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1.殺意の入口/暗闇への誘い

 暗く濁った川に膝まで突っ込んだ。澱んだ水は生ぬるく、先へ進めば気持ちの悪い水草がすねを撫でていく。


「もう、帰ろうよ。遠すぎるよ」


 後ろでめぐみが文句を言っているが、川を渡れば目的の場所まであと少しのはずだった。


「来いよ。もうすぐなんだから。お前が見たいって言ったんだろ」


 風のない夜だ。立ち止まって振り返ると、めぐみが嫌々川に入るところだった。俺の懐中電灯で顔を照らすと、彼女は眩しそうに顔をそむけた。


「やめてよ」


「早くしろって」


 岸を上がったこの先に、めぐみが行きたがっていた有名な廃墟があるはずだ。


 川を渡ってやぶの中を進んだ。すると、崖の下にコンクリートの廃墟があるのを見つけた。


「あれだろ?」


 俺が指差すと、めぐみは首を横に振った。


「前にちゃんと見せたじゃん。こんな何もなさそうなのじゃなかったでしょ」


 めぐみは携帯を取り出して操作を始めた。


「早くしろよ」


 待っていられないので、一人で歩き始める。


「あれー、繋がらない。見せようと思ったのに……」


「圏外に決まってるだろ。あそこまで行くぞ」


 馬鹿だな。


 文句を垂れながら彼女は後ろを歩いている。しばらく進むと、少し開けた場所に出た。目の前にはさっき見つけたコンクリートの廃墟がある。


「三階建て? 四階建て?」


 建物を見上げてめぐみは言った。


「窓を数えろよ」


 めぐみはきょとんとしている。


「下から数えるんだよ」


 俺は入口を探していた。せっかくここまで来たんだから入ってみたい。めぐみはここが違う廃墟だと主張しているが、どうでもいい。どうせめぐみのことだから何か勘違いをしているのだ。


「よし、入るぞ」


 めぐみに呼びかけた。彼女はまだ上を見上げている。見つけた入口から入ると、建物の中はじめっとした空気に満たされているのが分かった。懐中電灯で壁をぐるっと照らしたが、落書きといったものは何一つ見当たらない。


「上に行ってみようよ」


 いつの間にか中に入ってきていためぐみが言った。


「上? まずはこの階から順に見てみようぜ」


 廃墟の楽しみ方なんて分からないが、何か面白いものはないかと一階を歩き回ってみた。だが、コンクリートがむき出しの短い廊下といくつかの小部屋があるだけで、ただ殺風景なだけだ。何もない。


「だから言ったんじゃん。ここじゃないよ」


 彼女を無視して上へと続く階段の手前にある部屋をのぞいた。めぐみはつまらなさそうにしている。


「早く上に行こうよ」


 部屋の隅に何かある気がして、そこを照らした。


「おい、何かあるぞ」


 めぐみを呼んで部屋の隅に近づいた。床に、何かを隠すようにして古びた布がかけられている。指先でつまんでめくった。そこだけ木の板でふさいであるようだ。


「何だろうな、これ」


 つま先で叩いてみる。軽い音がした。木の板の向こう側に空間がある。しかも板は劣化していて、簡単に蹴破れそうだ。


「ちょっと下がってろよ」


 そう言って、板を何度か強く蹴った。破れた板の隙間を照らすと、階段が下に続いているのが見えた。


「わあ、すごい! よく見つけたね、しょうちゃん」


 めぐみは跳ねて興奮している。


 手を使って板を全部はがした。懐中電灯に照らし出された階段は、深く先が見えない。上に上がるより、こっちが面白そうだ。


「よっしゃ行くぞ」


 勇んで一段目に踏み入ろうとしたとき、背中に強い衝撃を感じた。身体が宙に浮く。胃がひっくり返るかと思うような一瞬の後、俺は長い階段を転げ落ちた。





 カチッと音がして、目が覚めた。どれくらい経ったかわからない。懐中電灯が近くに落ちていた。明かりがついている。壊れていなくて良かった。


 懐中電灯を手に取ろうとして、身体の痛みに気がついた。もしかするとどこか骨折しているかもしれないと思うくらいに、一度気づくとかなり痛む。どうにか身体を起こし、手にした懐中電灯で周囲を照らした。


 コンクリートではなく石造りの空間だ。小部屋になっていて、奥に向かってさらに通路が続いているようだ。後ろを見ると俺が転げ落ちてきた階段があった。俺は確か、見つけた階段を降りようとして後ろから突き落とされた。めぐみだ。彼女がやったに違いない。他に誰もいなかったんだから。あいつがこんなことをする女だとは思わなかった。俺が何をしたっていうんだ。


 階段の最下部で閉められていたと思われる古びた木戸が、俺がぶつかった衝撃で壊れて開け放たれている。その先から、誰かが降りてくる足音がかすかに聞こえてきていた。まだその音は小さい。


 とりあえず痛む身体を引きずるようにして、壊れた木戸の陰に隠れた。俺とあの女以外にここにいるはずがない。懐中電灯の明かりを消そうとしてスイッチを操作する。が、明かりは消えない。懐中電灯の先端は光ったままだ。よく見たらスイッチはオンになっている。


 つまり、俺が操作するまでオフであったにもかかわらず、明かりが点いたままだったということだ。ここまで落ちてきた衝撃で壊れてしまったのか? 何度かスイッチをいじっても効果はなかった。仕方なく、俺自身に光が当たらないようにして懐中電灯を離れた場所に転がした。


 じっと待っていると、だんだんと足音が大きくなってきた。めぐみめ。あの女、俺がどうなったか確かめに来たのか。彼女の持つ懐中電灯の光が辺りを照らし始めた。


「しょうちゃん、いる? しょうちゃん?」


 姿を現した彼女は、俺が転がしておいた懐中電灯を発見した。


「しょうちゃんいない……すぐ見に来ればよかった……」


 彼女は呟きながら俺の懐中電灯を拾い上げて、通路の先をすぐ曲がって進んでいってしまった。声をかけて止めることはするまい。今のこの身体では彼女に何かされてもうまく抵抗できそうにない。それより彼女が戻ってこないうちに、ここから抜け出さなくてはならなかった。


 懐中電灯をなくしたので、階段まで暗闇の中を手探りで移動しようとした。壊れた木戸を回り込んですぐのはずだ。そしたら、頑張って這って上がればきっと助かるんだ。


 階段があるはずの場所を手で探った。冷たくすべすべした石のタイルばかりがこの手に触れる。こんなに遠かっただろうか? 暗闇で方向を見失ったとでも言うのか? 木戸もどこかへいってしまった。階段はなかなか見つからない。


 ふと、携帯の存在に思い至った。ポケットを探って取り出して、画面を点けた。めぐみの顔のアップが、今となっては俺をいらいらとさせる。圏外だが明かりとしてなら使えそうだ。待ち受けを初期設定に戻して、画面を外側に向けて周囲を照らした。


 自分の目を疑った。この空間のどこを照らしてもあるはずの階段が見当たらない。それどころか、最初に懐中電灯で照らした時と広さが全く違う。俺の持つ携帯の画面の明るさでは壁や天井を見つける事ができないくらい、だだっ広い空間に変わっていた。壊れた木戸も消えて無くなっている。床の材質だけが以前と変わっていない。


 恐怖の緊張による震えを必死に抑えながら、携帯の画面を点けたり消したりした。だが、だだっ広い空間は依然としてそこにある。階段が突然現れることもなかった。


 見たくない。


 俺は床に這いつくばって、じっと目を閉じているしかなかった。

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