カノン
アイナとライヴォークが転移門を抜け出ると、大勢の人々から視線を向けられました。アワジマに向かおうとしている人々とゴーレムが、長い列を為していたからです。
「お嬢さん、そのバトンをおじさんにちょうだい」
こちらの転移門にも六体の木製四つ足ゴーレムとふたりの係員さんがいました。アイナがバトンを渡すと、係員さんは何やら魔術程式を実行します。
「はい、それではシノサカの方々、移動を開始してください。ナンバの方々はもう少々お待ちください」
係員さんの大声。行列が動き出します。
アイナが振り返ると、転移門の反対側にも長い行列が。キョロキョロするアイナに係員さんが、「あそこ」と看板を指差します。見ると周辺の街への行き先が、矢印で示されていました。アイナはお礼を言って歩き始めます。
「ライヴォーク、見て見て! 空がとっても広いわ!」
シノサカの方々の行列とすれ違いに進むアイナ。
みなさん、アイナが転移するのを待っていた格好になるのですが、アイナはまったく気にしていません。初めてアワジマを出て舞い上がっています。すっかりお上りさんです。
「おいあれ、二足歩行のゴーレムだぞ」
「ゴーレムが手をつないで歩いているわ。とても高度な程式ね」
横に歩み連るライヴォークが噂のまとにされているのですが、アイナは少しも意に介しません。いつもならアイナのほうからライヴォークを見たことがあるかと聞いて回るのに、いったい何をしにシノサカに来たのでしょう。
まあ、それもしかたがないでしょうか。アワジマは海辺にこそ出れば青い空が広がりますが、島の内側は狭い路地に二階建て、三階建ての木造家屋がひしめき合っていて、空はその隙間にほんの少しのぞく程度です。進む道の先に空や野山が広がる光景は、アイナの目にはさぞや新鮮に映るでしょう。
アイナったらついに走り出してしまいました。荷物運びのライヴォークが追いかけます。ライヴォークも心なしか楽しそう。私も一緒に走りたい。
「大きな川だわ。何ていう名前なのかな。あの人たちは何をしてるのかしら」
ひたすらまっすぐに伸びる街道。方角は東北東になるのでしょうか。
その左手には、大河ヨードが行く手から悠々と流れています。アワジマには雨水を海にのがす用水路があっただけ。ですので、アイナにとっては初めて見る川。
河原では大勢の土方さんとゴーレムが、盛り土の工事をしているようです。治水工事なのでしょうが、川の長さを考えると気が遠くなりそう。
「この木は人が植えたのよね。なんのためかしら」
一方の右手には、どうでしょう、高さ五メートルくらいの木々が延々と道に沿って並んでいます。防風林なのでしょうか。私にも詳しくは分かりません。さらにその向こうにはずっと田畑が広がっています。所々に家屋も建っています。農家の方々のお家でしょう。
アイナの興味は尽きません。走り疲れると今度は、次々とライヴォークに語りかけます。でもライヴォークは黙ったまま。話し相手になれないのがもどかしいことでしょう。それは私も同じです。そうして今度は――、あらあら。
「ねえ、ライヴォーク、あの人はどうしたのかしら?」
立ち並ぶ木々の一本の根元、老人、おじいさんがむしろを引いて横たわっています。ずいぶんと薄汚れた身なり。洗浄魔術程式も持っていない人なんているのですね。それでもアイナは足早に近付き、しゃがんで、おじいさんを覗き込みます。
「もしもし、何かお困りですか? お体の具合が悪いようでしたら、私、治癒魔術を使えますよ」
声をかけられたおじいさんはきょとんとしています。アイナの反応が予想外だったのでしょう。
アワジマで見知らぬ人を見かけたら、十が十、観光客ですが、ここはシノサカです。この方は、うーん、物乞いさんじゃないかしら。
「うんにゃ、どこも悪くはないが、そうだな、腹が減っておる。なにか恵んではくれんか」
戸惑いながらもおじいさん、しっかりもらえるものはもらおうとします。さすがはシノサカ、と言うのは差別になるのでしょうか。
「ライヴォーク、かばん」
アイナはライヴォークに持たせていたかばん、通学に使っていたものですが、それを開けて、袋を取り出します。あー、そういえば。今朝は早起きをしてこっそり作っていたのでした。
「はい、少ないですけど、どうぞ」
食パン一枚を四つに切って、ハムとレタスを挟み込んだだけのふたつのサンドウィッチ。アイナはとっても小食なのです。
「おー、ありがとう、うまい、うまい」
「えへへ」
本当においしそうに食べるおじいさんに、アイナも嬉しそう。
でもそんな和やかな交流も、ここまでのようです。
「ヘッヘッ、じいさん、今日はうまいことやったじゃないか」
「ヒッヒッ、いいカモ、見つけたな」
「フッフッ、俺たちにも肖らせてくれよ」
いつの間にやら、アイナたちを五人の柄の悪い若者が取り囲みます。
髪を赤く染めたり、短く刈り込んで妙な模様を浮かばせたり、これがシノサカで流行っている不良さんの髪型なのでしょう。これで格好いいのでしょうか。見ているこちらが恥ずかしくなってきます。
さてそんな話はさておき。私ならイケたと思いますが、今のライヴォークにはどうでしょう、この若者たちを怪我させずに場を鎮めるのは難しいかもしれません。
「ひいっ」
おじいさん、あっという間にむしろを抱えて、逃げて行きました。
速い、速い。
おじいさん、足腰は随分と達者です。
「さあて、ゴミはいなくなった」
「お嬢ちゃん、俺たちにそのゴーレム、くれないかな?」
ライヴォークにカバンを返して平然と立っているアイナ。若者たちは下卑た笑いを浮かべて囲みの輪を縮めます。
「できません」
「ああん? 何だって?」
「ライヴォークは管理者権限のアカウントがわからなくて、ほかの人に所有権を渡せないんです」
ああ、アイナったら、何を馬鹿正直に説明しているのでしょう。
「何、小難しいこと言ってんだよ。俺たちを馬鹿にしてんのか?」
この若者たち、ゴーレムの扱いを分かっていないようです。それでゴーレムを奪ってどうするつもりなのでしょう。管理者権限のないゴーレムなんて売りものにもなりません。
「わ・た・せって言ってんの。聞こえってっか? 黒焦げにするぞ?」
鶏のトサカのような髪型をした若者が、右手を突き出して炎を浮かべます。火炎魔術程式、これは冗談ではすまされません。
「その程式は他人に向けて実行したら駄目なんですよ。実行記録に残って、お巡りさんに怒られます」
「おい、お巡りさんに怒られるってよ」
「おー、それはマズいんじゃないか、お前?」
「かー、参ったな。って、おい、やっぱ馬鹿にしてるだろ。お巡り怖くて、こんなことやってられっか!」
この五人、さすがに実行記録魔術程式を施されていないほどの無法者ではないようです。そんな輩がシノサカのような大きな街に、たむろしているはずもありませんでした。
さて、こんなアイナのピントのぼけたやりとりでも時間稼ぎにはなったようです。頼もしそうな方々が来てくれました。ライヴォークの大立ち回りもお預けです。
「おい、てめえら、そこまでにしとけ!」
大河のほうから、若い女の一喝が響きます。
ビクッと体を震わす若者たち。案外、小心者なのね。
「なんだと、こらあ!」
五人とアイナが振り向くと、そこには三人のごっつい土方さんの姿。でも先頭は、日に焼けてがっつりした体格に似つかわしくない、凜々しい顔つきの女の子です。
「やめろって言ってんだよ。ったく、おめえらみたいのがいるから、シノサカの評判が悪くなっちまうだろうが」
「そいつは悪かったな。そこまで言うからには覚悟できてんだろうな」
いえ、どう見ても三人の土方さんのほうが強そうです。
「それもいいけど、こっちはもっといるぜ」
女の子が、あごで上流の河原を指します。
その先は盛り土の工事現場、手を休めてこちらの成り行きを眺めている土方さんが、ざっと十人以上はいるでしょう。
その様子を目にして、若者たちは後ずさりを始めます。
「くそ、覚えてろ!」
ひとりが捨て台詞を言って逃げ出すと、残りの若者たちも雪崩を打って駆け出してしまいました。
「はー、清々しいまでの雑魚っぷりだな」
女の子はそう言ってニシシと笑い、
「わたしはこの子と少し話をするんで、先に戻っててください」
と後ろに控えていたふたりに話します。
「あいよっ」
「もうちょっと張り合いが欲しかったぜ」
と、男の土方ふたりは手を振って引き上げていきました。
「あのー、喧嘩はよくないです」
そんなアイナの言葉にずっこける女の子。
「はあ? あのな、絡まれているところを助けられて、そりゃないだろ?」
これは、この女の子の言うとおりです。
「えっ? わたし絡まれてたの?」
アイナったら何を言って――。
ああ、そうでした。アワジマに悪い人なんていません。心の内までどうかは分かりませんが、よそとの行き来を転移門に頼るリゾート地、何かやらかせばあっという間に捕まってしまいます。
「なんだよそりゃ。あー、もういい。アワジマはそういうのどかなとこだったよな。で、これからどこに行くつもりだ? そんななりで歩いてると、またさっきみたいな奴らに絡まれるぞ」
この女の子、理解が早いです。
アイナがアワジマから来たのは転移門の開通日だから分かるのでしょうけど、彼女自身、アワジマにも行ったことがあるようですね。失礼ながらそのような身なりには見えません。アワジマは日帰りでもしなければ、次の転移門開通まで長期宿泊を余儀なくされる場所、気軽に出かけられるようなリゾート地ではありません。
「えっと、北地区の程式工房です」
マコットさんの紹介状を思い出して、アイナは答えます。
「あー、あそこか。また程式工房に行くんだ。四時まで待ってくれれば、わたしが案内するよ。待たせて悪いけどそれまではバイトなんだ」
あら、この女の子、アイナのことを知っているのかしら。ライヴォークに驚きもしないですし。
「分かりました。わたし、土手で待ってます」
アイナのほうは引っかかりを感じなかったよう。女の子の申し出に応じました。ともかくこれで私も一安心です。
街道から河原へと下りる緩やかな土手に腰かけて、アイナとライヴォークは土方さんたちの作業を眺めています。
土を掘り起こす土方さん、その土が詰まれた荷車を運ぶ石製ゴーレムたち、運ばれた土を盛り上げていく土方さん。こうした作業を延々と続けているのでしょう。人草の営みも尊いものです。
アイナは暖かい日差しとそよそよとした優しい風にあたり、とても心地よさそうですが……、
「ライヴォーク、私たちも手伝おう」
ですよね、この娘がじっと待っていられるはずがありません。立ち上がって作業現場に歩いていきます。
「すみません、わたしとライヴォークにも手伝わせてください」
アイナは、土方のみなさんに指示を出している監督さんらしき方に声をかけます。
「ああ?」
監督さんはアイナを怪訝そうに見つめ、盛り土の作業をしている先ほどの女の子に目配せしました。女の子は首を横に振るだけ。
「お嬢ちゃんには無理だよ。怪我するといけないから下がってなさい」
監督さん、顔つきに似合わない丁寧な対応です。お邪魔してすみません。
「わたしもライヴォークも、身体強化の魔術程式を使えます。おじさん達にも負けません」
でも、それで引き下がるなら、マコットさんもリーエさんも苦労しなかったでしょう。
「あのな、俺たちも身体強化してるんだけど。ったく、じゃあ、そこの土を掘り起こして、そのゴーレムに荷車を曳かせてみな」
「はいっ!」
粘り勝ちしたアイナは、余っているスコップを借りて作業を始めます。
あら、穴を掘るのは、背の低いアイナに案外と向いているのかも。
あっという間に荷車にたまる土。
それをライヴォークは軽々と運びます。四つ足石製ゴーレムよりずっと早い。
「ほー、大したもんだな。工事が早く進む分には誰も文句は言わねえ。給金も払ってやる」
これは意外な展開、工事が進むなら猫の手でも借りたい状況なのかしら。
「おい、みんな。この新入りの嬢ちゃんと作業を続けるぞ!」
「ういーすっ」
アイナは、あっさりと皆さんに溶け込んで作業をこなします。改めて見るとサボっている人は見かけません。皆さん熱心です。
そうしてあっという間に四時を迎えました。
「あー、疲れた。お前が入ったら、みんな張り切り出すんだもんな。普段からあれくらい働けってんだ」
アイナと女の子は後片付けを免除され、一足先に作業現場を離れました。
ふたりは、木々に囲まれ人目のつかない河原に移動。服を着たまま洗浄魔術を実行して汗や泥を流し、今は温風魔術で体と衣服を丸ごと乾かしています。
年頃の女の子がお外ですることではありませんが、まわりにはライヴォークを除いて誰もいません。ふふ、そのライヴォークは目を逸らしているようです。
「ねえ、お姉さん。わたしの名前はアイナ、こっちのゴーレムは――」
服も乾き、身だしなみを整えたところで自己紹介を始めるアイナ。
ところが女の子は、手を出してアイナの話を遮ります。
「そっちはライヴォークだろ。そんな目立つ木製ゴーレム、忘れるわけがない」
「えっ?」
女の子の意外な言葉に、アイナは目を見開いて固まります。
「アイナ、わたしはカノンだよ。アワジマでマブダチになったカノンだ」
女の子は目を伏せ、頭をかきながら、どこか後ろめたそうに言うのでした。