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第4章 一期一会

 いつ止むともしれない長雨が続いていた。


 雨足は人が立ち往生するほどの激しさではなかったが、屋根を打つ音が絶え間なく一日中響くような、そんなしつこい雨だった。

 それが十日も続いたある日。

 増大した水かさに耐えきれず、サーラ川下流の堰が壊れて氾濫し、川沿いの村を襲った。

 それは去年と同じ場所だった。

 ちょうど二、三カ月前、建て直しが終わったばかりの家が再び水に流され、二度に渡って死者を出した家もあった。



 皇族の長(ラサーヌ)として、王族の長(アレド)のオライオと共に被害を受けた村を訪れたリーンは、作り直したはずの堰の残骸を目の当たりにし、改めてこの国の技術力の程度を思い知った。

 この国固有の社会と文化を守るため、急激に外の世界の最新の───この星の常識で考えれば、ほとんど現人神ファラ・リュードの力に等しい───科学を受け入れることはしないと先の会議で決定した。

 だが、これ以上の被害を出さぬために、この星独自の技術の進歩も今は必要とされている。

 そのためには、人々の啓蒙や子どもたちの教育、研究者や技術者の育成などやらなければならないことは山程ある。

 また、一足飛びではなく、この国のレベルにふさわしい、外の科学者・教育者の招聘も念頭に入れておかなければならない。

 しかし、まず喫緊の課題は被害を受けた村の救済と復興だった。


 相変わらず雨は止まず………。

 その中での活動はなかなかはかどらなかった。



 「クレイ様!」

 土と石でできた、一軒の平凡な村の家。

 涙で赤く抜けた瞳は、訪ねてきた人を見上げて驚きに見開かれた。

「カザね?」

 訪問者である女性の栗色の髪は今は雨でぐっしょりと濡れている。

 対照的なパステルグリーンの───今はくすんだようにも見える───色の髪の少年を見て、一瞬、痛ましげに細められた栗色の瞳は、しかしすぐに温かな光を宿した。

「入っていいかしら………?」

「わざわざ? 母さんのために?」

 入り口に立っていた少年は、慌てて身を引いて彼女を迎え入れた。

「誰だ? 誰か来たのか?」

 奥の部屋から声がして、少年の父親が出てきた。

 彼もまた憔悴した様子がはっきりと見て取れた。

「マーリーの旦那さんですね」

「えっ?―――もしかして、ラサーヌ様の………」

 祭司長ラサーヌの妻で、異世界人のクレイに直接会ったことのある人はまだ少ない。

 だが、この世界唯一の栗色の髪から、青白い頬の男は悟ったらしい。

「わざわざ―――? 女房のために………?」

 男は息子と同じことを言った。

「彼女はわたくしがここへ来て初めてできた友人ですから」

 クレイは若々しいその表情を今はできるだけ抑制しながら静かに告げた。

 そうしないと、自分だけでなく、この一家全員の涙腺を再び崩壊させてしまいかねない。

「会って………やっていただけますか? こちらです」

 男に案内されて進んだ部屋には少年のほかに、もっと小さい女の子、そして子どもたちの祖父母がいて、彼らは一様にクレイが───彼女のような身分の人間がこの家を訪れたこと、そしてその容姿に驚き、次の瞬間、力なく───あるいは謝意を示すかのように項垂れた。

 王宮パウレーで働いていた二人の子どもの母親、マーリーは十カ月ほど前からクレイ付きの侍女として、クレイがこの地を踏んでからずっと側に仕えていた。

 その彼女が今は部屋の奥、家族に囲まれた寝台の上に白い布をかぶせられて横たわっていた。

 増水した川の堰が突如切れた時、偶然通りかかった彼女は為す術もなく水に飲み込まれ、比較的すぐに発見されたが、すでに息はなかった。

「マーリー………」

 クレイはそっと近づくと、家族が空けてくれた傍らに膝をついた。

 問いかけるように周囲を見ると、気づいた夫が顔の部分だけ白い布をどけてくれた。

 すぐに見つかったせいもあるのだろう、まるで眠っているようなきれいな顔だった。

 クレイは思わず持ち上げた手を、その頬に触れようかどうかさえ決めかねぬうちに力なく下ろした。

 彼女とは決して長い付き合いでも、深い付き合いでもなかったが、全く違う出身、立場の者同士、お互いに興味と好意を持ち寄って、少しずつ、確実に親しくなっていった相手だった。

 クレイは心のまま悲嘆に暮れたかったが、やはり自分の行動が及ぼす影響を考えると、グッと気持ちを抑えなければならなかった。

「川縁の作業が残ってますんで………わたしはもう行かなきゃいけませんが………こんなところまでおいでいただき、本当にありがとうございました」

 クレイの背後で男が立ち上がりながら朴訥に言った。

「そんな―――」

 彼女は顔を上げて、言葉を探したが、何も見つからなかった。

「―――」

 男は黙って頭を下げると、部屋を出て行った。

「───来なくていいと言われてるんですがね。家にいても………外で働いていた方がいいんでしょう。いろんなモンが流されて………後始末に人手も足りてないようですし………」

 枕元の方に座っていた皺だらけの老人───おそらく夫の父親、子どもたちの祖父が小さく掠れた声でクレイに教えくれた。

「そうですか………」

 悲しみとの向き合い方は人それぞれで、とにかく体を動かしていたい、体力を消耗する過酷な作業をしていたいという気持ちも理解できるような気がした。

 クレイは改めて寝台に横たわる女性を見つめると、傍らの人々に視線を移した。

 生気や表情が一切なくなってしまったような顔をしている老人二人。

 同じく、呆けたような───状況が分からないままぼんやりしているような、五、六才の女の子と目が合って、クレイはにっこりと微笑んだ。

 つられたように少女もわずかに表情を動かした。

 さらに明るく笑顔で見つめ続けていると、幼女ははにかむように笑った。

 クレイは泣きそうになりつつ、

「ミルちゃんよね?」

 声だけは明るく話しかけた。

「うん」

 少女はあどけなく頷いた。

 マーリーの家族とは今まで会ったことはなかったが、彼女の家族の名前は全員知っていた。

 陽気で、家族のことをとてもよく話す人だった。それは決して押しつけがましいものではなく、話の内容も面白くて───似ているところがあるかもしれない、とクレイは彼女にそう言って一緒に笑い合ったことがあった。

 クレイが子どもたちの名前を知っていたことから、家族はマーリーの開けっぴろげな明るい性格を思い出したのだろう。老人たちは寝台に横たわる義理の娘に目を落とし、十才くらいの、マーリーの長男はまた泣きそうになって顔を歪めた。

 気づいたクレイが彼に言葉をかけようとした時、少年はいきなり立ち上がって部屋を飛び出していった。

「カザ!」

 老人たちが腰を上げかけるのを、クレイは、

「───わたくしが」

 と言って押しとどめ、素早く立ち上がって少年の後を追った。


 通常ならばのどかな田園風景が広がる家の外は薄暗く―――早朝なのか、夕方なのかすら人を迷わせるほどだったが、実際は昼にほど遠い朝の時間だった。

 雨はまだ───かなり勢いはなくなったとはいえ───降り続いていた。

 それはすぐに少年の全身を濡らし、一度は乾きかけていたクレイの髪も服も濡らした。

「カザ! 待ちなさいっ、カザ!」

「クレイ―――様!」

 駆け出そうとしていた少年は、クレイの声に気づくと、驚いて立ち止まった。

「カザ………」

 弾んだ息のせいでクレイの言葉は続かない。

 少年はそこから何を読み取ったのか、

「大丈夫───大丈夫です」

 突然自分が起こした行動のせいで、大人を慌てさせてしまったと気づいた少年は安心させるように笑ってみせる───まではいかなかったが、力強い声で言った。

「どこへ行くの………?」

 息を整えたクレイがじっと少年を見つめて尋ねた。

 母親の知り合いの、でもずっと身分の上の人が、本気で自分を心配してくれていることは少年にも伝わった。

「大丈夫です。ただ飛び出したわけじゃなくって………」

 そう取られても仕方のない発作的な行動だったことを思い出して、少年は困惑した。

「―――べつに変なトコ行こうってんじゃなくって………」

「じゃどこに?」

「パムールに行こうと思って………」

神殿パムールに? どうして───」

「………」

 少年は答えなかった。

 クレイも聞くべきではなかったと感じた。

 神殿は神様と向き合うところ。

 あるいはそれに等しい神聖な気持ちで、自分自身と向かい合う場所───。

 そこに祭神(ファラ・リュード)がおいでになろうと、なるまいと………。

 クレイはそう思った。

 リウ・アラームの現人神ファラ・リュード信仰についてはもうずいぶんと知識を集めていて、最初は興味もあったが、やがて人々の生活に『ファラ・リュード』はほとんど関わっていないと知ってからは、その名称に格別な印象を受けることは少なくなっていた。

 それだけに心を落ち着けるために神殿に行くというこの少年をずいぶん古風だなと思ったくらいだ。

 とはいえ、悲しみとの向き合い方は人それぞれで、他人が口を出していいことではない。

「───あまり遅くならないようにね」

 それだけを告げた彼女に、

「はい」

 と少年は素直に頷いた。

「家族の方にはそう伝えるわね?」

「お願いします」

 そう言って、少年は雨の中を駆け出して行った。

 けぶる視界の中、クレイはその背を見送った。




 長雨は霧雨に変わっていった。

 だが、やはりいつ止むともしれない………。

 雨は農村部だけでなく、神殿パムールを擁する広大な森をもその全体を色濃く変えていた。


 現し身をパムールの私室に横たえ、その精神をうつらうつらと微睡みの意識世界に飛ばせていたファラ・リュードは、神殿に近づいてくる小さな人間の存在を認めた。

 常に人気のないこの神殿では珍しいことだ。

 とはいえ、彼女がわざわざその目を開いたのは、その人間の意識───個体の小ささの割に思い詰めたような波動の激しさ───に気づいたからだった。

 森の中を突き進む小さな人間は何度もためらい、やめようかと弱気になっては勇気を振り絞り、とうとうパムールまで辿り着いた。

 そして、それまで以上の気力を総動員して怖ず怖ずと神殿の中まで入ってくる。

 少年───だった。

 今はもう完全に開いたファラ・リュードの目には、少年の一挙手一投足が見えていた。

 パステルグリーンの濡れそぼった短い髪は、普段ならサラサラと音がするほどしなやかで清潔感に溢れているのだろう。

 濃い緑の瞳は大きく、本人のその時の感情に関わらず、常に年齢以上の聡明な光を帯びていた。

 華奢で小さな体つきは生まれて十二年しか経っておらず、性別は男でも外見はそれほど分化していなかった。

 少年が再びファラ・リュードの注意を引いたのは、その思考ではなく、その身に纏う、少年がつい先刻まで会っていた人物の波長が、彼女の知っている───会ったことはないが───人間のものだったからだ。

 が、それすらも、彼女の集中は寸暇ももたず、霧散していく。

 正門からまっすぐ進んできた少年は斎場に入った。そして、その広さに驚嘆しながら、しがみついて離れないしつこい雨の湿気を打ち払うように一度大きく身震いすると、ヒタヒタと一心不乱に祭壇まで歩いてきて、立ち止まった。

 跪いて膝で立ち、だらんと両手を両脇に下げたまま、こうべを深く垂れる。

 強く瞼を閉じて、最初は険しかったその表情もやがて時間とともに───祈りが深くなるにつれ───無意識に穏やかなものに変わっていった。

 その時、音もなく、広間の右側に並ぶ扉の一つが開いた。

 現れたのは、十五、六才くらいの少女。

 鮮やかな若木色の直毛の髪は額は眉のところ、後ろは肩を過ぎた辺りでまっすぐに切り揃えられている。

 女性特有の優美な眉は、小さな口元と共に意志の強さを表しているようだった。

 好対照に二重の瞳は美しく、聡明だが決して冷たくはない人間的な光を湛えている。

 小柄だが均整の取れた体つき。

「なにを祈っているの?」

 少女は優しく尋ねた───つもりだった。

 が、静寂を破る不意のそれは少年を飛び上がらせた。

 そちらを振り向いたまま、物も言えず見開かれた瞳に、

「ごめんなさい。急に声をかけて。………驚いた?」

 少女はことさら語尾を柔らかく発音し、それ以上、少年を怯えさせぬようにゆっくりと近づいた。

 途端、

「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」

 少年は腰を抜かしたまま叫んだ。

 両手と尻で後ずさるその様子は今にもここから逃げ出しそうで、

「怒ってないわよ。ここは出入り禁止じゃないし………そんなに怖がらないでよ」

 少女は年下の少年の前に屈み込み、同じ高さで相手の顔を見つめた。

「でっ、でも!」

「誰かに言われたの? ここに来ちゃいけないって」

 少女がじっと相手の顔を見つめると、一瞬の間の後、少年はブンブンと頭を横に振った。

「でしょう?」

「でも、ここは『ファラ・リュード』がまします場所だから………」

「でもここは人が造った建物で、人の集まる場所なのよ」

「知ってます。お祭りの時でしょう? でも僕は貴族じゃないし………」

 少年は幾分落ち着いて答えた。

 自分よりほんの少し年上に見える少女は、大人の寛容さを感じさせる優しいクレイとはまた違った意味で少年の警戒心を解かせた。

 また、ついさっきまで貴族より高位である皇族の祭司長の奥方(クレイ)と話をしていたという経験が、少年をほんの少しだけ大胆にさせていた。

「この国に貴賎の区別はないわ。貴族に許されていることは大抵の人々にも許されているもの」

 少女は大人びた口をきいた。

「お姉さんは………」

「わたし?」

「ここに勤めているの?………貴族?」

「―――それよりも、なにをあんなに一生懸命祈っていたの?」

 聞かれて、少年は一瞬言い淀んだ。

「どうしたの? 言えないこと?」

 だったら聞かないけど、というニュアンスに少年は顔を上げた。

「『ファラ・リュード』に………」

「神様になにかお願いしていたの? なにか実現させたいことでもあるのね?」

「ううん………『ファラ・リュード』でも無理かもしれないけど………」

「………どんなこと?」

「───母さんっ………!」

 少年は抑えきれぬように一言漏らしたが、あとは続ける言葉も見つからずに絶句した。

 少女はその様子をしばらく黙って見ていたが、やがて、

「―――きみはラド村の子?」

 と言うと、少年は弾けるように顔を上げた。

「どうして………!?」

「サーラ川の氾濫ね。………なにかあったのね」

「どうしてっ! 『ファラ・リュード』は───!!」

 そこで少年は崩れ落ちるように床に手と膝をついた。

 泣いてはいなかったが、血を吐くような叫びだった。

「───なにもしてくれないんだろう………!」

 少年の甲高い声が神殿の空気を切り裂いた。

 張り詰めて冷たい、重々しい空気を。

「………神様に頼ってはダメよ」

 少女の声が、神殿の荘厳な空気だけでなく、少年の胸にも突き刺さる。

 少年は驚いて顔を上げた。

「神様、神様って、神様がなにをしてくれるの? みんなファラ・リュードがなにかしてくれるまで、なにもしないで待つつもりなの?」

「だ、だって川の氾濫はどうしようもないっ! じいちゃんたちが言ってた。自然にだけは逆らえないって!」

「自然に逆らう必要はないのよ。自然の恵みを上手に利用して、豊かになって、その力で悲しい被害を出さないように自分たちの身を守ればいいだけ。何もしない、あるいは自然の姿を変えてまで、自分たちだけ栄えようとするんじゃなくて、バランスが大事なの。人にはそうする権利があるし、そうする力もある」

「………どうやって………」

「もっと強い堰を作る。堤防を作る。川のすぐそばには住まない。水が出るような低い土地には住まない───できることはたくさんあるわ」

「どうやって強い堰を作るの? 低い土地ってどういう意味? 今住んでいるところにはもう住めないの?」

 少年は混乱したように、しかし少女の言っていることを理解しようと質問を繰り返した。

「―――それを学びなさい。実際に川を見て、人々の話を聞いて、学校の先生に学んで。それでも足りなければ宇宙そとに出て、学び取ってきなさい。今はまだ自分たちの力で近くの星に行ったりダイヤモンドより硬い石を見つけ出す必要はない。川がどうやったら氾濫しないか、氾濫したとき、どうしたら被害が少なくて済むか、そのような知識を習得してくるのです」

「なにを言って―――…」

 少年はただ呆然と可憐な少女の口から飛び出してくる言葉の数々を聞いていた。

 その様子は、何も知らない大人が見たら滑稽に感じたかもしれない。

 だが、少年の目に映る少女は少女ではなく、父母よりも、クレイよりも、祖父母よりも───時間を超越した存在に見えた。

 言葉では言い表せない特別な存在───が。

 ここではないどこかへ行き、知識を学ぶという行動を起こせと強く示唆する───。

 力強さと、確信と、優しさに満ちた言葉。

 心に染み入るように素直に受け入れた少年は、いつまでも忘れられない強烈な印象を受けた。

「学びなさい、神の力などに頼らず―――自分たちの力だけでもっと強い堰を作るのです」


 それが、当代のファラ・リュードの百年近い治世において、神が民と言葉を交わした唯一の機会であったことに───少年は長い間気づかなかった。



 その後も神は沈黙を守り続けた………。

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