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第4話

「二億ぅ? なんだそれ、アメリカンジョークか? 笑ったほうがいいのか?」

「実を言うと、俺も笑いたい」

「うぅむ……」

 悠梨はいかにも難しそうな顔をして唸った。腕を組み、唇を尖らせ、右斜め上を見ながら黙考している。

 なんとも広大な悠梨の部屋。学校の教室四個分はある。ベッドの上であぐらを掻いているのが悠梨、同じベッドに浅く腰掛けているのがみなみ、近くの壁にもたれて片あぐらを掻いているのが慎太郎。

 悠梨の部屋は彼女の性格上、散らかっていると容易に想定できるが、意外や意外、塵ひとつ落ちてない程に綺麗だ。ただ使用人の人が毎日掃除してくれてるからなだけなのだが。

「二億って言われてもなぁ。さすがに二億くれって無心されて、はいどうぞと融資できるほどあたしに貯金はないぞ」

「だろうな。まあ、それで、折り入って頼みがある、二つほど」

「借金肩代わりしてくれってのならお断りだけどな」

「そこまで虫のいいこと言うか。とりあえず、頼みその一は、しばらく俺達をお前んちに泊めてくれ」

「一泊いくらでだ?」

「タダで頼む」

「本気か? タダより高いもんはないのに」

「すこぶる本気だ」

「ほお……」

「……肩揉みとマッサージでどうだ」

「……」

「宿題代わりにやってやるから」

「……」

「わかった、学校じゃお前のパシりになってやる、これでどうだ」

「あと鞄持ちも」

「まあ、いいだろう」

「掃除当番も代わってくれ」

「わかったわかった」

「あたしが先生を怒らせたらお前が代理で説教されるように」

「……」

「あれ、返事は?」

「……はいはい」

「それと今日からあたしのことは悠梨さまと呼ぶように」

「あーうるっせえな好きにしろ!」

 掴み掛からん勢いで慎太郎が吠える。悠梨は“やった”と嬉しそうにガッツポーズ。みなみは複雑そうな表情で傍聴役。

「まあ冗談はこれくらいにして」

 と前置きする悠梨。恐らく半分以上は本気なのだろうが。

「マジでどうするんだ、二億ウン千万も。二か月間死ぬ気で働いたって到底稼げないぞ」

「知るか。なんとかするんだよ」

「どうするんだ」

「まあ……理想論でいくなら、悠梨の親父さんに二億三千三百五十万円借りて、その金で返済したら、あとは萩本家総出で一生かけて親父さんに返していく……かな」

「頭の悪い手段だな。実際にそんなことやって、一日に一万ずつ返してったとしても、何日かかると思ってんだ?」

「何日だよ」

「さあ? みなみ、何日?」

「二万三千三百五十日です」

 二人揃って仲良く首を捻る慎太郎と悠梨。その顔が“?”という心境を物語っている。補足説明が必要だと気付いたみなみは、言葉を付け足した。

「七百七十八か月、約六十四年です」

「ほれ」

 何が“ほれ”なのかわからなかったが、慎太郎は曖昧に頷いた。確かにこの数値は庶民には厳し過ぎる。

「それに、今は父さん、忙しいからさ」

 悠梨がぼやくように言った。内容の意味がよくわからない慎太郎に、みなみが語りかける。

「来期に行われる統一地方自治体選挙のことだと思います」

 その解説で慎太郎は悠梨の言わんとしていることが理解できた。

 新聞もニュースも見ない慎太郎だが、幼馴染みの父親が選挙に出馬するなら嫌でも耳に入る。今度の自治選挙に悠梨の親父が立候補したんだった。この前哨戦の大事な時期に軍資金を二億あまりもほっぽり出すタワケはいないし、万が一にも遠回しとはいえ金融会社と接触したことが明るみになったら、どう転んでも選挙では不利になることだろう。

「悪かったな」

 慎太郎はバツが悪そうな顔付きで言った。悠梨は微笑七割苦笑三割で笑う。

「なぜそこで謝る?」

「親父さん、もうすぐ選挙なんだろ。よく考えもせず勝手に都合のいいこと言っててすまん」

「んー、そんなんは別にいいんだけどさ。父さん、三年くらい前から今年の選挙のために、あっちゃこっちゃ視察に行ったり参謀になる人集めたり、ここ最近は寝る間も惜しんで話し合いしたりして、なんかやたらと頑張ってるんだよなぁ。だから、あたしゃ選挙なんてよくわからないけど、あんま余計な気苦労はさせたくないんだよ」

 悠梨は両手を後ろについて天井を眺めた。

 悠梨の父親のことはこいつ同様昔から知っている。悪徳政治家の正反対な人柄を想像すればいい。温厚で人当たりが良く、資産家であることなど少しも鼻に掛けない方だ。

 さらにマズいのは悠梨の実父だけあってかなりのお人好しなのだ。選挙そっちのけで萩本家の救済に走るかもしれない。いや、たぶんそうなる。

 コンコン。

 不意にドアをノックする音が聞こえ、三人が音源を見やる。

「お嬢様、お飲み物をお持ちいたしました」

 扉の向こう側から告げられ、

「おーう、入っていいぞー」

 と悠梨が言うと、失礼します、という挨拶のあとに給仕車を押しながら茜が入室してきた。台の上にはティーポットが二つに急須が一つ、そしてティーカップが二つに湯飲みが一つ。

 慎太郎はその中身をすべて当てることができる。ミルクティーとダージリンと玉露茶。茜は一度でも好みを聞いたら永久的にそれを忘れない、何人だろうとである。だから初見でない限り、客の好みに合わせて飲み物を用意することができるのだ。

「はい、どうぞ、みなみさん」

 まずダージリンが注がれたカップをソーサーに乗せて、もっとも近くにいたみなみに渡した。

「ありがとうございます」

 礼を述べてから丁寧に頭を下げるみなみ。そしていま、慎太郎と茜の距離は五メートルはある。茜は嫌な顔どころか微笑を称えながら慎太郎の元にカップを持ってきてくれるのだろうが、わざわざ手数をかけさせるほど慎太郎は肝は座ってない。立ち上がって自分から貰いにいった。

「あら、慎太郎さんが受け取りにこられなくても、わたくしがお持ちしましたのに。気を遣わせてしまい申し訳ありません」

 茜が軽くお辞儀をする。なぜそれくらいで謝罪されねばならのんか、慎太郎はまったくわからない。相変わらずメイドとは難しい職業だと思う。

「あいや、そんな謝らなくても。俺がただ早く飲みたかっただけですし。吉川さんの淹れるもんはすごい美味いっすから」

 それは本当だ。彼女の淹れた飲み物は例外なく至高の味がする。初めて飲んだときは口にしていいのかすら迷った。サ店に出したら一杯一万円はするに違いない。

「そうですか? ふふ、そう言われると、とても嬉しいです」

 茜は慈愛に満ちた顔でニッコリと微笑みながらミルクティーのカップを渡した。やっぱりお嬢様ならどう考えてもこの人のほうが適任だろう。

 脳内でそのことを再認識しながら一口啜ると、まさに筆舌に尽くし難い味が口内に広がった。余韻に浸りながら視線を上げると、みなみがぎゅっと唇をつぐんで顔をしかめていた。慎太郎が気付くと同時に茜も気付いたようだった。

「いかがなされました、みなみさん。お口に合わなかったのでしょうか……」

 表情を曇らせて茜が訊いた。メイド職に誇りをかけている彼女としては、出したものをマズいと言われるのはリストラ宣告にも等しいのだろう。

 茜が言ってからみなみはすぐに首を横に振った。口を手の平で押さえながら、

「……あひゅい」

 小さく舌ったらずに原因を伝えた。みなみが重度の猫舌だというのは慎太郎も悠梨も周知のことだ。そしてもちろん茜も。だからこそそのショックは大きい。

「も、申し訳ございません!」

 茜は手を重ねて思い切りよく頭を下げた。

「みなみさんの適温になるよう温度を調節したつもりが、こんなことに……ああ、どうしましょう……火傷になってしまったら……。本当にごめんなさい!」

 ほとんど泣きそうな顔の茜があたふたしながらまた腰を折り、回復したみなみがすかさず茜の非を否定した。

「いえ、大丈夫です。ちょっとジリッとしただけですから」

「ですが、これはわたくしの失態が要因であって……」

「よく冷まさずに飲んだわたしが悪いんです。茜さんは悪くないです」

「……そうでしょうか」

「そうです。悪くないです」

「……すみません、ありがとうございます」

 ようやく茜が納得して場が落ち着いたところに、悠梨の気の抜けた声が舞い込んだ。

「おぅい、盛り上がってるときになんだけど、あたしのお茶は?」

 自らを指差しながら要求すると、茜の目に眼光が戻った。

「もちろんお嬢様の好きな玉露も用意してございますわ」

「おお、早くくれ」

「駄目です。お飲みになりたいのならば、ベッドからお降りくださいませ」

「なんだよー、ケチケチすんなよー、くれよー、ぎぶみぃぷりぃず」

「いけませんっ。お嬢様ともあろうお方が、ベッドの上であぐらを掻きながらお茶を飲むなどとは、言語道断ですっ」

「別に言語が道断してたってあたしは知ったこっちゃ、」

「お嬢様!」

 一喝。悠梨は渋々といった感じだが、のたのたとベッドを下りた。

 さて、立っている自分はともかく、悠梨と同じくベッドに座りながら飲んでいたみなみにはなんも言わないんだな、と慎太郎は思う。まあ俺達と悠梨とじゃ接し方が違うのはしょうがないか。

 茜は殊勝な心掛けの悠梨に満面の笑みで満足し、悠梨が立ち上がる頃にはテーブルにあった椅子を持ってきていた。いつの間にか慎太郎の分まである。

「うらぁ、移動したぞー。茜、お茶ー」

 などと悠梨が言う前にはもう、茜は湯飲みを持って待機していた。

「はい、どうぞ、お嬢様」

 腰を曲げて高さを合わせ、穏やかな面持ちと口調で悠梨に手渡す。やっぱり違うな。俺やみなみのときは楽しそうなんだが、悠梨んときは嬉しそうなんだよな。

 慎太郎は椅子に座ってミルクティーを飲み干し、まだ飲みたいなと思ってポットをチラ見した一瞬を茜は見逃さない。

「おかわりをご所望でしょうか?」

「ああ、はい」

 慎太郎が頷くと、カラになったカップを引き取り、もったいないことに新しいカップと交換されて二杯目がきた。

 他の女子二名を一瞥すると、みなみはフーフー息を吹き掛けながらチマチマとダージリンティーを口に運び、悠梨はと言えばお早いことだがとうに三杯目である。

 そして味わう気もなさげに一気飲みをしていた悠梨と目が合うと、彼女は思い出したような顔となって慎太郎に質問を投げた。

「そういや今気付いたんだけど」

「あー?」

「慶輔は?」

 慶輔……?

「あっ」と一緒に慎太郎・みなみ。

「忘れてた……」

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