実業学校 魔術程式科
週始めの、月の日。
あれからアイナはヒイデキ親方の程式工房をお手伝いする日々を送っていましたが、いよいよ今日から実業学校に登校です。
ベッドを抜け出てクローゼットを開け、ヒイデキ夫妻からプレゼントしてもらった制服を丁寧に取り出すアイナ。そろそろライヴォークの前で着替えるのは問題ですね。ライヴォークはちゃんと目を瞑っているのかしら。
着替えが終わって姿見で確認、水魔術で寝ぐせを直して、部屋を出ます。
アイナの制服姿を目にすることができるだなんて、涙が出そう。きっとライヴォークも同じでしょう。
「ごちそうさまでした」
アイナは食事を終えると立ち上がります。営業が始まる前の食堂にいるのは、ヒイデキさんとミホウさんとアイナの三人だけ。一緒に食べ始めて、極端に小食なアイナが先に食器をかたづけます。
ここ数日、アイナがふたりの食べ終わりまで付き合ったり、アイナひとりで食べたりと試行錯誤をしていたのですが、この形に落ち着きました。アイナに気を使わせないよう、でも寂しい思いをさせないようにと、ヒイデキ夫妻が気を配った結果です。
「ライヴォーク、あとはミホウさんの言うことを聞くのよ」
『ヴォン』
「よろしくね、ライヴォーク」
「かー、そんな言い方でも指示権限の委譲ができるのか。このゴーレムの程式は、一体どうなってるんだ、」
これはここ数日で定着したやり取り。アイナが程式工房で働いているあいだ、ライヴォークはミホウさんの指示に従って食堂の手伝いをしていました。
ただ、今日はアイナが学校に出かけるので少し様子が違います。
「もう。こんなの、いらないのに」
ライヴォークが魔術程式を実行し、アイナの背後に淡い光の球が浮遊し始めたのです。これはマナ玉と呼ばれているもの。保護者が子を見守るために使う程式ですが、ゴーレムが自動的に使う事例は無いでしょう。
「かー、やっぱりこいつは、アイナが学校に行くって分かってるんだな」
ヒイデキさんがこの様子を目にするのは二回目。一回目はアイナと入学手続きに出かけたときです。ヒイデキさんの驚きようったら、ありませんでした。ライヴォークは、アイナが工房で働いている場合はマナ玉を出さないのです。
「アワジマの義務学校のときはなかったのに」
アイナは恨めしそうに光の球を睨みます。
アワジマとシノサカでは治安が違いすぎますからね。おかげで私もアイナの学校での様子を見ていられます。
「それでは、ヒイデキさん、ミホウさん、いってきます」
アイナは丁寧にお辞儀をして食堂を出ます。ヒイデキさんとミホウさんは目を細めて見送ってくれました。きっと自分の子供のように、いえ、孫のように見ているのでしょう。
噴水広場から、東へトコトコと十五分。
アイナは実業学校の正門をくぐって、昇降口でスリッパに履き替え、魔術程式科の教室へと廊下を進みます。
入り口で座席表を確認して扉を開けると、すでに着席している同級生たちから一斉に視線を向けられます。全二十の座席の、もう半分以上は埋まっているでしょうか。
アイナは小さく会釈。カバンを引っかけないよう持ち上げて、机のあいだを歩きます。
その後ろをふわふわと漂う光の球。
どうしたって気を引くのは避けられません。アイナが座席についてもみんなチラチラと盗み見して――、あら、堂々と見ている子もいます。
「ふむ、これは見事なマナ玉だな。近くで見させてはくれまいか」
斜め前方に座っていた男の子が、ついには席を立って近付いてきました。しっかり七対三の分け目のついた髪型が、真面目そうというか、大人っぽいというか、おじさんっぽいです。
アイナが自分のことと気づく頃には、もう息がかかるくらいに近付いて、でもアイナにぶつからないようにマナ玉を覗きこみます。男の子が死角にいるので、アイナは自分が何をされているのか分かっていない。
そこにガラガラと乱暴な音を立てて扉を開け、大柄な女の子が大股でスタスタと教室に入ってきました。アイナを見てニコッと笑ったと思いきや、凄い勢いで迫ってきます。
「てめえ、アイナに何してやがんだ!」
制服を着ているので一瞬見紛いましたが、カノンちゃんです。屈強の美少年が女装しているように見えなくもないですが、制服もよく似合っています。ただ他人の胸ぐらを捕まえて持ち上げるのは、いただけません。
「なんだ君はいきなり。この手を離しなさい」
対する男の子も普通ではないですね。女の子に持ち上げられているのに動じず、冷静に話をします。
アイナは早い展開についていけません。座ったまま、ふたりのやり取りを見上げています。
「ダチにちょっかいかけといて、なに気取ったこと言ってるんだ」
カノンちゃんの剣幕は収まりません。
普通に見ればカノンちゃんが憤る通りだと思います。でもこの男の子は普通ではない様子なのですよね。
「違う、そこの見事なマナ玉に興味があっただけだ」
男の子の右手が、光の球を指差します。
「マナ玉?」
その指先を目で追うカノンちゃん。
光の球を見つけたのか、男の子を床に下ろします。胸元はまだ掴んだまま。
「アイナ、なんだこれ?」
「ライヴォークのマナ玉」
「あー」
打って変わって、アイナとカノンちゃんの気の抜けた会話。
カノンちゃん、ようやく胸元を離します。
「ホントに何もしてないんだろうな?」
その言葉とは裏腹に、カノンちゃんはバツが悪そう。
「していない。ユートの名にかけて誓おう」
制服を整え直す男の子、ユートという名前のようですが、妙なことを言いだすものです。
「なんだそれ? そんな名前に価値があるのか」
「この名はだな、我がにしけの――、いや、なんだ、今のは無しにする」
「おいおい、やっぱり怪しいじゃねえか」
やり取りがグダってきました。
カノンちゃんももうユートくんを疑っていないようですが、引っ込みもつかない様子。対するユートくんも急にはっきりしなくなりました。
そこに教室の後ろから、男の子の声が割って入ります。
「そいつはその女に指一本触れてないぜ。それどころか目もくれてない」
まあ、アイナに随分と失礼なことを言うわね。でも、この子は――。
「おい、あいつ、フォクリックの民だ」
「本当、どうしてこの学校にいるの」
「うわ、やべっ」
教室が密やかにざわつきます。
うしろの男の子、鼻から下の顔半分が大きく突き出て、口が左右に大きく裂けています。皆が言うようにフォクリックの民であるのは間違いないでしょう。
「ん? そうなのか、ありがとよ。お前も二度と紛らわしい真似するな」
カノンちゃんは逆ギレしながら自分の席に向かいます。フォクリックの男の子については、まるで気にしていません。
「きみが勝手に勘違いしただけじゃないか」
ユートくんはカノンちゃんの背中にそう文句を浴びせ、
「後ろのきみ、私の無実を証言してくれてありがとう。礼を言う」
と、後ろの席に振り返って、深々と頭を下げます。ユートくんも気にしていません。
アイナは初めてフォクリックの民を目にしたはずですが、少し珍しそうにしただけ。偉いというか、鈍いというか。この娘、昔から初対面の人にも人怖じしません。妙に人の嗅ぎ分けが得意なのですよね。観光地で育ったからでしょうか。
ともかくライヴォークのマナ玉が引き起こしたこの騒動、どうにか収まってくれました。
アイナが実業学校に通い始めて、一週間が経ちました。
初登校の朝こそ一騒動ありましたが、そのあとは平穏に授業を受けています。ただ、カノンちゃんと親しいためか、ほかのお友だちが寄りつかないのは気がかりです。それは過保護というものでしょうか。
ユートくんもお高い物言いが災いしてか、孤立気味です。中身はそうでもないと思うのですけどね。あのフォクリックの民の男の子、名前はコタロウくんとかわいらしいのですが、コタロウくんも同じです。もっともふたりとも、そんなことを意に介していません。
それとアイナ、学校から帰るとずっとヒイデキさんの程式工房のお手伝いをしているのです。学校の授業は簡単すぎると予習も復習もせず、すっかり天狗さん状態です。まだ始まったばかり、マコットさんの手伝いをこなしていたアイナにとって、簡単なのは事実でしょうけど。
ヒイデキさんの程式工房の仕事でも、助手の方々に交ざって一人前にこなしている気になっています。やりやすい仕事を回してもらっているから、ついていけているだけなのですけどね。
ライヴォークのほうは、さっそく食堂の名物ウェイターになりました。わざわざライヴォークを見に来るお客さんも出始めています。ミホウさんの思惑通りなのですが予想以上に増えているようで、バイトさんを募集しなきゃと考えているようです。
もっとも、ライヴォークの制作者の手がかりは得られていません。木製の二足歩行ゴーレムはこのシノサカの街にも数十は存在するようですが、ライヴォークほど賢くなめらかに動作するゴーレムは無いようです。まあ、あるわけないですが。アイナは学校から帰ってくるたび、ミホウさんにライヴォークの新情報はないかと確認しては落胆しているので、私も心が苦しくなってきます。
「来週からグループ演習を始める」
金の日の帰りのホームルーム、アイナたちの担任の先生が教壇に上がって話をはじめました。ざわつく教室に「こら、静かに」と後ろで立っている副担任の先生が注意を飛ばします。この演習は魔術程式科の授業の目玉です。懐かしいわ。
簡単な程式はともかく、実用的な魔術程式になると、多くは数人の魔術程式書家による共同開発になります。ですのでグループで協調して作業することはとても重要、成績もこの演習の結果でほぼ決まります。
同級生だったというマコットさんとヒイデキさんを例に取ってみましょう。私の目から見てひとりの魔術程式書家としての腕はマコットさんのほうが上だと思うのですが、首席はヒイデキさんが取ったというのはうなずけるのです。助手たちと分担して程式を開発するのは、ヒイデキさんのほうがずっとお上手だからです。
「グループのメンバーはみんなで話し合って自由に決めていいが、ひとつだけ条件がある」
みんな、しーんとします。
「メンバーのマナ肺活量の合計が、一万マナccより多くなるように。それが条件だ」
そう担任の先生がおっしゃった途端、教室がどっと沸きました。副担任が「静かに」と言っても、今度は治まりません。無理とみて、あきらめてしまいました。
マナ肺活量、成人の平均が三千マナcc、二十代がピークで、この子たち十代前半だと二千と少しでしょう。男女の差はありません。程式書家を目指すくらいだから平均より多いでしょうが、それでも一万を越えるには五人は必要だと思います。
先生がグループ分けを指示すると、教室が一段と騒がしくなります。
カノンちゃんがアイナの席にやってきました。でもふたりだけ。男の子四人のグループがひとつ、女の子四人のグループがひとつ、男女混合四人のグループがふたつ、どのグループもまだ成立していません。ユートくんとコタロウくんはどちらもひとり、座ったまま。
「アイナちゃん、わたしたちのグループと一緒になろうよ」
「アイナあ、うちのグループなら女の子ばかりで気楽だよ」
「アイナっち、女ひとりだから来てよ」
「アイナさん、男ばかりだけどケーキ屋と洋服屋と美容院とスーパーの息子だよ」
最初のひとりが声をかけたら、残りも遅れるなとばかりにアイナに声をかけてきました。アイナは口を開きかけたものの、返事をする機を逸します。
浮いているメンバーの中ではアイナが一番声をかけやすい性格ですからね。魔術程式に詳しいことも、クラス中に知れ渡っています。カノンちゃんとは付き合いづらいでしょうが、ふたりが加われば一万超えは確実です。
カノンちゃんはむすっとしていましたが、男の子グループの勧誘に、アイナの表情を盗み見していました。実利優先、どこまでも商人のお嬢さんです。
さてアイナとカノンちゃんはどうするので――、あら。
「ねえ、グループ演習だからどこかのグループに入らないと駄目なんだよ」
「おいおい、アイナ」
どうするのかと思ったら、アイナはユートくんに声をかけました。この娘ったら、カノンちゃんと相談しないんだ。
「ふむ、最終的には全員ともいずれかのグループに所属するのだ。慌てる必要はない。私はどこでもいいしな」
ユートくんは腕を組んで悠然としています。それにカノンちゃんは「いちいち気取る奴だな」とあきれ顔。
「コタロウくんもどこかのグループに入らないと駄目なんだよ」
続いてアイナは、一番後ろの席でポツンと座っているコタロウくんにも同じことを言います。
「俺もそいつと同じだ」
コタロウくんはユートくんを顔で指して、ぶっきらぼうに答えます。
「どこでもいいってこと?」
「ん? お、おう」
コタロウくん、アイナの追い討ちを予想していなかったのでしょう、一瞬詰まりました。ユートくんと違って、このグループ分けは辛いはず。
でもアイナの表情が明るくなりました。
「よかった。じゃあ、ユートくんとコタロウくん、わたしたちと一緒のグループになって」
教室は四人のグループが五つと、膠着状態になりました。
アイナの呼びかけにユートくんとコタロウくんは互いの顔を見合わせて、応諾したのです。カノンちゃんは「こりゃ面白くなった」と呑気なもの。生徒の中には先生の顔色を窺う子もいますが、先生方は静観しています。
「そういやアイナって、マナ肺活量、多いだろ?」
何やら気づいたのか、カノンちゃんが聞きます。
「うん、わたしは二四〇〇。えへへ」
入学申請のときに測定したばかり、アイナは即答します。ちょっと得意顔。
「へえ。まあ、わたしは三〇〇〇だけどな」
これは多い、というか多すぎます。
カノンちゃん、言葉は自慢していますが、表情が曇りました。アイナと再会したときのようです。でもそれも一瞬のこと。
「おまえらは、どんだけだ?」
今度はユートくんとコタロウくんに、挑発するように聞きます。
「ふん、俺も三〇〇〇」
すぐに答えたのはコタロウくんのほう。
話には聞いたことがありますが、フォクリックの民ってそんなに多いのですね。容姿が変化するくらい、苦労を重ねてきた民だけのことはあります。
「私は二八〇〇だ。ただしマナ器官の移植は受けていない」
続いてユートくんがカノンちゃんを睨んで不満そうに言います。そりゃ普通なら驚かれる数値ですからね。この子も何かある。
「あ、いや、私としたことが余計なことを言った」
ユートくんはすぐさま表情を正して、誰に向けるでもなく謝罪します。
でもそういうことよねえ。それならカノンちゃんをとりまく話の辻褄が合うわ。
「えー、わたしが一番少ないの? 同級生でずっと一番だったのに」
アワジマは一学年に二十人もいないので、古代電気文明のいう「井の中の蛙」です。周りが大人並みのマナ肺活量の子ばかりなのは異常ですけど、気が緩んでいるアイナにはいい薬かも。
「あはは。でも、これでメンバーは揃ったじゃないか、アイナ」
カノンちゃんは、アイナの肩をたたいて慰めます。
「そうだね、カノン」
アイナは笑顔でそれに答え、
「先生。わたしたち、このメンバーにします」
と、大声で報告しました。




