしたくないし、できれば荒事は避けたいから」

「あたしの使い魔がそれで良いと思ってんの?」

「ああ。君の世話をしている方が好きだからね」


 …………会話内容は、至って剣呑だが。




 あと少しで分かれ道に差し掛かる。

 二人で今後の行動方針と生活についての注意などを共有していた。


「よお、仲良くお兄ちゃんとお帰りか?」


 軽薄な声が後ろから響いて、ミシェルとイグルは振り返る。

 数人を率いて、アーマインが二人へと近付いていた。


「なあ、編入生。――少し、話さねえ?」







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