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転(1)・接触

 校門をでて、外と内をわける通称“月光ゲート”をくぐると、そこから帰宅ルートまでずっと大きな壁は見えている。ゲート描かれた月を遠目にみて平たい建物が建ち並ぶ住宅街を見下ろせる小高い丘が続き、やがて街と連なる。このあたりはミゲルにとって、早朝のランニングに適切なスポットだ。朝この場所から人工の朝日を見る事に見慣れている。ミゲルは陽が暮れかける街並みを歩き、ようやく二人においついた。小道が複雑に入れ組んでいるのはこの街の特徴だ。しかし、ここに住む人間ならそう迷いはしない。霧が一日中こく、遠くを見渡すには不便な街ではあるが、さすがに夕方やよるはそれも薄くなる。あの霧には、宇宙からくる有害な放射線を避ける意味合いがあるのだといつか授業でならった。姉とサキさんのあとをついていって、おいついたら二人がにこにこと、姉は茶化したがサキさんは優しくでむかえてくれた。あやまって、感謝の言葉をいう。サキさんと、姉のエーネは歩く歩幅も早いので、時折追いこされる。また自分が見渡す限りの古い邸宅と見渡していると、その一つ一つにあるはずの人々の思い出が郷愁や恐怖を誘った。しかし、姉とサキさんは自分が少々おくれても、その辺で日常の“儀式”をこなす事になっている。そうだ、別れだ。ある横断歩道の前で二人で駆け足においつかなければいけなくなった。今日の授業の数字と文字が頭に浮かんでは消えるのを聞きながら、二人の会話を盗み聞きしていた。途中で街を警戒して徘徊するドローンと目が合った。フロントには透明なカバーを据えて、その奥にぎょろぎょろと動く目の形をしたカメラをもっている。それが第一型の“ロー・ストレージ・モダンレムレース・エクスマキナ(lomem)ロムイーエム”の形態。ドローンのフレームは側面に火星のデウス・エクスマキナの模様でもある横たわる砂時計とその上の羅針盤の図形がはいっている。公正安全取引取締法通称“公正法”による市民同士も種々取引の監視と公平さの監視。治安維持のための“クローン・エクスマキナ”の一つ。しかし、“植民地租税法”といい、火星と地球のフェアさは担保されているとも言いづらい。何かにつけ、地球側が有利になっていることは周知の事実だ。そんなのには目もくれず、人々は生活しているし、事実彼女ら中学生も、通学中にそのドローンと出会ってもほとんどきにしなかった。

 『最近良いコスメある?』

 『ジャック・ジーンの保湿いいわよ、私あれもうつねに家にあるわ』

 サキさんの家は、高層ビルのある街の南に位置していて、自分たちは東なので、賑わいのある小道の商店街をあとに、南と東を分かつ関門の十字路を南にいって、そこでサキさんのお見送りだ。南東に位置する鉄道とレール。風は強くないが、中央からふきつける霧は、昼でも関係なく待機を濁す事がある。しばらくすると電車がレールをならす耳鳴りにも似た音とともに、カンカンカンと小気味いい音がなり、遮断機がおりる。その向こう側にすでにサキさんはいて、姉妹の自分たちはそこでサキさんに大きくてをふった。

 「またね」

 「そいじゃ、またね」

 姉が言葉をつげて、自分(ミゲル)はそれをまねて、姉の後ろで手を打った。遠くなる影を見送って腕の力をぬくと自然と疲れを察してわきにおちついた。遮断機をへだててこちらの世界。コロニーのドーム状の天井に浮かび上がる、デジタル映像の月を見上げて、見下ろして自分の腕時計を見てみると6時、すでに日はほとんどくれていた。南には小さな商店が立ち並び、住宅街も13の区画にわかれてある。大通りはそれほどなく、交通は上空に浮かぶモノレールで可能なので、大通りはほとんどアクセント的に存在しているだけだ。その脇には、どこをのぞいても、住宅街と傍らにさまざまな商店がならぶ。小さなお店がつぶれずにいるのは、商店街連合が機能しているらしい。大きなチェーン店も店をつらねるが、やはりここには人の温かみがいきていた。

 その後、大きな駅のある大通りのわきをすぎて、ロータリーをみながら家につくと、大きな屋敷が迎えてくれる。庭も玄関の塀も古風なもので、門にいたっては木の門だ。その装飾も簡素なもので、木々や水の表現、葉や木の実や動植物の彫刻、自然を模倣している。どこか温かみを感じて、ふとドアの戸ってに手を伸ばす。門をあけておくへ歩きはじめると、庭をみる、庭は母の好みの植物を配した庭園で虫はおおいが、ちょっとした畑もあり果物や野菜の収穫もできる。その中央の庭には小柄な溝の入った噴水があり、月を模倣した女神がいて、彼女の背中から水がふきでる形になる。女神、その名前はアルテミス。狩猟、子の守護神、そして現在の火星の太陽デウス・エクスマキナのデザインの原型となったもの、デウス・エクスマキナは全体を球体のまるみをもって、どこか母体をおもわせながら、おおきな瞳と鼻口で、ぱっとみ表情がないが、くわしく観察するとほほ笑んでいるのがわかる。

 【ふう】

 そこでようやく溜息をついて一日を振り返る。玄関の外側の世界と内側は隔たれる。月の女神、火星の太陽、その原型としてのアルテミスをこの庭にかざり、そんな家にすみ、悪いきはしない。学校は窮屈でもあるが、この玄関を通ると落ち着く。校内は壁の内側で守られて、その反面で、将来への投資、リターンを求められているという感覚がある。フェアじゃない。自分たちにも子供の頃があったはずなのに。ここにあるものはデウス・エクスマキナ、地球という巨大な母体から、火星の人々は地球にいつも監視されて期待されて実験されているという感覚があるが、デウスエクスマキナも元をたどればこうした信仰を原型にもつ。けれど、ミゲルのような子供には期待されている未来について考えている暇もあまりない。なぜなら自分の充実がなければ、余裕など生れないのだと思う、地球人は、火星をこれからべつの惑星に入植する際のモデルケースにしようとしている。宇宙開拓時代における実験だなんて、そんな扱いだ。

 『じゃ、また、あとで用事があったらおしえてよね、(いもうと)ちゃん♪』

 『おねえちゃん、(いもうと)ちゃんはやめてっていったよね?』

 『べつにいいじゃない♪皆同じ世界をみていないからね』

 スタスタ音をたてて振り返りざまに交わした会話。(誰も同じ世界を生きていない)それは姉の口癖で、何につけていつでもいう。姉はそのまま自室に直行で、自分は少しリビングに用があるのでそこで姉が一目さんに扉をひらいて、自分はひと呼吸遅くドアをあけてあるいてる。

 (お父さん)

 彼女の脳裏には、頭を抱えて考え事をして、悩みつくしている父の影がうかんだ。全くエーネにはない仕事が始まるのに気落ちして、只今といいつつ玄関のドアをひらいた。そこからは、ほとんど覚えてないほどの自由の時間が始まるのを予見して後ろを振り返る、すぐななめに眼をやると、高層住宅の並ぶ区画にサキさんの住宅が遠くにみえた。南は何かとわけありのある人々が住んでいる。亜人外区画。それを“モルモット階”と皮肉じみていう人もいる。けれど統治者である“デウス・エクスマキナ”によれば、邸宅の割り振りは完璧で、非の打ちどころがないそうなのだ。そうしてバタンと玄関のドアをしめて、目をつぶっても道筋がわかるような自分の家を自分の部屋に向けて歩くと、腰を下ろして、ほんの少しめをとじて溜息を吐いた。


 家の一階での家族の喧噪にもまれたあと自分の部屋のドアを、バタリととじたまでは意識があったがそれからは自分の時間が、ドアを隔てて家族と分かたれて、いつのまにか自分の世界が訪れていた。呼吸と物音だけが記憶によぎる、いつからまぶたを閉じただろう?一時間?三十分、しらずしらずにふと“今”という瞬間に気付かず意識がもどされた。

 「よいしょ」

 先程からしばし時間がたって、自室にくつろいでいたのだと思い出す、意識を放りだしてぼっとしていた。部屋の右側から屋根の物置部屋につながるドアのそばによる。そばに窓があり、窓から見上げると空は天井の暗闇につつまれていた。コロニーもそんな時間にもなると、てっぺんの暗がりをひろげて星空をみせてくれる。セーターをぬいで、体操服に着替える、腕時計をみると時刻は夜7時、夕方はとっくにすぎて、二階の自室にしばしくつろぎながら、1時間ほどが経過していた。すでに学校の予習や、家族との少々の団欒、ネットを介した友人と遊ぶ時間はおわって、ミゲルは階下におりた。押し入れ部屋は、突き当り左にあり、自分の衣類(下着類)それからタオルと寝巻(ジャージ)をとると扉をとじて翻る。入りぐちと二階の階段の間に風呂場があり、今と対面になっているので、そちらへむかう。それからの自分の動きは、例えば友達と話すときなんかにはニコニコ絵文字で表現するほどのんきなもので、小さな鼻歌をうたいながら、今日の出来事を思い出していたりした。繊細なサキさんの瞳、しぐさ、清潔感とかわいらしさを併せ持つ究極生命体のような彼女、長井緑がみと、白く薄濁りのやさしい赤、彼女の事を考えると、自分もそんな幸せな友達や、むしろ自分もそうなりたいと考えたりするものだった。風呂場をあけ、手と体、顔をあらって最後にシャンプー、いつのまにかぽちゃんとお湯をはった湯舟につかっていた。

 (ふんふふーん)

 ミゲルは風呂場のバスタブに腰を下ろして湯舟につかる。曇る湯気、今朝の事や夕方の事が脳裏をよぎる。ポチャン、知らず知らず手を伸ばすと、その上腕、前腕をつたう筋肉と骨の振動が皮膚をたどって湯舟に波紋をつくった。それが何かに似ていると思った。

 「あ……うん」

 自分が琴に秘めた音、楽器は音を奏でるために存在しているし、楽器ごとに、短所と長所は存在している。けれどそれらは、個性だ。きっと斬新な表現や新しい今風の音楽も奏でる事もあるし、風流で風情のある伝統的な音楽を奏でる事もできるだろう。それは地球の日本の文化で、楽器だから、それを継承して模倣しているこの街では、昔から親しまれている楽器の一つだ。だから彼女は、西シネン中学のその部活動を選んだ。そこで浴槽をでて、バスタオルを脱衣所から拝借して浴室にて体をふいた。

 (ンショ、僕はこのさむい時間が嫌いだな)

 そういえば、祖父はそろそろ就寝の時間だ。祖父はかつて、惑星でおきた紛争において、警察機構《MSD》(Ⅿars State police) )に勤めていたと聞いたが、その彼の重要な財産は彼の寝起きする離れにある。火星は《 NSM》(NationStateMars)独立した国家とみなされているが、地球とのかかわりは深いものとなっていて、紛争や問題が比較的すくないのは、火星が地球人類が宇宙に進出する準備をする段階で、そのプロトタイプ、実験場として使われ、今に至るその歴史仮定の産物よるものだった。

 髪をドライヤーでかわかし脱衣所から上がる。タオルで髪を拭きつつも廊下をあるくと、母と父の話声が玄関すぐ傍にあるリビングのほうでにぎやかに談笑していて。その声がきこえた。それを聞きながら廊下をあるくと、自分の部屋のある二階への階段をいく。階段をあがるとまず姉の部屋があって、姉が2,5現実(リアル)ともよばれるAR(拡張現実)で友人たちと会話をしているようだった。現実のテーブルと自分の椅子の間に妖精のように小さな自分たちの疑似的な身体“アバター”を投影して、わざさざそれらにしゃべらせたり、図形を写したりして遊んでいるようだ。自室の前にたどり着くと札のかかった自室のドアをみつめる。その札は《スペースシップ2020》というカッコイイSF風の光るラインの入った宇宙服と拳銃やナイフを手に取った男の印刷されている。相変わらず《オタク君》だと思う。自嘲君に笑うと部屋に入り、《PF》(PublicFairy)と呼ばれる近頃はやりの小型ロボットにアイコンタクトを送る。アイコンタクトの合図はあらかじめプログラムしておいたもので、二階瞼を合わせて瞬きする事でテレビを消したりつけたりできる設定だ。アイコンタクトで合図して、テレビを見ると、サイバースペースの映像が流れていた。

 「近ごろ、地球からの移民が増え、」

 「デウス・エクスマキナ?デウスには感謝している、あれは全能の神だ、疑うものはいないだろう、しかし、君たちはデウスの揚げ足ばかりとるね、悪いのは僕らだよ、追い詰められているのも僕らだけど」

 近頃こんなものばっかりだ。人は本当の姿と名前をプライベートの電脳空間に流し、映し出してそこで自分の名前を確立しようと試みた。けれどそれでは、結局現実に有益に結び付かない事がほとんどだ。所詮古くいえばワールドワイドウェブなどネットワークも、現実を補完する作用しかなかった。

 地球ではそれによって、いくつかの混乱が社会問題となったことが今から一万年前にあった。けれどネットは人と人が接触せず、間接的に言いたい事や知りたい事を取り出せる、その精度の確かさはおいておいて内気で悪質なものが集まりやすい。マスメディアも、世間もその風潮に加担して、古くはインターネットやワールドワイドウェブとよばれた、その機能を拡充させたサイバースペースで、まるで街の匿名の落書きみたいな意見を参考にする。それは人々にフィードバックされ、人々は横着な形で、匿名で社会問題に文句をいっている。でも、父のいうように、そこでは同じ意見だが、結局叩きやすいものを叩いて、自分たちの意見に自信をもって批判したり批判されたりする人はいない。まるで匿名でつくられたミームや標的や標語を、人々が自分がこんどは標的になる事をおそれて、匿名で横着をして、大衆の多数決の暴力を行使しているようだ。

 ふとテレビを消して、本に目をやる。好きな思想家の本だ。タイトルはこうだ。そこでミゲルは自分の主観に入った。

 「異星人的、地球人と火星人の接触」

 呟いたことも忘れてしまうほど、タイトルをまずまじまじとみて、質感をたしかめ、ページをめくる。始まりは斬新だ。地球人類が宇宙開拓を声高に叫びだした1000年以上前、地球人は宇宙空間で様々な実験を試みたが、その中で奇抜なものを見た、それはオニや、モンスター、妖精や天使、神や巨人、あまりに統一性のないあれこれ。それが意味があるようにかいていて、これは中盤や終盤を明るく考えるためのアイデアだろうとボク――“ミゲル”考えた。机上の右側の開いたスペースに目をやる。常にそこには眼鏡ケースが置いてある。眼鏡をつけるとふと考える。なぜこんな風に、神経と感情と感覚が鋭くなっているのだろう?何か自分は振り返るべきことを持っていないだろうか?主に教室の屈辱の事である。しかし、ふと関連づけていいことを思いついた。優位性のことだ。ボクはメガネを付けていると、頭がかしこくはたらく事がある。“サイバースペース”ゲーム上で、自分はレベルを78まであげてる、100でカンスト、つまりレベル上限。それはニュースアプリ、SNS、オンラインゲーム等々であげた実績に応じてあがるレベルで、ネットワーク空間では、きっとあの教師よりも自分のほうがレベルが高いだろうと思えたのだ。そこでゲーム内で利用している自分の身なりにも思い至る事があった。決して欠点がないほどに、綺麗なアバター。胸が大きく、背が高く、凛とした表情でものを多く語らず、ゴーグルを頭の上につけている。ゴーグルは特殊なレアアイテムで、これをつけていると魔法能力が高まるのだ。ニット帽も、彼女がゲームをするときに必須だった。ゲーム内でも、外でも、それは同じだった。


 そそくさと本に戻る。地球人と火星人との接触。これはタイトルのひっかけだと思っている。本の内容をよめば結局は地球も惑星も各々が進む道を各々できめなくてはいけないとかいてあるし、莫大な距離をもつ宇宙空間の中にかつて国家と国家の間にあったような大自然は存在していないから、お互いの理解が進みづらいともある。まだ読み進めて半分だが、対話の重要性や、対話に必要な事、その作法がかかれている。“未知”を“既知”として、扱うべきものを、あえて対立したいものが対立しているという警鐘もある。そこでお互いを“未知”のままにして混乱を起こす事の無意味さも、写真といっしょに掲載される。そのテーマはすでに“小さな範囲”で進みつつあるお互いの理解について、共存と共栄。いまだ人間は宇宙開拓時代を始めた意識から成長していないという。これには納得する、だが彼女には小さな希望が見えた。なぜなら彼女が接しているサイバースペース上や、オンラインゲーム上では、そのような喧噪やり取りは存在していないからだ、巨大な起動エレベーターはそれ自体が大きな電波塔となり、地球と火星のサイバースペースをつないでいる。地球側の軌道エレベーターは、青々と茂る緑をイメージしたデザイン。それにくらべて火星側は、さすが、地球の実験場の天体である、鉄の扉の装飾がたてにつらなり、いくつかあしらってねじれてどんどん上へのびるような形をしていた。


 階下へ用事があったので、廊下を通るうちに、ある絵画のわきをとおる。植物から目が生えてこちらを監視している。ロジックはわからないでもないが、薄気味悪い絵だ。誰の絵かと子供の頃聞いたことがあったが、どうやら祖父が昔描いた絵らしい。父も似たような絵をかいていたが、父のほうがまだ神聖な感じのする絵をかいた。父はかつて、有名な画家だった。ゲーム彼女が部屋を移動して、廊下を突き当りへと急ぎ、一番奥の物置部屋から勝手口へ、祖父の生活する離れへと向かった。

 手には、学校で使う青のバックをかかえていた。歩きながら自分の好きなストラップに触れる。今から用があるのは、祖父の世話があるからだ。体を動かしたり、様子をうかがったり機嫌をうかがったり食事に必要な世話がすれば祖母と共に手伝う。時々癇癪を起すが、時々いいこともいう。それは彼女の好きな時間なので日記につけるのが彼女の趣味、そのためにバックをもっていた。ストラップは、ゲーム《スペースシップ2020》の銃。宇宙線や宇宙空間の多少の衝撃には耐える設定の、赤く光る武器だ。小柄だが威力は高い。威力は高いが人を殺さず、その戦闘意欲を奪う。それに触れた瞬間、ふと別の意識が訪れて自分の背後で自分の影が伸びた気がした。耳鳴りがした。突如、何かの気配を感じた。言葉らしきものを背後で知覚した。

 【ああ、うう、ああ】

 渡り廊下はレンガを重ねただけの簡素なものだ。奇妙な言葉が、彼女の背後から渡り廊下に響く。

(いたい、何か)

 頭痛がして、ふいに頭上にあるイメージが浮かんだ。それは彼女にしか聞かれていない声のようなきが、彼女にだけしていた。渡り廊下を見下ろした。スリッパをはいた自分の足がみえる。私の住まいと祖父の離れをつなぐもの、そして祖父の住まいから、父のアトリエをつなぐもの。かけはし、夢。一瞬意識が途切れて、ある記憶が取り出された。夢の中、霧のかかったこの街と、ある黒い男、全身真っ黒のオーラでもって覆われた男が、ある、まちをいく人の手を引いて、何か交渉事をしているらしい。そこで、自分(ミゲル)はふと我に返り、真下から正面を見上げ、天を見る。するといつもの街と同じように、ドーム状のコロニーの天井に、それを支える傘の支柱にもにた柱がかかり、その一番てっぺんに穴が開いている。気のせいか、その穴がいつもより大きなあなにみえた。自分の視線にもどると、自分はいつもいる、学校の付近。街頭の前のパン屋の店先に立っていることにきがついた。そして黒い男は、まだ白い影と話をしていて、ふいにその白い影にふれると、ふっと、景色がかわり、白い人が黒い人に色を変えた。

 【貴方は悪魔?それとも死神?】

 そう問いただしたのは理由があった。

 【どちらでもない、僕は君たちだ、君たちの認識。僕が何ものであるか、しるわけがないよね、僕の師匠は暑い人だから、クールマン、と、でも読んでくれないか?きみが抱える不満と不安は、人間の器には大きすぎる】

 黒い男は続けた。

 【僕は、デウスの本性をしっている、あれは形でしかない、かつてあれは本物として機能した、けれど人は“言葉”や“形”や“モノ”にとらわれる、デウスは、偽りになってしまった、あのバイオ――ズザッ―――ズッ――開け、財宝――遺産を】

 記憶が混線した。ふいに視線は元に戻る、意識もまた戻された。男のスーツは青色で、しかしその輪郭と全体像はぼやけて黒みがかっていて、靄があってその正体をつかめない。現実に急に引き戻されたからだろうか?祖父や祖母が気にかかったからだろうか?夢の事を思い出したことも見た夢も、そのとき、ミゲルにはどうでもよくなって、思い出せなくなり、ふと空を見上げた。天には人口の天体、人工衛星としての“デウス・エクスマキナ”は今はみえない。

 (昼間に笑う太陽、デウス、昔は怖かったな)

 それもそうなのだ。月の女神アルテミスをイメージして彫刻されたという人工太陽には表情がついていて、彼はいつも笑っているのだ。微笑といえるほどだが、じっくりとみると笑っている。

 

 祖父の離れは簡素なつくりで、扉も家よりは重厚感のないステンレスのフレームに、曇りガラスがあてはめられている。それをあけると大きなベッド、少し起こしたベッドからこちらの様子をうかがう和装の寝間着姿の祖父と、それによりそう祖母がみえた。

 「おじいさんの調子はどう?」

 「大丈夫よ、そんなに心配しないでも」

 「何か手伝う事ある?」

 おじいさんは、もともと口かずが少ない。今日はパンツを変えるくらいだろうか?ふとベッドの傍らにおいてある湯飲みをみて、お茶をつぐ用意をしようと電気ケトルにスイッチをいれた。

 コツコツ、フツフツ

 その間にパンツをかえると、少しうごきたいという祖父の言う事をきいて、様子をうかがいつつ、歩行の扶助をして外にでた。小雨がふりはじめていたので10分もしないうちに家の中にもどる。祖父が口すくなげにも感謝の意を口にした。今度は祖母の手をひきながら、日々わるくなる腰にてをあてがい、リビングへとつれそう。

 「いつもすまないねえ、何もしてあげられない、買ってあげられないのに、いつも」

 「いいのよ」

 祖父母とは関係がわるくないが、いかんせん年齢差が邪魔をする。それに自分は言葉をうまく扱えるほうではない。しぐさや自分の気遣いでそれを埋め合わせしようとしていることは口が裂けてもいえない。

 「あちらへいったら、貴方の頼みを一つ聞いてあげる」

 そういわれると、こちらも何か注文をつけるしかなくなる。廊下の突き当りの側面にある勝手口をひらいて、廊下をたどって玄関ちかくの居間へ、ソファベッドにねころんでめを手の甲でおおっている父と、忙しそうにキッチンで料理をしている母がみえた。味噌汁の匂いがした。透明に底が見えるテーブルの下からリモコンを取り出すとテレビをつけた。古き奥ゆかしき方法だが、老人にはこの手順が見慣れている。そこで祖父がキッチンを背後にして入口にむいている安楽椅子に腰かけるのをみはからって、わがまま娘らしい媚びを売る声をわざとたてて、正座をついて、両腕と足を交互にうごかしつつ少し祖母のもとへ近寄ってみせた。 

 「おばあさん、耳かき頼んでいい?」

 「いいわよ、ミゲル、それにおばあさんじゃなくて、おばあちゃんでいいの」

 ふと女座りで落ち着いた太ももに片耳をあてて腕をそろえておちつけると、落ち着く祖母の匂いと、心音やら呼吸やらが、耳を伝わって掃除をしない方向の耳を包んだ。それだけですでに満たされていた。

 「おばあちゃん、ごめんね」

 「いいのよ、あなたは、あなたにできることをすればいいの」

 そこで気を使う頭が働いて、話題を移そうと思った。

 「今朝のおじいさんの様子はどうだったの?」

 ふと今までを振り返る。離れにすみ足腰を悪くして、体を動かすのも難儀する祖父の様子が目に浮かぶ。離れには大事なものがたくさんあるといって、あそこから離れたがらないが、祖母や母は苦労すると、父が愚痴ることがあった。けれど家族みんなでささえて時には親戚が体を動かすのを手伝う琴になっている。昔は誰もが頼るような棟梁だった。建築士でもあり、ときおり地元でたのまれ建築物の設計もしたが、自分で物を作りたがった。

 「できないことがふえてきてね、それでも、あの人はあの人なりなのよ、できることをすればいいのよ」

 そういうと、祖父や祖母のやりとりが目に浮かぶようだった。瞼を閉じる。できる事を出来る形で、そこでふと今日のことが思い浮かんで、意地悪く祖母に質問をした。

 「できないと思っている事があったらどうするの?」

 「本当にできるかできないかは本人や、かしこい人にしかわからないかもしれないけれどね」

 祖父は、呼吸を一つ整えた。それに作法がくわしくあるかどうかはしらないが、老眼鏡とその境の耳からひとつの髪の小さな毛先の束をまとめて、ふうといきをついて答えた。

 「できるかできないかはわからないけれど、できることなら、できないと思っている事がもったいないと思って挑戦してみる、できなくてもいい、そう思う事が、できる可能性を広げる事もあるわ」


 妖精の形をホログラムで象る、シュガレットケースほどの大きさのPFを机の右端において、今日の学校の勉強の復習をしている。それから30分ほど、おちついて自室で孤独を味わう。

 ——“ピリリッ、ピリリッ”――

 夕食ができたとPFに知らせが入ったので、一介へ降りると、まるで絵画のような光景がひろがっていた。題名を思わずつぶやいた。

 『手とてを取り合う夫婦』

 こちらにきづくと、母は父の前面から抱きかかえるようにしてささえていた手をすこしミゲルのほうこうへ向けて手を、なにかおもいついたようにパチンとうった。そこにいたのは、ミゲルの母ニナと、父のドナン。ドナンは、憂鬱ににごる瞳を、どす黒く誰とも目を合わせない瞳を宙に浮遊させている。

 『俺にはもう、絵がかけないんだ』

 それはドナンがいったのではなく、ミゲルが思考を読んでしまった。とっさのことではPFのトランスカルチャー警報はならない。呪術を意図して使わない限りは、取り締まられることはない。

 ただ、母の胸に抱かれる父。その父を、情けないと思った事はなかった。父は重症だった。かつて全盛期を迎えていたころ画家だった父は、デジタル原稿に、アナログ調の絵画の良さを移植しようと試みた。その挑戦は功を奏して、何度となくその絵柄の絵をかいたが、あちらでは人がその画風を真似し、また別のほうでは、お役御免となったデジタルアーティスト、ほかの画家から凄まじい誹謗中傷を浴びて、おまけに取引先である大会社、出版業界は不況になり、デジタル画や動画が全盛を極め、いくつもの仕事を抱え、父はいくつもの取引先と質と量のギリギリの苦渋の決断の仕事を重ねた。特に地球文化では人工知能や量子コンピューターの台頭で、人々の感情をあおる大衆の娯楽は、ただのカテゴライズされた量産可能なアイデアになりかわていった。それでも我慢に我慢をかさね、自分の絵柄を求め続けた父は、絵画とデジタルアプローチへ進展に次ぐ進展を求められ、それでも新しいものをつくりつづけたが、いつしかその究極に自分を攻め続ける態度が絵柄に現れはじめ、絵画自体の需要がなくなってしまった。父はそれでも活躍をしつづけたが、その途中、同じように苦しむ同業者からのバッシングは次第に強くなり、ついには自分の身体や、自分の日常や、自分の内面のセンスまで全否定をするような輩があらわれ、2人ほどいた同業者の友人まで掌を返したように自分を批判し、自分のもとを去った。しかしそれでも父は繰り返してつぶやいていたことがある。家族にこっそりとつぶやいていたことは、こんな言葉だった。

 「いずれ、だれもがわかってくれる、それどころか、いずれ皆を救う方法がみつかる、俺はそのために絵を描いている」

 悩みに悩んだあげく、自分の器、人間の器では足りないといいだして、それから腕が思うように動かなくなったのだという。父の昔の画風から、ミゲルは感じることがあった。それはもうあからさまに感じることだ。それは“太陽のような温かさ”父がひた隠しにして、しかし批判され、批判されようと思っても、誰よりも父が家族と、友人を大事に思い、それをうまく表現ができていなかったことや、バッシングの中でさえも、石を投げ続けられながらも、その石を投げ続けていた相手への恩を返そうともがいていたことを、ミゲルはしっている。だから父は狂ったのだった。いわく、何度か抜け出すチャンスはあったのだ。中学からの親友であった一人の絵かきは、父が別の仕事をすればいいといった。しかし父は、幼少のころ、いじめをうけて、その外の事が一切できず、ただ絵画だけが父のよりどころだった。だから最後の最後まで、心を壊すまで、その仕事を手放すことができなかった。二つ目のチャンスは、母が止めることだった。母は、父のうまれそだった西のコロニー、マルゲーを共に出るという選択肢はあった。“エゥゲ”というだけで肩身の狭い思いをもち、そだってきたその地区。学区の児童が普通つかえる施設は使えず、商業施設では入場を拒まれることさえあった。その苦しみから何かを掘りだそうと、自分を苦しめ続ける父の手を取り、抜け出すことを選べなかった。


 数分そうして、そして、ミゲルは時計をみる。午後8時になっていた、遅くなったな、心でそう思うと、廊下からみえていた、リビングの夫婦は、まず母が目の前の母はその父のてをとってこういった。

 『励まし続けた私もいけなかったわ』

 『いや、いいんだ、焦っていたのは僕さ』

 ミゲルは廊下から、入口の壁にもたれて、不自然そうにしかめつらをして、和室の居間で祖父がつけているテレビの喧噪をみつつこの絵画を見て思う。こころや調子を崩した人間に、何か自分の負担をおしつけたり、自分の不平等やら、自分の苦痛をあてつけのようにかたずけようとする人間がいるが、どういう世界に生きているのかとさえ思う。自分が望まれた状態にいないからと言って、人様を自分のための消耗品のように扱うのはいったいどれほどえらい人間なのかと。

 (ただ調子を崩したからといって、まるで他人の奴隷のように、愚痴やら罵詈雑言を押し付ける人がいるけれど、誰も都合のいい人間なんていない、弱者は、世の中の人がおもうような都合のいいはけ口なんかではない)

 ミゲルは、キッチンに近くのリビング、(廊下から入ると左が今と呼んでいる和風の一室)の方向へ歩いていく。背の高い白い、木の材質高い机のセットの、机と同じように高いイスひとつにこしかけると、外をみる。といってもカーテンは閉ざされていて、その向こうは見えない。

 (エゥゲは、心をよめても、透視ができるわけでもない、ましてや呪術は禁止されている、PFでさえ完治する)

 閉ざされたクラシック柄の厚手のカーテンをみながら、ミゲルは、サキさんのことを考える。なぜ今日、あんなにやさしかったか?なぜ、ミゲルが買う予定だった商品、菓子パン(メロンパン)とコーヒー(カフェオレ)をおごってくれたか。あそこに秘められた意味と感情は、何だったか。悟れるはずのミゲルにも、少し疑問が残った。

 夕食を運ぶと、『いただきます』という口々にひびくなごやかな、まるでオーケストラのような多用な掛け声と、日々を記録するかのような口々に持ち寄る話しが、にぎやかな家族のだんらんを作り出していた。ミゲルは、けれど話すよりも聞く派閥の人間だった。

 祖父は、祖母によるサポートを受けながら食事をする。老いによる体のふし節の鈍さが日々ひどくなるが、ミゲルは祖父がかつてミゲルに与えてくれたもの、まなざしをもっている。それは今でも思い出す。祖父といっしょにでかけた、中央コロニー(フィロ)の軌道タワーへの小旅行。そこでいった祖父の言葉が今でも思い出せる。

 『火星は、地球の宇宙進出へのモデルケースになる、だが火星は、地球を目指している、このタワーもそうなのだ』

 軌道タワー、別名“フィロタワー”は、電波塔の役割とともに、軌道エレベーターへの通信、航路の役割をもつ。その裏側を教えてくれたのも、祖父だった。まるで樹木のように、重要な役割をもっていた。


 自室に戻ると一度ドアから姉の部屋の方を覗く。うるさく友人たちと会議でもひらいているようだ。こっそり扉をとじる間にものけぞる姉とギシリギシリと悲鳴をあげる椅子の背もたれがみえた。体重に持ちこたえられると良いが。

 『PF“エイド!”共振率は?』

 『現在ミゲル・葉枯(はがれ)・ヨイカさまのトランスカルチャー適合共振率は25%です』

 共振率は50%を超えるとグレーゾーンになる、その先60%以上は意図と責任能力を問われ、わるければ罰金刑、もし意図して呪術を行使すれば、さらに重い罪も免れない、ミゲルはぱたんとドアを閉じると、一度わけもなくベッドに寝転がり、タイマーをセットした。 

 (平常時の診断か、今日もとくに平凡な一日)

 その後、自室にこもって、夜遅くまでゲームをしていた。もちろん“スペースシップ20”。いつか、前にいたギルドの事を思い出す。かつてこのゲームを始めたてのころ、共にゲームをしていたオンラインゲーム上の相手。とても穏やかな女性で、ギルドマスターをしていた。その人の事をいつも思い出すのは、きっといつか出会えると思っていたから。

 (あなたのこたえはあなたでまもりなさい、そして、運命が手を差し伸べてきたときはそれを拒んではっだめよ)

 その言葉は、まだゲームを始めて間もない事に、その人に言われた言葉。自分はふと、今日をふりかえり、ベッドの上で回想すると、激高する教師の姿がみえた。部活の先生――“美術、琴部顧問 ノーム・エゲル”――むしろその姿が、哀れに見えて、一人ベッドの中に、掛け布団の中にうずくまり、まるで冬を迎えた昆虫の幼虫のように、まるくなりながら、こんなことを口にする。

 【私は、人を見下す必要がないほど、自分の感情と、自分の心、自分の世界を守りたい】

 しかし、サキさんがもし気を使っているのならば、自分はいずれ、何か代償を負うのではないか?心拍数が高くなる。何か忘れているような気がした。耳鳴りがなぜか響いていたが、ゲームの後のせいだと自分をおちつけ、2時間後にはむしろここちよく、祖母のひざをおもいだしながら眠った。




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