東回りと西回り
キンキイとシガアの地域境。
「とくになんにも無いんだなあ」
とりたてて様子の変わらない野道に、カノンちゃんがつまらなそうに言います。強いて言えば、『ここから先、シガア』という年季の入った木の看板があっただけ。確かによその地域に足を踏み入れたという実感は湧きません。
「キンキイの民とシガアの民の関係は良好だからな。地域境のキンキイ側にあるゴショは、特にシガアの民との縁が深いということもあるし」
ユートくんが律儀に解説をします。それに「あー、そうかよ」とカノンちゃん。
付け足せば、キンキイ地域とシガア地域の境は平地が多く、検問しようとすると相当の大事になるという事情もあげられるでしょう。そのような広範囲にゴーレムを配置する余裕はないし、必要性もありません。
「ただ、マナ木が多い地域はシガアの民もピリピリしているそうだから注意してくれ」
ユートくんが、カノンちゃんだけでなく、アイナやコタロウくんにも傾聴を促して状況を説明します。ライヴォークはそんな四人のあとを黙々と追っていますが、どんな気持ちでシガアの状況を聞いているのでしょう。ゴショへの報奨旅行が予想外の展開を迎えてしまい、これからが心配です。
こうなった事の発端は、もちろんアイナです。
ゴショで最初に訪問した程式工房を出た、本当にその途端。
「わたし、これからシガアに行く」
アイナはそんなことを言い出しました。
カノンちゃん、ユートくん、コタロウくん、三人とも予想していたとは思うのですが、ここまでアイナが性急に動くとは思わなかったでしょう。私もびっくりしました。
「まだ一つ目の工房を見学しただけだろう。だいたいアイナくんはシガアの道が分かるのか」
たまらずユートくんが諭します。
「湖をぐるっと回るだけでしょ」
それに子どものような答えを返すアイナ。実際、子どもなのですけど。
シガア地域は、中心に大湖があって、それを取り囲むように平地と山々があります。ドーナツ状とも言えますが、そう例えるには縦長でいびつな形になります。ですのでアイナの言った通り、大湖を取り囲む街道をたどれば、たいていのシガアの街にはたどり着けます。ユートくんにとっては質の悪い話です。さらに筆頭書家さんが言っていたナガアマはシガアを代表する街のひとつ、道を尋ねれば大抵の民は答えてくれることでしょう。
「どうして君はいつもそうなのだ。キンキイの民であっても、身元不明の者がうろつけば怪しまれるぞ」
ユートくんが苛立ちを隠さずに文句を言います。御三家に生まれた者として自分を律して振る舞うよう躾けられているでしょうから、アイナの気ままな行動はユートくんとは水と油、理解の範疇を超えているでしょう。
「えっ、身分証明が必要なの?」
これにはアイナも怯みます。アワジマから飛び出てまだ一年足らず、よその地域に出たことはもちろんありません。
ユートくんの言い分だと、今は勝手にシガアを訪問するのは良くない様子ですね。さすがに私もそうした最近の状況までは分からないです。
「書類が必要というわけじゃないが、今のシガアはよそ者を警戒しているはずだ。だいたい、今回の見学はアイナくんへの報償ではあるが、コタロウくんへの報償でもあるんだぞ」
説得のとっかかりを掴んだとみたか、ユートくんがアイナを追い詰めます。でも、この発言が意外な反応を引き起こします。
「あ、俺もシガアに行きたい。できればフォクリックに行きたいけど、ダメでも、産まれた場所の近くに行ってみたい」
コタロウくんがそんなことを言い出しました。キンキイ地域の北東にシガア地域が位置し、さらにそのシガア地域の北にフォクリック地域が位置しています。
「ゴショの程式工房の見学予約は、そう簡単に取れるものじゃないんだぞ」
ユートくん、咎めるのではなく、確認するように言います。
「俺にとってはシガアも簡単に行けるところじゃない。どっちかだったら、シガアに行きたい。お金だって限りがあるんだろ?」
コタロウくんの訴える声調が、アイナと同じ。先ほどアイナのことを子どもみたいだと思いましたが、コタロウくんも同じです。純粋に想いを伝えているから、そう感じるのですね。
「カノンくんはどうなんだ?」
ユートくん、カノンちゃんにはどこか投げやりに尋ねます。
「へっ、ゴショの程式工房よりずっと商売の匂いがする」
これはユートくんも予想していた通りの回答でしょう。
ユートくんは腕を組んでしばらく俯くと、数枚の資料をカバンから取り出してカノンちゃんに手渡しました。
「なんだよ、これ」
「今日のこれからの予定だ。予約を取ってある程式工房ふたつと宿泊場所が書いてある。失礼の無いように訪問して欲しい」
「お前はどうするんだよ」
「今から役所に行って、明日以降の予定を変更してくる。頼む」
「ふん、誰に頼んでると思ってるんだ。お前よりずっと上手くやってやる」
カノンちゃんは自分を見つめて真摯に依頼するユートくんから目を逸らし、その資料を受け取ります。赤く染まった頬を、魔術程式で隠すのはズルいです。
そうしてユートくんはそこで別れました。アイナたち三人とライヴォークだけで、ゴショの街を回ることになります。どうなることやらと、ハラハラしたのですが――。
カノンちゃん、理性を保つ魔術程式を三重に実行し、あのアワジマに遊びに来たときの、利発で優雅な豪商のお嬢さまのカノンちゃんへと大復活を遂げてみせました。
しゃなりしゃなりと、行く先々でそつなく応対をこなすカノンちゃん。アイナはそれを見て、「お姫様みたい」と大喜び。まったく、他人事みたいに見ていないで、礼儀作法のひとつやふたつ、真似してでも身につけてほしいものです。コタロウくんも「あのカノンなのか」と呆然としていましたが、背中を思いっきり叩かれ、「やっぱりカノンだ」と納得していました。
残念だったのは、ユートくんがこのカノンちゃんお嬢さま様式を見る機会が無かったことです。さぞかし微笑ましいやり取りをしてくれたと思うのですが、それはまたいつかの楽しみにしておきましょう。
今日も寒い冬の朝でしたが、制服の上にジャンパーやハーフコートを着込んだ四人とライヴォークが夜明け早々に出立してから、そろそろ三時間が経ちます。ゴショを出て東へひたすら進み、次いで北へと歩いてシガア地域に入り、街道が二手に分かれている地点に到着しました。
「ここは東だ」
ユートくんがそう言って東に延びる道を進もうとすると、
「西回りのほうが早いでしょ」
とアイナが止めます。
シガア地域の地図は、今回特別に借り受けてきたもの。ユートくんしか持っていないのですが、出発前にアイナたちもざっと確認しています。
ユートくん、口にこそ出しませんがいかにも「またか」という表情で、その地図を取り出して広げます。それをのぞき込む、ほかの三人。
ナガアマは、アイナたちがいる地点から大湖を挟んで反対の北側にあります。大湖の西岸側こそ南北にほぼ直線の形状なのですが、東岸側は逆「く」の字になっていて、アイナの指摘する通り大回りになるのです。
「んー、直接見たほうが早いだろ」
不意にそんなことを言って、カノンちゃんが荷物をどさっと地べたに置きます。そして肌の色が青黒く変色、化粧魔術を止めたようです。
「何をする気だ」
そう言うユートくんに答えず、カノンちゃんは宙に浮き始めます。浮上魔術程式を実行しました。
「おい、大湖を見渡すつもりなら、相当な高度になる。よしたまえ」
血相を変えるユートくん。
「マナ肺活量に余裕があっから大丈夫だって」
ユートくんを見下ろして言いながら、カノンちゃんはどんどん浮上していきます。
「なるほど」
そう言ってコタロウくんも荷物を下ろして、空へと浮上を始めます。
空を浮かぶこと自体は割と簡単です。移動しないなら、浮上の魔術程式ひとつを実行するだけ。しかし自分のマナ肺やマナ筋肉の能力を見誤ると、魔術程式の実行が途切れて地面へ真っ逆さまになります。治癒魔術があるにしても、大けがは免れないでしょう。
「私はやらないからな」
かなり上空へと浮上したふたりを見やりながら、ユートくんは憤慨しています。実際ふたりがしていることは、とても危険なことです。
「えへへ、わたしもやってみよ」
アイナが荷物を置いて、とんでもないことを言い始めます。――えっと、いつもアイナは荷物をライヴォークに持たせているのですが、今回は四人共通の大荷物を持たせているので、自分で運んでいました。
「ちょっと何よ」
私がヒヤッとしたのもつかの間、アイナの両肩をライヴォークがその後ろから両腕でがっちりと抑え込みました。アイナは「もう、放してよ」とじたばた暴れていますが、こうなっては動けないでしょう。ライヴォーク、お手柄です。ユートくんはそんなライヴォークの挙動に、「こんな判断もできるのか」と驚いています。
「寒い、寒い」
アイナが無駄な抵抗を繰り広げているあいだに、カノンちゃんが白い息を吐きながらふわっと地面に降り立ちました。「何やってんだ?」とアイナとライヴォークを不思議そうに見ています。コタロウくんも、スタッと片膝を着いて着地しました。かっこいい。
「しっかし、大きな湖だな。どんだけ昇っても見渡せなかったぜ。まるで海だ」
温風魔術で冷えた体を温めながら言うカノンちゃん。南北方向には三十キロはありますからね。私は上空から眺めようなんて思いつきもしませんでしたから、どれだけ昇ればいいのか見当もつきません。
「西回りのほうが早いでしょ」
まだライヴォークに取り押さえられたままのアイナが聞きます。
「そうだな、アイナの言う通りだ」
カノンちゃんは、アイナではなくユートくんに向かってそう言います。そんなことは、地図を見れば分かりますけどね。
「でも東は田畑が広がっていたが、西は湖のすぐそばまで山や森が迫っていて歩きづらそうだったぜ」
コタロウくんも温風魔術を使って体を温めながら、状況を補足します。こちらは、地図からは分からない情報です。ちなみにコタロウくんは、シガアでも帽子やマスクを使っていません。フォクリックの民であることを隠して下手に勘ぐられるほうが厄介だと、ユートくんが判断しました。
「そう、その森が北に行くに従って、マナ木になっているそうだ」
そのようにユートくんがどこか重々しく言うと、
「えっ、あれがか。どんだけあるんだよ。木製ゴーレムを作りたい放題じゃねえか」
とカノンちゃんが驚きの声を上げます。
「全部ではないと思うが、いずれにしても西回りの道を通るとシガアの民に警戒されやすいと聞いている。だから東回りにいったほうがいい」
ユートくん、昨日はあれから役所を駆け回ったそうです。その時にでも注意されたのでしょう。さらに言えば、シガアの東側はトーカイ地域と接しているだけなので、フォクリック地域と接する西回りより安全という事情もあると思います。
そう説明してユートくんは、どこかお願いごとをするようにアイナを見つめます。
「じゃあ、わたしとライヴォークだけで西回りにする」
でもアイナは、そんなユートくんの仕草など歯牙にもかけませんでした。ライヴォークの腕を振りほどいて、先ほど地面に置いた荷物を手にすると、西回りの街道を進み始めます。
「俺もこっちにするぜ」
コタロウくんも続きます。コタロウくんが、フォクリック地域に近づける西回りを選ぶのは当然でしょう。
「諦めなって」
荷物を拾い上げたカノンちゃん、哀れむようにユートくんに言葉を残して続きます。
「はあ」
深いため息をひとつはいて、ユートくんも歩き始めました。最初から西回りと決めていれば、そもそもゴショから歩く道も違うものね。三泊で行けたんじゃないかしら。今さらもう、どうしようもないことです。




