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3.死の姿/再会の混乱

 見えていた光は、俺がなくした懐中電灯だった。俺が隠れている間にめぐみが持って行ってしまったものだ。それがなぜここにある? 俺は懐中電灯を拾い上げて周囲を照らした。懐中電灯が落ちていたのは煉瓦の壁の手前だった。血のように赤い煉瓦の壁は左右に広がって端は遠そうだ。高さは、今の俺にはとても乗り越えられそうにない。


 壁を右手に進む。煉瓦の向こう側から水の流れるような音が聞こえてきている。喉の渇きをあざ笑うかのようで、苛立つ。


 しばらくして、壁に一か所穴が開いているのを見つけた。人ひとりが這って進める大きさの穴だ。照らす限り煉瓦の壁は続いていて、この穴以外の道は望めそうにない。


 横穴を覗いた。緩やかに上へと延びている。少し怖気づいた。さっきの謎の影みたいな何かと鉢合わせたら、今度こそ逃げ場はない。


 意を決して穴に入った。先まで見えるように懐中電灯で奥を照らす。大丈夫だ。何もいない、今のところは。横穴の中では水の流れる音がより近くに感じられる。穴が崩れたりしたら――考えるだに恐ろしい。


 狭い。ぎりぎり通れるが、後ろを確認することはできない。この息苦しい横穴はいつまで続く? 視界が赤い。水の音がうるさい。息が詰まりそうだ。


 ふと、こんなところに自分がいることが嫌になった。何もかもを忘れてしまいたくなった。めぐみのことで怒る気も失せて、惨めさと悲しみが押し寄せてくる。


 奥にちらつく光が見えている。近づくにつれて、抜け穴の先で俺の懐中電灯の光を反射しているのだと分かった。鏡だ。


 狭い穴から這い出ても赤い煉瓦は続いていた。古びた鏡台が通路にいくつも放置されている。ほとんどの鏡が割れていて、床に破片が散乱している。反射する光が頭に響く。


 割れていない鏡もあった。自分の姿が視界に入る。くたびれて見るからに不健康だった。


 足を止めて鏡に映る自分をぼんやりと眺めた。こんなに……つまらない男か。そんなはずがない。


 突然、俺が動いた。こっちに向かって駆け寄って、そして鏡が割れた。それと同時に床に散らばっていた破片がさらに細かく砕ける。


 鏡の中の俺を避けようとして、俺は尻餅をついた。飛び上がった心臓を落ち着かせる暇もなく、割れた鏡の欠片の間から黒い影が形となって飛び出してきた。それはそのまま俺にぶつかるようにして、俺の身体に触れたとたん霧散した。


 影の放った悲鳴がこだまする。とっくに影が霧散して見えなくなったのに悲鳴は耳元から離れない。


 じっと悲鳴に耐えていると、身体の痛みが嘘のように引いていった。俺の身体が元気を取り戻す気がした。まだ歩いていける。そう思った俺は、鏡台が放置された通路を後にした。


 鏡の隙間から飛び出たあの妙な影に驚かされてから、体力が湧いてくる。これ幸いと煉瓦に囲まれた通路を駆けていると、ひらけた空間に出た。俺に近い壁に同じ形のドアがずらっと並んでいる。どれかが地上への出口に通じているかもしれない。


 適当にドアを選んだ。開けると、白い部屋だった。


「しょうちゃん!」


 懐中電灯は無意味な部屋だ。ポケットに突っ込んで、俺に呼びかけた彼女に近づいた。


「お前、よくもそんな嬉しそうにしていられるな」


「だって助けに来てくれたんでしょ? しょうちゃん」


 めぐみは無邪気に喜んで抱き着いてきた。


「ありがとう、しょうちゃん。反省してくれてるんだったら、ゆるしてもいいよ。しょうちゃんの懐中電灯落としちゃって、でも携帯を拾ったの。だからもう無事じゃないんだと思って、心配だった! もう無くさないで、持ってて。だから一緒にここから出よ?」


 めぐみが差し出したのは確かに俺の携帯電話だ。俺は携帯を奪うようにして手に取ると、めぐみに言った。


「めぐみ。謝ったってお前は俺を突き落として大変な目に遭わせているじゃないか! ここから出るったって、どうやって出るんだ。勝手に一人で道を探してろ」


 俺を騙しやがって。


「だって……」


 めぐみはわけが分からないという風で、困った表情をした。


「しょうちゃんが、謝ってくれたんじゃん……」


 そう言ってめぐみは泣き出した。


「知らないよ! もう知らない、しょうちゃんなんて、死んじゃえばいいんだ!」


 泣き声混じりに彼女は叫んだ。どうやらめぐみはおかしくなってしまったようだ。言っていることが支離滅裂だ。


 一緒にいたらまた何をされるかわかったものじゃない。ついてくるようなら殴ってでも置いていく。


 俺が足早に部屋を出ようとして、案の定めぐみは「待って!」と言いついてきた。


「来るな」


 俺が拳を振り上げた時、2台の携帯が同時に鳴った。


 二人して我を忘れて電話に出る。外部からの着信だから、わらにもすがる思いで出た。助けを求めなければならない。


「誰でもいいから助けてくれ!」


 相手を確認するより早く口をついて言葉が出る。しかし、スピーカーを通して聞こえてきたのはめぐみの声だった。


「しょうちゃん、私をひどい目に遭わせてよ」


「何を言っているんだ?」


 おかしかった。この部屋ですぐそこにいるめぐみは彼女の電話の相手と話している。俺の電話と違う会話なのが聞こえていた。しょうちゃん、どうしてそんなことを言うの、と言っているのが聞こえる。だが、その彼女の声は俺の携帯からは聞こえてこなかった。


 俺は混乱した。俺の通話する先にいるのがめぐみなら、そこにいるめぐみは何なんだ? 俺に抱き着いてきたのがめぐみか? スピーカーから聞こえる声がめぐみか? それとも、両方がめぐみか? どちらもめぐみではないのか?


「――――」


 携帯から聞こえるめぐみの声はまだ何か言っているが、全然頭の中に入ってこない。もう、最悪だ。


 無力感に襲われ、携帯を耳から離して顔を上げた。俺の目に映ったのは、俺たちを取り囲むたくさんの赤い影だった。

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