Case8.邂逅
【……観測に不十分があったようだ】
仕方ない、過去観測を開始する
ちらほらと何処からともなく現れた眩い光の線は、眼球へ、そして網膜へと集まる。
光の束はうねり、絡み合い、一つの線へと変化する。
眩さは最高潮に達し、強い光の束は網膜で焦点を結ぶ。
その光の線は視神経を通り脳へ信号として送られる。
何も不思議なことはない、人間が目の前の景色を見る際に起こる現象であり、誰も何も意識することなく行っていることだ。
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「ふー。結構荒れてたけど大分片付いたんじゃないか?」
数時間前はゴミ屋敷一歩手前といった具合で、だらしなかったであろうその部屋は、匠の手によってビフォーアフターされる。
窓を開けて空気を入れ替え、ゴミを集め、掃除機をかけ、頑固な油汚れもちょちょいのちょい!
おおよそ片付いたであろう部屋で、相馬ソウマは今しがた乾拭きした木製の椅子に腰かけ、一息ついていた。
--PiPiPi!
相馬のスマートフォンにメッセージが届く。
「お、弥生ちゃんからだ。えーと、なになに」
メッセージに件名は付いていないようで、内容に目を通す。
《さっきシルバーウィングさんが飛んでるの見たよ!!すごい偶然!ギリギリ撮れたから写真あげる〜》
メッセージには画像が添付されており、夕焼け空を背景に、銀翼を広げ遥か上空を飛行している彼の姿があった。急いで撮っただろう画像全体はブレまくりであるが、特徴的なその翼のお陰で何とか彼だと理解できる。
「んー? コレなんだろう?」
相馬の視線は、飛行するシルバーウィングの先にある黒い物体に行った。
「カラス……にしては大きい気がするけど」
謎の物体に微かに興味が湧いたものの、仕事も終わったのでのんびり帰る準備をする。
とっくに日は落ち、窓から見える空色はクログロとそして星が輝いていた。
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シルバー家全体の戸締りをし、合鍵を使って玄関の鍵を閉める。
予定より早く帰宅できそうだし同居人にお土産でも用意するか、帰り道にコンビニあるし寄って帰ろうかな。
「そういえば、シルバーさんっていつも家の鍵を身につけて空飛んでるのかな? ぷぷ、何だかよく分からないけどシュールだな」
「空飛んで2階の窓から入るとかだったらどうしよう。戸締りするときに鍵かけて閉めちゃった」
鍵がかかって家に入れないヒーロー、何とも傑作である。
「妄想をするのも中々楽しいものだな」同居人ほどではないが、俺も寸分違わず変わり者なのかもな。
――ドカッ! バキッ!
どこからか争っている音が聞こえる。今しがた通りがかった路地裏へ続く道からだ。
「うわぁ、喧嘩か?」相馬は露骨に顔をしかめる。
こういう時に仲裁に入るのもヒーローの仕事だろう、きっとすぐ駆け付けてくれるさ。そう考えていると、先程約束をすっぽかしたヒーローのことを思い出した。
「もしかしたら、シルバーさんがヴィランやっつけてたりして」ついつい好奇心が溢れる。
お邪魔しまーす、と小声で音のする方向へ向かう。足元には、空き瓶やゴミが無造作に転がっている。
――ボゴッ! ウゥ……
人を拳で殴る音と殴られたであろう人間の呻き声が聞こえる。
「うへぇ、一方的じゃん。殴られてる人なんか可哀想だな……」
小声で息を漏らす。暗闇で視界が悪く良く見えない、ヤバそうなら即逃げよ。そう思案していると、
「……テメェがグロなんだよな。もし人違いだったら、俺は悪人になっちまうが。さぁ、答えろよクソヴィラン」
一方的に制圧している方が口を開く。その声は氷柱のように鋭く冷たい。
「そ、そんな名前の人……知らない」
ガラガラのか細い声で抵抗するその顔はこちらから見てもボコボコに腫れあがっている。
一目でヤバイと分かる暴力的な男はこちらから背を向けているため、顔が確認できない。
「ホントかぁ? それじゃあ、正義の為に確かめないとなぁ?」
そう言い放つ男は、手に持った棒のようなものを倒れ込んだ人の足に突き刺す。
刺された男は、喉が枯れ果てているのか思うように叫ぶ事もできないようだ。
「オイオイ、やり過ぎだろ……」相手に聞こえぬほどの声で思わず口に出してしまう。少しずつ近づくと、その制圧者の背中に光沢のような物が見える。
「え?」
その制圧者の背中には精巧な造りの閉じられた冷たい銀の翼。不気味なほどに静かな時が流れる。
現実的な時ではない、思考がフリーズした感覚だった。
シナプスが教えてくれたのは、目の前の人間は自分が良く知る人物だということだった。
「し、シルバーさん……?」
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【佐々木沢、シルバーウィング。ヒーローには加虐趣味でもあるというのだろうか】
佐々木沢三郎二郎。その笑ってしまうほど変な名前とは裏腹に、街の住民に献身的な対応をすることから、俺も少しは尊敬していたというのに。
あの丁寧な口調も、結局は偽りの姿だったということか。
怒りを通して、哀れみを感じる。まぁ、死んで当然のクソ野郎だったということか。
しかし、こうも連続して自分の担当するヒーローの闇に触れるとは相馬も災難だな。
そして、シルバーウィング。
誠実で常識のあるエンジニアで、自らの発明品を用いてヒーロー活動。
彼は正確にはアルファではないだろう。
それでも周りに後天性のアルファだと言わせるのは、彼の持つアルファへの強い羨望からだろう。
執念の成果が今の彼なのだから、誰かれ好かれることはあれど、その事を非難するものはいない。
そのような彼だが、相馬から聞かされていたルーズな一面を知った時には思わず、可愛げがあると思った。
それをひた隠しにしているとこも。
あまり期待は出来ないが、何か彼なりの理由があるのかもしれない。
しかし、対象の深層心理や考えていることは、その対象の精神力が強靭である場合の閲覧は難しい。
【それでは、続きを見てみようか】
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名前を告げられたシルバーウィングがこちらを振り向いた瞬間。
――ベチャッ! ゴボゴボ!
突然、シルバーウィングの後方に見える人物がどろどろと溶解し、辺りに飛び散った。
「「!?」」
シルバーも、突然の出来事にかなり驚いているようだ。
「な、何をしたのだ!!」
即座に身構えるが、スライムのように溶ける人物は何も仕掛けてこない。
体感時間ではなく、現実時間で僅かな時が流れる。
「……?」
敵は何もしてこなかった、と冷静を取り戻したシルバーは相馬に問いかける。
「そ、ソウマ。お前、どこから見てた?」
「え、え? その……シルバーさんが今の人を殴ってる途中から、……ですけど?」
「……はぁーーー、チッ」面倒なことになったと舌打ちをし、こちらに近づいてくる。その身に纏う冷酷な殺気に酷く困惑する。
「し、シルバーさん!? 何するんです!?」
ニヤリ、と下卑た笑みを浮かべたヒーロー。シルバーウィングは、カチカチと金属音を鳴らし身体中の機械全てで攻撃準備しているようだ。
今にも発射されそうなソレを見て、全身が寒気に襲われる。
「何をするかって? フフ、決まってるだろう。口封じだよ」
「口、封じ……?」
「あぁ、そうだ。お前見たんだろう、俺がクソヴィランをボコボコにしてるとこを」
困るんだよねー、といった様子で肩をすくめる。
「お前は、今後のヒーロー活動に支障をきたす悪人である。ソウマよ、ヒーローとは悪を決して許さないものなのだ」
「あ、悪人? 俺が? そ、そんなこと、ないですよ?」
「いいや、俺がヴィランを制圧と称し、一方的にリンチしてる。と、言いふらしたら俺がどうなるか、わかるか?」
まるで自分は、リンチなどしていないかのような口ぶりだ。必要以上に、そして一方的に痛めつけるのをリンチと言わず何というのだろうか。
「だからこそ、口封じさせてもらう」にちゃり、と口角を引きつらせながら言い放つ。
「……悪人はシネ!!!!」
身体中の武器から飛び交う銃弾と鋭利な刃物、その恐るべき光景につい瞼を閉じてしまう。
あーぁ、早く帰れると思ったのにな。お土産買って帰れなかったよ。
相馬は、同居人に申し訳ないと思いながら俯きながら目を開ける。
――ドロドロ、ぐちょり
先程まで遠くにあった真っ黒い粘り気のあるスライムが、不快な音と共に自らの足に纏わりつくのを目撃してしまった。
【そういうこと、か】
誰かが呟いた。