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2.携帯電話/冷え切った梯子

 かん高い悲鳴が鳴り響いた。


「えっ何」


 めぐみは悲鳴が聞こえてきた方向がわからなかったので、辺りをきょろきょろと見回した。しょうちゃんの悲鳴ではない。めぐみにも、それはわかっていた。


 当初の計画とは違う別の廃墟ではあったが目的を果たした。そう思って一度は廃墟を後にしためぐみだったが、しょうちゃんの死を最後まで見届けていないことがじわじわと彼女の不安心を煽った。もし、あの階段を転げ落ちても彼が無事であったら。人殺しの試みを言いふらされる前に、とどめを刺さなければならない。


 二人で渡った川の手前でめぐみは引き返し、地下でしょうちゃんを探していた。階段の下に懐中電灯だけが残されていたのだから彼は生き延びているに違いなかった。


 悲鳴は一度だけではなかった。何度も何度も、複雑に入り組む石造りの通路の中を響き渡った。


 ここに他の誰かがいるなら、急いでしょうちゃんを見つけなければならない。先に進むにつれて、空気が冷たく肌を刺すようになっていた。夏場の薄着では寒く、めぐみは足早に進んでいく。


「しょうちゃん……」


 めぐみは自分が殺そうとした相手の名を無意識に呟いた。


 迷わないように天井の低い通路をずっと曲がらずに歩いているが、行き止まりはなかなか訪れない。数多くの分岐の一つでも彼が曲がっていたとしたら、しょうちゃんを見つける事はほとんど不可能だ。その事がめぐみをさらに焦らせていた。まさか、こんなに地下に膨大な通路が存在するとは思っていなかったのだ。


 しょうちゃんを見つけるのを諦めるかどうか、彼女は迷いだした。誰と出会うでもなく一人歩いていると、めぐみの中で寂しさがつのる。だんだんと彼女の歩みは遅くなり、しまいに立ち止まるとめぐみは振り返った。


 そこにあるのは壁だった。ずっとまっすぐ進んできたはずなのに、目と鼻の先が行き止まりになっている。


「何で?」


 涙がこぼれ落ちる。訳も分からず目の前の石壁を叩いた。


「通してよ!」


 いくら叩いても、いくら叫んでも、壁は消えたりしなかった。


 耐えきれなくなり、めぐみはひるがえって駆け出した。現実と認めることなど、彼女には到底できそうにない。まっすぐ進むことを忘れて、めぐみは滅茶苦茶に駆け回った。


「しょうちゃん! 返事してよ、しょうちゃん!」


 返事が返ってくることは無い。


 もはや自分がどこを走っているのか気にしていられる余裕はなくなっている。滅茶苦茶に角を曲がっていると、突然目の前に扉が現れた。半ば突き破るようにして扉を開けると、そこは明るい空間だった。懐中電灯もいらない明るさだ。ただ、その広い部屋のどこを見回しても明かりになるようなものは見つからなかった。


 めぐみは恐る恐る部屋の中央へと進んだ。この部屋には柔らかな光が満ちているだけで、他に何かがあるようには見えなかった。しかし、めぐみは何かに呼び寄せられているような気がしていた。


 部屋の中央に立つと、携帯が鳴った。






 腐臭の乗った風が流れている。恐る恐る閉じていた目を開けた。携帯の明かりで照らしたが、周囲の様子は変わっていない。


 これは悪夢だ。夢であるならば、早く覚めてくれ。


 腐臭が嫌なので場所を変えようと思った。俺は立ち上がらずに、床を這って少しずつ移動する。格好が悪いが四の五の言ってられない。携帯の画面の頼りない光源で前を照らしながら進んだ。この空間がどこまで続いているかわからない中、身体に伝わる床の冷たさだけが確かだった。


 身体の痛みと鼻につく腐臭とで、めまいがする。視界に白い霧がかかっているが、めまいのせいでこうなっているのか実際に霧があるのか、もうわからない。


 手に持った携帯が突然震えて、俺は床に取り落とした。慌てて拾い上げ、電話の着信であることを確認してそれに出る。非通知であろうが誰だろうが関係ない。誰でもいい。助けてくれ。


「もしもし、だ――


「しょうちゃん!」


 クリアな音で聞こえたのはめぐみの声だった。


「しょうちゃんでしょ! 助けに来て、お願いだから!」


 今になって俺に電話をかけてくるだなんて、とびきりの馬鹿だ。俺は彼女に突き落とされたのだし、仮によっぽど切羽詰まっているのだとしても俺に何ができるっていうんだ。ここがどこだかも分からないのに。


「めぐみだろう、俺に助けを求めるより警察にでも通報したらどうだ? 私は愛する彼氏を突き落としましたってな!」


「本当に、ごめんなさい。だって、私、しょうちゃんの事が大好きなのに、ごめんね、あんなことをしてしまって、本当はしょうちゃんを殺すつもりなんてなかったのに。ごめんなさい、もう二度としないって約束するから、」


 彼女はすすり泣いている。


「切るぞ」


「待って!」


 無視して電話を切った。電池残量が心許(こころもと)ない。それより、圏外でないのなら警察に通報しなくてはならない。少しでも助かる見込みがあるのならそれにすがる事を考えていた。


 110番を押して気づく。画面が、ここが圏外であると示していた。


「今繋がっていたじゃないか……」


 落胆を追いやって、今は這って進むしかない。


 不快な風に追われて進んでいると、前方にこれまでと違う何かを見つけた。金属製の細い円柱だ。床から生えて上へと続いている。


 頑張ってその円柱に近づいた。幅は1メートルもなく、裏に回ると内側への入口が開いていた。中には梯子(はしご)が見える。梯子は上にも下にも続いていて、そのどちらも端は見えない。


 ポケットに圏外の携帯をしまった。梯子を上るのには邪魔だ。暗闇の中を梯子に手をかけ、しがみつく。ここで落ちたらもうおしまいだ。


 手探りで慎重に次の段を探しながら確実に上っていく。時間がかかってしょうがないがどうしようもない。ぼろぼろの身体ではこれが限界だ。


 上に行けば行くほど、寒気に襲われる。金属の冷たさが直接俺の身体を冷やしている。


 寒い孤独にさいなまれつつ、休み休み上っていた。次の段を探して伸ばした俺の手に何かが触れた。手を引っ込めるが、驚いた反動で梯子から落ちかかる。


 周囲の筒にぶつかりながら慌てて身体の落下を止めた。あちこちの痛みがぶり返し、口から飛び出たうめき声が円筒内を響き渡った。ちくしょう、吐き気がする。


 おかしな体勢を元に戻しつつ、俺は何に触れたのか考えていた。冷たい石のタイルとも、梯子の金属とも違った。柔らかさだ。生き物の柔らかさだった。落ちないようにしつつ片手で携帯を取り出して、上を照らした。


 影が逃げるようにして上がっていった。素早く、結局それが何だったのかわからない。


 もういい。こっちに向かってこないのならば、それでいい。


 再び上を目指す。とにかく地上に出たい。体力の限界が来るまでには外に出なければならない。


 ……寒さは続いていた。何百段と上がったが、梯子は変わらず終わりが来ない。一度上を探る手を止めて、身体を休ませる。携帯を確認したが、圏外のままだった。


 身体が冷えきって惨めだ。握力が心許なく、これ以上は身体を支えられるか不安だ。足もいつ踏み外してもおかしくない。


 なぜ、こんな目にっている? 彼女が廃墟を見に行こうと言い出したからか。俺がそれに賛成したからか。彼女が違うと言ったのにそれを聞かなかったからか。それ以前に、彼女が俺を殺そうとしていたからか。それとも、下に続く階段を俺が見つけたからか。


 光がちらつく。頭がくらくらして、今にも意識が飛び去ってしまいそうだ。


 うかうかしていられなくて、次の段へ手を伸ばした。それがいけなかった。一瞬で俺はバランスを崩して、金属の円筒の中を落下する。


 身体が止まった時には遅かった。今度こそ間違いなく俺の身体中が骨折した。


 意識が行ったり来たりする。何もかもがぼんやりとして、上も下もわからない。繰り返し見る幻が消えて戻ってきたのは怪我の痛みだ。


 声を出してうめいた。俺の身体は梯子の途中で引っかかってくれた。まだ死んではいなかった。ただ、とてつもなく痛む。


「助けてくれ!」


 返事が来るはずはないとわかっていても、叫ばざるをえなかった。頭がどうかしてしまいそうだ。


 無理して体勢を直し、また梯子を進む。すると、最初は気づかなかったところに出口が開いているとわかった。梯子の途中で、俺がこの円筒に入り込んだのと同じような穴が壁に開いている。さっきは真っ暗な中で壁に触れなかったから気づくことができなかった。


 落とさずに済んだ携帯で照らすと、壁に開いた出口から床が続いていた。それがわかると、俺は梯子から解放されたくてたまらない。


 休むために梯子のある筒から一旦出ようと、最後に梯子の上を照らした。


 おぞましい影が見えた。それは先程とは違い、梯子の上の方から形を変えずに迫りくる。その素早さに巨大な恐怖を刺激され、俺は慌てて梯子から床に飛びついた。手がもつれ、携帯を取り落とし、それでも地面にかじりつく。携帯が穴に落ちてゆくさなか、落下する影がさっきまで俺のいた所を通り過ぎていった。最後に俺の携帯が照らし出したのは影の顔だった。それは人の顔に似ていた。


 携帯が金属の壁にぶつかって音を響かせるのを尻目に、俺は這ってなるべく早く梯子から離れようとした。あれが何か知らないが、もう遭遇するのはごめんだ。あれが一体何であるのか知りたくもない。


 懐中電灯に続き、携帯までもなくしてしまった。さすがに梯子を下りて拾う気はしない。それにあれだけの高さだから、どうせ壊れている。


 暗闇の中で、一点だけ小さな光が見えていた。もうあれを目指すしかない。


 涙をぬぐう手間も惜しんで先へ進んだ。


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